長篠落武者日記

長篠の落武者となった城オタクによるブログです。

壊れた奥の院 ~縁起のいいらしいまち新城 鳳来寺編4~

2013年09月02日 | 縁起のいいまち新城
鳳来寺本堂では愛のパワーを。
東照宮では人生の切所でのパワーを。
それぞれ得ることができることを確認した我々。

鳳来寺山のパワーを実感しつつも、我々が追い求める「宝くじ高額当選」への効果は、まだ享受していなかった。

苦行と御利益は正比例する。
こんな仮説を立てた我々は、己に鞭を打つ苦行に身を任せることとなり、鳳来寺本堂では飽き足らず、山のあなたの空遠く幸い住むと人の言う、奥の院へ向かうこととした。
きっといにしえの修験者も、同じような考えで苦行を行い、そして霊力を得ようとしたのであろう。

苦行を行った先達に比べら比べれば整備された道を行くとはいえ・・・。

※木が崩落し橋を破壊。恐ろしい自然の力。

乾いた雑巾を搾るように自らの体力を搾り出し、もはや軽登山となっていたが、我々は行く。

どうして利修仙人は奥の院なんか作ったんだろう。
どうして我々は苦行と御利益が正比例すると考えてしまったのだろう。
どうして、どうして僕達は出会ってしまったのだろう。

リフレインが叫ぼうが何しようが、登らねば奥の院には辿りつけない。
前日降った雨のせいで、ぬかるみがあちこちで発生。岩は滑りやすくなっており、危険極まりない。

もはや、ここを無事に登り、そして、下山すれば、それだけで大いなる幸運ではないのか。
普段特に運動をしていない我々にとって、今、既に地獄。
地獄から無事に生還できれば、それは大いなる僥倖。

そして我々は、奥の院を目指して歩き続ける。

カ○ミ食品のCMのように。

既に日も半ばを過ぎたが、夏とあって日が長いのがありがたい。
もし、冬だったら、下山し下界に到着する頃には、既に陽が暮れていただろう。
遭難という文字が紙面を飾ったかもしれない。

我々が体力を振り絞って到達した奥の院は、大変なことになってました。。。


奥の院真っ二つ。

正直、何かを伝えたいのか、何かを戒めているのか、見るものをそんな気持ちにさせてしまうくらい、見事な真っ二つでした。

自然を恐れ、敬い、共存する。
そんな日本古来の思想を呼び起こし、消費することを至上とする現代社会への警鐘なのかもしれない。我々がもっともその警鐘の対象者であったことは言うまでもない。

他人の目も無く、疲労し理性が弱まる中、恐れや欲望が混ざり合い交差する人間交差点。

知らず、我々は祈りを捧げた。


壊れたのは奥の院か、はたまた、我々か。
何も知らぬ人が我々を見れば、そんな光景だったかもしれない・・・。

そして、苦行の果てに我々が見た結果は。


この模様は動画で御覧になれます。




奥の院のすぐ隣には、絶景ポイントがあります。


シャレにならんくらい恐ろしい足場です。
よく、修験者が足を持たれて宙吊りにされ「懺悔しろ!懺悔しろ!」と言わされてそうな場所です。

が、見晴らしのよさは抜群。

石段を登る前から疲弊し、奥の院は無理、と、言っていたH女史がいるので問いかける。
「もう無理と言ってたけど、登れちゃったねぇ。」
「とても私だけ行かん、と、言える雰囲気じゃないし。しゃーなしに登ったら登れてまった。」
とのこと。

不可能が可能に変わった。
これは、まさに御利益。

奥の院は不可能が可能に変わる、不思議なパワーを得られる場所なのかもしれない。

奥の院まで登った。
後は降るだけ。
降る『だけ』?

「のぼりよりも降りの方がキツイ。」

降りは重力に従うので一見楽そうに思えるものの、その分踏ん張らないといけないため、腿や膝に来る。
実際M田氏は傍から見てても膝が笑い、足が震えているのがわかるほど。
また、私は今年の3月に何にも準備せずにいきなり新城トレイルラン11kmを走って膝を痛めたため、やはり膝に来る。

しかし、我々は、登る途中に多数あった霊験あらたかそうなスポットを、弁財天の反省として「登頂後に試す」方が御利益が得られると考えたため、降りつつ検証作業をしなければならないこととなっている。我々は震える足で様々なスポットに立ち寄ることとなった。

次回、「日本一の杉に祈りを捧げる」
高さ日本一の杉は、我々に霊力を与えてくれるのか?!お楽しみに。

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