きつねの戯言

銀狐です。不定期で趣味の小説・楽描きイラストなど描いています。日常垢「次郎丸かなみの有味湿潤な日常生活」ではエッセイも。

人間(ひと)もすなる日記(にき)というふものを狐もしてみむとしてすなり 如月拾六日

2014-02-16 23:55:27 | 日記
ここ数日のうちに複数の友人と会った。
いつだって有用な刺激を与えてくれる友人たちにはいくら感謝しても足りないくらい有難い。

突然ダンジョンに放り込まれて訳の分からないモンスターに追いかけられているような精神状態になる時がある。
自分ではにっちもさっちも行かなくなって身動きが取れなくなるような時が。
そんな時に戦士や魔導士が現れてパーティに加わり自分にはない能力でバトルを助けてくれるような感じとでも言えばいいのだろうか。
ベクトルもアプローチも全く違うがそれぞれに救われたり癒されたり。
何か一つの問題を解決しようとすると別の問題が発生してしまうような時にそれぞれが互いに補完するように示唆を与えてくれたりする。
自分では発想も出来なかった視点からのものの見方を示してくれるとか知らなかった方法を教えてくれたりとか。

心と体。人間の全部。とかいうコピーのCMがあった。
精神と肉体と魂。人間というものはいろいろなものの集合体だ。
何を救うかはそれぞれだが救いを求めているのは一つとは限らない。

正しいか正しくないか。神に非ざる身である以上正しいことだけを行えるとは限らない。
知らずに誤ることもあれば正しくないことを知りながら敢えて誤ったまま押し通さねばならないこともある。
ならば正しいかどうかではない選択の仕方をするしかない。
そうしたいのかしたくないのか。
心の声に耳を傾けそれに従う。
そこまでは既に決まっていた。
その後の事まで考えられなかった。
しかしその先にも恐らく生きているであろうし生きて行かねばならない。
そうだとするならその時になったらどうしたらいいのだろう。
そのことから眼を背けたままではいられないはずだ。
その答えは意外にシンプルなものだった。
過ちを犯すことも実際には拍子抜けするほど簡単なことだったように。
自然体。
多分そうなるであろうということがその通りに起こる。
ただそれだけのことだった。
考えすぎ?
全てが至ってシンプルなものなのだ。
複雑にしているのは他ならぬ自分自身だったりする。

余りに多くのものを与えられ過ぎて今は少し消化不良だけれどきっとそれらを自らの滋養として吸収し成長を遂げて見せよう。
そんな風に思った週末があと数分で終わる。
そしてまた明日から始まる代わり映えのしない毎日を粛々と生きて行く。





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