誰か他の方参加するかどうか、聞いてみようかな?という気持ちになった。
ただ、イベント自体自分たちで作っていく要素が大きいので、結構話すことも打ち合わせることも多いし。
誰も彼もと誘うわけにはいかない。最低でももりっと母さんと私の2人でもやる。と決めているので、他の方が入らないと開催ができない訳ではないし。
まず私が信頼できて、やりとりもした事がある方に一旦お声がけだけしてみよう。と思い立ち。
1番頻繁にやりとりのある方2名に試しに話をしてみたところ。
1名からは早速お返事が。
しかし。残念ながら、もう創作は引退しちゃったらしく断られてしまった。
私も凄く残念ではあったけれど、そういう事なら仕方がない。
なので、その方どうこうという事は全然ないのだが。
その時、私は自分でもびっくりするくらい、めちゃくちゃ悔しかった。
感情を揺さぶられる。
断られた事自体は、たぶんもともとダメもとだったのでマジで全然良かった。予想してたし。
ただ、引退しちゃったから。
の理由で、私は…ああ。
あと数年早くこれをやれていれば…実現したかもしれなかったのか。
という事が、無性にとても悔しかった。
これこそ、仕方のない事だ。
東京イベント自体、私が主催ではなく、もりっと母さんとあさひさんの協力なくしてはできない事なのだから。
そのタイミングが去年、最初のイベントは全てが手探りすぎて、誰かを誘うのも難しかったし。去年であっても間に合っていなかった。
コロナ禍もあって、時期はどうしたって、早くなんてできなかったろう。
でも。
もし…たみえさんが生きていたら。
私はきっと断られたとしても、イベント一緒にやりたいと思って、誘って声かけだけでもしてたなぁと思いながら。
お声がけしたその方も、知らない間にいつのまにか、創作を引退されていた。
それが…なんだかとても悔しくて。
もっと早くできていれば。という気持ちの葛藤はあるものの…今思い返して多分どれだけ考えても、早くなんて無理だったし叶わなかった。
今しか、今この瞬間しかなかったのだから。
だからただ、なんだか無性に。
自分の力の及ばなさ、タイミングの悪さ、無力さが…悔しかった。
ふと、10年前東京に行って、デザフェスに参加させてもらった時のことを思い出す。
あの時の、mixiでのあの時間は、私にとって、やっぱり奇跡の時間だった。
楽しかったと昔を懐かしむのも少し違う。
多分、あんなに目まぐるしく、世界が変わっていくような体験をしたのは初めてだったから。
SNSでの関わりで、私は…ここまで変われるのかってくらい。
mixiでのやりとりは、今思い返しても、奇跡の時間だった。
たみえさんや、周りのいろんな方々に、いつか追いつきたかった。目標だった。
色んなことを教えてもらった。
色んなことを、サポートしてもらった。
その時間は、もう随分と昔に終わってしまって。
あの奇跡の時間は、もうなくなったんだと。
なんだか、その時に。
悔しくなって泣いていた。
自分がもう少し早く、そこに追いつけていたら…。間に合ったのかな。そんな悔しさ。
だけど、そんな時に。
冥王星(ハーデス)は、慰めるように私に語りかけてくる。
その時間が、お前の中ではもう”終わった”と認識して泣いているのか?
勝手に終わらせるんじゃない。
確かに、あの頃と同じ人々が常に集うわけではないだろう…時に離れ、時にそれぞれの道を選び進むなかで、お前の周囲にはいなくなってしまったと感じることもあるだろう。
だが、それで終わったなどと。笑わせる。
勝手にお前の中で、終わらせるんじゃない。
お前には、わからないのかもしれないがな。
だが一つ言えるのは。
“本当に終わって”いたなら、
お店を閉店しても尚、お前のそばで、イベントをやってくれるもりっと母さんはいなかっただろうよ。もうとっくの昔に引退したあの方に、作品を届けることもなかっただろう。今年にたみえさんの絵が届くなんて事が起こったと思うか?
奇跡の時間は、ずっと続いていたんだよ。
あの頃から形は変わったとしても。
お前は、あの頃の時間を、ずっと心の中で大切にしてきただろう?
そのお前が、勝手にそれを、いつの間にかもう終わってしまったんだなんだと思って泣くのは、随分とバカらしいじゃないか。
お前があの時間から受け取ったものを
蔑ろにするな。
今
お前が悔しいと思うのならば、再び。
前へと進んで見るが良い。