☆農園ビギン☆~笑う門にはイモ来たる~

新潟小千谷市で野菜の直売とサツマイモお菓子を作る農園ビギンのつぶやきブログ☆

10・23を想う

2010年10月23日 | わたくしごとですが・・・
忘れてはいけない10月23日。

中越大震災から6年経った。

思い出すことも少なくなったけど、忘れちゃいけない今日のこと。

これから何年も、何十年も・・・




前兆という言葉があるけど、あの日にもあったのかな・・・
「地震雲があった」とか「動物の様子が変だった」とか
あとから聞くことはあったけど、私にはやっぱり平和な一日に過ぎなかった。

休日でもめったにそろわない家族が全員そろった夕方で、珍しく私以外の家族全員が居間にいた。

私は夕飯の準備で台所にいた。

忘れもしない天ぷらをあげていたのだ。

一通りの具を揚げると、最後は決まって、義母の大好きなちくわの磯辺揚げを作る。
生地の中に青のりを入れて、ちくわを入れて、ぐーーーるぐる・・・



その瞬間だった!




どーーーーーーーーーーーーーーーーーん!!!!!!!


床をハンマーか何かで叩きあげられたような衝撃!!!!

一瞬
何が起きたかわからなった・・・!

トラックがぶつかった?

何かが爆発した?

なぜか
「地震」というキーワードが出てこなかった・・・
それくらい、その時の衝撃は今まで感じたそれとは違う揺れだったのだ。

悲鳴とともに電気が消え、家族の叫び声。
天ぷらをあげていたことも忘れ、台所から飛び出し子供の名前を叫んだ。
無事を確認すると、次は
ものすごく強い横揺れに代わって、私は這いつくばるように玄関に逃げた!


無我夢中

ただ
ひたすら
子供を抱きしめながら、神様に祈っていた。

どうか・・・
神様
子供たちを助けてください!

自分の靴を履くことも忘れて、外に飛び出すと2回目の大きな揺れ。
その揺れは横揺れだったと思う。

あの時の私の目がとらえた映像は一生忘れられないだろう・・・

地面に這いつくばる私を嘲笑うように、家がくねるように揺れているのだ。
日本中が、いや世界中がおかしくなったんだと思った。
地球上で何かが起こったんだ!
そう思ってしまうほど、私の目の前には現実とはかけ離れた姿が写っていた・・・

屋根から瓦が落ちてくるのを確認した。


「もうダメだ・・・」


義父が言った。

その言葉が一層絶望感を深め、それと同時に妙な落ち着きが私を静めた。

逃げなきゃ・・・
ここにいてはいけない!
何処に行けば?

誰に助けを求めれば?

震える手・・・
それでも気をしっかり持たなきゃ、子供たちを守らなきゃ、
そんな想いで近くの中学校へ逃げた。


一番最初の揺れほどではないが、いつまでも続く大きな揺れが
「これは地震なんだ」と認識させ、車から繰り返し聞こえる「新潟県中越地方で・・・」の言葉に
「ああ、そうか・・・ここだけなんだ・・・東京は無事なんだ・・・」
東京の両親の無事になんとなく安堵したのを覚えている。

でも車の中はいつまでも油断などできなくて、一晩じゅうエンジンをつけていれば、ガソリンがなくなる・・・

その恐怖のため寒さに震え、耐えて、子供と大ばあちゃんを不安にさせないように
私は歌を歌っていた・・・

気がつけば子供たちにご飯も食べさせていない。

となりの人からもらった1個のみかんが心から嬉しかった。


明日どうなるかわからない。
それを考えると、1個のみかんを4等分して子供たちと大ばあちゃんに渡すと
自分の分はこっそりポケットにしまったのだ。

朝を迎えるまで眠れなかった・・・
たまたま持っていた携帯にぽつりぽつりとメールが届く。
しかし、もはや携帯もほとんど機能していなかった・・・


中学校のグラウンドでやっと朝が来たと思った時
それはいつもと変わらない朝で
昨日の夜のことなど嘘のようだった。

でも
道路に広がる亀裂。
瓦が落ち、変わり果てた我が家。
村中の人が外に出て、うつろな疲れ切った表情をしていて、やっぱり昨日のことは現実であったことを物語っていた。

誰もが立ち上がらなかった。

でもなぜか私の脳裏に車の中にあるコンテナいっぱいのさつまいものことが浮かんだのだ!

ちょうど次の日、さつまいもお菓子の試作日で車に積んでいたのだ。
電気も水道も使えない・・・
そう思い込んでいたけど、プロパンがあるじゃないか!
井戸水があるじゃないか!!!

お湯を沸かし、さつまいもをゆでた。
地震後、最初に口にしたのはさつまいもだったのだ。

ほかほかのさつまいもによって、村中の人たちの頭が働き始める。

「じゃ、倉庫から米持ってくるわ」
「畑にまだ野菜もあるはずだ」

持ち寄れば、食べ物が集まるのはあっという間だった。


その時ほどさつまいもに感謝したのは、この先もないかもしれない。

さつまいも、ありがとう・・・




その後のことは
テレビや新聞で伝えるとおり。

避難生活はいろんなことがあったけど、人の温かさを知ったし、地域のコミュニティの大切さを知った。

不安で眠れなかった夜も、涙の味がした炊き出しのうどんも、10日ぶりに入れたお風呂の気持ちよさも
大きなたらいで子供たちを洗ってあげた日も、埼玉の先輩が地震二日後で駆け付けてくれて家族全員が涙したことも
地元の友達のあたたかさも、農大のネットワークの強さも、普段不器用な父の「帰って来い」の言葉も


すべて


一生忘れない。


本当にありがとう
と伝えたい。


あの経験をしたことは決して無駄ではなかったけど・・・




もう嫌だな。


あんなに怖い夜はもう嫌だ。


地震によって失われた命に、今日5時56分
黙とうを捧げます。






同じ年、さつまいもプリンの新しい加工場が決まっていた。
いよいよ保健所の許可をとって本格的な販売を考えていたのだ。

決定したのが10月20日。
地震の3日前。

地震によって、その加工場は半壊し、使うことはできなくなった。

またゼロに戻ったのだ。







あれから6年。
いよいよ新工場ができる。
たくさんの想いを詰め込んだ農園ビギンの新しい一歩。


地震によって「小千谷」という言葉が有名になったのなら
マイナスをプラスに変えたい。

もう小千谷は元気です。
たくさんのご支援に感謝して、今日一日過ごしたいと思います!!!!

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18 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
あの日 (yokko)
2010-10-23 14:40:05
娘は練習のためスイミングへ。
プールの水が無くなるかと思うほどの揺れだったそうです。
その娘を迎えに行く途中の車の中でさえ揺れた。
やはり考えるのは子供のこと。
無事でよかったね。
それが何より。

命さえあれば なんとなる。

私も あの時間に黙祷をささげます。
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Unknown (Yoshi)
2010-10-23 16:06:04
あの地震からもう6年ですよね。
私の新潟生活の中でも忘れられない記憶です。

私は新潟市内にいたので、被害はありませんでしたが、
仕事の関係で山古志の東竹沢地区の
土砂崩れでできたダムを排水する計画にたずさわり、
余震が続く中、自衛隊のヘリで、
会社から衛星携帯電話を持たされ、現地に向かいました。
行く前になぜか実家の母へ電話したのを覚えています。

長岡市役所には、ロビーに人があふれ、
新潟から車でいけるわずかな距離なのに、
こうも違うものかと、地震の恐ろしさを感じました。
でも新潟市内に戻ってくると、普通にみんな生活してる。
なんだか申し訳ない気分にもなりましたね。

私もあの経験は無駄ではなかったと思いますが、
直接被害にあわれた方は、いろいろな思いがあるでしょうね。
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Unknown (じぇっと)
2010-10-23 17:27:18
この文章を読んでいるだけで涙が溢れ出てきました。
忘れてはいけない事と思いますが、今は地震の前と変わらない生活をしているように思えます。
地震によって失った物と得た物、どちらが多いのかは自分にはハッキリわかりませんが、命在る限り精一杯生きなければと思います。

あんな事は二度と起きてもらいたくないですね。
返信する
そうですね~・・ (ちゃちゃ)
2010-10-23 17:28:21
私はあの日は、新潟空港にいて・・
激しい揺れを感じたものでした。

職場には、ディズニーランドに行くといって
休みをとっていたので
みんなが、新幹線に乗ってたんじゃないかと
心配してくれてたなぁ・・
前日に日帰りしてたんですけどね。

今まで、追悼式だった今日を
つどいに今年から変更したと
ニュースにでてましたね。
確かに、同じことは、もうイヤだけど
いろいろなことに気づけた日でもありましたねぇ。
あの頃は、まだ、母も元気だったなぁなんて
ふと思い出した今日でした

さつまいも、ホントに、りっつさんには
大きな存在ですね。

この前、千葉でおいしいさつまいものお菓子を
見つけたんですよ~。
当日賞味だし、りっつさんには
おすそわけできないな~と
私が、しっかりいただきました
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早6年 (似夜)
2010-10-23 18:07:36
あれからもう6年も経つのですねぇ…。そういえば土曜日でした。
ちょうどあの時は、ご飯を食べ終わって、テレビを観ながら携帯をピコピコしてました。
瞬間で停電してしまって、携帯を握ったまま、家を飛び出し、そのまま余震にハラハラしながら近所の家のガレージ(屋根のみ)に周辺の人たちと集まって夜を過ごしました。夜空が綺麗でしたが、めちゃめちゃ寒かった…;
水道は止まりませんでしたが、電気は2~3日止まっていてかなり不便でしたね(ガスはもっと止まってて、家のお風呂に入れたのは数日先でしたが)。
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あれからもう6年ですか… (まえまえ)
2010-10-23 19:42:33
私は文章を読むと、頭のなかで勝手に映像化してしまうクセがあります。

この、りっつさんの記事を読みながら、その時の光景、りっつさんの行動が頭の中で映像化され、読みながら涙してしまいました…

子供のための冷静な判断力と行動力。
母は強しですね。

私は上越でさほど被害もありませんでしたが、あの日は私も夕飯の支度で台所にいたのですが…
火を消すよりも、まだ買ったばかりのテレビを押さえる方に先に行動してしまった自分が情けないです(汗)

先日、上越で震度4~震度5弱の地震が数回続けてありましたが、何の備えもしてない、呑気な我が家族でした…
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Unknown (ゆたかマン)
2010-10-23 21:53:53
(T_T)
感動しました!
私は地震を経験してませんが これを読んでたら当時の光景が目に見えるようです
何気なく平凡に過ごせた今日一日に感謝!
明日も平和に何事もなく過ごせますように・・・
今 この時を妥協することなく精一杯ファーマー人生を 突っ走る<`ヘ´>
と心に誓ったっす!

返信する
ありがとうございます (みなさんへ←りっつ)
2010-10-24 06:53:51
あわただしい朝ではなくてゆっくりコメントのお返事を書きたいので、あとで書かせていただきます。
ありがとうございました。
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Unknown (ゆーこ)
2010-10-24 09:28:49
もう6年たったんですね・・・

りっつさんのブログを読んでいて涙が溢れて
きました。

同じ県内だけど被害のなかった新潟市。
私はときどきやってくる揺れに「怖いな」
と思いながらどうすればいいかわからずテレビの映像を客観的に眺めていただけでした。

母とさつまいものパワー恐るべし!!
感動です☆

忘れさせちゃいけない出来事ですね。


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本当に (yokkoさん←りっつ)
2010-10-24 17:29:37
子供のことを一番に考えますね。
自分のことはどうなってもいいから子供だけは・・と思いました。
命さえあれば何とかなるのです。

その後にいろんなことがありましたが、命あることに感謝です。

震災だけは防ぎようがないですからね・・・

対策、といっても人とは無力だと痛感しましたね・・・
これから新潟県に大きな災害がないことを祈ります。
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