Blog仲間の朱雀さんが声を掛けて下さり、
仲間と一緒に案内して頂きました・
今回初めての[高槻・茨木]方面を巡る事になりました。
1.「耳原(みのはら)古墳」
「耳原古墳」は、帝人研究所の敷地内にあり、守衛の門の所で受付ます。
祝日・日曜日には、入る事ができません。(念のため)
古墳は、平地にあり、平地に墳丘を盛り土で構築されていて、石室内を
見学する事ができます。(玄室長約:6.97m、幅約:2.42m、高さ約:3m)
(羨道長約6.97m、幅約:1.68m)
両袖式の石室で中には、2個の石棺が埋葬され、奥側には
「組み合わせ式家形石棺」があり、手前入口側には、
「刳抜式家形石棺」(長:2.09m、最大幅:0.9m、高さ:0.7m)がある。
「組み合わせ式石棺」には、側石は無く、底石と蓋石が残っている。
(長:2.22m、幅:1.3m)
しかも照明設備も備えられて、見学するには、良い環境を整えられている。
丁度訪ねた時期は、紅白の梅の花に迎えられました。
(耳原古墳の遠景)
(耳原古墳の案内板)
(耳原古墳の開口部)
(耳原古墳の奥壁)
(耳原古墳 組合せ石棺 奥側)
(耳原古墳 組合せ石棺 奥側)
(耳原古墳 組合せ石棺 底石)
(耳原古墳 組合せ石棺 底石)
(耳原古墳 床石面)
(耳原古墳 刳抜式石棺 手前側)
(耳原古墳 天井石)
2.「阿武山古墳」
「阿武山古墳」は、市街地から北方面の阿武山の途中に
「京都大学地震研究所」の近くの裏手にあり、
以前新聞報道などで「藤原鎌足の墓では」と
大騒ぎになった古墳です。
径80~88mの円形の周溝が確認され、墳丘には盛り土が認められず、
中央に方形の墓域から、地下式の墓室が作られている。
(阿武山古墳 案内板)
(阿武山古墳 案内板)
(阿武山古墳 案内板)
(阿武山古墳 墓室部分 遠景)
(阿武山古墳 墓室部分 近景)
(阿武山古墳 出土品)
(阿武山古墳 復元冠帽)
(阿武山古墳 復元 玉枕)
3.「はにわ工場遺跡」
日本最大級の「新池埴輪製作遺跡」が公園化されている。
「史跡新池埴輪製作遺跡」は、5世紀の中頃から6世紀の中頃まで、
約100年間の操業を行っていた、日本で最古・最大の遺跡です。
発掘調査により、3棟の大形埴輪工房と18基の埴輪窯、それに工人
集落などが丘陵上に点在し、大王陵クラスの古墳の埴輪生産システムを
具体的に知る事が出来る遺跡です。
(はにわ工場公園)
(はにわ工場 案内板 子供用)
(はにわ工場 復原 窯跡)
(はにわ工場 18号窯 展示)
(はにわ工場 18号窯 展示)
(はにわ工場 作業場)
(はにわ工場 復原作業建物)
(はにわ工場 復原作業建物床面)
4.「太田茶臼山古墳(継体天皇陵)」
現在、宮内庁が管理している「継体天皇陵」で、外部からの観察のみです。
墳丘の全長は、226m、後円部の経は、138m、高さ19.2m、
前方部の幅は、147m、高さ19.8mを計り、幅約28~33mの
盾形周濠が巡る。くびれ部、両側に造り出しがある。
江戸時代中頃に継体天皇陵に治定され、幕末にも追認され、現在に至っている。
しかし、その根拠に異論が唱えられ、古墳の構築や埴輪から、継体天皇との
時代差が、約50~80年古いと考えられている。
現在でも、多くの培塚(ばいちょう)が残っている。
(太田茶臼山古墳 前方部から)
(太田茶臼山古墳 宮内庁管理)
(太田茶臼山古墳 宮内庁管理)
(太田茶臼山古墳 宮内庁管理 前方部)
(培塚)
(前方後円墳の培塚)
5.「いましろ大王の杜(史跡 今城塚古墳・古墳公園)」
今城塚古墳は、墳丘の全長が、190m、後円部の経が、100m、
後円部の高さが、9m、前方部の幅が140m、前方部の高さが、12mを
誇り、二重の濠を廻らした古墳の全長が340mあり、ほぼ西に向いている。
また、造り出しをくびれ部の両側に持つ。
今回の案内で、元々後円部には、三段構築の古墳であったものが、地震により、
三段目の墳丘が崩れて、二段となったもと、調査により解かった。
後円部の三段目の墳丘には、三つの違う石材の石棺があった事も解かった。
現在は、高槻市により、史跡公園に整備され、また「いましろ大王の杜」として、
資料館も造られ無料でどちらも見学が出来る。
更には、調査研究により、現在宮内庁が管理している「継体天皇陵」より、
約50~80年新しく、丁度こちらの今城塚古墳が「継体天皇陵」と多くの学者が
認めている。
十数年前に阿蘇から石棺を船で、古代の航法で運んだ事が、新聞やニュースで
報道されたのは、この「今城塚古墳」の石棺が、「阿蘇ピンク石」であった事と
関連したものであった。
(今城塚古墳 復元模型)
(今城塚古墳 復元石棺 3基)
(今城塚古墳 出土 埴輪)
(今城塚古墳 後円部)
(今城塚古墳 後円部)
(今城塚古墳 後円部の中心部分)
(今城塚古墳 前方部)
(今城塚古墳 復元埴輪群)
(今城塚古墳 復元埴輪群)
6.「安満(あま)遺跡」
安満遺跡は、JR京都線の高槻駅と阪急京都線の高槻市駅の間に広がる、
田園地帯に存在する。
関西地域で始まる稲作農耕栽培を行った遺跡として、特に知られている。
現在は、一部で市民のためのグランドが造られ、田園風景が残っている。
(安満遺跡 案内板)
7.「安満宮山(あまみややま)古墳」
今回、訪れて印象深い遺跡で、大坂平野を一望出来る高台にあり、
舶載鏡が5枚も見つかり、発掘調査当時一大センセーショナルを巻起こした。
卑弥呼が魏の国から貰ったと言われている「三角縁神獣鏡」も出土し、
この古墳の重要性が議論となった。
現在は、高槻市の墓地の一角に、ドーム形の覆い屋(透明な)で展示され、
誰でもが見られる様にしている。
(安満宮山古墳 案内板)
(安満宮山古墳 展示状況)
(安満宮山古墳 展示施設の状況)
(安満宮山古墳 展示施設の状況)
今回の見学は、大坂平野の淀川右岸に広がる遺跡を訪ねた。
今までは、京都に向う時新幹線で通り過ぎていただけだったが、
これからは、注意深く窓の外を見詰めて行きたい。
資料は、[古代夢追塾]の朱雀さんの資料を参考にさせて頂きました。
案内を含め、朱雀さん大変ありがとうございました。
天気も良くて良かったですね。
トラバありがとう御座いました。
天気に恵まれ、しかも中々見れない所まで、
連れ行って頂き、これまた最高でした!!ね。
近畿圏エリア恐るべし!!と感じ入りました。
カメラが壊れ、今思えば残念至極でした。
今度は万全な体制で伺いたいものです。
こちらこそ、大変ありがとうございました。
立派な古墳をたくさん見て回られたのですね。
やはり近畿は規模が違いますね。
展示も色々工夫がされていて面白いですね。
すごくいい旅をされたのですね
この様に、スゴイ!!ものが有るとは、
想像だにしていませんでした。
桁違いのスゴサ!!に、
只只圧倒されまくり、ました。
驚きの連続と感動の旅となりました。
耳原古墳や阿武山古墳は、数十年前に行ったきりで、綺麗になっているのに驚きました。 皆さんとご一緒できなかったのは、とても残念でした。
05Mのみんなに触発され、私もいましろ古代博物館での勉強を再開します。
今回、初めて高槻・茨木を朱雀さんとMMさんとに
連れて頂き、大感動ををしました。
恐るべし、”関西”と感じ入った次第です。
この様に沢山素晴らしいものが有る事自体知りませんでした。
今回は、本来の会より、より有意義に感じました。
(会の幹事の皆さんには、申し訳ありませんが・・・・)
新たな発見とまだまだ知らない点を多々感じました。
再度、訪れて見たい!!と思った次第です。
よかった!!感動致しました。!!