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世界はやがてジャパネスクの時代を迎える(非公式)

「大寒波」「デフレ」そして「人工知能」という米極秘戦略

2014-02-23 | 気象・地震・天文・地学

皆様、おはようございます。原田武夫です。

今朝8時に、講談社の「現代ビジネス」にて下記のコラムを掲載頂きました。

北米を襲う大寒波。
これを単なる気象上の現象ととらえてはならないのです。

「その後」を踏まえ、着々と物事を動かしてきた米国の戦略とは??

是非、ご覧下さい!

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/38036

 

https://www.facebook.com/iisia.jp/posts/10202612049605488?stream_ref=10


 

2014年01月10日(金) 原田 武夫
〔PHOTO〕Getty Images

北半球の一部の地域で進む猛烈な寒冷化

年末から年初にかけて中西部を中心に米国に大寒波が到来している。「生命に対する脅威(life-threatening)」という言葉すら聞こえて来ているのだから尋常ではない。

しかもこの大寒波は一過性のものかと思いきや、どうやらそうではなさそうなのだ。私の研究所の公式メールマガジンにおいても取り上げたのだが、米国内外の気象学者たちの間ではここに来て「北極圏における"温暖化"が北米における"寒冷化"を招いている」という説が最有力になりつつある。

「なぜそんなことが言えるのか。北極圏と北米は確かに隣同士だが全く異なる地域のはず。片方が温かくなると、もう片方が寒くなるなどということがあり得るのか」

こんな声が聞こえてきそうだが、このことを理解するには私たちの社会、地球全体、さらには宇宙に至るまで共通の原理・原則をまずは押さえておく必要がある。それは「ル・シャトリエの原理」、またの名を「復元力の原則」というものである。

化学の世界では知らぬ者のいないこの原理をとても簡潔に説明するとこういうことになる(私の英語公式ブログでは詳しく説明しているのでご関心があれば参照願いたい):

 

●人間界から宇宙に至るまで、森羅万象は全て「平衡系」で構成されている。つまり放っておくと何事もまっすぐに推移していく

●ところがそこに何らかの理由で一方向への力が加えられたとする。これを「作用」と呼ぶことにすると、「平衡系」は元に戻ろうとしてこれと同じだけの力を逆向きに働かせるのである。このことを「反作用」と呼ぶ

 

このことを地球の気候に当てはめてみよう。例えば我が国を含む北半球が「夏」で暑い時、南半球は「冬」であり、寒いのである。その結果、地球全体としては「平衡系」が保たれているというわけなのだ。その限りにおいて地球上のどこかが寒くなることの反射的効果として、別の地域が温かくなったとしても、それ自体は不思議なことではない。

だが今回の「大寒波」で摩訶不思議なのは、隣同士であり、本来ならば同じ時期に寒くなるはずの北極圏と北米が正反対の気候に見舞われているという点である。その意味で現在、米国が見舞われている状況は正に異常と言わざるを得ない。

しかもこうした形の明らかな異常としての「大寒波」による被害を受けて来ているのは北米だけではない。欧州においてもそうなのであって、この数年、明らかに異常な寒さに見舞われてきたのである。

こうした現象が生じることの「原因」は明らかになっていない。「太陽における磁極の転換が理由だ」とする説から始まり、「暖かい海流がどういうわけか北大西洋で折り返さなくなったので寒くなったのだ」という説に至るまで諸説入り乱れての議論となっている。だが一つだけ言えるのは、「確かに何かが変であり、北半球の一部の地域では猛烈な寒冷化が進んでいる」ということなのだ。

”寒冷化”が経済の「デフレ縮小化」を招く

我が国ではやれ「デフレからの脱却」だの、「アベノミクス」「異次元緩和」といった議論ばかりが繰り広げられている。だが海の向こう、とりわけ米国においてはどうかというと全く異なるのだ。確かに小手先の議論を金融マーケットについて論じる向きは後を絶たない。だが、金融マーケットを含む人間社会全体が今、猛烈な気候変動に襲われており、これに対する対処こそが最も急務なのだという議論がエリートたちの本音なのだ。

ここで重要なのが「人間の体は寒くなると免疫力が低下し、活発に活動出来なくなる」というもう一つの原理・原則だ。冬になると寒いからといって縮こまり、炬燵から出る気がしないという経験を私たちの誰しもがしたことがある。「寒冷化」あるいは「大寒波」とは要するにこれが正に広範囲にわたって生じることなのであり、これに襲われた地域における住民の活動は着実に停滞していく。

人間の活動が停滞するということは「消費」も盛んには行われなくなる。あるいは逆に「生産」も活発に行おうという気概を人々は持たなくなる。なぜならば、何せ寒いからだ。「儲けるどころの話ではない。もっと温もりを」ということになってくるわけである。

専門家たちの間では「金融メルトダウンは終わった。これから米国経済は明らかに回復し、成長路線に復帰する」と議論する者たちが後を絶たない。しかしこうした地球規模での、しかも明らかに不可逆的な気候変動、特に「寒冷化」を前提にすれば景気回復はおろか、経済そのものは縮小するというのが正解なのだ。表向きは「債務問題」や「量的緩和の反作用」などと語られるであろうが、実際にはこの極めてシンプルな事実こそ、米国、そして欧州のエスタブリッシュメントたちが直面している出来事なのである。

無論、そうであることを彼らはあらかじめ分かっていた。だからこそ「気候変動」という言葉を創り出し、それに対処するための条約を1992年の「リオ地球サミット」で採択したりしたのだ。そのこと自体は一見したところ、米欧のエスタブリッシュメントたちが全人類の将来を憂いて行った善行のように見えなくもない。

だが、「転んでもタダでは起きない」のが彼らの常なのである。北半球の特に米欧で強烈な「寒冷化」が進み、その結果、経済が「デフレ縮小化」へと進むことがあらかじめ想定されるのであれば、それに対して然るべき打つ手をあらかじめ準備していたはずなのだ。恐らくこのようなことを述べても、我が国の政官財学のエリートたちにとっては「???」であろうけれども。

「デフレ縮小化」に備えた「人工知能(AI)」

そして私が知る限り、止まることを知らない寒冷化による「デフレ縮小化」に対し、特に米国のエスタブリッシュメントたちが周到に準備しているものは「人工知能(AI)」だ。その理由を書くとこうなる:

 

●世界経済全体が「デフレ縮小化」する中、企業は規模の大小を問わず、売上不振に悩み続けることになる。特に"越境する事業主体"であるコングロマリットが受けるインパクトは甚大であり、これを数多く抱える米国では生き残りのための戦略が死に物狂いで探されることになる

●企業が生き残りを図る時、まず考えるのが「固定費」の削減だ。その時、一番問題となってくるのが「人件費」であるのは言うまでもない。強烈なリストラを米系コングロマリットは既に行い始めているが、それはまず、米ドル高を背景にアウトソーシングしていたエマージング・マーケットにおける生産拠点撤退という形で行われている。だが、やがて米国内でもそれを行わざるを得なくなってくる

●しかしそうやって人件費を削減したからといって、コングロマリットは生産活動を止めるわけにはいかないのだ。そのため一方では「人減らし」を行い、他方では「効率的な生産活動を追求する」という、これまでならば二律背反の目標が設定される。そしてその解として米国の知的エリートたちが遂に辿りついたのが、「人間よりも正確に計算し、完璧な論理的思考を実現する人工知能(AI)」だったというわけなのである

 

私の研究所の公式ブログでも取り上げたのであるが、事実、米国を代表するコンピューター関連企業が今、開発にしのぎを削っているのが「人工知能(AI)」なのだ。そして実はこの研究開発に、私たち日本人も何気ない日常の中で協力してしまっていることをご存知だろうか。

検索サイトやソーシャル・メディアなど、私たちユーザーが入力していかなければ意味のないツールがある時からインターネット上で乱立するようになった。そしてその便利さゆえに私たちはこれらのツールを日常的に用いているわけだが、そこで入力される莫大なデータが「ビック・データ」としてサーバの置かれた米国に蓄積されているのである。

そして例えば検索サイトであればその裏側において、ある特定の言葉Aを入力した人がBという答えを選択する可能性が高いなどという統計データが得られ、これが「人工知能(AI)」にインプットされていく。その結果、生身の人間と同じように的確な「人工知能(AI)」が徐々に完成しつつある。

だがこうして出来上がる「人工知能(AI)」であっても、原理的にどうしても出来ないことがある。それは人間であれば「右脳」が司る一連の作用である。特に「直感」や「気づき」といった人間特有の"ゼロからの創造"につながる作用は従来型の思考に基づく「人工知能(AI)」で実現することが出来ない。

なぜならばそこではあくまでも言葉による指示や周辺環境の変化といった「情報のインプット」が外から成されないと反応出来ないからだ。しかし「直感」や「気づき」は明示的にそうしたインプットがなくても発生するものなのだ。しかもそれは時に非論理的なのであり、論理的思考の塊である「人工知能(AI)」とは真逆の存在である。

さて、こうした状況の中、我が国のコンピューター産業はというと正に「目もあてられない状況」であると言わざるを得ない。そのことについて、1970年代から80年代にかけて、我が国のコンピューターの「黎明期」をリードしてきたとある泰斗は、こう語ってくれた。

「1970年代、コンピューターには3つの可能性があると言われていました。ビジネス、ゲーム、そして人工知能(AI)です。米国は着実にこの3つの技術を磨いてきたのですが、これに対して我が国では前2者だけがどういうわけかハイライトされ、人工知能(AI)はある時から忘れ去られてしまいました。現在残っている我が国のコンピューター産業が創っているのは単なる情報端末です。そこには人工知能(AI)という発想が全くありません」

確かに私たち日本人にとってコンピューターとは、ある時から「海の向こうが創った仕組みやプログラム、そしてソフトウェアを用いて何か便利なことが出来る道具」でしかない。特にここに来て老若男女を問わず、人差し指だけをつかったスマートフォンのタッチパネルをなぞっている姿を見ると、そのことを痛感するのだ。そして富士通やNEC、そしてシャープといった、かつて世界に冠たる存在であったはずのコンピューター産業はいずれも単なる「情報端末の製造及び保守を行うエージェント」となってしまっている。

だがかつて、我が国においても人工知能(AI)を何とかして創れないかという動きがあったのだとこの泰斗はいう。それと同時に、最終的には「右脳」のような人工知能(AI)こそが求められてくることを米国の研究者たちも知っていたようなのだ。しかしそれは実現出来ず、現在に至っている。

そして同氏は私にこう伝えてきた。「『右脳』のような働きの出来る人工知能(AI)は、実のところ日本人の思考回路を分析し、これをコンピューター上で再構築すれば可能なのです。実際にそのアイデアを私はこれまで密かに磨き続けてきました。どうですか原田さん、一緒にやりませんか?」

「アベノミクス」「異次元緩和」でほんの少しだけ浮上した日本経済は決定打となるはずの成長戦略を打ち出せず、もだえ苦しんでいる。しかしその傍らで米国のエスタブリッシュメントたちは確実に「次の時代」に向けた布石を打っているのだ。だがそれでもなお、我が国が巻き返すことは可能ではある。

それは彼らの創る、左脳をモデルとした「人工知能(AI)」を越えるものを創造することだ。これが完成する時、米欧は我が国へと殺到してくるはずなのである。そして、その日はそう遠くはないのかもしれない。それに向けた道のりについて今月(1月18日、26日)開催する年頭記念講演会でも詳しくお話出来ればと思う。

 

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/38036


 

感性によるイノベーションを磨け

http://blog.goo.ne.jp/nobody-loves-you/e/4003bd0a4c4876502ec99f38cd87706f



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