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世界はやがてジャパネスクの時代を迎える(非公式)

万葉の昔から私たち日本人は「言挙げ」出来ない民族なのだ

2014-04-13 | 想うこと・言葉・祈り

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●「今日の言葉」
 ~不安な時代だからこそ「覇術」ではなく「王道」を語る珠玉の言葉を~
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“まづ皇国は、神ながら言挙せぬ国と云ひて、万の事外国の如く、かしこげに
 言痛く論ひさだすることなく、ただ大らかなる御国ぶりなるが故に、

 天地の初の説なども、外国の説どもの如く、これは此の故にかくの如し、
 それは云々の理によりて、かくの如しなどやうに、細に言痛く、
 
 説諭したる物には非ず”

(平田篤胤『霊の真柱『』より抜粋)


……IISIA代表・原田武夫のコメント:

─今、「グローバル人財教育」と官民挙げて騒がしい。しかしどうしても
 違和感を覚えてやまないことがある。

─それは「日本人がダメなのは言語能力、特に英語能力が劣っているから
 なのだ」という人が多数いることだ。政府閣僚までもがそうなのだという。

─しかしこれは根本からして間違っている。ここに引いた平田篤胤ではない
 けれども、万葉の昔から私たち日本人は「言挙げ」出来ない民族なのだ。

─その理由ははっきりしている。我が国にはお互いにシェアしている共通の
 了解が多く、言語はその分不要だからだ。

─これを「ハイ・コンテキスト社会」と社会学者たちは呼んでいる。これに
 対して海の向こうでは異民族がひしめき合い、共通の了解はそこにはない。

─だからこそ彼ら・彼女らはあれだけ大騒ぎをして「言挙げ」するという
 わけなのだ。そしてようやく最後に“合意”に達する。

─率直にいうが、私自身は外交の現場で逐次ではあるものの、
 皇室関係者から総理大臣に至るまで通訳を務めた。その立場だから
 言うのだ。

─もちろん語学の勉強は重要で、若ければ若いほど、これを始めるべき
 ではある。しかしそのことと無駄な言葉を延々と吐くことは全く違うのだ。

本当の「グローバル化」とは、此方と彼岸の区別がなくなる、つまり主体と
客体とが一緒になることを意味する。共通の了解で結ぶのは日本人の業だ。

それが本来ならば「客体」であるはずの彼岸に、此方が取り込まれてしまう
というのはいかがなものか。此方という視座の無きところに何が残るのか。

一見すると絶対に超越が不可能な様に見えるこの「永遠の課題」を言語以外の
手段でこなすこと。これこそが私たち日本人に課されている宿題なのだ。

 

(メールマガジン 2012年7月24日号 より)

http://archive.mag2.com/0000228369/index.html



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