がんばれナラの木

震災にあわれた東北地方の皆様を力づけたくて
The Oak Treeを地方ことばに訳すことを始めました

震災フォーラム 畠山

2011年03月01日 | 資料
畠山さんの講演


 畠山さんはスライドで3月11日の生々しい体験を紹介されました。いつも海をみている畠山さんは自信の大きさと水の動きからただならぬものを感じ、船を起きに出す決意をしたそうです。そのときに自分の顔を少しふざけたような表情で撮影していましたが、口からは「これが遺影になるかもしれないと思った」ということばがもれ、私は驚きました。そのあと、波が高くなり、赤い灯台がはじめは海の上にそびえていたのに、船が近づいたときは、先端部しか見えなかった、つまり畠山さんを乗せた船は10mもの大波の上にいたことになります。その後の波の動きをみて、畠山さんは死を覚悟し、船を離れる決意をしたといいます。そして実際に海に飛び込んで200mほど泳いで陸にたどり着いたといいます。畠山さんには独特のユーモア感があり、陸で撮影した写真を紹介しながら「すみません、この前はちょっと忙しかったものだから、写真がありません。」とこともなげに言うのです。生死の境にあって写真が撮れないことなど言うまでもないのにこういうことを飄々と語るのです。私は、もし自分ならどうだろうと思わずにはいられませんでした。津波の直後には瓦礫の中の遺体も見たと語る口調は苦渋に満ちていました。
 その後、「森は海の恋人」プロジェクトでおこなっている活動が紹介されました。木を育てるには100年かかるが、人は20年で大人になるのだから、人を育てるほうが時間がかからないということばが印象的でした。子供を海によび、カキを見せ、カキを育てるプランクトン入りの海水を飲ませるなどの体験学習をするようすなどが紹介されました。室根山でおこなってきた植樹祭を今年はできないと思っていたところ、参加者のほうから景気付けにぜひやってほしいという声があがったのでおこなったが、今年は大漁旗が失われたので、旗が少なかったという話も印象的でした。
 震災後に海岸線が変わり、沈降したはずの砂浜に波が砂を運んで、今までよりも内陸まで砂が体積して、むしろ砂浜が広くなったということでした。そして復興への決意が語られました。
 話の最後に、「すみません、いつも見ている海で、なんとも思っていないんですが、こうしてスライドで見ると、あの時のことが思い出された胸がどきどきしてしまって」と言われました。

つづく


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