傍観者の独り言

団塊世代で、民間企業で「チンタラ・グウタラ」に過ごした人間の手前勝手な気儘な戯言・放言。

国家経営は神様にお願いしかない?(雑感)

2011-02-08 12:43:13 | 独り言

「JBpress」の気になる標題だけを斜め読みしたが、消化不良より滅入ってしまいます。
過去に、日経が「会社の寿命30年説」を特集したが、会社は破綻しても、国家経営は破綻は許されず、国家経営は万能な神様にお願いするしかないのでないかと思いたくなりますね。

本日の「JBpress」で、気になった記事は、
① 『分水嶺を迎える日本の製造業』(Financial Times)
② 『ネットTV元年、覇権を取るのはどこだ ソニー、グーグル、それともサムスン電子?』(志村 一隆
③ 『転職者は今でも「外様」なのか?日本的経営を改めて考えてみた(8)』(前屋 毅)
です。他にも気になる海外、安全保障の記事がありましたが、気力のオーバーフローですね。

当方は、そこそこの大企業におり、在職中に大企業病に陥り、何回か事業構造改革を体験してき、企業の生成発展には、事業の新陳代謝(集中と選択)と新規事業の取り組みが不可避と、先鋭的な人材育成が重要と実感しております。
団塊世代の年金生活者で、「要介護3」の認知症の老親の介護に時間を割いている身では、「JBpress」の記事など直接的に関係がなく、気になるのは「会社人間」の習性から抜け切れないのでしょうね。

まず、気になったFinancial Timesの記事『分水嶺を迎える日本の製造業』で、出だしが、京セラの久芳徹夫社長がソーラーパネル事業拡大の「量ではなく質に集中し続けた」と記者会見を取り上げ、長期的な信頼性を要求する顧客がいるとし、「ただ単に市場シェアを追求しているわけではない」との発言を取り上げているが、日本の電機メーカーは過去10年間で海外市場のシェアの3分の1をほかのアジア勢に奪われ、製造業の雇用者数は1992年に1570万人のピークをつけたが、その後、2度にわたる日本経済の「失われた10年」の間に3分の1減少したと。

今の悲観論の近因は世界経済危機での円高で、輸出を痛めつける15年ぶりの円高水準をつけたことだ。国内の鉱工業生産は2008年2月から2010年2月にかけて3分の1も減少し、ピークから底までの落ち込みが第2次世界大戦以降最大となった。
円高の要因以外に、日本の人口高齢化に伴う国内市場の縮小、そして企業に生産拠点の海外移転を余儀なくさせている国際競争の激化にその原因があり、リーマンショックの2008年以前の規模は戻らないという経営者の意見を紹介。

さらに、日本の産業が抱える問題は国内基盤の空洞化にとどまらず、それが新たな製品カテゴリーの創出であれ、不採算事業の売却であれ、外国企業の買収であれ、経営者が次の技術進歩の先を見据えて新たな成長源を見つけることができなかったのだという経営者の問題というコンサルの意見を紹介。
イノベーションが今、サービス、ソリューション、ソフトウエア、ビジネスモデルといった生態系全体を意味する時に、日本企業はまだ基本的にハードウエアに集中していると。

記事は、「量より質」は、個別企業にとっては正解であるが、成長過程の分野は、「量」の政策が市場を制すると書いており、経営者にとっては、悩ましい問題ですね。
また、日本の経営者は新たな成長源を見つけられなかったとあるが、企業は、「営業センスの技術者」「技術のわかる営業」「ビジネス・ソリューションのできる営業」とか人材育成に注力してきたが、一方、実績による人事考課が大前提であり、売上げあっての話しで、中途半端であったということですね。

記事にある「イノベーションが今、サービス、ソリューション、ソフトウエア、ビジネスモデルといった生態系全体を意味する時に、日本企業はまだ基本的にハードウエアに集中している」とあるが、製造業にとって、「良い物を作る」が第一であり、「ビジネス・ソリューション」は異次元の話になり、必要性は認識しているが、確実な収支見込の事業計画が策定できず、確実な収支見込ができるハードウェアを重視するのは宿命ですね。
とはいえ、世の中、ビジネス・ソリューションの競争であり、経営者は先見性・洞察力が求められ、グローバルセンスの人材育成が肝要ということですね。

次に、気になった記事は、志村 一隆氏の『ネットTV元年、覇権を取るのはどこだ ソニー、グーグル、それともサムスン電子?』です。
当方には、消化不良の記事で、一時期、「放送と通信の融合」が話題なったが、「融合」のビジネスモデル競争に次元になったかなという印象です。
ネットTV分野は、インターネットの世界で、家電メーカー、放送局、ケーブルTV、通信インフラ企業、インターネット・サービス企業、コンテンツ・ホルダー、携帯電話らのプレイヤー間でビジネスモデル戦争中ということですか?

先の記事『分水嶺を迎える日本の製造業』ではないが、各プレイヤーの人間が、サービス、ソリューション、ソフトウエア、ビジネスモデルを将来動向を見据えて、商売競争となると、旧人類・化石人間の当方の出る幕などなく、「頑張ってください」というしか能がないです。
経営決断は企業の将来を左右し、先見性・洞察力が求められますね。
当方は、何事も生成発展には新陳代謝が不可欠であり、新陳代謝の最大の障害は、「年寄りの跋扈」であるという考えで、次世代は先鋭的な若い人間に委ねることが賢明ですね。

当方が現役時代に、松下電器(現パナソニック)の人間との酒の席で、「経営の神様」と言われる松下幸之助氏の言葉として、
”「社長は、部下が10名であれば奴隷がごとく使え、100名であれば命令しろ、1000名であればお願いしろ、10000名であれば祈れ」”
というような主旨の話しを聞き、10名、100名程度であれば、自分が現場に精通しており、率先垂範できるが、1000名になれば、権限委譲し、部下にお願いしかなく、10000名になれば、頑張ってくれと部下に祈るしかないと勝手に解釈しました。
経営の神様も大規模経営となると「祈る」しかなく、国家経営は神様にお願いしたくなりますね。

Financial Times、志村 一隆氏の記事を一読し、「良い」と信じてきたことが成長の障害になり、その危機意識ある経営者が新規な物を決断する時に、「占い」、「験を担ぐ」といわれるのは想像できますね。
菅首相にとって判断する際には、伸子夫人が「神様」でしょうね。

そして、次に気になった記事は、前屋 毅氏の記事『転職者は今でも「外様」なのか?』ですね。
前屋 毅氏は、一時期までは、転職は「社会的に負い目」が周辺であったとし、現在は、特異なことではないという労働力の流動化の自然とあり、そのことは共感できます。
前屋 毅氏は、転職が普通になったが、現在も、「転職者は外様と、今なお残るプロパー優遇の雰囲気」が日本的経営色の強いところほどあると論じています。
当方も転職組ですが、転職先の企業風土に順応することは意識したが、お蔭様で転職のハンディはなかったが、前屋 毅氏の言う「転職者は外様」の雰囲気があるとすれば、世の中、「終身雇用」「年功序列」の風土に、正規社員の「企業組合」の存在が「遠因」なのでしょうね。

先に挙げた『分水嶺を迎える日本の製造業』、『ネットTV元年、覇権を取るのはどこだ ソニー、グーグル、それともサムスン電子?』ではないが、世界環境が激変し、過去のインフラ・事業が陳腐化している現下、自社の経営資源だけで勝てるかどうかは疑問です。
やはり、「労働者・労働力の流動化」は、「外部の智恵の流動化」もあり「事業の新陳代謝」にもなり、「労働の流動化」が本来の機能を発揮するには、退職者・転職者・非正規社員のハンディを軽減させる環境整備が必要でしょうね。

どちらにしても、先を読めない複雑な世界を洞察したビジネス競争は、凡人には論評はできませんね。
企業の破綻は限定的ではあるが、国家は破綻が許されず、万能な神様にお願いしたくなりますね。



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