goo blog サービス終了のお知らせ 

早稲田に多浪しました--元浪人による受験体験記です。

二浪計画で早稲田に受かるはずが――予想外の「三浪へ」。
現実は甘くないっすね。

抽象語について②

2006年02月08日 | 各論
 前項に続き、抽象語を紹介する

 「幽玄」

 これは、日本の文化の特徴である「奥ゆかしさ」を表した言葉だ。
 ほとんどの国は、豪華さを文化の特徴としている。例えば、アメリカの文化を思い浮かべてみると良い。星がたくさん並んだ国旗、大きな家、広い庭。パブに行けば大音量でバンドが演奏している。
 もちろん欧米だけではない。中国の寺院を思い浮かべてみれば、屋根がきゅん、と跳ねたようにカーブしており、まるで自己主張しているかのような格好である。踊りも、飛んだり跳ねたりと、忙しい。
 一方、日本は、能を思い浮かべてもらえれば分かる通り、静かで、動きが少ない。また、庭は狭い。
 しかし、その狭い庭では、石や砂利を使って大自然の模倣体を作り、独自の感覚を醸し出している。

 石庭で言えば――中国では、わざわざ石庭を作って鑑賞しはしない。なぜなら、本物の大自然があるからだ。雄大な山脈、霧の立ちこめる大河、力強い崖の連なり、等々。
 しかし、日本には、それらはない。だから、石庭を作って、大自然を想像するのである。
 ここで、「想像」という言葉が出てきた。
 そう、「奥ゆかしさ」と「想像」には、大きな関連があるのだ。
 何かを表現するときに、そのことを言葉で言いつくしてしまう方法も、たしかにある。だが、無言の強さがあるということも同時に知るべきだ。何も言わないから、相手は色々なことを想像する。想像というものは無限である。目に見える大自然よりも広大なのだ。

 また、長谷川等伯の絵に、「松林図屏風」というものがある(長谷川等伯は桃山期に活躍した画家)。
 この作品は、水墨画であるがゆえに、シンプルな色合いである。このシンプルさこそが、日本風の奥ゆかしさである。さらに、その構図も圧巻だ。
 その絵には、木が何本か描かれているだけだ。真っ白な空間が多く、一見すると手抜きに見える。

 しかし、もしここに色をつけてしまうと、その絵の世界はその色で決定してしまう。が、空白だからこそ、人間の想像がそこに入り込むのだ。
 想像は無限である。よって、絵の世界も無限に広がる。

 「奥ゆかしい」ということが、どれだけ芸術的に高いレベルにあるか、これでご理解いただけただろうか。もちろん、芸術性だけではない。人間性として見たときも、奥ゆかしい人間は、高い知性と深みをもった、魅力的な人物なのだ。
 皆さんも、「奥ゆかしさ」「幽玄」といったことを常に意識してほしい。そうすれば、いつか必ず、人間的に魅力あふれる人物になれる。そして、幸福も、同時にもたらされるのである。