傍観者の独り言

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菅直人首相考:「無私」を意識しているそうだが?・・・「後だしジャンケン・理屈付け」!

2011-07-13 05:52:32 | 民主党(菅政権)

菅直人首相の権力への固執の手腕については、常識の粋を逸しており、与野党・メディアも持て余し気味の雰囲気ですね。
9日(土)のTBSの「報道特集」で、内閣審議官の下村健一氏がインタビューで、菅首相の備忘録ノートの欄外に、「無私」と言う語句が書かれているのを紹介していたが、気質的に表面的な「無私」を計算しているだけでしょうね。

9日(土)のTBSの「報道特集」の番組案内は、
”「腹心が語る菅政権”混迷の理由” (2011/7/9 放送)
政治の混迷は今週に入ってさらに深まり、政権与党の民主党も身内からの批判が噴出して、もはや政党の体をなしていないかのように見える。そんな中、菅首相の腹心とされる人物に首相が今何を考え、どうしようとしているのか金平キャスターが尋ねた。
そして、阪神大震災で復興に当たった当時の村山首相、小里震災担当相、石原副官房長官、貝原兵庫県知事に菅政権の復興対策とリーダーシップのあり方を日下部キャスターが聞いた
。」”
と。

番組では、下村健一内閣審議官は、総理自身は心が折れる様子は全くないとし、菅首相が一連の震災対応の問題点を指摘されている事に対し、下村内閣審議官が説明したほうがと助言しても、菅首相は「言い訳はしない、結果が全てだ」と語っていたと。
玄海原発再開の直前時期に、菅首相が安全基準を見直しするとした発言については、菅首相が「実態が動き始めた、それが一番大事」と語ったと。
過去、演壇にしがみ付き演説をし続けたことを挙げ、今は、菅首相は権利にしがみ付きの批判の問いに、下村内閣審議官は、菅首相の備忘録ノートの欄外に「無私」と書かれていたことを紹介。

当方は、下村健一内閣審議官の話を視聴し、菅直人氏は、特異な資質・気質の人物を思いましたね。
下村健一内閣審議官の話を素直に受け止めると、自分には確たる意見はなく、時間の経過ととに、周辺の意見を聞き、機を見る敏ではないが、時流を見て発言する「後だしジャンケン」タイプの人物ですね。
菅首相のいう「無私」という語句については、「後だしジャンケン」の「後だし理屈付け」の計算ですね。

昨日の衆議院東日本大震災復興特別委員会の国会中継を断片的に視聴したが、菅首相の答弁は、後だしでも「一理」あり、野党も全否定できず追及も中途半端でした。
菅首相の答弁は、「」はあっても「」に聞こえるのは、菅直人首相の資質・気質に特異性があるからでしょうね。
菅首相の人間像については、諸々と書かれていますが、当方もブログでも取り上げてきましたが、菅首相のこの特異性の気質は、叱咤激励する伸子夫人が存在が大きいと思われますね。
この「後だしジャンケン」の「後だし理屈付け」の気質は、学生運動し、政治好きの伸子夫人との出会いで、形成されたと邪推しますね。


「J-CAST」の記事『「普通の人以下の能力」 大学学長が菅首相をクソミソ』で、島田晴雄・千葉商科大学長が、TV番組で、菅直人首相を
”「菅首相について「ちょっと聞いたらハイって言っちゃう人」と話した。人から聞いた意見を深く検討することなく、そのまま自分の意見として公表してしまう人物」”
”「菅首相は、自分がいなければ日本がダメになると信じているため、「余計に危険」。「困った人を(首相に)選んだ」とも解説した。」”
と酷評したと報道しています。

島田晴雄・千葉商科大学長の菅首相像は、自分には確たる意見もないが、人の話を「面白い」と思えば、自分の意見とし、自分は正しいことをしているという高慢な人間ということでしょうね。

この菅直人首相の特異な気質について、ブログ「Chikirinの日記」様のエントリー『首相を支える「家庭内同志」』で、政治家の妻のタイプを分類し、伸子夫人の「内助の功」を「政治活動上の同志」とし、
”「「日本は脱原発よ!」「金権政治は元から断たなきゃダメ!」「あなたは首相よ。誰もあなたを辞めさせられない。自分で決めればいいのよ!」と政策や政局についてまで助言(断言)してくれるブレーン。」”
と、
”「どんなに叩かれて「ぐへへ」となって「もういやだ!」と思っても、家に戻ったら完璧な同志がいる。政治家仲間と違って裏切ったりしないし、本音で話せて弱音もはけるし、駆け引きをする必要もない。心情的に癒してもらったり支えてもらったりできて、かつ(政策判断など)実質的にも助けてもらえる。それってすごく心強い。」
と、伸子夫人のブレーン的「家庭内同志」の存在が影響していると。

伸子夫人については、読売新聞の記事『基礎からわかる 菅直人』で、伸子夫人を「最も厳しい有権者」とし、 
”「自宅では夫に向かって「私が納得できない政策は有権者も納得しないわよ」が口癖。党と菅氏の成長を陰ひなたになって支えてきた。
菅氏とはいとこ同士で、子供の頃からの顔なじみ。親の反対を押し切って結婚してから、今年11月で40年を迎える
」”
と書いていますね。

当方は、菅信子夫人との出会いが今日の菅直人の資質・気質を醸成してきたと思っています。
菅信子夫人については、[wikipedia]によれば、
”「母親の姫井千恵子は金光町議会議員を務め、町議会議長となるなど、地方政界で活躍した。また、祖父の菅實も医師であると同時に、久米郡会議員だった。そのため姫井家は「普段から政治談議に花を咲かせる家庭だった」」”
”「1970年の冬、菅直人と結婚する。しかし、いとこ婚となることから、姫井家や菅家の親族らから反対されたという。

ジャーナリストの奥野修司によれば「伸子さんから聞いたのですが、伸子さんの母親が上京し、兄妹でもある双方の親が顔を突き合わせて話しあったそうです。ですが、そのうちに、日本は核武装すべきかどうかの大論争が始まり、結婚話はそっちのけ。何度か開かれた家族会議もそんな調子で、最後はみな疲れて寝てしまっていた、と言っていましたね」という
」”
と、信子夫人は、政治談議の好きな家柄に育ち、社会に批判的な資質なのでしょうね。

一方、菅直人氏は、学生時代に全共闘に刺激され、学生運動家に染まってゆくが、学業優秀で政治好きの伸子夫人との出会いで、より、社会に批判的になったのでしょうが、全共闘学生というブラックリストにのり、大企業の就職の道は閉ざされ、弁理士という道しかなく、社会に批判的になったと思いますね。
学業優秀な菅直人と姫井(菅)信子が、社会人として恵まれないスタートせざるをえず、社会の不条理を痛感し、市川房枝女史の選挙運動を応援することで、野心家と自己顕示欲の強い菅直人は、政治の世界を意識したのでしょうね。

菅直人・伸子夫婦にとっては、社会の歪の問題意識を持っていたが、学業優秀でありながら、社会人スタートが恵まれず、野心・野望を抱いたのは自然でしょうね。
地盤・看板・カバンもなく、市民運動家という市民感覚を強調することで、「菅直人、ここにあり」という上昇志向の気質の政治家・菅直人が形成されていったのでしょうね。

問題は、「後出しジャンケン」「後だし理屈付け」での責任転嫁の気質です。
本ブログ「菅首相の責任転嫁の気質について(雑感)」で、
”「菅首相は、野心家であり、批判は出来ても創造力・洞察力が欠如しており、これが面白いと言われれば飛びつくタイプであり、問題が不調になれば責任転嫁するが自分は正しいことを遂行していると疑わない気質で、それ故に、周りには理解できないのかとイラつくのです。
伸子夫人が最大の理解者・支持者であり、伸子夫人から「叱咤激励」が菅首相のエネルギーですね
。」”

”「マアー、菅首相の愛人問題の騒ぎの際、伸子夫人から「脇が甘い」と言われ終息し、年金未納問題(実際は行政ミス)でも、伸子夫人が弁明しており、菅首相は、伸子夫人の呪縛から脱皮できないのでしょうね。」”

と、伸子夫人の呪縛から脱皮できないと書きました。

また、本ブログ「菅首相の居座りを「市民運動家」と容認する意見には違和感」で、菅首相の居座りを「市民運動家」の気質という論調があり、「社会運動家」気質と容認する雰囲気には違和感を持つとし、伸子夫人が”「菅直人氏は、原点が「ゲリラ」、「市民ゲリラ」で、現世の「歪」の批判者であり、「歪」を質すことに情熱をもっていた」”と言いたいのでしょうが、ゲリラ感覚(面白さ)で国政を司ることに違和感を持つと書きました。

しかしながら、菅首相の言動を振り返ると、
菅首相は、第3の道、消費税増税、日米隷属関係(沖縄基地問題)を堅持、原発重視のエネルギー政策、社会保障と税の一体改革、不条理を正す、TPPで平成開国を掲げ、東日本大震災後に不信任問題がホットになると、浜岡原発を停止させたが原発再開は容認し、ソフトバンクの孫正義社長が自然エネルギーで脱原発を声高に言い始めたら、再生可能エネルギー特別措置法案を掲げ、玄海原発再開の直前に、国民のより安心の為にと、ストレステストを持ち出し、保安院らの原子力行政に見直しを言い出しました。

要は、東日本大震災前までは、言っている内容は、それなりの国政に関わる問題でしたが自分の確たる考えもなく、東日本大震災後は、浜岡原発の停止、再生可能エネルギー特別措置法案、ストレステスト、原子力行政改革は、「一理」ありますが、全て後だしで、後だしの理屈付けですが、「一理」あり、国民の安心の為という大義を掲げており、批判しにくいもどかしさがあります。

TV番組で、下村健一内閣審議官が、菅首相は「言い訳はしない、結果が全てだ」との発言は、「後だしジャンケン、後だし理屈付け」だが、「国民に為」(無私?)という大義があれば「結果オーライ」という気質と考えますね。
また、「無私」を強調していたが、菅首相の言動は、「理」があっても「利」であり、「個利個略」ですね。
「後だしジャンケン・後だし理屈付け」を「国民の安心」の為という政治スタイルを当方は好みませんね。

NHKニュースの記事『首相 会見で“真意”説明へ』(7月13日 5時19分)で、
”「菅総理大臣は、13日、記者会見を行い、原子力発電所に対する新たな安全評価の導入を決めたことについて、安全性を重視した判断だとして、国民に理解を求めたうえで、国のエネルギー基本計画を白紙から見直し、原発への依存度を下げる方針を表明することにしています。」”
と報道。

この報道内容は、菅首相の「後だしジャンケン・後だし理屈付け」の政治スタイルそのものですね。
政治家は結果責任を持つと言われるが、「後だしジャンケン・後だし理屈付け」の「実は、」の模範解答でも、世の中には、好感するのでしょうね。
実現場の世界では、「実は、」「本当は、」というスタイルは通用しないのです。

菅首相が「無私」を心がけているのに、長男の菅源太郎を、国会議員政策担当秘書に推薦することや、代表辞任後に、お遍路を持ち出すことは、いかにも、打算的としか思えないですね。
「無私」であれば、静かに、お遍路に行けばいいのです。

姑息な嫌な人物を、民主党議員は代表に選出したものですね。




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