『黒マリア流転―天正使節千々石ミゲル異聞』

太東岬近くの飯縄寺に秘蔵の黒マリア像を知った作者は、なぜこの辺境に日本に唯一のマリア像があるかと考え小説の着想を得た。

小説追加原稿

2018-03-01 | 連載小説
☆十夜 
 危険が身に迫っているのを我も肌で感じてから、数年がたちました。女房のおしまは、「早う身をどこぞへとお隠しになされませ。子どもたちは、必ず立派に育てて、千々石家を守りますからご安心下され」と、毎日毎晩涙ながらに言うのです。
無慈悲な禁教令が、この地にもじわじわと迫って来たのです。逃亡するか、命をかけて捕まるまで家族と共に生きるか、悩む日々が続きました。
おしまが、涙ながらに言うのです。
「港に年に1度の北国へ行く船が着きますからその船で禁教令が緩むまで、北の国へお逃げ下され。あなた様をお救いする機会は、今をおいては御座りませぬ」
我は、とうとう可愛い子どもたちや女房を置き去りにして、この大好きな島原から離れなければならぬ時が参りました。
「しばし遠くに行って来るゆえ達者で過ごせよ。子どもたちは、天を敬う強く優しき人に育てて下されよ」
妻と子には笑顔を見せて別れ申した。
その夜、闇に紛れて港に向かい、墨染の衣を身にまとい、托鉢僧の姿で蝦夷地に向かう船に乗り込みました。
いつになったら帰るかは見当が尽きませぬが、必ずやデウス様が呼び寄せて下さるに違いないのです。
この船には、いろいろの商売の方が乗り込んでおりましたから我も疑われずに船中の客となりました。初めに念ごろとなったお方は、蝦夷地に昆布と塩鮭・干し鰊、それに膃肭臍の毛皮などを買いに行く商人でした。すべて物々交換の土地ですから本土でも貴重な南方の離島奄美の黒砂糖粉を持って行き、北方の品々と交換するのだそうです。
次に知り合うたのは、万病に効能のある薬を売り歩く僧侶姿の祈祷師でした。「出羽三山と信濃の飯縄神社で数十年も修業をした格式の高いお方」と船長が言うておりました。
数日が経つと、この祈祷師が我に話しかけて来ましたが、どうも隠れ切支丹の我の経歴を見抜いているようでしたから始めは気を許せぬ日々でした。
ある日、このお方が我に真剣なお顔で尋ねられました。
「旅の御坊様。そなたはいずこへ行かれまするか?」
「み仏の有難き教えを広めるための旅ゆえ、特別のあてはありませぬ。里から里へと有難き法華経を唱え、托鉢し、名もなき社寺や茅屋に宿を乞い、雨露をしのぎ、日の本の国の隅々まで歩む覚悟でござる」
「左様ならば、輪島の港で下船し、先ずは信濃の国の飯縄の社を訪ねるとよかろう。能登の輪島からは塩の商人たちが千国を経て信濃の松本まで往来しており、怪しまれることも道に迷うこともなかろう」
「それは、有難きことにござりまする」
「愚僧も飯縄の地で修業し、生きる力を鴉天狗様から授かり申した。彼の地には、かつて千日太夫と言う高僧がおられて、飯縄大権現を敬い修行を重ね、飯縄の秘法を会得したのです。愚僧も千日太夫様にあやかって山野を鳥獣のように駆け巡る秘法を学び、さらに薬草や木石の効き目を学び、人々に医術を施せるようになり申した。
最も厳しく辛い修行は、七日七晩も横にならず眠らず、五穀も口にせず、山中で採れる飯砂(いいずな)と峰々の絞り水だけで険しい山々を上り降りし、ひたすらに さーんげさんげ(懺悔懺悔)、ろっこんしょうじょう(六根清浄)の掛け念仏を唱え続け、鴉天狗様のように空を飛ぶ力を得たのでした。
懺悔とは、今まで生きて来たすべての過ちを神に告白し謝罪することです。
六根清浄の六根とは、体に備わる眼・耳・鼻・舌・身・意を言うのです。掛け念仏をひたすらに唱えることで身も心も清浄になります。
飯砂は、山中の猪や鹿などの獣たちが冬になると探して食らう砂粒のような物です。これは、はるかの昔、生い茂った草や木の実が地中で砂粒のようになった物です。獣たちは、その埋もれている場所を探しては飢えを凌ぎます。里人も飢饉の年には獣たちの掘り跡を探し、飯砂を食らうのです。飯縄神社の社名も元は山中に埋もれた飯砂から生まれたのですぞ」
祈祷師の修行の体験談は、船が輪島の港に着くまで続きました。その神秘の修験の話を聞くに連れ、我も山中で修業をし、デウスの神の信仰をひそかに広めたく思いました。
 船は行く先々の港に寄り、客を乗せたり降ろしたりして、後は風まかせ潮まかせ。周防の浜田に寄り、境港から若狭へ。船上には、役人の監視の目は届かないので、しばしの休養にはなりました。皆の衆が寝静まると、隠し持っているマリア様を取り出して、潮騒に紛れて千々石に残した家族たちの健康と、これからの道中の安全を必ず祈る日々でした。
能登輪島の港で慣れ親しんだ客たちと別れて、塩の道と言う千国街道を信濃へと向かいました。ここからは、陸地の旅ですから隠れ切支丹取り締まりの目が厳しく一刻たりとも油断はできませぬ。信濃の国やその先の甲斐の国は深い山々に囲まれ、海がないので塩が貴重で高価に売れます。塩商人の往来が多いのは、そのためですし、取り締まりの目を紛らすのには好都合でした。
 目指す飯縄の社に着くと、すぐに船でお会いした祈祷師の紹介して下さった御師(おし)を宿坊に訪ね、修験道の行者になるためのお願いをしたのですが、飯縄社主からの修験入門の許可をいただくには歳月がかかりました。精進潔斎をし、飯縄・戸隠の山々を巡り修行をいたしました。鴉天狗様のように白狐に乗って山々の上を飛び回るのは出来ませぬが、険しき峰々を獣のように走ることぐらいは出来るようになりました。また、祈祷の霊力でもって、人々の病を救えるようにもなりました。それは若き頃に西洋で覚えた医術と飯縄で身につけた修験の道のお蔭です。
 ある夜、信仰する飯縄の神が夢枕に立ち、我に告げたのです。
「日出る東の方、上総の地に身の丈を越す荒波の常に立つ岬あり、太東の岬と言う。ゆえに里人たちは、不毛の地に苦しみおれば、直ちに旅立たれよ。そなたは、すでに飯縄の法を体得し、里人を救う霊力を得たり」
 我は飯縄の地に別れを告げ、甲斐の国より和田の峠を越え、上野、下野の国を経て、常陸と下総の国ざかいの
大いなる川を下り、怒涛逆巻く南北に長き砂浜に出て、網を引き魚を獲る里人に浜の名を尋ねると「九十九
里浜」と言う。神の御加護か、道にも迷わず取り締まりの役人にも会わずにただひたすらに歩み、目指す九十九里浜の南端太東岬に着き申した。

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