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早稲田に多浪しました--元浪人による受験体験記です。

二浪計画で早稲田に受かるはずが――予想外の「三浪へ」。
現実は甘くないっすね。

コメントへのお答え―失敗の重要性

2006年10月30日 | 各論
 ぴゅうさんへ

 コメントありがとうございます。
 私も東進でしたが、長文に関しては永田先生が他の講師の数倍いいと感じました。永田先生は理論派で、文法の授業が有名ですが、長文の理論も完璧です。
 永田先生の長文の講義は、英語というよりは、思考訓練の授業という感じでした。永田先生は今も東進にいるはずです。検討されてみては?
 また、自主学習がいいかどうか、についてですが、もし、今のぴゅうさんに、問題を「解こうとする力」があるとするなら、長文の講義を切って独自に問題を解きまくるのも手です。

 失敗というものは、以外な発見をもたらしてくれます。
 たとえば私の場合は、長文読解で単語の読み間違いをすることが多いのに気付きました。たとえば、「vocation」と「vacation」などです。
 それぞれ意味は、「職業」と「休日」であり、この両者の読み間違いは致命傷になります。
 もし、「自分は単語の読み間違いが多い」とあらかじめ知っていたら、たとえまた読み間違えても、すぐに修正できるようになります。
 こういうことは、失敗しないと気付かないことです。
 また、参考書で学んだ理論も、自分で失敗してはじめて身に付くものです。たとえば、「振り込め詐欺に注意しよう」とメディアでさんざん言われているのに、それでもだまされてしまう人がいるのは、ただ言われただけでは理解できない弱さが人間にはあることを示しています。
 ですから、問題演習は大事です。失敗の数が多ければ多いほど有利になります。
 
 さて、もし「解こうとする力」がないなら…
 これはかなり厳しいです。闇雲に長文を解いても無駄になります。なぜなら、そこで経験する失敗は、意味のない失敗だからです。ワケも分からずに選んだ選択肢が不正解だったとして、それに何の意味があるでしょうか?次につながる発見があるでしょうか?
 ですから、解こうとする力がないなら、参考書か、講義か、どちら一方に絞って集中的に学び、一日も早く問題演習できる時期に行けるようにしなければなりません。

 いずれにしても、大事な時期ですので、いったん決めたら迷いなく、突き進んでください。この時期からは、もう迷いは許されません。

なんちゃって哲学―続き

2006年05月17日 | 各論
 ここから時代を一気に飛んでみよう。近代ヨーロッパの哲学を見てみたい。このあたりからが、私たちが「哲学」と聞いてよくイメージするものである。
 大きな流れとしては以下の三つだ。つまりイギリスの経験論、フランスの合理論、そしてドイツの観念論である。
 簡単に言えば、思想が「経験」というやや古代的な考えから、「合理」という近代的な考えへ進んでいき、ついにはそれらを融合させた「観念論」へ行ったのだ。
 イギリス経験論は、ベーコンやロックが代表的人物だ。様々な経験からひとつの法則を導き出す、「帰納法」を提唱した。
 フランス合理論は、デカルトとライプニッツが代表的人物である。そしてまさに、このデカルトの合理主義こそが、現代に続く「西洋的なものの考え方」の起源なのだ。
 この、合理主義の「理」とは、理性のことだ。ただ、注意してほしい。この「合理」とは、私たちがよく使う「合理的」という言葉とは、少し違うのだ。
 普通、私たちが「合理的」と使う場合は「無駄がない」、というような意味だが、ここではそうではなく、「人間にはもともと理性があるから、その人間の理性を信用しようではないか」というような意味なのだ。
 いわば、性善説にも似た意味を含んでいるのである。
 「合理主義」がニュースを騒がせた例としては、戸塚ヨットスクールの戸塚宏氏がしばしば「合理主義」を批判していたことがあげられる。
 戸塚氏は、「人間にはもとも理性はない。だからその理性を教育によって作らなければならない」と主張していた。その中のひとつとして、体罰容認論も掲げたわけだが、マスコミはその「体罰」という言葉だけを切り取ってセンセーショナルに伝えてしまい、結果、戸塚氏の主張したいところと別の方向へと報道が向かってしまった。
 こういう報道になってしまった原因は、戸塚氏が世論を見方につける語り方を心得ていなかったこともあるが、それにしても戸塚氏は誤解されすぎた。

 戸塚氏の言うとおり、デカルトの合理主義、すなわち西洋的なものの考え方は、完璧ではない。その証拠に、人間の理性を信じた結果、様々な事件が起きている。特に、理性を形成することができていない少年の段階での犯罪は、未然に防げるものばかりである。私は、その意味においては戸塚氏の主張するところを支持したい。
 何も、西洋だけが素晴らしいのではない。東洋的なものの考え方も、同じくらい素晴らしいのである。これから、新時代へ向かっていく中で、この二つを融合することが、私たちの使命だと言えるかもしれない。

 さて、そのデカルトについてである。
 デカルトの言葉で有名なのが、「われ思う、ゆえにわれあり(コギト=エルゴ=スム)」である。この意味を書こう。
 ――真理というものは、疑う余地のないものでなければならない。こう考えると、世界のあらゆる物事は、いくらでも疑うことができる。しかし、自分が今疑っているということだけは、間違いないことだ。このことから、少なくとも「自我」というものは存在するはずだ――そういう意味の言葉である。
 デカルトの著書としては「方法序説」が有名だ。また、押えておきたいのは「物心二元論」という考え方である。これは、人間を、自我と肉体に分けた考え方である。

 次に、カントについてである。
 カントは、ドイツの哲学者だ。著書は「純粋理性批判」が有名で、これは現代の哲学者が一度は通る書だと言われている。
 カントは、経験論と合理論を批判して、観念論を唱えた。
 カントの特徴としては、批判的なことである。ことに、人間の認識能力を疑った。デカルトのように、人間の理性を信用するのではなく、人間が認識するものは主観的なものに過ぎないと説いたのだ。
 これはつまり、「目の前に見えるものの全て、たとえば山や海、といったものは、山や海そのものではなく、これは山だと人間が思いこんでいるという主観を通して認識されたものに過ぎない。だから、人間の理性や自我では、世界そのものを認識することはできないのだ」という考え方である。
 カントはこの先へ進み、人間が認識するものは主観的だからこそ、人間の理性的能力が重要になってくるのだ、という考えに辿り着いた。そしてカントの思想は道徳・倫理的な色彩が色濃くなった。
 そのカントの観念論をさらに発展させたのがヘーゲルである。へーゲルは、カントの観念論に弁証法を導入して発展させた。
 弁証法とは、テーゼとアンチテーゼ、つまり肯定と否定とをぶつけることによって、より高い統一的存在を発見しようとする方法である。この思考の動きを「止揚(アウフヘーベン)」と呼ぶ。
 このようにしながら、歴史や世界の中で存在する「人間」の本当の意味をヘーゲルは探ろうとした。

 時代をさらに飛ぼう。19世紀である。
 この時期に、キルケゴールによって実存主義哲学が始まった。
 実存とは、現実存在の略で、俗的にいえば「自分の世界」というような意味だ。
 これは、ヘーゲルに代表されるような、「人間を、社会の中の構成物としてとらえる」のではなく、「個々の人間が持つ、交換不可能なその人だけの世界というものがあるはずで、人間はそこに存在している」という考え方だ。
 キルケゴールの思想の特徴は、絶望的な色が濃いことである。信仰も、個々の人間が抱える絶望の中から生まれると主張している。
 キルケゴールの著書の代表は、「死に至る病」である。

 後に現れた実存主義者の代表としては、ニーチェ、ヤスパース、サルトル、ハイデガーがいる。
 ドイツの哲学者、ニーチェの有名な言葉は、「神は死んだ」である。ニーチェはキリスト教を批判した。
 そして、神に変わるものとして人間自らが、「超人」となってたくましく生きようとしなければならない、と説いた。
 ハイデガーは、第一次世界大戦後のドイツの思想に大きな影響を与えた。ナチスを支持したため、戦後、大学を追放された。著書は「存在と時間」である。この書は、二十世紀最大の哲学書といわれている。

なんちゃって哲学

2006年05月16日 | 各論
 受験生は、子供だ。だが、受験で必要な知識は、大人のものだ。あなたは、学者と議論することができるだろうか。普通はできないはずだ。
 だが、たとえ議論に負けてもいい。議論に「参加」できれば、受験生としては十分だ。
 ここでは、学者っぽさの代表、「哲学」を学んでみよう。膨大な哲学の歴史を、短くまとめてみた。

 *  *

 哲学の起源は、紀元前8世紀である。ギリシア時代の初期だ。ホメロスの叙事詩「イリアス」「オデュッセイア」に人間の理想像が描かれている。
 しかしこの時代の哲学はまだ神話的である。
 それに対し、世界を理性、つまりロゴスによって見ようとする哲学は、6世紀に現れた。すなわちタレースの自然哲学である。
 ――ちなみにロゴスは理性だととらえて良い。反対語はパトス。これは情熱とか感情というような意味だ――
 さて、タレースは、万物の根源を「水」とした。タレースと同じ、ギリシア時代には、他に万物の根源を「数」としたピタゴラスがいる。
 そのギリシア時代の後期には、ソフィストと呼ばれる弁論家たちが幅をきかせていた。彼らは、普遍的真理を否定し、いわば自己中心的な世界のみ存在することを主張した。「世界は個々によって違う。絶対的ではなく相対的である」と。

 その論に異を唱えたのがかの有名なソクラテスである。彼は、個々の人間の中に絶対的な、普遍的な真理が存在するはずだ、と説いた。つまり、今で言う倫理のようなものの存在を説いたのである。もし、ソフィストの主張に従うと、善悪の基準は相対的なものしかないことになる。たとえば、人を殺しても場合によっては「善」とみなされる可能性がある。
 そうではなく、絶対的な真理があるはずだ、と説いたのだ。

 ソクラテスの弟子には、プラトンがいる。プラトンは、イデア論を説いた。これは、世界は二つあるという主張だ。ひとつは「今、私たちが見ている世界」で、もうひとつは「本当の世界」だ。つまり、今、私たちが見ているのは、仮の世界だというのである。ならば、もしかしたら、私たちが赤や青だと思っている信号の色も、実は黒や茶色かもしれないのだ。
 こういう、物事を二つに分ける考え方を、二元論と呼ぶ。
 だが、プラトンのイデア論は、正直言って無理がある。その無理を解決したのはプラトンの弟子のアリストテレスである。どうやって解決したかは長くなるから割愛する。

 その後、ギリシア北方のマケドニアのアレキサンダー大王が南下して、ギリシアに点在するポリスを次々と制圧した。
 アレキサンダー大王は、ギリシアだけでなく、オリエントさえも制圧した。オリエントとは、エジプト・西アジア・地中海沿岸を指す広い地域である。
 このことによって東西の文化が融合され、インダス川あたりにもギリシア文化が伝わった。
 この、伝わったギリシア文化のことを、ヘレニズム文化という。ヘレニズムとは、「ギリシア風の」というような意味である。意地悪な言い方をすれば、ニセ・ギリシア文化といったところか。

 この、ヘレニズム期には、世界市民主義、すなわちコスモポリタニズムが流行した。これは、「アレキサンダー大王の力によって世界が統一されようとしている、だからもはや小さなポリスだけの思想ではなく、世界に通用する思想が必要だ」ということで生み出されたものである。
 コスモポリタニズムは大きくわけて二つある。
 ひとつは、エピクロス派、もうひとつは、ストア派である。これは、快楽主義がエピクロスで、禁欲主義がストアだと覚えればよい。エピクロスは、悪く言えば怠け者の思想である。それに対してストア派はストイックだ。ストア派は後に発生するキリスト教に大きな影響を与えた。

 さて、時代は次第にヘレニズムからローマへと変わっていく。
 ローマは実は紀元前8世紀ごろからすでにイタリア半島に存在しており、共和政をしいていた。そのローマが力をつけてきて、ついにはヘレニズム世界やエジプトまでをも支配したのである。一世紀の前半だ。
 ちょうどそのころ、ユダヤ教を母体とするキリスト教が普及した。ユダヤ教の経典は「旧約聖書」でキリスト教は「新約聖書」である。漢字でよく間違われるが、「約」の字は翻訳の訳ではなく、約束の約だ。神との約束という意味だ。

「伸びる人」になるために

2006年05月06日 | 各論
 これは、前項と関連がある。
 ――なかなか成績が伸びない――このことは、実は今のあなたが問題なのではなく、もっと根本的なところに原因がある場合もある。もっと言えば、あなたが今までどのように生きてきたか。その集大成として、「成績が伸びない」という現状が生まれている可能性があるのだ。
 前項で、「理解力がある人は、素直な人である」と書いた。ここではそれをもっと深くして、人間を「明の人」と「暗の人」に分けてみたい。
 ちなみに、これは性格が明るい、暗い、という意味ではない。言葉にはできない深いことなので、その意味は、この項で感じ取って欲しい。

 私は、それなりにトシを食って若い人を指導する立場になってきた。これから書くことは、そうした中で感じたことである。
 それがまさに、「人間には、明の人と暗の人の二種類がいる」ということなのだ。
 明の人は、その将来が明るいことが手に取るように分かる。今は若くて未熟かもしれないが、きっと、経験を積めば驚異の存在になるであろう。
 逆に、暗の人は、つまらないオヤジ、オバサンになるであろう。
 では、暗の人について書いてみよう。
 暗の人は、人間的に小さく、包容力がない。そして何かあるたびにマイナスの方向に考える。人の優しささえも、マイナスの方向で捉えてしまうのである。
 たとえば、暗の人が、あまり良くないことをしていたとしよう。そしてそのことに気付いていないとしよう。
 このとき、まわりが注意したら、間違いなく暗の人は、ふてくされてしまう。だから、まわりはなるべく注意しないで、静観する。
 ところが、まわりが静観したまま、ある日、その本人が、自分の間違いに気付いたとしよう。このとき、暗の人は必ずこんなことを言う。
「何で注意してくれなかったんだ」
と。
 注意したらふてくされる。かといって注意しなくてもふてくされる。もう、誰も何もできなくなってしまう。だから、まわりは離れていく。そしてますます暗の人は「暗」になってゆく。

 また、こういうケースもある。それをサッカーにたとえてみよう。
 ある選手が試合中に個人技に走り、失敗したとする。このとき、監督は「チームプレイを大事にしろ」と叱るだろう。
 とはいえ別の試合で、同じ選手が、言われたとおりチームプレイに徹した結果、ゴールを逃したとき、監督はこう言うかもしれない。
「あそこは、個人の力で押し切る場面だ。」
と。
 つまり、矛盾したことを言ったわけだ。しかし、これには深い意味がある。

 監督は、選手よりもサッカーで「ある域」に達している、しかし、いきなりその「ある域」を要求しても、選手には理解できないから、とりあえずの方針として、「チームプレイ」を掲げるわけだ。
 最終的には、ケースバイケースで、チームプレイが大事だったり、個人技が大事だったりする。どういう場面でどっちが重要かは、教えられるものではない。まさに微妙な「さじ加減」なのだ。
 監督は、こう説明する。
「たしかに、チームプレイを強調したが、それは君が将来、自分で状況判断できるようになるための、足がかりとして掲げた方針だ。最終的には、チームプレイよりももっと上の段階がある。」
と。
 つまり監督としては、選手に何も考えず機械的にチームプレイに徹して欲しいのではなく、その方針の中で自分で考え、ついには「サッカーのさじ加減」を習得して欲しいと願っているわけだ。

 ところが、暗の人は、
「監督は、あのときはこう言ったし、別のときはああ言った。」
といつまでも浅い部分で停滞し、その先を見ようとしない。だから、伸びない。

 どんな分野でも、初心者には分からない「ある域」というものが存在する。指導者は、その「ある域」について必死で説明しようとする。説明が上手い人もいるだろう。また、下手な人もいるだろう。しかし、皆、伝えようとしていることは同じである。
 たしかに、あるレベルまでは、誰かの指導によって行くことができるだろう。しかし、それだけでは「ある域」に達することはできない。結局、自分の力が必要なのだ。
 指導者が言うことを、まずは信じてみる。そして実践してみる。そうしながら、自分で考えていく。そうしていつか「ある域」に達するのだ。

 「暗の人」はいつの時代にもいるが、特に今のような「情報化世代の」暗の人は、自分は未熟なくせに、世の中にはびこる様々な理論にはやけに詳しい。だから、「あの本ではこう書いてあった」「あの人はこう言っていた」といって自分の指導者を信用しない。
 指導者が唱える理論は、初心者に分かりやすく説明するために用意された「仮の理論」である。だから、他の人の理論と違うこともあるし、それどころか自分が過去に唱えた意見にさえ矛盾することもある。

 ――叱られる・批判される・理不尽なことを言われる・矛盾する意見に出会う――これらは皆、不快なことである。しかし同時に、成長のために必要なことである。
 ところが暗の人は、「今の不快」に耐えきれずに、すぐ他のものに頼ったり、怒ったり、アドバイスに耳を傾けなくなったりする。こんなことを繰り返していると、まわりは何も言ってくれなくなる。
 とはいえ、心ある人は、それでも親身になって叱ったり、意見を言うかもしれない。しかしそれによってますます暗の人は塞いでしまう。自分が批判されたという不快から逃れようとする。

 一方、「明の人」は、言われたことの意味を考える。だからまわりの人は、これからもどんどん意見を言ってくれるようになる。
 もちろん、明の人でも、不快に対して一時的に腹を立てることはあるだろう。しかし、かならず後で冷静になって考える。だから、アドバイスをくれた人とのわだかまりも消える。
 指導者にしてみれば、伝えたいことが伝わるかどうかは別として、少なくとも、明の人は受け取ってくれる。その安心があるから、「今は未熟でも、将来は必ず成長する」と期待をかけることもできるのだ。

 私自身の経験を書こう。
 私が明か暗かは分からないが、少なくとも子供の頃は「素直」ではあった。ところが、浪人する頃の年齢になって知恵がつきはじめたとき、私は間違いなく「暗の人」になった。
 様々な受験理論が語られ、私はそれを取り入れた。書店に行けば膨大な数の参考書がある。それらを無意味に批判したりした。
 特に、「分かりやすい系」の本に書かれてあったことを信用して模擬試験で失敗したときは、詐欺師に会ったように腹を立てた。
 しかし、冷静になれば、腹を立てるようなことではないことが分かる。つまり、何かを分かりやすく説明するためには、例外を排除したり、極論化したり、強引なルールを作ったりしなければならない。それでカバーしきれないことは、当然、出てくる。
 だが、「とりあえずの理解」として、それら「仮の理論」は自分の中に取り込みやすいことは事実である。だから、たった数問のミスで腹を立ててはいけないのだ。むしろ、感謝しなければならない。

 今、私は自戒も込めてこの文章を書いている。若い人を指導するときに感じる「暗の人の情けなさ」は、実は自分自身にもあるかもしれない。私は、それなりに長く生きてきて、色んなことを知ってしまった。だからこそ、変に自分に自信も持ったり、人の意見に耳を傾けなかったりすることもある。これでは、人間的に成長しない。
 私は、明の人でありたい。そうあれば、いつか知識も、技術も、人間性も、尊敬すべき人になれる。

 ネット社会である現在、受験世代は昔より賢くなっている。が、私には、その賢さが、受験生を悪い方向へ導いているように見える。例えるならば、幹が細いままで膨大な実がなっているリンゴの木のように、実の重みで今にも幹が折れてしまいそうに見えるのだ。
 もしかすると、少年の異常な犯罪が多いのは、情報を頭に取り入れすぎた若者が、それを処理しきれなくなって混乱し、ついには幹がぶった切れてしまうからかもしれない。
 不登校や、違法ドラッグ問題の原因も、そこにあるのかもしれない。
 だが、明の人であれば、こんなことにはならないはずだ。物事は、深い部分を探れば、結局はひとつの場所に行き着くのだ。情報が散乱しているということは、それぞれの情報は深いものではなく、浅いものであることの証明でもある。だから、いちいち矛盾や、批判に腹を立てずに、それをしっかりと受け止めて、先にある深いものが何か、自分で考えてみよう。
 小さな頃から明の人である人は、「先にある深いもの」を捉える嗅覚に優れている。だから、理解力もあるし、上達も早い。
 もちろん、成績が伸びやすい人の全員が小さな頃から明の人であったわけではない。単に才能や適正が受験に合っているケースもある。
 しかし、それでもやはり成績がすぐ伸びる人というのは、「小さな頃から明の人」であるというケースも多いのだ。だからもし、現在のあなたが「伸びが悪い人」ならば、もしかしたら「小さな頃から暗の人」だったのかもしれない。
 だとすればそれはおおいに反省すべきである。

「理解力に優れた人」の頭の中③

2006年05月03日 | 各論
 さて、参考までに前項で書いた「秘伝」に関する実際の例を挙げよう。ここに紹介する人達は前項でいう「カッコいい人」たちだ。
 ちなみにカッコ悪い人は…
 教師を「教え方が悪い」と批判し、親に対し「何で小さい頃から塾に通わせてくれなかったんだ」と暴言を吐く。
 さらにひどい例もある。これはどこかのサイトで見たのだが、その人が小さな頃、親がいくら言っても「習字の塾」に行くのをイヤがったそうだ。ところが、その人は今、大人になり、「今、自分の字が汚いのは、あのとき親が無理にでも習字の塾に通わせなかったからだ」と毒づいていた。ここまでくるとわけが分からないが、実際、このような人は多いかもしれない。
 あなたはどうだろう?胸に手を当てて見て欲しい。

 さて、以下に挙げるのは、茶道や立花や能など、いわゆる「芸能」の世界の伝授の図だ。こうやって、芸を受け継ぐ権利を与えられた人は、「教える方が悪い」などということは絶対に言わない。教える方に責任を押しつけてしまっては、いつまでも伸びることはない。スポーツの世界でも、子供のころから同じスポーツ少年団に所属し、中学、高校と同じ部に入っても、やがてプロに行ける人とそうでない人がいる。この差は、いったい何だろう。歴史上のエラい人たちの実績を見れば、そのことが分かるかもしれない。そう思って、以下を紹介することにした。特に、日本史選択者にとっては暗記必須事項だから、しっかりと覚えるように。

*  *


 ・茶道
 村田珠光(じゅこう)→武野紹鴎(じょうおう)→千利休
 茶会は、南北朝期は派手なパーティじみたものだったが、それを村田珠光(東山時代)が「詫び茶」と呼ばれる芸術的なものに押し上げた。さらに、戦国時代には武野紹鴎により簡素に洗煉され、そしておなじみの千利休の段階になると、その簡素さは極限にまで達して禅と融合し、茶は高い芸術性を獲得した。
 余談だが、千利休の時代、すなわち豊臣秀吉の時代は、茶は大名にも広がっており、各地の大名が、いわば田舎者根性丸出しで「馬鹿にされまい」と茶を学んだ。ところが、茶の芸術性を理解できた武将は少なく、結局は単なる付き合いや見栄のために茶が利用され、秀吉にいたっては金の茶室などというおよそ詫び茶の精神からはほど遠い金満主義的な茶を楽しんだ。さらに秀吉は、1587年、京都の北野神社で茶席約800席を設けて北野大茶会を催した。当然ながら、これは千利休の《妙喜庵待庵》―狭く、簡素な茶室。京都―の真逆の発想で催された茶会である。
 秀吉と千利休は当初は仲が良く、それどころか秀吉は利休の弟子のような形で茶を学んだのだが、所詮は秀吉にとって茶というものは自分に箔を付けるための道具でしかなかったのである。秀吉は足軽から成り上がった身だったので、まわりからは軽蔑されていた。それを解消するために、茶を利用したのである。
 最終的に秀吉は、理不尽な理由を付けて、千利休に自刃を命じた。

 ・立花(りっか)
 立花とは、今でいう生け花のことだ。池坊専慶(いけのぼうせんけい)→池坊専応→池坊専好の流れで伝えられた。それぞれ時代は、東山期、戦国期、江戸初期である。名前のおしりをとって「慶応好き」と覚えよう。

 ・能
 観阿弥・世阿弥父子→金春禅竹(こんぱるぜんちく)の流れを覚えよう。
 観阿弥・世阿弥は、ある日、将軍足利義満の前で能を披露した。義満は、当時美少年だった世阿弥をたいそう気に入り、観阿弥の一座「観世座」を将軍直属の座にした。そのため、世阿弥は時の人となった。いわばアイドルである。
 しかし、次の将軍、足利義持の時代になると、世阿弥は排斥された。義持は、父義満と険悪の仲だったため、全て義満と逆の行動をとったのである(義満が中国の明と行っていた勘合貿易も、義持の時代に中止した。義持は、明の配下になるのがイヤだったのだ)。
 その後、世阿弥の観世座が世に浮かぶことはなかった。世阿弥は、芸術家として華やかな時代と惨めな時代を過ごしたためか、彼の芸術論は哲学的である。そのため彼の著書「風姿花伝」は、今では多くの俳優や、音楽家の間で愛読されている。


 ・古今伝授
 東常縁(とうのつねより)→宗祇(そうぎ)→三条西実隆(さんじょうにしさねたか)
 「古今伝授」とは、古今和歌集の読解法を限られた人だけに教えることを言う。今は、多くの参考書のおかげで、受験生は簡単に古今和歌集の注釈を読むことができるが、室町時代はそんなのはもっての他だったのだ。
 当時は、和歌を知る者は尊敬された。誰も詳しくないからこそ、詳しい者が尊敬される。みんなが知っていたら、尊敬はされないだろう。だから簡単には教えないのだ。
 試験では、「秘事・口伝」というキーワードが出てきたら、ほぼ間違いなく古今伝授のことを指す。
 ――ちなみに、宗祇は「連歌」でも重要な人物だ。連歌とは、和歌のお遊びバージョンだと思えばいい。「連」という字から分かる通り、人々が連なるようにして、しりとりのように歌をその場で作ってつなげる遊びだ。
 その中でもマジメな「正風連歌」とホントのお遊びである「俳諧連歌」があるので分けて考えよう。俳諧連歌での重要人物は「山崎宗鑑」で、有名な俳諧連歌集は「犬筑波集」だ。犬の字から分かる通り、俗的なものだ。お遊びだ。
 一方、正風連歌の方はマジメだから連歌集もマジメな名前がついている。ズバリ「新撰菟玖波集」だ。これは勅撰である。つまり天皇の認可のある、マジメな連歌集なのだ。
 ついでだ。もうひとつ言おう。連歌に夢中になった上皇といえば誰だろうか?(試験必須)
 答えは、後鳥羽上皇だ。その、連歌を愛した後鳥羽上皇が亡くなった後、追悼の意味で編まれたのが「水無瀬三吟百韻」である。覚え方として参考までに詳しく書くと・・・「水無瀬(みなせ)」は後鳥羽上皇をまつる神社、「三吟」とは三人が吟じた、という意味(その中に宗祇がいる)、「百韻」とは、百句の連歌を連ねた、という意味である。まるでギネスに挑戦するかの如くの怒濤の連歌レースだ。強烈な連歌集である。頻出用語だ――
 
 ・絵画
 《狩野派》
 狩野正信・狩野元信→狩野永徳・狩野山楽→狩野探幽
 狩野派は、漢画系である。狩野正信・元信父子によって成立した。室町後期から江戸期にかけて、御用絵師として栄えた。つまり体制側である。 テレビ局でいえばNHKだ。とりあえず御用絵師といえば狩野という理解でよい。

 狩野元信「大仙院花鳥図」。東山期
 狩野永徳「唐獅子図屏風」「檜図屏風」。桃山期
 狩野山楽「松鷹図」「牡丹図(ぼたんず)」。桃山期
 狩野探幽「大徳寺方丈襖絵」。江戸期。

 狩野なんたらという似たもの同士が続いていて覚えにくい。だから、作品名が記述で出たら諦めよう。しかし、選択肢問題なら確実に取らなければならない。まず元信は、「元信・花鳥・東山」とすればリズムがいい。
 永徳と山楽が桃山期なのは一般常識だ。テレビのお宝鑑定番組でニセ物がよく出てくる人気の画家。覚え方としては、《永徳の方が有名で、エラい。だから、文字数が多い作品が永徳、少ない作品が山楽》とするといい。
 探幽は、《探幽・大徳・江戸期》と強引にリズムで覚えればいい。ちなみに、探幽は早熟型の画家で、少年の頃からすでに御用絵師になっていた。だから私は受験期、探幽のことを《探幽くん》、と特別に親しみを込めて呼んでいた。

 歴史用語を覚えるときは、ゴロやリズム、文字数や頭文字、などを駆使して、さらには《探幽くん》のように用語を生きたものにして親しみを込めるといい。
 自作のゴロやリズムが良い理由は、「サムい」からである。それを自宅でひとりで唱えているとき、あまりのサムさに心がえぐられるような痛みを感じる。その痛みが刺激となって、記憶に残るのだ。特にゴロは、勝手に知り合いの名前を使ったりして覚えると、あまりのサムさに一発で覚える。自作したという苦労も脳のシワに刻まれる。
 だから、サムいゴロをたくさん作ろう。


 《土佐派》
 土佐光信→土佐光起

 土佐派は大和絵である。漢画の狩野、大和絵の土佐と覚えよう。実は土佐派も狩野派と同じく、御用絵師だ。が、「御用絵師といえば狩野派、そうじゃないのは土佐派」という理解で良い。というのも、土佐派は幕府よりも宮廷に近かったし、途中、没落の時期が長かったため、あまり声を大にして「御用絵師だ!」と言えるような感じではないのである。
 試験では、作品名は必要ない。名前と時代だけ把握しよう。

 土佐光信→東山期
 土佐光起→江戸初期

《一匹オオカミ系》
 水墨画の長谷川等伯。「伝授」とは関係ないが、重要だからついでに紹介する。
 「智積院襖絵(ちしゃくいんふすまえ)」「松林図屏風」は選択肢で答えられるようにしておこう。
 本当は、「長谷川派」というものがあるのだが、どちらかというと彼は一匹オオカミ的なイメージが強い。だからそういう理解でよい。
 長谷川等伯の人生は、打倒狩野派に燃えた人生といっても過言ではない。画家の家に生まれていない一介の田舎絵師がいかに狩野派に対抗したか。当然、はじめは世間から無視された。だが、狩野派の作品が形骸化していたなか、上昇志向に燃える等伯の絵はしだいに人々の心を捉えた。そしてあの豊臣秀吉までもが彼に絵を依頼した。
 ちなみに、等伯は、本当は水墨画だけではないのだが、ここではそういう理解でよい。

 ――水墨画は、他にも明兆・如拙・周文・雪舟がいる。
 これらは、禅と深く関わっている。内容も禅に関するものだったり、禅的な山水を描いたものだったりする。
 ここでは詳細はあえて伏せるが、各自調べて暗記してもらいたい――


 *  *

 さて、以上、伝授や秘事口伝に関する日本史用語をいくつか挙げた。日本史選択者は是非覚えてもらいたい。
 日本史で受験しない人も、教養として知ってもらいたい。そして、「教えられる=伝授される」ということが、どんなに有り難いことか、認識してもらいたい。そうすれば、いちいち自分の予備校の文句を言うこともなくなるはずだ。

「理解力に優れた人」の頭の中②

2006年05月02日 | 各論
 前項に続き、もうひとつ、「理解力に優れた人」の特徴について書こう。
 それは、「素直なこと」である。

 これは、前項と矛盾するかもしれない。前項では、「理解力のある人は、全体における意味を考えている」と書いた。
 だが、その一方で、「ひとつのことを、何の疑問も持たずにやってみること=素直なこと」も大事なのである。これら二つは、実は矛盾しない。なぜ矛盾しないかは、この項を読んだ上で自分で考えて欲しい。
 ここでは、「素直なこと」の良さを説明する。

 *  *

 何かを学ぶときに、教えてくれる人に対して「この練習にはどんな目的があるのですか」といちいち訊く人がいる。特に、昨今は合理主義が蔓延しているからか、非合理的なことを嫌うあまり、そのような傾向が強いようだ。
 受験生を例にとると、勉強を全くしていないクセに受験理論だけには詳しい人がいる。そのような人はたいてい多くの参考書を持ち、また色々な予備校講師の評判や、通信テキストの情報まで、詳しく知っている。
 なぜこういう状況におちいってしまうのだろうか。それは「各種勉強法を、比べようとしている」からである。少しでも効率的な方法はないか、少しでもウマい方法はないか、と吟味ばかりしているのである。
 この姿勢は、合理主義社会の弊害である。合理主義は、非合理を嫌う。たとえば、英文法が半年で学べる参考書よりは、三ヶ月で学べるものの方がいいし、分かりにくい本より、分かりやすい本の方がいい。
 そうした吟味の習慣が付いてしまうと、誰かがアドバイスしても、そのアドバイスの意味を知らないことには気が済まなくなってしまう。

 勉強以外の例を出そう。例えば、自転車について。
 自転車に乗れない人に対して、あなたはいったいどのようなアドバイスをするだろうか。私なら、こうアドバイスする。
「スピードを上げてごらん」
と。
 この言葉は、「スポードを出さないとバランスが保てない」という理由から発するものだが、「なぜ速いとバランスが保てるのか」と訊かれたら、私は答えに困ってしまう。そしてこう言うだろう。
「とにかく理屈はどうでもいいから、まずはスピードを上げてみてよ」
と。
 すると、おそらく私はこう言い返されるのだ。
「なぜ初心者なのにスピードを出さなくてはいけないのか。その科学的根拠を示してほしい」
と。
 そして、その人は結局、スピードを上げることなく、遅いスピードのままバランスを崩して転び、ついには自転車に乗るのを諦めてしまうだろう。

 「スピードが速い方が、バランス感覚を保てる」ということの説明は、難しい。もちろん、物理学的にそれを説明することはできるかもしれないが、私は物理の知識がないので、その辺の理屈は分からない。とにかく、「速く走ればバランスが保てる」ということを経験として知っているだけなのだ。
 しかし、はじめて自転車に乗る方としては、「怖い」という感情が先行し、本当にこれで大丈夫なのかどうか、不安になる。だからますます、説明を求める。

 *  *

 受験でもこれと同じ現象が起こっているのだ。つまり、無勉からの受験生は、「受験」というものが得体の知れない、怖いものに見える。だから、色々と情報を集め、確実に、かつ効率の良い方法を求める。そしてそのことばかりに一生懸命になる。
 だが、そうしている間に、「素直な人」はやれと言われたことをやってどんどん実力を上げていく。もちろん、その方法が世界一科学的な方法とは限らないが、そんなことを吟味している時間があったら、まずは言われたことをやった方がいい。

 合理主義というものは、人々から「考える」力を奪ってしまう。店に行けば自分は「お客様」と呼ばれ、良いサービスを受けることができる。いつでも同じ商品を、安く、早く手に入れられる。まさに合理的だ。合理的でない店は、クレームを出せばいい。立場はこちらが上である。
 そんな環境に生きているからか、人々は学校さえもサービス業だと認識しているようだ。良いサービスを提供しない学校や教師は批判される。教え方が悪い、もっと効率的にやれ、うちの子がいじめられたのは学校の責任だ、等々。
 もちろん、学校側は良い教育環境を生徒に提供しなければならない。いじめが起きたら、学校の責任が重いことに変わりはない。
 しかし、学校の責任が重い、ということは、自分の責任が軽いということとイコールではない。なぜいじめられたのか。なぜ成績が上がらないのか。自分で原因を「考える」ことも必要だ。

 私の場合の例を出そう。
 私は、高校三年の冬に、エール出版社の合格体験記(合格作戦シリーズ)を読んだとき、「こんなに効率的な勉強法があったのか」と仰天した。と同時にこみ上げてきたのは、自分の高校への憎しみである。
 私の高校は、受験のシステムを全く教えなかった。もちろん、受験指導もしなかった。ただ毎日授業をするだけだった。
 前述のとおり私の高校は地元で一番の進学校だったので、私は、授業さえ受けていれば、必ず良い大学に合格できるはずだと思っていた。まさに学校は、地元で一番のサービスを提供していると思ったのである。
 実際、私は学校を信じて、授業の復習は必ずしていた。それが成績上昇に結びつきはしなかったものの、とにかくいつか三年になって、最後の最後になれば、必ず受験用の講座を設けて、私を良い大学へと導いてくれると思いこんでいた。
 しかし、そのようなこともなく、三年生になり、季節が過ぎた。さすがに私はあせり、エール出版社の合格体験記を買ったのである。
 そして、読んだ。
 本当に、驚いた。まず驚いたのは、天下のワセダが、文系三科目で受験できる、ということ。そして、各種予備校がいかに効率よく授業を進めているか、ということ。また、パラグラフリーディングや音読の効果、オイシイ受験科目の選択のしかた、穴場の大学・学部、その他もろもろまで…
「俺は、こんなに良いことを知らずに、高校三年間を過ごしたのか」
と、突然、むなしくなった。ここでいう「良いこと」とは、「効率的なこと」という意味である。そう、当時は、効率的なものこそ良いもので、 それ以外は悪いものだと考えていた。だからなおさら、悔しかった。

 しかし、今ではこの考えがいかにダメかが、よく分かる。
 私の世代は、合理主義社会の中で育っているので、似たような人は多い。そして、私より下の世代を見ると、もっとその考えが極端なように見える。
 サラリーマンの世界を見てみても、若い社員は、上司の仕事の教え方が悪い、と不満を言う。
「そんなことは教わってない。教えられてないことでミスして怒られるのは、理不尽だ」「論理的に説明してくれれば、僕だって分かるのに、なんでただ怒鳴るだけなんだろう。あんな上司、ダメさ」
こんなセリフがよく聞かれる。
 たしかに、これには一理ある。怒鳴るだけで説明しない上司はいるし、仕事の教え方が悪い上司もいる。こういう上司は、あまり良いとはいえない。
 だが同時に、それは自分がミスしたことの言い訳にはならないことも事実だ。

 俗っぽく言うと、このような社員は、「カッコ悪い」。いつまでたっても成長しないし、人格も貧相だ。もっと俗っぽく言うと、こんな社員は女の子にモテない。
 「カッコいい社員」は、上司を批判するヒマを惜しんで、上司の言おうとしていることは何か、「考える」。そして、それを取り入れる。あなたのまわりにも、このタイプの「カッコいい」人がいるはずだ。別に顔がカッコいいわけでもないが、ストイックに自分を磨き上げているような人だ。

 少し話をそらす。
 「学ぶ」という言葉は、「まねる」という語源からきていると言われている。
 芸の世界では、そう簡単には自分の技術を教えない。なぜならば教えたら、ライバルを作ることになるからだ。
 だから、付き人は主人の芸をまねて、必死で技術を盗もうとする。そうした試行錯誤の後、選ばれた者だけに、主人は芸を伝授する。
 「秘伝」という言葉を聞いたことがあるだろう。秘密のものを、伝授する、ということだ。
 そう、技術というものは、本来、秘密のものなのだ。そう他人にやすやすと教えるわけにはいかない。まずは自分で努力しろ、というわけである。
 もし、学校を批判するようなヤワは生徒が、芸の世界に入ったら、どうなるだろうか。「教え方が悪い」と主人を憎んでばかりで、いつまでたっても上達しないだろう。
 その一方で、前述の「カッコいい社員」タイプの人間は、ヒマを惜しんで技術を盗もうと、自分で工夫するに違いない。そして、どんどん上達するのだ。

 だから、高校を批判することは筋違いだし、ましてや、カネをかけて予備校に通わせてもらっている人が、予備校の講義に疑念を抱くなど、もってのほかである。予備校は、高校と違って受験専門の学校である。それが世界一効率的かどうかは別にして、とりあえず言われたことをやるべきだ。なぜその勉強が必要なのかは後で分かることだ。目の前に提示されたことを、ひたむきに学んでいこう。

「理解力に優れた人」の頭の中①

2006年04月29日 | 各論
 同じ勉強をしていても、理解の早い人と遅い人がいる。この差は、いったいどこから来るのだろうか。それは、二つあると私は考えている。
 ひとつは、「全体を見る能力」である。ここでは、このことについて書きたい。
 つまり、今自分が勉強していることの意味が、よく分かっているかどうかということである。
 どこの国の格言か失念したが、「頭が良くなりたい男はまず料理の達人になれ」というものがある。料理というのは、いくつかの材料を混ぜて作る作品だ。その材料ひとつひとつには、必ず意味がある。
 例えばフライパンを使う料理の場合、一番最初にフライパンに入れるのはアブラ類である。その次に炒め物系を入れて適度にこがしてから、後半にソース類を入れる。そして次に、ライスだったり、麺類だったり、といった炭水化物を入れる。最後、皿に盛りつけた後に、ネギなどのトッピング類を乗せて出来上がりである。
 理解力のある人は、まずこの大枠がすでに出来上がっている。だから、最初に入れるものが何か分からなくなっても、少なくともアブラ類であることは分かる。植物油か、鯨油か、それともバターか。
 しかし、理解力のない人は、最初にいきなりライス類を入れてしまったりする。アブラもなしにライスを入れたら、こげてしまうのは当たり前だ。そして、しまいには取り返しのつかない状態になり、結婚したての新妻が作るようなヒドい料理が完成してしまう。

 あなたも、母の料理作りを手伝ってみるといい。案外難しいものだ。きっと全体を見る能力が養われることだろう。全体を見る、ということは、計画性があることをも意味する。先程のフライパン料理の例でいえば、最後にスパゲティ麺を入れるところまで来たとしても、肝心のスパゲティ麺を煮るのを忘れてしまっていては意味がない。
 料理というものは刹那的なものだ。だから計画を間違えれば食材をこがしてしまったり、麺がのびてしまったりで、必ず失敗する。
 ところが、「全体を見る能力」がある人は、途中、ミスを犯しても、それを挽回するだけの危機回避能力がある。例えば、最初に入れるアブラをこぼしてしまったら、普通ならパニックにおちいるところだ。しかし、「全体を見る能力」がある人は、「アブラをこぼしても、代わりにバターを入れればいい」と即座に判断できるのだ。最初に入れるのはアブラ類でさえあればとりあえずは何とかなる、ということが分かっているからこそ浮かぶ発想である。料理をただのひとかたまりとして見るのではなく、それぞれの食材の意味がすぐに判断できる。これは、他のことにも応用できるわけだ。
 だから、幼い頃から母の手伝いをしていた人というのは、たいてい理解力に優れた人である。学校の成績もいい。

 こういうことは、料理関係のテレビ番組を見てもよく分かる。最近よくある番組で、「つぶれかけのラーメン屋のダメ主人が、一流のラーメン屋の職人に弟子入りして再起をはかる」というような番組がある。
 そういう番組を見てみると、たいてい、ダメ主人は、一流職人に怒鳴られている。視聴者は、そのさまを見て「当たり前だ」と感じる。なぜなら、ダメ主人の動きが、あまりにトロいからだ。麺をゆでたまではいいものの、他の作業をしている間にそれを忘れ、気がつくと湯が沸騰して麺がこぼれてしまっている。
 このとき視聴者は「おいおい、麺がこぼれてるぞ、早く気づけよ」と他人の目で見るのだが、それは、テレビという、全体を見ることができる視点で眺めているからそう思えるのである。だが実際にその場にいる者にとっては、この「全体像」がつかみにくいのだ。テレビを見て笑っている人も、その立場になってみれば怒鳴られるに違いないのだ。
 このように、今、自分がしていることの意味というものは、その瞬間にはなかなか分からないものである。後で振り返ってみて、ああ、あれにはこういう意味があったのか、と分かるのだ。しかし一方で、初めからそれが分かる人というのがいて、まさにそういう人が、「理解力に優れた人」なのである。
 たとえ初めて行うことでも、即座に全体像を自分の頭の中で作り上げる。そして、自分が今、していることの意味を、その全体像の枠の中に当てはめるのだ。

 さて、では特別に理解力に優れているわけではない人は、どうすればいいだろうか。
 それは、上記のこと、つまり「全体像を見る」ということを、意識して行うようにすることである。そうすることで、理解力がある人と同じような習得構造を獲得することができる。
 勉強に当てはめて考えれば、たとえば今、あなたがある参考書のひとつのページを学んでいたとする。
 まずは、ここでいったん手を休めて、その参考書の目次を見てみよう。色々な章があって、その概要が書かれている。その概要を全て眺めたうえで、もう一度今やっていたページに戻ってみよう。すると、そのページの意味が、理解できるはずだ。
 もちろん、本当に理解力がある人は、単に参考書だけにとどまらず、試験に出ている映像すら、浮かぶ。
 例えば、「count on―あてにする」という熟語を熟語帳で見たときに、
「countといえば、普通は、《数える》という意味だよな。それが《あてにする》という意味になるとは…。試験本番で出てきたらツイ《数える》と訳してしまいそうだ。気をつけないと」
と、「試験本番」というまさに「全体」からの俯瞰でその熟語を眺めることができる。さらに、以下のように、それを横のつながりで見ることも出来る。
「そういえば、depend onとか、rely onなんていうのも《あてにする、頼る》という意味だったな。まあonというのは何かの上に乗っかっているようなイメージだが、《頼る》というのも、ある意味では《乗っかる》つまりは《身を委ねる》ということだから、そういう意味になるのかもしれない。だからどうやらこのonは、《depend on》なんかと同種のonだと考えてよさそうだぞ」
などと、即座に他の熟語に関連させることができる。

 ――余談だが、《on》は、《上に乗っかる》というだけでなく、壁や天井に付着しているような場合でも使う。
 例:a fly on the ceiking……天井にとまっているハエ
  :a picture on the wall……壁にかかっている絵
 これらは、試験に出るので注意。おっと、単にここで用法を見るだけで終わらないで欲しい。全体像を想像した上で、この用法を眺めてみよう。例えばどんな形式で試験に出るだろうか。おそらく、こんな感じだろう…
  :a fly at the ceiking……問1)正しければT、間違っていればFをマークせよ
  :a picture ( A ) the wall……問2)( A )に入る語を記入せよ
…と、こんな具合に。要は、こういう図がイメージできるかどうか、である――

 自分が何をしているか、何のために勉強しているのか分からなくなったときは、全体をイメージしてそこから今の自分を俯瞰して見てみよう。そうすることで、今、自分がしていることの意味も分かるし、理解も深まるのである。

無勉からの浪人生へ

2006年04月02日 | 各論
 無勉の状態から一年で早稲田に合格したという成功例をよく聞く。だが、私はあえて言うが、それはまれな例だ。私の知る限りでは、無勉の人は無勉なりの結果で終わっている。
 では、「無勉なりの結果」とは、いったいどのようなものであろうか。それは、だいたい以下のようなものであろう。

 1)全大学に不合格
 2)中堅私大のみに合格
 3)MARCH、関関同立、中堅国立にギリギリで合格

 この三つだ。おそらく九割以上の「無勉からの浪人生」が、この範囲に入るだろう。
 もちろん、早慶上智に合格したという例もないわけではない。そういう例は私も聞いたことがある。
 だが、それは私のまわりで起こったことではなく、雑誌や本で見たことや、予備校の職員から聞いたことばかりである。少なくとも、私の知る範囲、つまりは、私の同級生、地元の予備校の生徒という範囲に限定すると、そういう人はいなかった。高校時代に成績が悪かった人は、上記で言えば1)と2)がほとんどで、まれに3)の人がいた程度だった。
 早慶に受かった、という人は、高校時代からすでに成績の良かった人だけである。そういう人は、現役時点ですでにMARCHレベルにあった人だ。その人たちが、浪人して力をつけて、早慶に受かったというわけだ。とはいえそういう人でも、さすがに東大京大レベルには受からなかった。東大京大に受かったのは、現役時代にスーパー級に成績が良かった人だけである。たとえば私の弟もそうだ。前述した通り、私の弟は、高校時代に常に成績がトップクラスにいた(田舎の進学校は馬鹿にされがちだが、さすがにトップクラスとなると優秀なのが揃っている)。

 さて、夢のない話を書いた。しかし、なにも無勉の人のやる気を削ごうというわけではない。私の狙いは他にある。
 つまり、無勉の人に、大いに反省して欲しいのである。そして、自分の境遇を悲しんで欲しいのである。
 無勉の人に言いたい。あなたはいったい、高校時代に何をしていたのか。全く勉強していなかったのか。それとも、勉強はしていたが、やり方がまずかったのか。
 いずれにしても、失敗したわけである。その失敗を、普通に浪人した程度で取り返そうというのは、あまりに考えが甘すぎる。
 たしかに、何かに失敗しても、運良くそれが切り抜けられる場合も世の中にはあるだろう。だが、普通は、失敗したらそれだけの負債をかかえるものである。
 二浪するかもしれない。三浪するかもしれない。また、一浪で受かるにしても、かなりの犠牲を伴う勉強を強いられるかもしれない。予備校代もかかるだろう。バイトで苦労するかもしれない。恋人とも別れなくてはいけないかもしれない。早々と大学にいった知り合いに馬鹿にされるかもしれない。それどころかもしかしたら、一番不幸な結果が起きるかもしれない。つまり、「全大学不合格」という…

 これらは全て、あなたが高校時代に犯した失敗に対する負債である。あなたは、この負債を、あえて抱えるだろうか。それとも、逃げるだろうか…

 ――浪人せよ!!

 このタイトルの意味は、まさにそこにあるのだ。つまり私は、あなたに「逃げるな」と言いたいのである。
 多浪を覚悟するか、もしくは地獄のような日々を覚悟するか、色々な覚悟はあるだろうが、「覚悟」ということでは共通している。正直な話、無勉の状態からでは、普通に勉強した程度では中堅私大さえ難しい。ギャグみたいな名前の大学に落ち着いてしまうのが関の山だ。
 失敗を取り返すためには、あなたが本当に行きたかった大学を、本当の意味で目指すべきだ。誰かの成功話を聞いて「俺にもできそうだ」という程度ではいけない。高校時代は失敗したかもしれないが、今回だけは、絶対に最後までやり通すのだというくらいの気持で進むべきだ。
 それを避けてしまったら、あなたは失敗を取り返したことにはならない。もちろん、大学以外の道だっていい。例えば、ベンチャー企業の立ち上げに力を尽くすとか、手が傷だらけになるまで職人としての修行を積む、というのもいいだろう。
 そういうものもひっくめて、「浪人」と私は呼びたい。ダラダラした浪人は、ここでは浪人のうちには入れない。浪人とは、失敗を取り返そうと努力している身のことを指す。
 そんな浪人に、あなたになってもらいたいものである。

受験当日の注意事項

2006年04月01日 | 各論
 受験当日の朝の風景はすさまじい。
 人、人、人。
 受験生の集団が駅の出口から吐き出され、大学の門へと吸い込まれていく。地方から来た現役生はその迫力に圧倒されてしまうし、私などは三浪目にいたってもこの光景は苦手だった。だからせめて、このイヤな気持だけは払拭したいものだ。そのためには、前日にしっかりと準備を整えていなければならない。
 ここでは、その「準備」について書きたい。

 まず前日の夜について。
 早く寝ること。得に、地方から来ている受験生は、宿泊先のホテルで夜更かししてしまう傾向がある。ホテルという快適な空間は、ちょっとした旅行気分をさそってしまうものだ。深夜番組を見て寝不足になり、受験に失敗したという話はよく聞く。
 また、前日にホテルで勉強しすぎて、つい夜更かししてしまったというケースもある。前日にすべきは勉強ではなく、本番のためのコンディション作りだ。だから、もし勉強したいと思ったら、夜ではなく、早起きして、朝にやるべきだ。
 
 次に、当日の朝について。
 起きたら、朝食をとって軽く運動すること。頭と体に、十分な血液を浸透させよう。
 試験会場には早めに行こう。「前日に会場の下見が必要だ」との説もあるが、それは結構な手間になってしまうので、面倒だったらしなくてもいい。心配しなくても、最寄りの駅に着きさえすれば、大学関係者が道案内ボードを持って誘導してくれるのだ。だが、遠くから来た受験生の場合は、交通事情が分からないだろうから、とにかく早め早めの行動が肝心だ。変な話だが、電車に乗っていると事故で止まることが頻繁にある。それで受験に間に合わなかったらアウトだ。
 
 以下、持ち物や、留意事項を挙げておくで参考にしていただきたい。

 <持ち物>
・受験票…大学、学部を確認すること
・地図…大学までの地図
・大学の電話番号を控えたメモ
・鉛筆…念のため、三本
・鉛筆削り
・消しゴム…念のため、三つ
・時計…念のため、二つ。試験中に時計が止まるのはよく聞く話
・参考書…試験場で読む用
・その他、持参が義務付けられたもの
・持参が許可されたもの…計算機、辞書など
・弁当と飲み物…試験場の売店は混んでいるので、出発前に買っておくこと
・薬…目薬、胃薬、カフェイン等、症状にあわせて
・髪ゴム…長髪の人はあった方が便利
・耳栓…試験中にまわりの雑音が気になる人は必要。リスニングのときだけ取ればいい
・携帯
・財布
・ティッシュ、ハンカチ
・眼鏡やコンタクト
・ガムやチョコレート…前述したが、集中力を得るために、あった方がいい
・傘…雨が降りそうだったら必要。行きに途中で降り出したら最悪である


 <その他の留意事項>
・試験数分前は、携帯の電源を切ること
・試験中に帽子は被らないこと(怒られる)
・英文の書かれた服は着ないこと
・試験数分前は、トイレに行っておくこと
・終わった科目のことは忘れること
・試験中に鉛筆を落としたりしても、焦らないこと(その旨を試験官に言おう)

あと、参考までに、私が聞いた試験当日の失敗例を列挙したい。

・試験に間に合わなかった
・試験中に時計が止まった
・試験中に爆睡した
・試験前日に夜更かしした
・忘れ物をした(特に多いのが消しゴム、眼鏡など)
・腹をこわした(知らない土地の水は飲まないこと)
・机の上に置くべきものを置き忘れた(時計、消しゴムなど。この場合は試験官に言おう)
・悪徳サークルに騙された(ビラ配りの類は無視しよう)
・貧乏揺すりの受験生を注意したらトラブルになった(直接言わずに試験官に言った方が良い。試験官は暇だから遠慮は無用)
・変な机や椅子だった(穴が空いていたり、などなど。試験官に言えば下敷きを貸してくれる)
・マークシートの位置を間違えた(問題を飛ばす場合は特に注意)
・名前を書き忘れた(問題用紙にも書かせる場合があるから注意)
・試験会場を間違えた(受験番号によっては、大学以外の会場で行われることもあるので注意)
・併願している受験生は、後半の日程でダレるので注意(油断して遅刻した、忘れ物をした、という話はよく聞く)
・すでに受け終えた大学の発表日と重なった(合否が気になって試験に集中できないというケースがある。だから日程が重ならないようにするか、発表日を知らないでいた方が良い)

 心構えとしては…
 試験当日には、「必ず何かある」と覚悟するぐらいがちょうどいい。そうすれば、実際に何か起こったときに、ショックが少なくて済む。
 例えば、運悪く、変な受験生の隣の席だったり、空調の風が当たる席だったりすることもあるだろう。本当に、不思議なくらいに、試験当日は何かが起こるものなのだ。
 私の場合でいえば、大きな試験会場で、なんと最前席だったことが複数回あった。しかも、ど真ん中だったことさえある。つまり試験官の真ん前だ。凝視されてるようで、落ち着かなかった。

 ちなみに――「一番前のど真ん中」だったのは、大学受験ではなく、高校受験のときである。私の田舎では、色々な事情があって高校の併願が難しかった。つまり一発勝負である。だから、大学受験以上に緊張した。
 そういう修羅場のときに、一番前のど真ん中だったというわけである。その上ガタガタと揺れる机で、さらに問題用紙に名前を書き忘れるという失態もおかした。名前の書き忘れに関しては、試験官に言ったら、書いてくれたが、内心あせった。
 高校入試はそれでもなんとか合格し、入学後にその試験官に挨拶に行った(先生だった)。その人は笑って「おめでとう」と言ってくれた。
 私は、高校入試でこんなことを経験していたから、大学受験も何かが起こると覚悟していた。そして実際、色々なことがあった。
 本当に、試験というものは怖いものである。あなたも、準備と覚悟を忘れないようにしてほしい。

浪人の恋愛

2006年03月28日 | 各論
 意外と知られていないが、衝撃的な事実をお教えしよう。
 なんと、大正時代の一時期、浪人の恋愛を禁止する法律があったのだ。世論の反対が多かったためにすぐに廃止になったが、その法律の内容は実に驚かされるものだった。なにせ、恋仲になった場合は罰が科されるのだから。
 「浪人と非浪人が付き合った場合」は罰金刑で、「浪人と浪人が付き合った場合」は懲役刑で、さらに「肉体関係があった場合」は死刑である。

 …というのは冗談だが、私は、こんな法律があってもいいと思うくらい、浪人の恋愛には反対である(死刑は言い過ぎだが)。

 そもそも、浪人というものは社会から疎外された存在である。職業でいうと「無職」だろうし、クレジットカードも作れないかもしれない。
 しかも、疎外された理由が、自分勝手なものであるからなおさらタチが悪い。つまり、リストラに遭った社員のように、やむを得ない事情での「無職」ではなく、自分が現役時代に勉強を怠ったとか、もっと上の大学に行きたい、というな理由での「無職」なのである。
 だからのんきに恋愛などしている段ではないのだ。もし高校時代から付き合っている人がいるなら、とりあえず浪人している間だけはその関係を切っておくべきだし、ましてや、新しい恋を期待するなどもってのほかである。
 とはいえ、浪人する年代は恋愛を求める時期でもある。好きな人ができて、心を激しく乱されることがあるかもしれない。私の知っている人でも、浪人中に好きな人が出来、恋に夢中になっていた人は何人もいる。
 どうすれば恋の気持を抑えることができるか。だが、その答えはない。だから、とことん、悩むしかない。そして、自分がなぜ浪人の身であるかを考えるのだ。悩んで悩んで悩みぬくべきだ。そして、自分が進むべき方向を、再確認するべきである。
 私自身、浪人中に人を好きになったことはある。受験後その人とは、友達になった。とはいえ遠い場所に住んでいる状態ではあったが…。その人は、手紙を何度かくれた。私はそれがとても嬉しかったので、お返しにプレゼントを買い、郵送した。三万円の小さなカメラである。

 恋愛というものは、何かしらの形で生活を束縛するものである。だから試験に落ちる可能性が高くなる。束縛のない恋愛など、恋愛のうちには入らない。もしあったとすればそれは別の何かか、もしくはただの遊びだ。
 恋愛は、お金も時間も浪費する。心も浪費する。浪費ばかりで何も良いところなど有りはしない。特に、長年付き合っていると、はじめの頃の新鮮さが薄れ、会うたびに喧嘩して不快になるだけだったりする。
 だがそれでも、恋愛にはそれらを全て消し去ってしまうほどの魅力的な力がある。それは熱く、深いものである。と同時に、浪人中には背負うことができないくらい、大きく重いものでもある。
 浪人中に背負えるはずのないものを背負うことは、無責任だ。勉強にも、恋愛にも、責任は持って欲しい。

 だから浪人中は、ひたすら、勉強の日々を過ごそう。