『黒マリア流転―天正使節千々石ミゲル異聞』

太東岬近くの飯縄寺に秘蔵の黒マリア像を知った作者は、なぜこの辺境に日本に唯一のマリア像があるかと考え小説の着想を得た。

序の抄 修験者道善坊日照

2017-11-19 | 連載小説
黒マリア流転ー天正使節千々石ミゲル異聞
               安藤 三佐夫

 ☆序の章 修験者道善坊日照                           
 見知らぬ山伏姿の男が、上総の山里にたどり着いたのは、戦国の世が終わって徳川家康が江戸に入った天正十八年の秋であった。自ら「道善坊日照」と名乗る修験者で、薬師(くすし)で、黒い慈母観音を大事に背負っていた。冬虫夏草や朝鮮人参などの漢方をよくするので行く先々で病いに悩む人々に有難たられた。だが、それが村の評判になると忽然といずこかに移ってしまったから日照坊の行方は誰も知らなかった。
 山里に隠れ切支丹の集落があり、遠く島原からやって来たこの山伏を同志として迎え入れたのは、万木城の土岐氏の家臣の土着農家であった。土岐氏は美濃から上総の地に肥沃な土地を求めてやって来た戦国武将である。万木城の土岐氏は、徳川方の本多忠勝によって落城したが、領地の荒れ地を耕して上総に土着したのである。
 日照坊は空いている小屋に住みついて、黒い慈母観音像を祀り、朝夕にお祈りをして流浪の疲れを癒していた。この観音像は、燈明の煤で黒くなっているが、もともとは白かったに違いない。しかも、右手に赤子を抱き、左手には丸い天球のようなものを持っていた。
夜になると茅葺屋根の隙間からは月明かりが漏れるあばら家だが、西国から東国までの行く先々は、秀吉の禁教令の嵐が吹き荒れていて、旅の日々は心穏やかではなかったからこの里はまるで天国であった。
 落ち着くと、里人が誘い合わせて山菜や鹿肉などを持って訪れるようになった。それは、誰も行ったことのない遠い異国を見て来た薬師で、病いをよく治してくれると言うことが、噂になって広がったからである。山伏の出自は島原の名門千々石(ちじわ)家である。切支丹大名が派遣した天正使節の正使の一人ミゲルなのだが、東国では誰も知らない人物であった。なぜか道善坊は幕府の役人の目を恐れているようで人目に立つのは避けていた。ひそかに隠し持っている黒い慈母観音像を大事に守っていて、毎夜祈りを捧げていた。
 あばら屋の一間だけの部屋の中央には、囲炉裏が切られていて、枯れ木の枝や、松の根のひでぼっか(火出木化)が燃やされ湯が沸いている。すでに髪に白い物の混じる日照坊は、黒い像に向かい静かに十字を切ると、見聞きして来た西洋(南蛮)の思い出をぽつりぽつりと語るのであった。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿