いろはにぴあの(Ver.4)

音楽、ピアノ、自然大好き!

2017年春のさくら

2017-04-11 | 気になる場所、風景

 先週末から満開になった富山市内の桜。天候が不順で、ひょっとしたら満開の桜を晴れた空の下では楽しめないかもしれないと思っていたが、天気の神様は私たちの味方でいてくれた。おかげで今日、寄り道して、桜を楽しむことが出来た。松川の桜、今年も出逢えてよかった。これで三回目だね。

 ちょっと近づいてみる。。。桜の木の形ってなんて美しいのでしょう。左のシーン、黄色とピンクのコントラストもお気に入り。

もっと近づきますよ~。松川の桜は目の前まで近づけるので嬉しい。

そして、名物幹から直接咲いている桜。初めて見たときはびっくりした。こんなところにも咲いているのね。


発表会 そして音楽は時間芸術

2017-04-11 | ピアノ、音楽

 先日から再びご無沙汰していました。

 その後職場も変わり、少し忙しくはなったものの、仕事面で自分が培ってきたものを生かせる機会が早速あるなどよいことが沢山続き、職場を変わって本当によかったと実感。その一週間後はピアノ教室の発表会。職場に慣れることと、発表会の準備に専念したくて、ご無沙汰する状態になっていた。ここ数日、一気に駆け抜けたような気がしていた。

 その発表会が昨日終了。私はピアノのソロのピアノ、合唱、合奏と三回ステージに登場。合奏と合奏については、音楽というものを幅広くとらえ、みんなで音楽を創り上げることの楽しさを味わってほしいという想いを持たれている先生のもと、主に週末や仕事後、練習に励んできた。突然登場あり手話ありその他も豊かな演出あり、内容も盛りだくさん。。。どちらも今流行の音楽、子供たちの方が良く知っている音楽、私もすっかり若返った気分になり、楽しく参加させていただいた。ちょっと練習がハードに感じたこともあったけれど、一緒に参加された方たちは熱心でよい方達ばかりだった。それも含めよき想い出になりそう。富山のピアノ友達にもあえて嬉しかった。バラエティ豊かな内容と共に生徒さんたちの演奏も素晴らしく、発表会そのものは、充実した内容だったと思う。

 ところで肝心のソロのピアノ。今までもこちらに何回か登場したブラームス作曲ラプソディー第2番。ヨハネス・ブラームス、数年前から憧れの作曲家の一人でありながらも、ブラームスの音楽の特徴であると思われる、粒の大きな音、豊かな音量、深みのある音色、印象深い低音部、一筋縄ではいかなそうな重厚な音楽性の面で、私が取り組むのは高嶺の花の作曲家のように思えていた。しかし、どんなに高嶺の花でも、しっかり向き合ってみたら、少しはお近づきになれるような気がして、思い切って取り組んでみようと思い、白羽の矢が立ったのが、このラプソディ第2番。情熱的でかっこよさそうな表の顔とともに、旋律と対旋律の魅力的な対話、反復によって増幅する感情の襞、はるかかなた若しくは地の底から聴こえてきそうな幻想的でぞくぞくするシーン、、取り組めば取り組むほど、其々の部分のシーンで想像が広がるとともに、音楽自体するめのようにじっくり味わえるのではないか、と思えたのが、選曲の理由だった。

 選曲の瞬間というのは幸せなものだ。憧れの曲を手に入れることが出来る機会をついに得たのだ、この機会はとことん大切にしよう。そしてその瞬間は、まさかその曲に飽きが来るということは決してないに違いないという、バラ色の練習シーンを連想しやすいもので、今回も、そんな想いで選曲したのだが、人間の現金さ、我ながら情けなくなるもので、ずっと弾いているとあのマンネリ化という困った症状に陥ることが多く、今回も例にもれず。マンネリ化と共に、スランプというものにも陥っていた。うまく弾けないし、曲にも入り込めない時期が続いた。そんな中でもレッスンを通して曲の魅力に気付くたびに、少しずつ、曲が近づいてくれたような気がした。有難いことに、念願だったピアノの集まりでも聴いてもらえる機会があり、人前で弾くよき練習になっていた。自宅では弾けていても、人前になると思わず間違えるところがある、そこを重点的に練習しようと思った。この曲の、大切なフレーズの弾き分け、ひとつひとつのフレーズの語りかけ、フレーズ同士の対話や有機的な繋がり等、弾いていくうえで意識するとよいことが実は沢山あったのだった。そうしているうちに、ふと、何かが舞い降りたような瞬間が、訪れた。曲の神様が、入ってくれたような瞬間が!そして、今まで気づかなかった、魅力的なところが、ぞくぞくと見えてきて、この曲に出逢えてよかった、そして、選曲してよかった、そのよかったという思い、ステージでも最大限に発揮したい、そうして私の演奏にしたい、するのだ!と思った。

 演奏前に調整する椅子の高さ。高さの調整はうまくいった。しかしピアノが近くに寄っていたために、背筋を伸ばして腕を伸びやかに広げることが難しくなっていた。そのため自然と前かがみの姿勢にならざるを得なくなっていた。もっと椅子を後ろにしていたら、腕も自由に動かせてコントロールもしやすかっただろうし、思いがけないところで弾きにくくなったりはしなかっただろう。それでも、前半は、ミスがいろいろあったものの、音楽の流れの面では、うまく乗れていたと思う。音も聴くことが出来、這うように幻想的な音色の所も意識して弾くことができた。そして後半、再びテーマが登場した後、哀愁に溢れた美しい第二主題、ここはとことん美しく弾くしかない、という思いで臨んだ。しかし、途中から、このままいったら弾きにくくなる、と感じた状態に陥った。ここぞというところでちゃんと弾けない、美しさを際立たせることが出来ない、折角練習中に気づいたこの曲の美しさをほとんど表すことができずに、終わってしまうと思った。そのようになったときでも、そこは一呼吸、もやもやしながらでも、続けていく、という手があったのだけど、その時点での残念さが、ステージ上の私には、受け入れられなかったのだろうか、もう一度戻って、その部分を弾きなおしてしまった。どうしても、そこのところを、思ったように弾いてその部分の美しさを表したくて。。。その後は、なんとかそのまま、最後まで進み、ぎりぎりまで弾けていなかったコーダの部分も、落ち着いて弾けた気がする。曲がりなりにも、自分で感じたこの曲の美しさを、表すことが出来たような気がして、残念な思いもありながらも、練習で見つけた感動はステージである程度発揮できたような気がしたという思いと、なんとか弾きとおした気持ちで、ステージを下りたのだった。

 しかし・・・のちに録音を聴いて、はっとした。弾き直しの部分で、音楽の流れが、途切れていた。そして、弾きなおした後の部分も、聴いた範囲では、自分の感じた美しさが、演奏ではほとんど反映できていなかった。なんとまあ、自分の想いとはうらはらな結果になっていた。やはりその部分は、どんなにその場では納得できなくても、そのまま弾き切ったほうがよかった。それ以外の所は音を聴きながら弾けたような気がしたが、録音を聴いてみて、その弾き直しの部分は悔いが残った。今後の大きな教訓となった。これからはちょっとあやしそうになってもしれっとして弾き切るようにしようと感じた

 そのことで感じた大きな教訓、演奏の上で、最も大切なことは、音楽の流れを断ち切らないこと。弾き直しをしないことの大切さを、多くの方が語っているが、そのことを、身をもって感じる羽目になった。本番前には、楽譜にどのようなものを書き込んでもよいし、その書き込みを見る際には、何度後戻してもよい、しかし、本番では、決して、後戻りということが、できないのだということを感じた。曲への想いを演奏の中で全て出し切ることよりも、自分では物足りない音しか出せなかったと感じていても、その瞬間は、物足りない音でもひとまず受け入れて音楽の流れを途切らせないようにすることの方が、大切なのだということを。。。とにかく今回は個人的には思いっきり反省し心に楔を打たねばならないと感じた。

 音楽は一期一会、そして後戻りのできない時間芸術、モニタリングや微調整は効くけど、基本的にやり直しは効かないので、一定の流れの枠の中で演奏を調整できる技術も欲しいと感じた。

 ブラームス作曲ラプソディ第2番、また弾く機会はあるかもしれないけれど、ひとまず今回はこれで卒業。ちょっと苦い思い出と大きな教訓を残しながら。この思い出が、今後の大きな糧になりますように!

 そして次は。。。しばらく色々な曲を弾いて楽しみたい。弾けていなかったあの曲もあの曲も。。。とはいえ、本番予定もあるのでメイン曲に取り掛かるべき期限も決まっている。再びバッハのあの曲、今度は第2楽章、第3楽章も含めコンプリートでの人前演奏を目指す。