アメリカでは、小学、中学、高校と、 「Fund Raising」を年に数回行う。 子供たちが、「ぼくたち、わたしたちの学校に募金をお願いしまぁ~す!」 と一件づつ近所の家のドアをたたき、クリスマスが近づくと、プレゼントを包む包装紙やカードを売り歩いたりする。 カウンティー (郡)の教育委員会から支給される予算だけでは足らないので、このようにしてそれぞれの学校は、募金を集める。
ある時、私は近隣の小学校の募金活動をサポートするために、包装紙を注文した。 小学校4、5年生くらいの男の子達が二人、我が家の玄関までやって来た。 彼らを連れてきたと思われる親らしき男性は、数ヤード離れたところに立っている。 この場合、大人達はまず口を開かない。 挨拶から、セールス、注文を取る事、集金など全て子供たちにやらせる。 この時、あいにく小切手帳のチェックを切らしてしまっていたので、現金を渡し、レシートを受け取った。 数週間後、近所で同じものを注文した友人が品物が届いた、と言ったので、私の物もじきに配達されるであろう、と思った。 だがそれはクリスマスまじかになってもこなかった。 小学校へ電話をし、事務員に伝える。
「注文品が届いていないのですが...。」
「レシートはお持ちですか?」
「はい、ございます。」
「おかしいですね。 調べて、こちらからまた電話をしますのでお待ちください。」
レシートの番号を知らせ、電話をきる。 翌日学校から連絡があった。
「恐縮ですが、あなたの注文品はこちらにございません。 子供たちに支払いをする時に小切手をお渡しになりましたか?」
「いいえ、現金でした。」
「お~...。」、と言って事務員は黙ってしまった。
察するところ、誰かが注文書を破り捨て、現金をポッポに入れてしまったのだろう。
「あなたが注文なさった品とは違うものですが、いくつか余った包装紙がございますので、それでよろしければお届けしますが...。」
もう還暦まじかのいい年をしたおばさんだが、私はこういうときにあまり「大人」らしい言動をとらない。 ムっとして事務の女性に言った。
「余り物はけっこうです。 来年は隣町の小学校の募金活動をサポートします。 Thank you for your time. (お手間を取らせました。)」
「あの、ちょっと...。」
「ガチャ!」
たかが数ドルの包装紙ではないか。 何も事務員にあたることはないのだ。
さて、当時17歳だった我が家の長男、アンドリューは wild teenager (手におえぬティーンエイジャー) であった。 弱いものいじめだけはしなかったが、学校をサボリ、ケンカをし、どうやって手に入れたのか知らぬが、酒、タバコをのんだ。 (アメリカでは身分証明書がないと、これらの物を手に入れることはできない。) 父親が単身赴任でほとんど不在であった、ということもあり、しょっちゅういろいろな問題をおこし、私はいつも頭痛薬を常用していた。 最低すれすれの成績で高校を卒業し (後ほど分かったのだが当時、同じ教会に通う日本人の友人が、この息子のために断食までして祈ってくれていたそうだ。 彼女の祈りにサポートされてアンドリューは卒業ができたと、私は信じる。 もし卒業できずにこのままもう一年我が家に居座られたら、母親の私が発狂するであろうと友人は見てとったのかもしれない。 ここまで親身になって、人の家庭のために祈る人が、いったいどれだけいるだろうか。本当に感謝なことだ。)、海兵隊へ入ったが、この息子が、ようやく家を出ていった時に、私は天を仰いで、わが主、イエスキリストに感謝の祈りを捧げた。
息子は勉強はちっともしなかったが、女の子たちとデートをする事と、スポーツだけは力いっぱいやった。 フットボール、サッカー、陸上競技、レスリングとシーズンごとにいろいろなクラブ活動をやり、どういうわけか、彼は女の子たちにたいそうモテた。 クラブ活動を通して知り合った友人も多かったが、そのなかにミッキーという小柄な少年がいた。 ある週末、ミッキーが我が家を訪れた。
「こんにちは、ミセス アンダーソン。」
「あら、ミッキー久しぶりね。 元気? この間の試合はよかったわよ。 ずいぶんとがんばって...。」
「おふくろ、オレたちやる事があるんだ。 しばらくほっといてくれないか。」
いつもの仏頂面で、アンドリューは友人を連れて地下室へ降りていった。 我が家の地下室には洗濯部屋、トイレ、そしてデンがある。 den というのは、家族がくつろぐ部屋で、居間とはまた違う部屋である。 最初は2階にある寝室のひとつを彼にあてがっていたが、掃除をせず、ベッドのシーツを何週間も換えない、というずぼらな生活を続けたため、アンドリューの部屋の戸を開けると、異臭が漂い、それは豚小屋と化した。 いくら注意をしても聞く耳を持たぬので、考えあぐねて彼の寝室を地下室に移す事にした。 以来、私はこの部屋の事を 「dungeon」(地下牢)と呼んだ。
それからしばらくの間、ミッキーはほとんど毎日我が家を訪れた。 そのたびにふたりは地下室へ行き、ドアをぴしゃり、と閉める。 何をやっているのだろう? 何か悪さでも...。 私は次男のシェインに聞く。
「兄ちゃんとミッキーは、毎日何をしているんだろうね。 あんた、知ってる?」
「知らん。」 次男も仏頂面で答える。 なぜティーンエイジャーというのは、いつもこうぶすっとしているのだろう。 ニュージャージーの少年院で、長年院長を務めた義理の妹が、言った。
「成長ホルモンのせい。 ティーンのほとんどは、みんなアタマがおかしいのよ。」
ひとつ気がついたが、ミッキーが来るといつも「地下牢」から同じロックの曲が流れてくる。 時々、どた、ばた、と音がする。 あまりしつこく詮索すると、また怒鳴りあいの親子喧嘩となるかもしれぬので、ほおっておくことにした。 それから数日。 当時私は美容師をしていたが、仕事から帰宅すると近所に住んでいる女の子が、犬の散歩をしながら声をかけてきた。 うちの息子達と同じハイスクールに通っている子だ。
「ミセス アンダーソン、今夜学校での催し物を見に行きますか?」
「学校で何かあるの?」
「まぁ、知らないんですか? アンドリューが出るんですよ!」
「うちの息子が? どういったイヴェントなの?」
彼女は、うふふ、と笑って楽しそうに説明をしてくれた。 それを聞き、へぇ~っと思った。
ところで、我が家から数分のところに友人のローズが住んでいる。 彼女のことは、「自分でやろう」の記事に書いたが、結構な美人である。 私と同じくらいのおばさんだが、若い頃、彼女の美しい碧い目にご主人が一目ぼれをしたのでは、と思わせるかんじだ。 電気技師の免許を持ち、単車を乗り回し、チェーンソーを担いで、するすると大木に登るような女性である。 声も大きく、大またで歩く。 全くもって、気持ちのいい長年の友達である。 私は彼女に電話をかけた。
「ローズ、一緒に行こうよ!」
「よっしゃ!」
彼女が運転する車で、一番よい席をとろうと、早いうちに学校へ向かった。 auditorium (講堂) の入り口で3ドルの入場料を払う。 薄暗く、ざわざわと人々の話し声がする中を歩き、ローズと私は一番前の席へ陣取った。 時間になると講堂は満員となった。 校長先生の挨拶があり、国歌斉唱。 そのうちにするすると幕が開いた。 次々と登場する男子生徒たちが、跳んだり跳ねたりステージの上で大活躍である。 しばらくすると、聞きなれた曲が流れてきた。 我が家の地下室で、アンドリューとミッキーがかけていた曲だ。 二人はフットボールの選手がつける胸当て、ヘルメットなどのギアを全てつけて登場した。 音楽に合わせて腰をふり、ふり、ダンスが始まった。 次々と身に着けているものをはずし始め、最後にはショートパンツとソックスだけの姿となった。 女生徒たちが黄色い声を張りあげる。
「きゃーっ!!! すてき~! 」
「死ぬ~!」
「ミッキー、愛してるわ~!」
「アンドリュー、プロムに一緒に行ってちょうだ~い!」 (プロムとはアメリカの高校生達が、タキシードやイヴニングドレスを着て出かける、ハイスクールのダンスパーティーのことである。 高校3年になると卒業の前に、このイヴェントが行われる。 男子生徒たちは好きな女の子たちに声をかけ、承諾を受けると、当日めいっぱいおしゃれをし、その日のデートの相手を車で迎えに行く。)
講堂は笑いに包まれ、女生徒たちは声を嗄らして叫んだ。 まさか息子がこんな事を地下室で練習していたとは...。 口を半開きにして、ショーを見ていると、ローズが私の背中をどん、とたたいた。
「あんた、何黙って見てんのよ! 若い子達に負けるんじゃないわよ!」
そう言って、彼女も大声で声援を飛ばし始めた。
「アンドリュー、私よ、私っ、ローズよ! ここにいるわよー! がんばれぇー!」
ローズは口に小指をつっこんで、ピューピューと口笛をとばした。 息子は舞台の上で、一瞬ぎょっとしたようだが、かぶりつきの席で身を乗り出している彼女と、その隣にいる母親を見て、腹を決めたようだった。 最後のガッツポーズで閉めて、アンドリューとミッキーはダンスを終了した。 拍手と口笛と笑いにつつまれたやんやの嵐が続く中、カーテンが下りる。 その後、生徒たちの間で、投票がおこなわれ、校長がアナウンスをした。
「今年のミスターハイスクールには、3年生のアイザック マクマホン君が選ばれました。 おめでとう! 父兄の皆様方、fund raising は今回も大成功でした。 大いなるサポートを感謝いたします。 来年もどうぞよろしく!」
ピッツアとハンバーガーを食べながらの打ち上げパーティーから帰宅した長男に、私は声をかけた。
「なかなかカッコよかったよ。」
「ふん、そう...。」と言って彼はにやっと笑った。 久方ぶりに見る息子の笑顔だった。
ある時、私は近隣の小学校の募金活動をサポートするために、包装紙を注文した。 小学校4、5年生くらいの男の子達が二人、我が家の玄関までやって来た。 彼らを連れてきたと思われる親らしき男性は、数ヤード離れたところに立っている。 この場合、大人達はまず口を開かない。 挨拶から、セールス、注文を取る事、集金など全て子供たちにやらせる。 この時、あいにく小切手帳のチェックを切らしてしまっていたので、現金を渡し、レシートを受け取った。 数週間後、近所で同じものを注文した友人が品物が届いた、と言ったので、私の物もじきに配達されるであろう、と思った。 だがそれはクリスマスまじかになってもこなかった。 小学校へ電話をし、事務員に伝える。
「注文品が届いていないのですが...。」
「レシートはお持ちですか?」
「はい、ございます。」
「おかしいですね。 調べて、こちらからまた電話をしますのでお待ちください。」
レシートの番号を知らせ、電話をきる。 翌日学校から連絡があった。
「恐縮ですが、あなたの注文品はこちらにございません。 子供たちに支払いをする時に小切手をお渡しになりましたか?」
「いいえ、現金でした。」
「お~...。」、と言って事務員は黙ってしまった。
察するところ、誰かが注文書を破り捨て、現金をポッポに入れてしまったのだろう。
「あなたが注文なさった品とは違うものですが、いくつか余った包装紙がございますので、それでよろしければお届けしますが...。」
もう還暦まじかのいい年をしたおばさんだが、私はこういうときにあまり「大人」らしい言動をとらない。 ムっとして事務の女性に言った。
「余り物はけっこうです。 来年は隣町の小学校の募金活動をサポートします。 Thank you for your time. (お手間を取らせました。)」
「あの、ちょっと...。」
「ガチャ!」
たかが数ドルの包装紙ではないか。 何も事務員にあたることはないのだ。
さて、当時17歳だった我が家の長男、アンドリューは wild teenager (手におえぬティーンエイジャー) であった。 弱いものいじめだけはしなかったが、学校をサボリ、ケンカをし、どうやって手に入れたのか知らぬが、酒、タバコをのんだ。 (アメリカでは身分証明書がないと、これらの物を手に入れることはできない。) 父親が単身赴任でほとんど不在であった、ということもあり、しょっちゅういろいろな問題をおこし、私はいつも頭痛薬を常用していた。 最低すれすれの成績で高校を卒業し (後ほど分かったのだが当時、同じ教会に通う日本人の友人が、この息子のために断食までして祈ってくれていたそうだ。 彼女の祈りにサポートされてアンドリューは卒業ができたと、私は信じる。 もし卒業できずにこのままもう一年我が家に居座られたら、母親の私が発狂するであろうと友人は見てとったのかもしれない。 ここまで親身になって、人の家庭のために祈る人が、いったいどれだけいるだろうか。本当に感謝なことだ。)、海兵隊へ入ったが、この息子が、ようやく家を出ていった時に、私は天を仰いで、わが主、イエスキリストに感謝の祈りを捧げた。
息子は勉強はちっともしなかったが、女の子たちとデートをする事と、スポーツだけは力いっぱいやった。 フットボール、サッカー、陸上競技、レスリングとシーズンごとにいろいろなクラブ活動をやり、どういうわけか、彼は女の子たちにたいそうモテた。 クラブ活動を通して知り合った友人も多かったが、そのなかにミッキーという小柄な少年がいた。 ある週末、ミッキーが我が家を訪れた。
「こんにちは、ミセス アンダーソン。」
「あら、ミッキー久しぶりね。 元気? この間の試合はよかったわよ。 ずいぶんとがんばって...。」
「おふくろ、オレたちやる事があるんだ。 しばらくほっといてくれないか。」
いつもの仏頂面で、アンドリューは友人を連れて地下室へ降りていった。 我が家の地下室には洗濯部屋、トイレ、そしてデンがある。 den というのは、家族がくつろぐ部屋で、居間とはまた違う部屋である。 最初は2階にある寝室のひとつを彼にあてがっていたが、掃除をせず、ベッドのシーツを何週間も換えない、というずぼらな生活を続けたため、アンドリューの部屋の戸を開けると、異臭が漂い、それは豚小屋と化した。 いくら注意をしても聞く耳を持たぬので、考えあぐねて彼の寝室を地下室に移す事にした。 以来、私はこの部屋の事を 「dungeon」(地下牢)と呼んだ。
それからしばらくの間、ミッキーはほとんど毎日我が家を訪れた。 そのたびにふたりは地下室へ行き、ドアをぴしゃり、と閉める。 何をやっているのだろう? 何か悪さでも...。 私は次男のシェインに聞く。
「兄ちゃんとミッキーは、毎日何をしているんだろうね。 あんた、知ってる?」
「知らん。」 次男も仏頂面で答える。 なぜティーンエイジャーというのは、いつもこうぶすっとしているのだろう。 ニュージャージーの少年院で、長年院長を務めた義理の妹が、言った。
「成長ホルモンのせい。 ティーンのほとんどは、みんなアタマがおかしいのよ。」
ひとつ気がついたが、ミッキーが来るといつも「地下牢」から同じロックの曲が流れてくる。 時々、どた、ばた、と音がする。 あまりしつこく詮索すると、また怒鳴りあいの親子喧嘩となるかもしれぬので、ほおっておくことにした。 それから数日。 当時私は美容師をしていたが、仕事から帰宅すると近所に住んでいる女の子が、犬の散歩をしながら声をかけてきた。 うちの息子達と同じハイスクールに通っている子だ。
「ミセス アンダーソン、今夜学校での催し物を見に行きますか?」
「学校で何かあるの?」
「まぁ、知らないんですか? アンドリューが出るんですよ!」
「うちの息子が? どういったイヴェントなの?」
彼女は、うふふ、と笑って楽しそうに説明をしてくれた。 それを聞き、へぇ~っと思った。
ところで、我が家から数分のところに友人のローズが住んでいる。 彼女のことは、「自分でやろう」の記事に書いたが、結構な美人である。 私と同じくらいのおばさんだが、若い頃、彼女の美しい碧い目にご主人が一目ぼれをしたのでは、と思わせるかんじだ。 電気技師の免許を持ち、単車を乗り回し、チェーンソーを担いで、するすると大木に登るような女性である。 声も大きく、大またで歩く。 全くもって、気持ちのいい長年の友達である。 私は彼女に電話をかけた。
「ローズ、一緒に行こうよ!」
「よっしゃ!」
彼女が運転する車で、一番よい席をとろうと、早いうちに学校へ向かった。 auditorium (講堂) の入り口で3ドルの入場料を払う。 薄暗く、ざわざわと人々の話し声がする中を歩き、ローズと私は一番前の席へ陣取った。 時間になると講堂は満員となった。 校長先生の挨拶があり、国歌斉唱。 そのうちにするすると幕が開いた。 次々と登場する男子生徒たちが、跳んだり跳ねたりステージの上で大活躍である。 しばらくすると、聞きなれた曲が流れてきた。 我が家の地下室で、アンドリューとミッキーがかけていた曲だ。 二人はフットボールの選手がつける胸当て、ヘルメットなどのギアを全てつけて登場した。 音楽に合わせて腰をふり、ふり、ダンスが始まった。 次々と身に着けているものをはずし始め、最後にはショートパンツとソックスだけの姿となった。 女生徒たちが黄色い声を張りあげる。
「きゃーっ!!! すてき~! 」
「死ぬ~!」
「ミッキー、愛してるわ~!」
「アンドリュー、プロムに一緒に行ってちょうだ~い!」 (プロムとはアメリカの高校生達が、タキシードやイヴニングドレスを着て出かける、ハイスクールのダンスパーティーのことである。 高校3年になると卒業の前に、このイヴェントが行われる。 男子生徒たちは好きな女の子たちに声をかけ、承諾を受けると、当日めいっぱいおしゃれをし、その日のデートの相手を車で迎えに行く。)
講堂は笑いに包まれ、女生徒たちは声を嗄らして叫んだ。 まさか息子がこんな事を地下室で練習していたとは...。 口を半開きにして、ショーを見ていると、ローズが私の背中をどん、とたたいた。
「あんた、何黙って見てんのよ! 若い子達に負けるんじゃないわよ!」
そう言って、彼女も大声で声援を飛ばし始めた。
「アンドリュー、私よ、私っ、ローズよ! ここにいるわよー! がんばれぇー!」
ローズは口に小指をつっこんで、ピューピューと口笛をとばした。 息子は舞台の上で、一瞬ぎょっとしたようだが、かぶりつきの席で身を乗り出している彼女と、その隣にいる母親を見て、腹を決めたようだった。 最後のガッツポーズで閉めて、アンドリューとミッキーはダンスを終了した。 拍手と口笛と笑いにつつまれたやんやの嵐が続く中、カーテンが下りる。 その後、生徒たちの間で、投票がおこなわれ、校長がアナウンスをした。
「今年のミスターハイスクールには、3年生のアイザック マクマホン君が選ばれました。 おめでとう! 父兄の皆様方、fund raising は今回も大成功でした。 大いなるサポートを感謝いたします。 来年もどうぞよろしく!」
ピッツアとハンバーガーを食べながらの打ち上げパーティーから帰宅した長男に、私は声をかけた。
「なかなかカッコよかったよ。」
「ふん、そう...。」と言って彼はにやっと笑った。 久方ぶりに見る息子の笑顔だった。