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世界はやがてジャパネスクの時代を迎える(非公式)

日本経済を救うには? 「歴史学習」と「シンクロニシティ」が必要

2014-02-21 | 情報リテラシー

おはようございます。原田武夫です。

本日は実にバタバタでして・・・しかし、心を落ち着けて読んで頂きたい、もう一つのコラムもアップロードして頂きました。

どうぞお読みください!
そして出来れば・・・みなさんにshareを!!

http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1401/07/news005.html

 

https://www.facebook.com/iisia.jp/posts/595843803820178


 

「アベノミクス」によって円安・株高になったが、肝心の成長戦略は尻すぼみ。従業員の給与は一部の大企業を中心にアップしたが、多くの人はそれほど上がっていない。そうした環境の中、私たちに必要なことは……。

2014年01月07日 08時00分 更新
[原田武夫,Business Media 誠]

 今、「アベノミクス」が上滑りしている。渋る日本銀行を説き伏せ、マーケットに大量の日本円をばらまく「異次元緩和」を実現し、確かに株高にはなった。だが肝心の成長戦略は尻すぼみであり、街角景気も地方を中心にお寒い限りである。安倍晋三総理大臣を筆頭に政治家たちは「労働者の給料を上げろ!」と騒いでいたものの、時期が過ぎればもはや何も言わなくなってしまった。そうした体たらくなので、財布の紐(ひも)はきつくなるばかりなのである。

 「一体どうすれば良いのか」―――日本人ならば誰しもがそう思う中、2013年の10月にワシントンDCを訪れた時、私はとある男性からヒントをもらった。今をときめくケネディ駐日大使の右腕として、密かに日米間を頻繁に行き来している人物だ。

 「今の日本人に必要なのは、シナリオ思考でしょう。先を見通す力が必要だ」

 この男性に代表されるグローバルエリートからすれば、今の日本人に決定的に欠けているのは、先を見通し、未来に至るまでのロードマップを自分なりに思い描く力だというのだ。この指摘を受けて、私は内心「これだ!」と思った。

 わが国の「個人」が持っている金融資産は2012年末の段階で約1547兆円にも上っている。海の向こうの米国では約4297兆円なので、一見すると「やはり米国は大国だ」と思ってしまう。

 だが株式などのリスク資産を除く流動性の高い「現金・預金」で見ると、日本では約854兆円である一方、米国では約627兆円なのだ。そして就業者1人当たりでいうと日本では約1362万円であるのに対し、米国では約440万円。実に日本は米国の3倍もの金満国といえる。

 このことをベースにとても興味深い議論をしているのが、ジェイ・エム・アール生活総合研究所の松田久一氏だ。松田氏は示唆に富んでいる最新著『ジェネレーショノミクス』(東洋経済新報社)の中でこう述べている。

 「将来の消費」である「現金・預金」の約2%、約17兆円が、もし消費支出に向かえば、財政乗数を2.0として乗数効果を加味すると、約34兆円のGDP押し上げ効果がある。もし、預貯金が消費として実現されれば、個人消費の増加によって日本経済は約7.2%の成長となり、1970年代のような高度成長が実現されることになる。

 仮に、日本の個人金融資産のうち株や債券などのリスクマネーが欧米並みの約40%に上昇すれば、世界のマネーの流れは大きく変わる。日本のリスクマネーは、約200兆円から約619兆円に膨れ上がり、新たに増えた約419兆円のマネーが国内外に流れれば、世界中の為替レートや株価などの金融市場に計りし得ない影響を与えることになる。少なくとも日本の株価は倍以上になると予測される。

日本人に足りないもの

 細かなことをあえて省いていうと、要するに日本の潜在的なマネーパワーはすさまじいものなのである。しかもそのパワーは何のことはない、私たち「一般の個人」が握っているというわけだ。

 だがこのことを私たちは知らない。そればかりか「アベノミクス、アベノミクスと騒いでも何も変わらないではないか」と愚痴を言い、マネーの使い惜しみばかりしているのである。

 「私たち日本人に一体何が足りないのか」――こう考える時、答えはただ1つなのである。それは自分たちの将来についてはっきりと見通し、「だから安心して前に進んで行ける」と思えることなのである。

 若者たちを含めて私たちが行うべきことは「歴史」「過去」を知ることなのだ。疑問に思ったこと、不思議に思ったことがあればWebではなくて、必ず「書籍」「本」にあたること。特にWindows 95が登場し、インターネット時代が本格化したタイミング以前の「歴史」についてはWeb上で満足な情報がない場合が多い。だからこそまず向かうべきは図書館であり、(ネット上も含めた)書店なのである。そこでは検索システムがあるので気になる言葉・概念を入力し、関連する本や論文を根こそぎ洗い出す。次にそうした本や論文に引用されている本・論文をさらに読み進めていく。

 こうした「バックキャスティング」を繰り返していくと、私たちの頭の中で徐々に積み上がっていくものがある。それは「因果関係」や「歴史法則」の束のようなものであり、あるいは「思考の枠組み」とでも言うべきものである。極力多くの文献にあたり「歴史」「過去」を学ぶことで、私たちはこの「思考の枠組み」を頭の中で積み上げていく。

ある日突然、気づく

 こうしていく中である日突然、「気づく」ことがあるのだ。あるいは「閃(ひらめ)き」とでもいうべきものかもしれない。きっかけとなるのは、普段ならば何気ないものとしてやり過ごしてしまう「他人や本との出会い」、あるいは「ある出来事に遭遇すること」である。これらを「思考の枠組み」を通して見る時、「ひょっとしてこれからこうなるのでは?」という風に閃くのだ。

 そして一度気づき、閃いてしまった以上、私たちはそこであらかじめ知った方向性に沿って動きたくなってくる。なぜならば「気づき」や「閃き」が生じるということは、未来に何が起きるのかが頭に浮かぶ一方で、今現在からそこに至るまでの道のりも不思議と頭の中で描けているはずだからだ。こうした「気づき」や「閃き」をもたらすさまざまな出会い・遭遇のことをスイスの心理学者C.G.ユングを学ぶ学者たちは「シンクロニシティ(共時性:意味のある偶然の一致)」と呼んでいる。

 「なぜ気づきや閃きが生じるのか。そこにあるマジックは何か?」。そうユング派の心理学者たちは考え、研究を深めてきた。

 一方、ビジネスの世界ではあらかじめ「オイルショック」を優れたシナリオプランナーたちの事前の提言から予測し、巧みに乗り切ることで世界シェアを格段に向上したシェル社の例が取り上げられ、「経営のためにはまずシナリオを作らなければ」としばしば語られる。そしてそのためのワークショップも米国や欧州、そして日本においてしばしば開催され、最近でもあらためて「シナリオプランニング」を取り扱った図書がブームだと聞く。

 そうしたワークショップではファシリテーターが「皆さん、どんな未来が見えますか。そのイメージについて議論しましょう」と言い、意見を出し合ってシナリオをまとめていくのが普通なのである。だが、私の目から見るとこうしたアプローチは決定的に誤っている。

 なぜならば「歴史」「過去」を徹底して学び、「思考の枠組み」を頭の中で積み上げることにより、とある現実から降り注がれる“情報”から未来に向けての「意味」を読み取る作業は、これまで述べてきたとおり、恐ろしく個人的(インディヴィジュアル)なものだからだ。誰かから言われて「はい、そうですか」と信じれば良いというものではなく、自分自身の行動によって「なるほど!」と納得するからこそ人は動くことができるのである。それまで自らが行ってきたこそ全てが今、遭遇した人々や物事につながり、それが未来へと照射された瞬間に、人は「これからなすべきこと」を知る。そしてそれが本当の意味での「シナリオ」なのである。

これから進むべき道

 今の日本で、私たちが始めるべきことは「歴史」「過去」を徹底して学ぶことである。もちろん感情的な愛国主義ではなく、「事実そのもの」について気の向くまま、しかも掘り下げられるところまで掘り下げて「これまで何が起きてきたのか。そこにある因果関係はどんなものだったのか」を知り、学ぶことである。そしてその延長線上には必ず「シンクロニシティ」が生じ、「これからこう進むべきだ」という道が頭の中で開けてくるはずだ。

 このことによってだけ、この国は救われる。そして「このこと」に私たち日本人が気づくかどうかを、世界中のグローバルエリートたちが固唾(かたず)を飲んで見守っているのだ。

 
 
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1401/07/news005.html

 

Unforgettable Axis among Backcasting, Synchronicity, Forecasting and Leadership

http://takeoharada.com/2013/12/20/unforgettable-axis-among-backcasting-synchronicity-forecasting-and-leadership/



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