鳳来寺本堂が愛のパワースポットであることを確認した我々。
その次は、日本最長の政権を樹立した男、徳川家康公を祭る東照宮へ。
なにせこの徳川家康。ゴールドラッシュに沸く日本中の金銀を手中にし、溜め込んだ金銀で城の床が抜け落ちた、と、いう逸話まで残っています。
また、部下の大久保長安は灰吹法という南蛮渡来の精錬術で飛躍的に金の産出量を増やし、徳川幕府の財源を支えています。
そして、新城から少し奥に行った設楽町には武田信玄が発見し、織田信長・徳川家康が採掘した「津具金山」もあったりします。
東照宮と言えば日光東照宮。
極彩色でふんだんに金をあしらった建物として知られています。
また、家康は息子の義直のために名古屋城を築城。その屋根には金箔ではない、本物の金塊で造った鯱を乗せてしまいます。
金鯱は各地にあれど、金箔ではなく金塊といえば名古屋城。
意外とカネの匂いがするんです。
この徳川家康公は!
関ヶ原の戦いという大博打にも勝った訳ですし、宝くじの効能を試すにはもってこいの人ではないか?
ちなみに、徳川家康の出生を祈ったのは、前回の鳳来寺になるわけです。
ここは、慶安元年に徳川幕府三代将軍家光が、日光東照宮で「東照社縁起」を改めて読み、非常に感銘を受けて鳳来寺にあった東照宮を立派に改装し、慶安四年九月十七日に落成したものだそうです。(鳳来山東照宮パンフより)
久能山、日光と並ぶ三大東照宮なのです!
三大将軍家光の親である二代将軍秀忠は、弟の忠長を愛し将軍の座も危うかったのですが、家康が「三代目は家光。」と決めたことで将軍の座が確定したことから、家康を崇敬することは尋常ではなく、家康関連のものをとにかく崇め奉った。その一つがここの東照宮なわけです。
ちなみに、家光は衆道(男性同士の愛)に狂って危うく跡継ぎができなくなりそうだった、と、言われております。
そんな彼でも跡継ぎができたのは、鳳来山東照宮を建造したからではないか。
そう、考えよう。
我々は、東照宮を見たとき「これは効きそうだ。」と思いました。
それは何故か。
1,425段を登ったにもかかわらず、まだ登らされるわけです。
それもかなりの急斜面を。
苦行を重ね功徳を積めば、それだけ御利益も大きい。
そう考えた我々は、また、一歩一歩歩みを進めるのであった。
しかし、その姿は、あきらかに膝が痛い人向け医薬品のCMのよう。
東照宮は寸志を奉納することで、さらに奥で参拝することができます。
我々はパワーが少しでも多く受けられる可能性を求め、奥まで行く。
途中にある石灯籠や銅の灯篭は慶安四年に寄進されたと書かれているものが多く、この東照宮を作ったときに奉納されたことがわかります。
そんな古いものが当たり前のように残っている東照宮。
大体、銅の灯篭ってあまり見ません。
カネの匂いのする男、家康に相応しい。
そして、奥の拝殿前まで回りこみ、我々は祈りを捧げた。
この結果は動画でご覧いただけます。結果やいかに!?
ところで、境内には狛犬が二つあります。
手前には立派な狛犬。
そして、奥には丸い物体。
これは、戦前、日露戦争などに出征する兵士が、家康の武勲にあやかろうと弾丸避けに削って持っていったため、狛犬の形が無くなってしまったことから、新たに作った3代目が手前に鎮座しているのです。
なるほど。
数々のピンチを切り抜けて最終勝利を得た男を祀るだけに、修羅場を乗り切りたい人にはパワーが与えられそうです。
宝くじよりも、人生の切所に効きそうです。
人生で登る階段の回数が決まっているとするならば、我々は既にその1/4を本日で使い果たしてしまうのではないか、と、思うほど既に登った。
しかし、検証作業で絶対に外せない場所があるのです。
その名は『奥の院』
修験道と融合している鳳来寺には奥の院があるのです。
と、いうことは・・・、
階段が更に現れた!
つぎつぎと新手の敵が現れて、一向に終わらない週刊誌連載のヒーロー物のマンガのよう。
これで終わりかと思いきや、「くくく。」と笑う不気味な影。そして『続く』
きっと、作者にしても「もう勘弁」と思いながらも編集者が「続けるんだよ!」と強要して続けさせられている、ということが丸判りのマンガもあります。
『○○先生に励ましのお便りを送ろう!』という言葉の意味がよくわかります。
読者からのお便りは、きっと○○先生にとって、無間地獄に垂らされる一本の蜘蛛の糸のような救いなのでしょう。
ところで、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』といえば、か細い糸に何人もが取り付き、切れてしまうと焦ったカンダタが「この糸は俺のものだ!」と自らのことのみを考えた発言をした瞬間、ぷっつりとカンダタの持ち手のすぐ上から切れてしまい、地獄に逆戻りとなります。
どちらかというとカンダタ同様に叫ぶ派が多いこの面子。
果たして大丈夫なのか。
そんな我々を試すかのように道は続く。
※今までとは様相を一変した階段。ここは東海自然歩道でもあります。
続く!
※木が崩落し橋を破壊しています。
続く!!
※前日の雨で上から水が滴り落ち足場は超悪い。
しかし、功徳を積むため我々は登る。
その先にある現世利益を求めて。
※疲弊しきっているH女史。このままグルコサミンのCMに出られそうです。
そして、奥の院で我々は信じられない光景を目にします。
次回「壊れた奥の院」
お楽しみに。
その次は、日本最長の政権を樹立した男、徳川家康公を祭る東照宮へ。
なにせこの徳川家康。ゴールドラッシュに沸く日本中の金銀を手中にし、溜め込んだ金銀で城の床が抜け落ちた、と、いう逸話まで残っています。
また、部下の大久保長安は灰吹法という南蛮渡来の精錬術で飛躍的に金の産出量を増やし、徳川幕府の財源を支えています。
そして、新城から少し奥に行った設楽町には武田信玄が発見し、織田信長・徳川家康が採掘した「津具金山」もあったりします。
東照宮と言えば日光東照宮。
極彩色でふんだんに金をあしらった建物として知られています。
また、家康は息子の義直のために名古屋城を築城。その屋根には金箔ではない、本物の金塊で造った鯱を乗せてしまいます。
金鯱は各地にあれど、金箔ではなく金塊といえば名古屋城。
意外とカネの匂いがするんです。
この徳川家康公は!
関ヶ原の戦いという大博打にも勝った訳ですし、宝くじの効能を試すにはもってこいの人ではないか?
ちなみに、徳川家康の出生を祈ったのは、前回の鳳来寺になるわけです。
ここは、慶安元年に徳川幕府三代将軍家光が、日光東照宮で「東照社縁起」を改めて読み、非常に感銘を受けて鳳来寺にあった東照宮を立派に改装し、慶安四年九月十七日に落成したものだそうです。(鳳来山東照宮パンフより)
久能山、日光と並ぶ三大東照宮なのです!
三大将軍家光の親である二代将軍秀忠は、弟の忠長を愛し将軍の座も危うかったのですが、家康が「三代目は家光。」と決めたことで将軍の座が確定したことから、家康を崇敬することは尋常ではなく、家康関連のものをとにかく崇め奉った。その一つがここの東照宮なわけです。
ちなみに、家光は衆道(男性同士の愛)に狂って危うく跡継ぎができなくなりそうだった、と、言われております。
そんな彼でも跡継ぎができたのは、鳳来山東照宮を建造したからではないか。
そう、考えよう。
我々は、東照宮を見たとき「これは効きそうだ。」と思いました。
それは何故か。
1,425段を登ったにもかかわらず、まだ登らされるわけです。
それもかなりの急斜面を。
苦行を重ね功徳を積めば、それだけ御利益も大きい。
そう考えた我々は、また、一歩一歩歩みを進めるのであった。
しかし、その姿は、あきらかに膝が痛い人向け医薬品のCMのよう。
東照宮は寸志を奉納することで、さらに奥で参拝することができます。
我々はパワーが少しでも多く受けられる可能性を求め、奥まで行く。
途中にある石灯籠や銅の灯篭は慶安四年に寄進されたと書かれているものが多く、この東照宮を作ったときに奉納されたことがわかります。
そんな古いものが当たり前のように残っている東照宮。
大体、銅の灯篭ってあまり見ません。
カネの匂いのする男、家康に相応しい。
そして、奥の拝殿前まで回りこみ、我々は祈りを捧げた。
この結果は動画でご覧いただけます。結果やいかに!?
ところで、境内には狛犬が二つあります。
手前には立派な狛犬。
そして、奥には丸い物体。
これは、戦前、日露戦争などに出征する兵士が、家康の武勲にあやかろうと弾丸避けに削って持っていったため、狛犬の形が無くなってしまったことから、新たに作った3代目が手前に鎮座しているのです。
なるほど。
数々のピンチを切り抜けて最終勝利を得た男を祀るだけに、修羅場を乗り切りたい人にはパワーが与えられそうです。
宝くじよりも、人生の切所に効きそうです。
人生で登る階段の回数が決まっているとするならば、我々は既にその1/4を本日で使い果たしてしまうのではないか、と、思うほど既に登った。
しかし、検証作業で絶対に外せない場所があるのです。
その名は『奥の院』
修験道と融合している鳳来寺には奥の院があるのです。
と、いうことは・・・、
階段が更に現れた!
つぎつぎと新手の敵が現れて、一向に終わらない週刊誌連載のヒーロー物のマンガのよう。
これで終わりかと思いきや、「くくく。」と笑う不気味な影。そして『続く』
きっと、作者にしても「もう勘弁」と思いながらも編集者が「続けるんだよ!」と強要して続けさせられている、ということが丸判りのマンガもあります。
『○○先生に励ましのお便りを送ろう!』という言葉の意味がよくわかります。
読者からのお便りは、きっと○○先生にとって、無間地獄に垂らされる一本の蜘蛛の糸のような救いなのでしょう。
ところで、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』といえば、か細い糸に何人もが取り付き、切れてしまうと焦ったカンダタが「この糸は俺のものだ!」と自らのことのみを考えた発言をした瞬間、ぷっつりとカンダタの持ち手のすぐ上から切れてしまい、地獄に逆戻りとなります。
どちらかというとカンダタ同様に叫ぶ派が多いこの面子。
果たして大丈夫なのか。
そんな我々を試すかのように道は続く。
※今までとは様相を一変した階段。ここは東海自然歩道でもあります。
続く!
※木が崩落し橋を破壊しています。
続く!!
※前日の雨で上から水が滴り落ち足場は超悪い。
しかし、功徳を積むため我々は登る。
その先にある現世利益を求めて。
※疲弊しきっているH女史。このままグルコサミンのCMに出られそうです。
そして、奥の院で我々は信じられない光景を目にします。
次回「壊れた奥の院」
お楽しみに。
トイレが近い私はとても登山的な参拝はできませんが、帰ったらすぐいきたいと思います@