傍観者の独り言

団塊世代で、民間企業で「チンタラ・グウタラ」に過ごした人間の手前勝手な気儘な戯言・放言。

孫正義社長の事業観は、日本再生への手引き

2010-04-27 21:21:49 | 国家の計

25日のテレビ朝日の番組「フロントライン」で、孫正義社長と仙谷大臣との対談があり、時間的に中途半端でしたが、孫社長の事業感は、日本再生の手引きになると思いましたね。
孫正義ソフトバンク社長は、「文藝春秋」(2010.04)に、『「事業家」竜馬こそ私の手本』(構想力、交渉力、そして胆力。竜馬のベンチャー精神を引き継ぎしたい)を寄稿し、坂本竜馬の強烈なファンというより、人生の羅針盤であり、敬服、心服そのものですね。

孫社長は、『「事業家」竜馬こそ私の手本』で、『竜馬が行く』を5回通読した書いています。

最初は、中学3年の時、高校を中退し、渡米し、2度目を通読。

3度目は、ソフトバンクを創業2年後に、慢性肝炎で入院、「余命5年」の宣告された時で、竜馬の「世に生を得る事を成すにあり」「われ死する時は命を天にかえし、高き官にのぼると思いさだめて死をおそるるなかれ」の言葉に、”「人間はいつかは死ぬ。それまでは自分が全てを賭け得る「事」を全力でやる、それが面白い生き方ではないか」”と、自分の人生の指針となる。

孫社長は、この時期、入退院を繰り返しながら、病床で数千冊の本を読み、自分にとって事業はなにか、を徹底的に考え、
”「仕事は最終的には自己満足のためのもの。そして、究極の自己満足とは、人に喜んでもらうことだ」”
という結論に行き着いたと語っています。

4度目は、94年、株式を公開し、アメリカの企業の大型買収、投資でアメリカへの進出を目論んだ時。
孫社長は、無謀な投資と評する人がいたが、自分なりに計算しつくした投資であるが、竜馬が後押したと書いています。

5度目は、2001年、ブロードバンド事業に進出時で、人生の大きな岐路のたち、どちらに進むか、ここで方向を間違えると大失敗する時に、『竜馬が行く』を読み、もし竜馬ならどうするか自問自答してきたと。

そして、歴史上の人物の評価・比較し、事業家として坂本竜馬を考えたとき、先見性・壮大な構想力を持ち、それを実現させたのは、吸収力とみなし、一度丸のみした知識を、自分なりに噛み砕き、納得したものだけに基づいて行動したとし、交渉力は胆力と正義感に裏打ちされていた考察しています。

当方が印象に残った部分は、孫社長は、大きな事業にたずさわる人間にとって、助走期間は極めて大事と語っています。
それを、人生を登山に例え、自分の登りたい山を決めることで、人生の半分は決まるとし、登りたい山を決めずに歩くのは、さすらうに等しいと記述しています。
孫社長の助走期間は、アメリカから帰国後の1年半とし、40ほど起業事業企画し、なにも仕事せずに、毎日毎日、「儲かる」「ビジネスにやりがりがある」「構造的に業界が伸びてゆく」「将来の企業グループの中核になる」「日本一になりえる」「人を幸せにできる」「進化を味方にできる」らの25項目で配点し、立ち上げたのがソフトバンクだったと記述しています。

孫社長は、現下の日本を江戸幕府の末期とみなし、既に見えない黒舟が日本にやってきているのに、それに誰も気がついていないとし、現下の日本で最も欠落しているのは、リーダーシップと情報立国のための戦略と考察しています。
今の日本には、帝王学、リーダーのための教育(胆力、人格の基礎)がまるで行われていないと言及しています。

情報化社会という新しいパラダイムのもとで、どう日本の国際競争力を高め、人々が幸せに暮らしていけるようにするか、法律や国家予算の配分などを含め、真剣な議論が必要と言及しています。

テレビ朝日の番組「フロントライン」で、孫正義社長と仙谷大臣との対談で、孫社長は、日本のGNP動向を示し、成長してきたのは情報分野とし、これからの情報分野は成長分野とし、それには、情報インフラが不可欠とし、
① 人材育成・・・電子教科書の導入
② 電子カルテ・・・後方処理の削減
を提案し、数字を持って説明していました。
問題は、政治家が「腹をくくる」ことで、逃げ道をなくす法制化することと語っていました。

当方は、本ブログで、孫正義社長について、
”「当方は、孫正義社長が、創業半年後、麹町のマンション地下で、社長自らTシャッツ姿で、ゲームソソフト(当時はカセットテープ)を荷造り発送作業している時代に紹介されお会いした事があります。
会社名の「ソフトバンク」は、自社で扱う流通ソフトを一括にまとめた総合雑誌名「ソフトバンク」に由来し、確か、創刊号は「記載情報に不正確な部分」があるとし、社運をかけて刷り直しましたね。
当時は、パソコンの流通OSが世の中に出始め、マニヤがその流通OSで、ゲームソフトらを制作し始めた頃で、孫正義社長からは「レコードプレイヤーは家電メーカーが製品化し、レコードは音楽プロダクションが制作しており、コンピュータの世界もメーカー専用OS世界から、流通OSが世界になり、ハードとソフトが分離するオープンの世界になる」と熱弁を拝聴した記憶があります。
」”
と書きました。

パソコンをマイコンといわれている創業時代の孫社長の知遇を得、1年近く、通いました。
当方にとっては、孫社長は、2周りも若い童顔青年で、当時も頭髪は薄かった印象があり、話は面白く、刺激的でした。
当方は、当時、在職していたのは某大企業で、創業半年程度のソフトバンクと比較すれば、「月とスッポン」でしたが、孫社長は面白い人物と思い、担当役員との面談を画策するために、まずは、孫社長に上司を会わせた時、孫社長は、初対面の上司に向かって、

”「某大手企業は、何故、ベンチャーに負けているのですか?その理由は?」”
と問われ、上司は、言葉に詰まり、「マイコンは新規分野で、不得意なので」と回答したら、
孫社長から、
”「某大手企業は、ベンチャーと比較し、あらゆる面で、優位にいます。
社歴、総合技術力、資金力、社会的信用力、信用力により人材確保、宣伝力ら、あらゆる面で優位にいるのに、ベンチャーに負けているのは、あなた自身(初対面の上司)に問題がある。。
」”
と言及され、
”「それは、無難な仕事観で、真剣さが無いことです。
失敗を恐れ、競合他社が手掛けているから、当社も手掛けるべきという、安直さにあることで、某大企業の名前でビジネスしているからです。
あなた(上司)の守備範囲は、ベンチャーと同じと思いで、取り組めば、ベンチャーに負けないのです。
」”

というニュアンスの会話を覚えています。

孫社長とは、初対面の時から、面白い人物と印象で、話を聞き、「できる人物」と思い、将来、ソフトバンクは、社会に影響力を持つ大企業になると直感しましたね。
一時は、ソフトバンクは有利子負債が巨額になり、メディアから叩かれていましたが、成功されるだろうと思っていました。
孫社長の文藝春秋の寄稿記事を読み、坂本竜馬を敬愛しているのは、想像できますね。

孫正義社長と仙谷大臣とのテレビ対談は、時間不足で、中途半端になりましたが、孫社長の提起は、刺激的で、救国の手引きになると思いましたね。


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