タイトルは難しい字ですが、「むじんぞう」と読みます。著者曰く「ことごとく蔵するなし」と読みたいそうです。
この本は「日用品の素朴な美を認め、益子に築窯、制作し、民芸運動の創始者として活動した濱田庄司のエッセイ集です。
民芸運動、現代的な意義はいざ知らず、当時は画期的な考え方だったと思います。
民芸品とは、「概ね無名の工人たちが、民衆の実生活に用いるためにつくった品、つまり民衆の工芸品」を指すそうです。その取り上げ方は「形を成す以前の眼に見えない根の力」を見つけていく手法をとります。「仕事の形だけにとらわれず、仕事の奥のもの、暮し、暮らしの奥のものの心、そういうもの全てがこちらに乗り移るように、受け取る。」
彼は「知る前にまず見よ」といいます。
さらに、単なる、民芸品の蒐集だけにとどまらず、伝統の仕事振りを素直に受け取り、これを消化し、おのずから異なる現代の仕事として応え進んで、これらを暮らしの中に役立てる。活動をしていきます。(といっても、濱田庄司の作品は芸術作品ですが)
この、この芸術家(職人)のコメントが深いんです。ちょっと紹介します。
「私が好きなものを持つのは、それが自身の眼で選んだ心の食べ物なので、もう食べ尽くして座右に残っている形は、すでにものの形ではなく、感謝のしるしとしてのお守だ。」
「味は部分で感じは全体で」
「味は一種の定石で、観る方も作る方も、大抵年期でゆけるが、感じはそうはゆかない。時間と金では学べない」
「よき無地は美しい。狙った無地はすでに一種の模様、しかし、模様はいろいろつけながら、却って感じは無地とでもいい得られるんものがある。よき民芸品の模様はほとんどこの例に洩れない。」
私自身も、あまり理解はしていませんが、含蓄がある言葉だと思いました。
これを機に 「柳 宗悦」「河井寛次郎」「バーナード・リーチ」を読んでみたくなりました。
この本は「日用品の素朴な美を認め、益子に築窯、制作し、民芸運動の創始者として活動した濱田庄司のエッセイ集です。
民芸運動、現代的な意義はいざ知らず、当時は画期的な考え方だったと思います。
民芸品とは、「概ね無名の工人たちが、民衆の実生活に用いるためにつくった品、つまり民衆の工芸品」を指すそうです。その取り上げ方は「形を成す以前の眼に見えない根の力」を見つけていく手法をとります。「仕事の形だけにとらわれず、仕事の奥のもの、暮し、暮らしの奥のものの心、そういうもの全てがこちらに乗り移るように、受け取る。」
彼は「知る前にまず見よ」といいます。
さらに、単なる、民芸品の蒐集だけにとどまらず、伝統の仕事振りを素直に受け取り、これを消化し、おのずから異なる現代の仕事として応え進んで、これらを暮らしの中に役立てる。活動をしていきます。(といっても、濱田庄司の作品は芸術作品ですが)
この、この芸術家(職人)のコメントが深いんです。ちょっと紹介します。
「私が好きなものを持つのは、それが自身の眼で選んだ心の食べ物なので、もう食べ尽くして座右に残っている形は、すでにものの形ではなく、感謝のしるしとしてのお守だ。」
「味は部分で感じは全体で」
「味は一種の定石で、観る方も作る方も、大抵年期でゆけるが、感じはそうはゆかない。時間と金では学べない」
「よき無地は美しい。狙った無地はすでに一種の模様、しかし、模様はいろいろつけながら、却って感じは無地とでもいい得られるんものがある。よき民芸品の模様はほとんどこの例に洩れない。」
私自身も、あまり理解はしていませんが、含蓄がある言葉だと思いました。
これを機に 「柳 宗悦」「河井寛次郎」「バーナード・リーチ」を読んでみたくなりました。