弁当箱の中身

もう弁当は作っていませんが、料理や旅行について、適当に記事にします。

広島旅行4 〜修行の山〜

2008年10月16日 | 旅行
広島旅行最終日の三日目は、宮島です。
通常は宮島口まで電車などで行って、フェリーで渡りますが
平和記念公園から宮島桟橋まで、高速艇の便があるので
乗り換えの手間を省いて利用します。
但し、1900円もしますけど。

宮島はいわずと知れた、世界遺産です。
洋上の鳥居と神殿が美しい、厳島神社が有名です。
ここでもいまさら私が説明するまでも無いでしょう。

<厳島神社>


今日のお目当ては、カキです。
実はカキのシーズンは11月かららしいので
まだ十分身がついていないとのことでしたが
みやげ物店の店頭で焼いていた焼きカキは
めちゃおいしかったです。
恥ずかしながら、焼きカキ初体験でした。
このあと食事処で早めの昼食に
カキ釜飯とカキフライをいただきます。
ちょっとご飯の水が多めだったかも。

<焼きカキ>


<カキ釜飯とカキフライのセット>


さて腹も膨れて、神社も見ましたが
今日は夕方まで宮島の予定です。
そこで腹ごなしに弥山にあがることにしました。
弥山は厳島神社の背後にそびえる山で
標高は500mあまり。
古くからの信仰の山であり、修行の山で
厳島神社とともに、世界遺産登録されています。
500mといえば、東京の高尾山と同程度。
ふと登ってみようか・・・と思いましたが
厳島の場合、海抜0mから上るわけで
海抜100mはあるはずの
高尾山口から登るのとは、わけが違います。
ここは素直に、ロープウェイを使います。

ロープウェイで頂上駅につくと
そこは弥山の頂上ではありません。
弥山の頂上は、尾根伝いに1kmほど先です。
最初は迷っていたのですけど
せっかく来たのだし、と尾根を歩き始めましたが
・・・いや、キツイキツイ。
下って登って、また登ってやっと頂上です。
しかも登り道も階段も急峻。

“確かにこれは修行の山だ。
 麓から登らなくてよかった”
・・・と、ゼイゼイいいながら登りました。
それでも天気がよいのが幸いして
頂上からの眺めは絶景でした。

<険しい弥山の登山道>


<弥山頂上からの眺め(広島方向)>


弥山からロープウェイで下ると、時刻は午後半ば。
私が宮島へ到着した午前9時過ぎは、満潮時で
神社の床下ギリギリまで海面がありましたが
午後には干潮となり、鳥居まで歩いていけます。
この鳥居、地面に刺さっているのではなく
ここに置いてあるだけだそうですが
フジツボぎっしりの鳥居を触ってみると
まるで岩のような感じでした。

<干潮時の鳥居>


<鳥居とフジツボ>


少し時間は早かったのですが
16時ごろに、広島行きの高速艇に乗ります。
本当はあなご丼も食べたかったのですが
弥山登山の疲れか、腹が減ってなかったので
土産を手に、帰路に着きます。
広島と宮島桟橋を往復してしまったので
宮島口には行かずじまいでした。

帰りは東京最終便B737に搭乗。
平日を選んだせいもあり、行きも帰りも
飛行機はがら空きでした。
(金曜の最終便は、満席のようでしたが)

好天にも恵まれた、二泊三日の広島旅行は
こうして無事終了したしだいです。
また機会があれば、行って見たいですね。

〜以上
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広島旅行3 〜軍艦の港〜

2008年10月15日 | 旅行
呉では、“大和ミュージアム”と“てつのくじら館”巡りです。
どちらもフェリーを降りると目の前にあります。

呉は戦前から、多くの軍艦が作られたことで有名です。
いまも海自の呉基地があり、フェリー乗り場の隣には
護衛艦や揚陸艦など多数が停泊していましたし
潜水艦が入港して行く様子も見られました。

大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)
ご存知のとおり、数年前の大和の映画に連動する形で開館した
比較的新しい、呉の観光名所です。
戦艦「大和」の大きな巨大模型をはじめ
ゼロ戦、特殊潜航艇の実物模型
艦船や航空機の模型もたくさんで
そんな写真ばかりいっぱい撮ってしまいました。
嫌いじゃないですから・・・
展示は大和だけでなく、海軍工廠として発展してきた
呉の歴史も紹介されています。

<大和の1/10模型>


<ゼロ戦六二型>


<各種艦船・海軍機模型>
(左上:水爆実験で沈められた長門
 右上:戦後まで生き残った数少ない駆逐艦雪風
 左下:零式水偵
 右下:イ号潜水艦のご一同)



戦果には繋がらなかった戦艦「大和」ですが
その建造技術が、戦後日本の振興を支えた
とは良く言われることです。
それは単に造船技術の問題だけでなく
建造に伴う工程管理・・・今風に言うならば
プロジェクト管理技術も、忘れてはならないでしょう。
同時代、敵対国であったアメリカでは
超大形爆撃機B29の、開発プロジェクトが行われており
今でも、アメリカの歴史に残る巨大プロジェクトと言われます。
日本はソフトウェアに弱いと言われますが
大和の建造における、プロジェクト管理能力の高さは
B29プロジェクトにも、引けをとらないのではないでしょうか?
にもかかわらず、日本と言う国はもっと根幹である
国政を管理する能力や戦略立案が低いのは、今も昔も・・・。

似た様な巨大プロジェクトを行い、比類無い結果を出しながら
一方は、戦争の帰結を決定するための切り札となり
もう一方は、時代錯誤の大鑑巨砲主義の帰結として
海の藻屑と消えてしまいました。
戦争の勝ち負けが、単なる兵力差ではないということが
ひとえに現れている事実でしょう。

ところで一点、いまひとつよく判らないのは
宇宙戦艦ヤマトの展示ですかね。
よもや未来の宇宙船像として、ヤマトがあるとは思えませんので
展示の意図がわかりません。
ただの「やまと」繋がりだけなのでしょうか。
(私は素通りしてしまいましたが)

てつのくじら館(海上自衛隊呉史料館)
大和ミュージアムと、道路を挟んで隣にあります。
一番目を見張るのはやはり入り口に聳え立つ
本物の潜水艦「あきしお」の展示でしょう。
もちろん潜水艦の艦内にも入れます。

<大和ミュージアムから見るてつのくじら館>


潜水艦「あきしお」は、ゆうしお型潜水艦の7番艦で
最新式のそうりゅう型より、3世代前になります。
展示のあきしおに入るには、上部ハッチからではなく
船体横に切った、展示用の入り口から入れます。
しかし潜水艦の中は、やはり狭いです。
太平洋戦争中の潜水艦は、もっと狭かったはずで
しかも航海中は、艦長や航海士官、艦橋員以外は
艦内から出ることは、ほとんどありません。
展示のあきしおは、エアコンディションが効いていましたが
実際の艦内はきっと、熱と人息と機械のニオイがこもり・・・
うは・・・閉所恐怖症の私には
絶対サブマリナーは勤まりません・・・。

ちなみにだいぶ前に、東京湾で遊漁船衝突し
多数の死傷者を出した潜水艦「なだしお」は
あきしおと同じゆうしお型潜水艦です。

<潜水艦としては小型といっても見上げるばかりの船体>


<中はやっぱり狭い艦内>


ところで館内では、掃海に関する展示は興味深いです。
太平洋戦争の戦後処理の経験から
海自の掃海技術は、世界トップクラスと言われています。
何事も始めるよりも、終わらせる事が難しいと言われますが
戦争も同じで、戦争終結後の掃海とか地雷除去という作業は
軍事作戦としては地味ですが、一般市民にとっては
もっとも重要な作業であり、戦後の安全を保障するものです。
人間がいる限り戦争がなくなることはありませんので
そうした技術に優れている、すばらしいことです。
(少なくとも戦争始める技術に長けているより・・・)

<いろいろな掃海具>


掃海作業には大変な危険を伴います。
軍艦や輸送艦を沈めるためのものですから
小型の掃海艇など、触雷すれば木っ端微塵です。
ましてや、潜水具をつけて人手で掃海する作業など
常人ではできないでしょう。
だからこそ、江田島などで行っているような
教育や訓練が、活きて来るのでしょう。

江田島の見学コースも、てつのくじら館も
自衛隊の広報活動なのは言うまでもありません。
日本の自衛隊は、他国の軍隊と違い
市民に理解を得られていない面もあります。
そのため市民への自衛隊活動理解のために
美しく見せるための展示技巧がされてはいるのでしょうが
それを差し引いたとしても、そこに展示される
訓練に裏づけされた高い技術と能力については
掛け値なしに感嘆を禁じえないところです。

<大和ミュージアムの庭にあった不思議なオブジェ>


<呉から望む瀬戸内の夕日>


さて広島までフェリーで戻り、この夜の夕食は
・・・ふたたびお好み焼きです。
二日続きで芸が無いですが、おいしいので良しとしますが
お好み焼き村は、観光客相手で
やや値段が高めなのですかね・・・。

<立て続けですがお好み焼き>



〜続く
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広島旅行2 〜訓練の島〜

2008年10月15日 | 旅行
広島旅行二日目は、江田島と呉へ回ります。

なぜ江田島なのか?

じつは太平洋戦争の戦記ものに興味がある私は
この1〜2年の間に、米内光政、山本五十六、井上成美の
ドキュメント本を読んでいました。
いわずと知れた、太平洋戦争に反対したといわれる
“海軍左派3羽烏”として有名で
いずれも海軍兵学校にゆかりのある人です。
(米内:29期、山本:32期、井上:37期、後に校長歴任)
その話の中に出てくる、江田島とはどんなところなのか?
というのが江田島行きの動機です。

江田島は呉の沖に浮かぶ島で
明治時代に東京築地にあった海軍兵学校が
移転した先が、この江田島です。
それ以来太平洋戦争までは、海軍兵学校があり
戦後しばらくGHQに接収されながらも
GHQから返還後は、現在に至るまで
海上自衛隊幹部候補生学校を含む
江田島基地があります。
自衛隊の幹部になるためには
陸海空それぞれに設けられた、幹部候補生学校を
卒業する必要がありますが
ここがまさに、海上自衛隊の幹部候補生学校です。
基地内には、第一術科学校といって
海自の各専門分野を教育する機関もあります。
折りしも旅行中に、海自の特殊部隊で
訓練中に死者が出た、というニュースがありましたが
その特殊部隊が配備されているのがこの江田島基地で
訓練を行っていたのが、この第一術科学校なのです。
もちろん私の目的は、取材ではなく史跡めぐりです。

朝、路面電車で広島港へ出た後
高速艇に乗り換え江田島小用港に向かいます。
江田島は、広島県に属し瀬戸内の島でも大きなほうで
人口は3万人近くいます。
呉市から橋も架かっているようですが
呉港からのフェリーが、便利なようです。
江田島基地は、江田島小用港からバスで数分です。
基地内の見学コースが設定されており
戦前からある立派な講堂や幹部候補生学校舎
教育参考館などを、海焼けした姿勢のすばらしい
広報係の自衛官が、案内して回ってくれます。

<声も良く響く立派な講堂内部>


<幹部候補生学校舎と案内してくれた自衛官>


付いて回る見学者は、10人あまり。
若い人は少なかったです。
おばちゃん数名と、夫婦連れに
背広姿の会社員風が数名。
単独参加は私ぐらいでした。

見学に先立って、待合室で見る海自の紹介DVDでは
訓練の模様などが紹介されています。
自衛隊の宣伝DVDだとわかってはいても
その紹介される内容には、ほんとうに頭が下がります。
軍隊の訓練は、洋の東西を問わず
厳しいものであることは、言うまでも無いことです。
厳しいものでなければ、いざというときに役立ちません。
それは判っているつもりではあっても
その内容を見ての感想は
“絶対、私には無理!半日も持たん”に尽きます。

軍人という職業が、尊敬や羨望の的だった昔と違い
物があふれ、ぬるま湯生活が当たり前な上
軍人に対するアレルギーも少なくない現代日本において
職業軍人という職業を選ぶというのは
私が当初考えていたよりもはるかに
ストイックでなければできないのだろうな
という思いがしました。

広いグラウンドでは、今まさに数名の訓練生が
陸戦訓練を受けていました。
教官の怒号と命令は、一般人の私には迫力の一言です。
ちなみに軍艦乗りになるにも、陸戦訓練は受けます。
これは航空自衛隊でも同じです。
軍艦乗り、戦闘機乗りである前に
まず戦闘員としての訓練が基本というわけです。
(いわゆる基本教練というやつだと思います)

<見ているだけで緊張する訓練>


江田島で感心するのはその訓練内容だけでなく
敷地に建つ、幹部候補生学校舎がすばらしい建物です。
海兵学校の校舎として、明治に建てられた建物で
外装は当時のままのレンガ作り。
しかも手入れもしていないというのに
苔ひとつ生えておらず、レンガ壁の肌触りのいいこと・・・。
おまけに1世紀近く建つ現在でも
痛み一つ見つかりません。
なんでもイギリスから、一個ずつ
油紙に包まれて輸入されたレンガだそうで
当時の値段で一個1万円もしたとか。

<思わずほおずりしたくなる美しいレンガ>


<9月に改修を終えたばかりで真新しい教育参考館>
(海軍時代からの歴史資料館のようなものです)


講堂やレンガ建てなど建物の美しさだけでなく
敷地の隅まで目立てされ、ごみはもちろん雑草一つ無い地面。
整然と立ち並ぶ、まっすぐな黒松。
まるで京都のお寺の庭のごとく整然としており
美しい庭園の趣きも感じます。
基地の敷地というと、濃緑色の車両やドラム缶。
意味深な掩蔽壕に有刺鉄線で仕切られた管理区画・・・
というイメージがありますが
見学コースからは、それらは見えませんでした。

見学コースは約1時間半。
きびきびとして判りやすい案内の広報係のおかげで
あっという間の見学時間でした。

見学を終え基地近くのバス停から
峠の道を、アグレッシブに走る路線バスに乗り
小用港へ戻ります。

さて江田島見学を終えたあと、呉へフェリーで向かいます。
朝の高速艇もそうですが
さすが瀬戸内、船便は充実しています。
天気もいいので、船旅もおつなものです。
しかし呉〜江田島間はそれなりの乗客もいましたが
広島から江田島への高速艇の乗客は、わずか数人。
広島−江田島は運賃は高かったですけど
これで商売になるのでしょうか?


〜続く
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広島旅行1 〜祈りの広場〜

2008年10月14日 | 旅行
前夜、西日本で降り出した雨が
東日本にも移ろうという10月14日の早朝。
派手なポケモンの塗装がされたB747・・・
羽田発広島行きの一番機(6:40発)で出発します。
窓の下は雲で真っ白、飛行機も結構ゆれました。
広島空港に着くと、地面はずぶぬれではありましたが
すでに雨が上がった直後。
この後旅行中の三日間は、好天に恵まれます。
西から東へ移る雨を、うまく飛行機で乗り越えた形。
もともと“晴れ男”を自称する私ですが
こうも天候に恵まれると、ニンマリ笑みも出てしまいます。

<ポケモンカラーも乗ってしまえばただの飛行機>


まずはホテルに直行して、カメラバッグ以外を預けます。
ホテルは平和記念公園から数分の
三井ガーデンホテルなので、平和記念公園まですぐです。

平和記念公園がどんなところなのかは
あらためて私が説明するまでも無いでしょう。
平和記念資料館の展示は、結構エグイのがある
とも聞いていましたが、あらかじめ調べていたので
想定の範囲内ではありましたし
数字資料についても、事前に知っていましたが
やはり現地に立つ・・・というのは
それなりの感傷が伴うものです。
公園内には、慰霊碑や供養塔、像などと共に
数箇所に、当時その場所が何町で
住所地図とともに、街の様子を紹介する碑があります。
半世紀以上前の、まさにこの場所で
一瞬にして消えた街があるという現実は
自然と粛然とさせられます。
もちろん、当時の日本には
空襲によって灰燼に帰した都市が数多くあります。
東京だって、戦争中は丸焼けにされました。
しかし逃げるまもなく、瞬時にすべてが消える
という事態は、やはり尋常なものではないでしょう。

<資料館内にある被爆後の地域の模型>


ちなみに日本の戦死者数は、310万人とされています。
広島での被爆直後の死者は約12万。長崎は約8万。
このことから、日本の戦死者の約7%が
被爆により、亡くなった計算になり
後に後遺症などで死亡した人も含めた数字を約30万とすると
戦死者の一割もの人が
たった二発の爆弾で死亡した事になります。

公園や各施設のいたるところに見られる
折り鶴の多さは、多くの人の広島へ対する思いが
常に継続していることの証なのだなと、あらためて感じます。
近くの旧日本銀行広島支店は
被爆を受けながらも、現在も使用されている
数少ない建物ですが、中は展示室になっていて
多数の折鶴が飾られていました。
(飾られるという数ではない位、大量にありましたが)

<平和の鐘>


<不心得者が放火したこともある、原爆の子の像の折鶴>


初日は平和記念公園周辺のみで
夕方まで過ごしてしまいました。
時間があれば広島城にでもと思っていましたが
そんな余裕が無いくらい
見るところが充分な場所でした。

<ライトアップされ不気味さを増す原爆ドーム>



さて食のほうですが、広島がつけ麺が有名とは
知りませんでした。
私が昼に寄ったのは、この店(辛部)。
辛さが得意とはいえない私は、6倍にしておきましたが
30倍までの辛さがあるようです。
それでも良い辛さで、麺も非常にコシがあって
おいしかったです。

<辛さもおいしいつけ麺>


夜のほうは、近くのお好み焼き村というところに行きます。
特にお目当てがあったわけでは無いので
2階階段上がってすぐの店に入りました。
広島風お好み焼きは、生地はクレープのように薄いのに
食べ応えがあるのはなぜなのでしょう?
やはりおいしいですね。
以前、ためしてガッテンで
お好み焼きの特集していましたが
やはり店の人に作ってもらうのが一番です。
私も、家でこれをやる気にはなりません。

<初体験の広島風お好み焼き>



〜続く
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休暇

2008年10月14日 | 旅行
転職2回の私も、今の会社に勤務を始めて
すでに10年が過ぎました。
そのため、永年勤続の休暇5日を得る権利が生じ
今年のうち、任意の連続した5日間
休暇とボーナスが支給されます。

当初は北海道へドライブでも、と思っていたのですが
実は今年の春に休暇制度の変更があり
今年の5日間の休暇の加えて
来年にも、10日の休暇が取れる事になったため
北海道は、休暇の長い来年ということにして
今年はかねがね行きたいと思っていた
広島旅行に行くことにしました。
もちろん広島へ行くといえば
いわずと知れた、平和記念公園の観光です。

修学旅行などで行く人も多いようですが
私の修学旅行は、奈良・京都で
それよりも西には、行ったこともありません。
もともとあまり西日本には興味もなかったのですが
やはり日本人である以上
一度は見ておかねば、ということで企画しました。

休暇は、暑すぎず寒すぎず
人出も少ない時期がよいだろうということで
10月14日から21日まで休暇をとりました。
たださすがに、休暇のすべてを広島で過ごすのは
少々長すぎるので、広島旅行は二泊三日とし
休暇の最後に、いつもの伊豆へ一泊二日することにし
2回の旅行を一気に楽しもうという企画にしました。

その旅行の様子を記事にしてみました。
記事は旅行の日程に沿って投稿していますので
投稿日から遡って、旅行日付けでの記事としています。


〜続く
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