予習のせいで睡眠不足&裏取りしていないので、大きな間違いがあるかもしれませんが……
てか、デタラメ書いているかも。最悪、消しますw
橋下知事、女子高生を泣かす…意見交換でマジ反論
>大阪府の橋下徹知事は23日、
>府の財政再建の一環で断行した私学助成削減をめぐる意見交換で女子高生らにマジで反論して、
>泣かせてしまった。
というもので、これもなかなか注目を集めそう/集めているニュースです。
某掲示板では、議論が錯綜していて結構カオス。
(1)私学助成と憲法について
これは、意外なことにウィキペディアでも学説の対立とかちゃんとのっているっぽいので、
あえて書く必要もないのですが……
なかなか微妙な部分もあって、
佐藤先生や芦部先生、あるいは有斐閣憲法Ⅱ(通称4人組)なども条件・留保を付けていますが、
基本的には合憲の方向でいっており、裁判例・判例も基本的に合憲の方向です。
まぁ、改憲して文言をちょっといじれば楽でいいのになと思ってしまいますがw
(2)自己責任論
自己責任というのは、自由(自由主義)の裏返しであり、
より下のレベルで言うと、私的自治・契約自由の原則の裏返しです。
で、これが原則。
(まぁ、過失責任の原則との関係では、
それ以外の責任は負わないという限定ベクトルでの「自己責任の原則」ですが)
しかし、どの教科書にも書いてあるように、自由主義・資本主義の行き過ぎという問題が出てきたわけで、
それを修正するために社会国家・福祉国家原理がでてくる。
日本もその流れですので、原則自由(自己責任)+修正という形。
もっとも、従来の日本は、この修正の部分が異様に強かったんですがねw
で、そこを崩していったと。
これが、
>知事は「今の日本は自己責任が原則」と強調。
>一方で「何でもかんでも自己責任はおかしい。
>だから私学助成はゼロにしていない」と理解を求めた。
橋下知事、生徒にマジ反論 「私学はあなたが選んだ」
に当たる部分なので、橋下知事が特に間違ったことを言っているわけではない。
まぁ、自己責任の前提としての、情報と判断能力をどう設定するかという話はありますが。
ただ、こういう大きな議論と、私学助成の具体的な数字の上げ下げは直結しませんので、
そこは詰めて行く必要がある。
(3)在学中に授業料等が変わることについて
これは……どうだったかな?
在学中に校則が変わって良いのかという問題でやったこと+授業料ということの評価
って感じなんだろうけど。
それに、入学・在学関係がどういう契約で支えられているのかも見ないとだめだし……
ただ、一般的典型的な私法上の契約に引きつけて、かつ、入学から卒業まで一括の契約だと考えてしまうと、
事情変更の法理でも使わない限り契約内容を改定できそうにないのできつい。
が、おそらく、授業料などの細部(だが重要)については、
単年度ごとに決めていく形態になっていそうな気もします。
(4)マジ切れ?マジ反論の是非
>先日、麻生太郎首相もホテル豪遊に関する女性記者の質問にマジ切れしたばかりだが、
>最近の日本のリーダーたちは余裕がないのか…。
と、否定的なことが書かれていますが……。
この橋下知事のマジ反論という姿勢に関しては、女子高生側はむしろ感謝すべきでしょう。
相手が子ども(高校生)だからと舐められて、
適当に聞き流される方がよっぽど泣きたくなるんじゃないですか?
(少なくとも私はそうです)
***1025/0207追記
大阪・橋下知事、私学助成金削減めぐり高校生と意見交換会 「日本は自己責任が原則」
>生徒同士で「勉強せなあかん。負けてたらあかんで。
>悔しいからな、勉強していろんなこと知らなきゃあかん」と語り合っていた。
となっているようで、橋下知事が真摯に対応した結果じゃないかと思います。
思想的な勉強だけじゃなく、学科の勉強・社会の勉強も頑張って欲しいものです。
***
(5)「最後は生活保護がある」発言
>生徒「公立に行ける人数は限られている」
>知事「保護されるのは義務教育まで。高校からは壁が始まる」
>生徒「そこで倒れた子はどうなる」
>知事「最後は生活保護がある」
これはもう政策論・政治論なんでしょうが、この発言はまずい。
少なくとも地方の行政(財政)を担う首長が言うべきではない。
もちろん、「最後は」としているので、
そこに至までの過程(至らないようにするための努力)は当然踏まえられているはず。
しかし、言葉としては省略されているわけで、発言が表面的に受け取られてしまうと、
生活保護でいいやという風潮・考えを助長することになりかねない。
これは精神的な意味での悪影響でもありますが、
それ以上に、生活保護のコストで財政が圧迫されていることを考えると、まずい。
(これは、生活保護が不可避的に必要な人であっても、資金不足のせいで
必要な保障が行き届かないという事態にもつながりかねない)
方向性としては、あくまでも自分・周り・社会の努力によって「倒れない」ことを目指す
というベクトルの発言の方がいい。(綺麗事にすぎないという評価は当然ある)
その意味では、誰かさんの「再チャレンジ」というのは、発想としてはいい。
てか、デタラメ書いているかも。最悪、消しますw
橋下知事、女子高生を泣かす…意見交換でマジ反論
>大阪府の橋下徹知事は23日、
>府の財政再建の一環で断行した私学助成削減をめぐる意見交換で女子高生らにマジで反論して、
>泣かせてしまった。
というもので、これもなかなか注目を集めそう/集めているニュースです。
某掲示板では、議論が錯綜していて結構カオス。
(1)私学助成と憲法について
これは、意外なことにウィキペディアでも学説の対立とかちゃんとのっているっぽいので、
あえて書く必要もないのですが……
なかなか微妙な部分もあって、
佐藤先生や芦部先生、あるいは有斐閣憲法Ⅱ(通称4人組)なども条件・留保を付けていますが、
基本的には合憲の方向でいっており、裁判例・判例も基本的に合憲の方向です。
まぁ、改憲して文言をちょっといじれば楽でいいのになと思ってしまいますがw
(2)自己責任論
自己責任というのは、自由(自由主義)の裏返しであり、
より下のレベルで言うと、私的自治・契約自由の原則の裏返しです。
で、これが原則。
(まぁ、過失責任の原則との関係では、
それ以外の責任は負わないという限定ベクトルでの「自己責任の原則」ですが)
しかし、どの教科書にも書いてあるように、自由主義・資本主義の行き過ぎという問題が出てきたわけで、
それを修正するために社会国家・福祉国家原理がでてくる。
日本もその流れですので、原則自由(自己責任)+修正という形。
もっとも、従来の日本は、この修正の部分が異様に強かったんですがねw
で、そこを崩していったと。
これが、
>知事は「今の日本は自己責任が原則」と強調。
>一方で「何でもかんでも自己責任はおかしい。
>だから私学助成はゼロにしていない」と理解を求めた。
橋下知事、生徒にマジ反論 「私学はあなたが選んだ」
に当たる部分なので、橋下知事が特に間違ったことを言っているわけではない。
まぁ、自己責任の前提としての、情報と判断能力をどう設定するかという話はありますが。
ただ、こういう大きな議論と、私学助成の具体的な数字の上げ下げは直結しませんので、
そこは詰めて行く必要がある。
(3)在学中に授業料等が変わることについて
これは……どうだったかな?
在学中に校則が変わって良いのかという問題でやったこと+授業料ということの評価
って感じなんだろうけど。
それに、入学・在学関係がどういう契約で支えられているのかも見ないとだめだし……
ただ、一般的典型的な私法上の契約に引きつけて、かつ、入学から卒業まで一括の契約だと考えてしまうと、
事情変更の法理でも使わない限り契約内容を改定できそうにないのできつい。
が、おそらく、授業料などの細部(だが重要)については、
単年度ごとに決めていく形態になっていそうな気もします。
(4)マジ切れ?マジ反論の是非
>先日、麻生太郎首相もホテル豪遊に関する女性記者の質問にマジ切れしたばかりだが、
>最近の日本のリーダーたちは余裕がないのか…。
と、否定的なことが書かれていますが……。
この橋下知事のマジ反論という姿勢に関しては、女子高生側はむしろ感謝すべきでしょう。
相手が子ども(高校生)だからと舐められて、
適当に聞き流される方がよっぽど泣きたくなるんじゃないですか?
(少なくとも私はそうです)
***1025/0207追記
大阪・橋下知事、私学助成金削減めぐり高校生と意見交換会 「日本は自己責任が原則」
>生徒同士で「勉強せなあかん。負けてたらあかんで。
>悔しいからな、勉強していろんなこと知らなきゃあかん」と語り合っていた。
となっているようで、橋下知事が真摯に対応した結果じゃないかと思います。
思想的な勉強だけじゃなく、学科の勉強・社会の勉強も頑張って欲しいものです。
***
(5)「最後は生活保護がある」発言
>生徒「公立に行ける人数は限られている」
>知事「保護されるのは義務教育まで。高校からは壁が始まる」
>生徒「そこで倒れた子はどうなる」
>知事「最後は生活保護がある」
これはもう政策論・政治論なんでしょうが、この発言はまずい。
少なくとも地方の行政(財政)を担う首長が言うべきではない。
もちろん、「最後は」としているので、
そこに至までの過程(至らないようにするための努力)は当然踏まえられているはず。
しかし、言葉としては省略されているわけで、発言が表面的に受け取られてしまうと、
生活保護でいいやという風潮・考えを助長することになりかねない。
これは精神的な意味での悪影響でもありますが、
それ以上に、生活保護のコストで財政が圧迫されていることを考えると、まずい。
(これは、生活保護が不可避的に必要な人であっても、資金不足のせいで
必要な保障が行き届かないという事態にもつながりかねない)
方向性としては、あくまでも自分・周り・社会の努力によって「倒れない」ことを目指す
というベクトルの発言の方がいい。(綺麗事にすぎないという評価は当然ある)
その意味では、誰かさんの「再チャレンジ」というのは、発想としてはいい。
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