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虫干し映画MEMO

映画と本の備忘録みたいなものです
映画も本もクラシックが多いです

「坊ちゃん」(夏目漱石/新潮文庫)

2005年03月06日 | 
 「坊ちゃん」というのは竹を割ったような性格の若い男の子が、旧弊な社会に啖呵を切る小説のような印象があるらしい。
 ところで読んで胸がすくか?少なくとも今の私は爽快感より痛ましさが先にたつ。ただ、文体の歯切れのよさはすごく気持ちがよく読めるし、描写のおかしさには突発的大爆笑になります。

 今、周囲の10代後半くらいの子に「坊ちゃん」の感想を聞くと、
「切るなよ」
「切れるなよ」
なんてのが返って来る。
 初めの「切るな」は、あのナイフで指切っちゃったところ。「切れるか」と挑発されれば骨が出るほど指切っちゃうし、「飛び降りられるもんか」といわれれば屋根から飛び降りて骨折るし、何でそこまでやるか…と思うんでしょう。やっぱり親だったら、こういう子は手を焼くかも。次の「切れるな」は、あんまり上手に怒ってないように見えるからでしょうね。それほどすぐにキレてるわけではないのに、そういう印象持たれちゃうんですね。

 松山で中学の数学教師だった彼の正義感は破れ、東京に戻って街鉄の技手になる。職業から言えばかなりのランク落ちだろう。しかし痛ましいのは世間的な位置づけが下がったことでなく、彼の孤独感が痛ましい。山嵐は友人といえるのかもしれないが、彼の孤独感を埋めるものでなく、生徒たちは彼にとって何者でもないような印象を受ける。

 そして彼は清の手紙を風に流し流し読む。寂しさが浮き出てくるようなシーン。そして東京に帰り、清のそばで彼は安定する。それがまた痛ましい。それでも利口に生きない、愚かにも見える坊ちゃんの行動に、私は共感を持たずにいられないのである。

 漱石はどう考えても赤シャツの位置にいる。そして坊ちゃんの育った家では、坊ちゃんの「なまっちろい勉強ばかりしている兄」の位置にいるだろう。私は「お兄ちゃんだってつらい」と思う。
 なにぶんにも明治初期である。跡取りの長男は絶対。次男以下とは格が違う。いま、「条件付の愛(もしいい子だったら、成績がよければ、自慢できる子なら愛してあげる)は子どもにとって虐待です」なんて言われてますが、このおにいちゃんは長男だから大事にされてるんで、その条件付の愛そのまんま。そして坊ちゃんは無条件に、本人にも訳わからないほど「よいご気性」だとほめてくれる、彼の存在をそのまま肯定してくれる下女の清がいたけれど、お兄ちゃんには見当たらない。お兄ちゃんは果たして坊ちゃんにとっての清の如き、安定をもたらしてくれる誰かを、何かを見出すことが出来るのか?

 切ない。

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