花邑の帯あそび

1本の帯を通して素敵な出会いがありますように…

「東海道」にまつわる文様-大津絵-

2010-10-05 | 文様について

presented by hanamura


秋が深まりはじまる10月になりました。
ここ東京では、秋晴れのおだやかな陽気が続いています。

暑かった夏の火照りを冷ますような、
肌寒い雨の日もありましたが、
その雨も一段落といったところでしょうか。

来週の連休を利用して遠出される方も多いことでしょう。

今回は前回に引き続いて、
旅情を誘う街道にまつわる
大津絵の文様についてお話しします。

東海道の最も西方に位置する宿場町
「大津宿」は、滋賀県にある琵琶湖の南端に位置しています。
その大津宿は、江戸時代に多くの旅行者が休憩場所として利用する一方、
琵琶湖で獲れる魚などの物品が集まる町としても
栄えていました。

そのため、江戸時代の頃には
東海道の宿場町の中で最も人が多く、
たいへんな賑わいをみせました。

江戸から長い道のりを経て
京都へ向かう旅路では、
大津宿が最後の宿場町であったため、
旅人たちは、あと少しで京都というところで
しばしの休息を取りながら、
「やっとここまで来たなぁ」という
感慨も深めていたことでしょう。

一方、京都から江戸へ向う旅人にとっては、
最初の宿場町であったため、
長い旅路へと発つ不安な気持ちがあったことでしょう。
しかし、大津宿の活気は、
その不安な気持ちを
勇気づけてくれたかもしれません。

「大津絵」は、その大津で生まれ、
庶民の間で人気を博した民俗画です。

下の写真の和更紗は、
大正から昭和初期につくられたものですが、
大津絵の中でも人気のあった題材がモチーフとなっています。



猿が瓢箪を手に持ち、
なまずを押さえ込む図は瓢箪鯰(ひょうたんなまず)とも呼ばれ、
ぬらりぬらりと捉えどころがない様を表しています。

釣鐘を持つ人物の図は、弁慶の勇ましい様を表します。

槍を持つ武者の図は槍持ち奴と呼ばれ、
大名行列の先頭にたつ人物が
大名の威厳を借りて威張る様子を揶揄しています。

大津絵には、このように「人間味のある」
人物や動物の姿をユーモアと
風刺を込めてあらわしたものが多くあります。

大津でこうした大津絵が描かれるようになったのは、
江戸時代のはじめです。
当初は上のような風刺画ではなく、
お釈迦様などを描いた仏画でした。

この仏画は仏教を信仰する人々に
簡易的な護符として用いられました。
また、キリスト教徒が厳しかった弾圧から
身を守るために携帯したともいわれています。

江戸時代の中頃になると、
大津は多くの人々でにぎわうようになり、
信仰用の仏画だけではなく、
東海道を旅する人々ヘ向けた絵が描かれ、
お土産や旅中安全を願う護符として
売られるようになりました。

その題材は、時代を反映するような風刺画や
歌舞伎や浄瑠璃などのお芝居を題材にしたもの、
武者絵や美人画などでした。

しかし、明治時代になり
鉄道が各地で開通されるなど交通の便が発達し、
東海道を旅する人々が減ると、
大津絵は次第に人気がなくなっていきました。

さらに、異国の文化がもたらされ、
幾何学的なアールヌーボーが流行したことも、
人気の低迷に拍車をかけ、
やがて大津絵が描かれることは少なくなっていきました。

しかし、庶民の間で生まれ、
庶民の審美眼により評価され、育まれた大津絵は、
素朴ながら、いま眺めても斬新で、
おもしろいものが多いのです。

また、のびやかな筆使いには、
江戸時代に東海道を旅した人々の笑い声や
足音まで聞こえてきそうな躍動感があります。

ちなみに、滋賀県の大津市にある円満院門跡の境内には
江戸時代に描かれた大津絵を展示した
「大津絵美術館」があるようです。

秋のご旅行に京都方面へ行かれる方は、
ご予定に加えてみてはいかがでしょうか。

※写真は花邑銀座店でご紹介している帯の文様です。

花邑のブログ、「花邑の帯あそび」
次回の更新は10月12日(火)予定です。


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