上野南本城は、驚愕の城でした。
※現地案内看板の縄張図
○上野南本城跡(飯田市史跡)
天竜川右岸の段丘先端に立地し、北側は並木沢を挟んで上野北本城に対面し、南側は西の沢川に画される。尾根の枝分かれする部分に主郭が、そして三方に小規模な郭や帯郭が複雑に配された連郭式の城である。上野北本城が居住的な性格が強いのに対し、上野南本城は防御専一の城で、上野北本城跡との間に城郭施設が発見されつつあり、一体的な城として捉えられる。築造時期等詳細は不明であるが、16世紀初めの陶磁器が確認されている。大規模かつ縄張が複雑な城で、保存状態が良好である。(以上の説明は『南信州山城マップ 南信州の山城』(飯田市美術博物館・飯田市上郷考古博物館発行記載のもの)
とにかく巨大、とにかく丸い、とにかく複雑、とにかく迷路。とにかくマニアック。
嗚呼、どうして武田が作る城は、かくも美しいのか!
城好きならば絶叫せざるをえません。(実際私は叫びました。人がいなくて良かった。)城好きじゃない人でもとりあえず手軽なハイキングにはなるでしょう。空気が美味しいし。
何がすごいって、まず入ってからすぐ現れる馬出。
馬出虎口前の土橋の両側は堀切が入って細くて深い。虎口の向かって左側には小高い場所があり土橋は若干写真右手に向かって斜めっているので、横矢がかかるようにしてあります。
虎口をくぐると道はクランク状に右に折れます。この道が先ほどの馬出しの土塁で囲われた状態なのを確認できます。そして、ここでよくよく見ると馬出が来た方向に伸びているので行って見ると、先ほど渡ってきた土橋が見える。
※写真中央の枝がない辺りが土橋。
要は、土橋を渡っているとすぐ左からの横矢と遠くの右からの横矢が掛かるって寸法。流石は武田。マニアック。
馬出からの道が更に右に折れつつ下って北郭へ。ここに大きな竪堀連携の堀切が入っている訳です。北郭がまた複雑な構造となっており泣かせます。しかも、本郭から見れば北郭自体が馬出的機能を果たしています。この北郭の西側に塹壕状の弧状土塁が何気にたたずんでいます。
※この写真左手の高い北郭から右手の弧状土塁を見た写真がこのブログの上野南本城からリンクした地図には載っています。
これは静岡県丸子城で似たものを見た。うーむ、武田は弧状土塁が好きだのう、流石甲陽軍鑑に丸く作ると書かれているだけのことはある。実際この城は全て丸い、という印象があります。
そして北郭から本郭へは、常に上方からの攻撃を受けるよう、回り込むように道が付いています。そして現れるのが、このツヅラ折れの虎口までの道。
うっひゃー、何コレ何コレと興奮しながら虎口を上がる。ちなみに、この写真をとった場所の背後下方にはこれまた帯郭が弧状土塁とセットで控えており泣かせてくれます。
そして本郭虎口からツヅラ折れを見下ろしたもの。
THE虎口って感じです。
そして本郭の中が広い!!!
とにかく広い。今まで通過した郭も大概広いのですが、これは広い。日本城郭体系の愛知県編を執筆されてもいる高橋延年氏が「奥三河の城は全般的に小さい」と言っていた意味が体感できました。なるほど。古宮城は200m×200mででかいなぁ、と思っていましたが、明日以降ご紹介する城を含めて、信州の武田の手が入った城はとにかく広かった。これは飯田市の西側が台地が大きく舌状台地が張り出しており、面積を確保しやすいことがあると思います。奥三河は山が迫っており、ここまで広い面積を確保できる土地はない。各地の城を見比べる楽しさを高橋氏から教わったと勝手に思っています。
後はひたすらぐるぐると歩き続けました。とにかく広いし高低差がある。
弧状土塁と堀切が周囲を巡り、まさに迷路。
そして、帰り道にキツネが走っているのを発見!
かわいい!じっとこちらを見て警戒していました。こんなにしっかりと野生の狐を見たのは初めてです。エキノコックスなどの伝染病もありますので触ろうとは思いませんでしたが、化かされたらどうしようかと思っていました。美女で出てくれば化かされるのも悪くはないですけどねぇ。(爆)
とにかく、1時間でお腹一杯になりました。独り言炸裂の城でした。
さて、この後は既に遺構が破壊されてしまった上野北本城をちらっと見ておく。
※現在は座光寺小学校です。
○上野北本城
座光寺氏の居城といわれ、1568(永禄10)年武田晴信(信玄)が生嶋足嶋神社に捧げた起請文には座光寺三郎左衛門尉貞房の名が登場する。1575(天正3)年織田信忠が美濃国岩村城を攻略した際、城主秋山信友とともに磔死し、以後急速に衰えた。築城時期などは不明であるが、15世紀後半から16世紀前半の遺物が出土している。座光寺小学校・保育園建設により、主要な南・東・西・北の各郭などは残存していない。(『南信州の城』)
保育園の隣に土塁跡がありました。
まぁあまり偲ぶよすががありませんが、南本城でお腹一杯でしたので、食後のデザートと言うことで・・・。
近くの耕雲寺には素敵な楼門がありましたので、立ち寄られると面白いかと。
※現地案内看板の縄張図
○上野南本城跡(飯田市史跡)
天竜川右岸の段丘先端に立地し、北側は並木沢を挟んで上野北本城に対面し、南側は西の沢川に画される。尾根の枝分かれする部分に主郭が、そして三方に小規模な郭や帯郭が複雑に配された連郭式の城である。上野北本城が居住的な性格が強いのに対し、上野南本城は防御専一の城で、上野北本城跡との間に城郭施設が発見されつつあり、一体的な城として捉えられる。築造時期等詳細は不明であるが、16世紀初めの陶磁器が確認されている。大規模かつ縄張が複雑な城で、保存状態が良好である。(以上の説明は『南信州山城マップ 南信州の山城』(飯田市美術博物館・飯田市上郷考古博物館発行記載のもの)
とにかく巨大、とにかく丸い、とにかく複雑、とにかく迷路。とにかくマニアック。
嗚呼、どうして武田が作る城は、かくも美しいのか!
城好きならば絶叫せざるをえません。(実際私は叫びました。人がいなくて良かった。)城好きじゃない人でもとりあえず手軽なハイキングにはなるでしょう。空気が美味しいし。
何がすごいって、まず入ってからすぐ現れる馬出。
馬出虎口前の土橋の両側は堀切が入って細くて深い。虎口の向かって左側には小高い場所があり土橋は若干写真右手に向かって斜めっているので、横矢がかかるようにしてあります。
虎口をくぐると道はクランク状に右に折れます。この道が先ほどの馬出しの土塁で囲われた状態なのを確認できます。そして、ここでよくよく見ると馬出が来た方向に伸びているので行って見ると、先ほど渡ってきた土橋が見える。
※写真中央の枝がない辺りが土橋。
要は、土橋を渡っているとすぐ左からの横矢と遠くの右からの横矢が掛かるって寸法。流石は武田。マニアック。
馬出からの道が更に右に折れつつ下って北郭へ。ここに大きな竪堀連携の堀切が入っている訳です。北郭がまた複雑な構造となっており泣かせます。しかも、本郭から見れば北郭自体が馬出的機能を果たしています。この北郭の西側に塹壕状の弧状土塁が何気にたたずんでいます。
※この写真左手の高い北郭から右手の弧状土塁を見た写真がこのブログの上野南本城からリンクした地図には載っています。
これは静岡県丸子城で似たものを見た。うーむ、武田は弧状土塁が好きだのう、流石甲陽軍鑑に丸く作ると書かれているだけのことはある。実際この城は全て丸い、という印象があります。
そして北郭から本郭へは、常に上方からの攻撃を受けるよう、回り込むように道が付いています。そして現れるのが、このツヅラ折れの虎口までの道。
うっひゃー、何コレ何コレと興奮しながら虎口を上がる。ちなみに、この写真をとった場所の背後下方にはこれまた帯郭が弧状土塁とセットで控えており泣かせてくれます。
そして本郭虎口からツヅラ折れを見下ろしたもの。
THE虎口って感じです。
そして本郭の中が広い!!!
とにかく広い。今まで通過した郭も大概広いのですが、これは広い。日本城郭体系の愛知県編を執筆されてもいる高橋延年氏が「奥三河の城は全般的に小さい」と言っていた意味が体感できました。なるほど。古宮城は200m×200mででかいなぁ、と思っていましたが、明日以降ご紹介する城を含めて、信州の武田の手が入った城はとにかく広かった。これは飯田市の西側が台地が大きく舌状台地が張り出しており、面積を確保しやすいことがあると思います。奥三河は山が迫っており、ここまで広い面積を確保できる土地はない。各地の城を見比べる楽しさを高橋氏から教わったと勝手に思っています。
後はひたすらぐるぐると歩き続けました。とにかく広いし高低差がある。
弧状土塁と堀切が周囲を巡り、まさに迷路。
そして、帰り道にキツネが走っているのを発見!
かわいい!じっとこちらを見て警戒していました。こんなにしっかりと野生の狐を見たのは初めてです。エキノコックスなどの伝染病もありますので触ろうとは思いませんでしたが、化かされたらどうしようかと思っていました。美女で出てくれば化かされるのも悪くはないですけどねぇ。(爆)
とにかく、1時間でお腹一杯になりました。独り言炸裂の城でした。
さて、この後は既に遺構が破壊されてしまった上野北本城をちらっと見ておく。
※現在は座光寺小学校です。
○上野北本城
座光寺氏の居城といわれ、1568(永禄10)年武田晴信(信玄)が生嶋足嶋神社に捧げた起請文には座光寺三郎左衛門尉貞房の名が登場する。1575(天正3)年織田信忠が美濃国岩村城を攻略した際、城主秋山信友とともに磔死し、以後急速に衰えた。築城時期などは不明であるが、15世紀後半から16世紀前半の遺物が出土している。座光寺小学校・保育園建設により、主要な南・東・西・北の各郭などは残存していない。(『南信州の城』)
保育園の隣に土塁跡がありました。
まぁあまり偲ぶよすががありませんが、南本城でお腹一杯でしたので、食後のデザートと言うことで・・・。
近くの耕雲寺には素敵な楼門がありましたので、立ち寄られると面白いかと。