メイプルストリートの隣人たち 「アレハンドロ と マリア」

2016-05-09 18:23:03 | 随筆
1980年に勃発したエルサルバドルの内乱から逃れるために、アレハンドロとマリアはいくつもの国境を越えた。 結婚をし、五人の子供たちをアメリカで産み、育て、現在は五人の孫に恵まれている。 二人とも私と同じくらいで、50代の夫婦である。 多くは語らぬが、筆舌に尽くしがたい苦労をしたに違いない。 そんなことは少しも表に出さず、この夫婦は明るい。 我われの家は、薄い壁のタウンハウス (長屋) なので、お互いの生活の音が洩れてくる。 マリアはサルサが大好きで、彼女が仕事から帰ってくる夕方になると、かなりのヴォリュームで、チャカチャカと音楽が聞こえてくる。 ラテン系の人たちはいつも多くの家族に囲まれて暮らしている。 彼らの親戚一同、40人以上の人たちが同じ町に住んでいて、毎月誰かの誕生日、結婚記念日などを祝うため週末はほとんどパーティーである。 それではさぞかし騒音でうるさいだろうと思われるが、我が家とて毎日ピアノ教室の騒音をくりだすため、お互いさまなのだ。

「ピアノの音? ぜーんぜん気にしないよ。 やりたいだけやっていいよ。 ははは!」

そう言ってくれるので、こちらも少し気が楽だ。 反対側のお隣のミリアムはそうはいかず、2年前に引っ越してきた時、すぐに苦情を言ってきた。 仕方がないので彼女が家にいる時は、アコースティックピアノは使えず、デジタルピアノのヴォリュームを絞って生徒たちのレッスンをする。 ミリアムの前の住人は、アーサーという一人暮らしの老人だった。 亡くなる数年前、彼は認知症を患い、アーサーの家の中はゴミ屋敷と化した。 ゴミの山が音を遮断していたらしく、こちらがいくらピアノを弾いてもほとんど聞こえなかったらしい。 そういう訳で、私はミリアムが不在の時には遠慮なく騒音をかもし出す。 

ロドリゲス家の台所と我が家のそれは、壁一枚を挟んですぐ隣にある。 こちらが鍋の中をかき回していると、マリアの料理の音も聞こえてくる。 お互いに何かを切らしてしまったときなど、卵やら、砂糖やら、よく貸し借りをする。 彼女は律儀で、卵を数個貸すと、後で必ずいちダースの箱をそのまま持ってきたりする。 また、安売りをしていたのでたくさん買ったからと、果物を届けてくれたり、なんとなく、落語に出てくる長屋での近所付き合いというのはこんなものかな、と思わせることがよくある。 ある日、私は餃子を山ほど作った。 フロリダ旅行の記事、「ゴリアテと餃子」にも書いたが、私の餃子はものすごく大きい。 バツいちとなり、二人の息子達も巣立った今は一人暮らしだが、 昔の癖で、料理をする時はいつもたくさん作りすぎてしまう。 隣に少し持って行こう。 焼き上げた餃子を皿にのせて、隣の戸を叩いた。 アレハンドロがドアを開けた。

「マリアはいる? ダンプリングをたくさん作ったんだけど...。」
「あ、あぁ... え~っと、ちょっと待って...。」

餃子の皿をかかえたまま、玄関の前に待つこと数分。 どうしたんだろう? ようやく戻ってきたご亭主はこう言った。

「あのぅ...、女房はちょっと具合が悪いんだ。 また後でって、言ってるけど...。」
何かおかしいと思ったが、私は皿を彼に渡し、彼女の様態がよくなったら電話をくれるように頼んだ。

翌日、仕事から帰ったマリアは即座に我が家の戸を叩いた。

「フィー、昨日は失礼。」
「もう具合はいいの?」
「いったいうちの亭主が、あんたに何を言ったか知らないけど、あたしゃ昨日あんまり頭にきて、キチガイになりそうだったわ。」
「何があったの?」
「うちの庭を見て何にも気がつかなかった?」
「庭???」

マリアは私の手を引っ張って、玄関から外へ出た。 よく見ると、彼女が大好きだった、dog wood  (ハナミズキ) の木が消えていた。

「あれ? ドッグウッドがない!」
「フィー、よく見てよ。 ドッグウッドだけじゃないのよ!」

あれま、ヒイラギの木もない。 根元から見事にちょん切られ、ロドリゲス家のフロントヤードはスカーッとしていた。 聞くところ、何を思ったか、アレハンドロは鋸でガリガリとやってしまったらしい。 

「何でまた...?」
「知るもんですか! うちの亭主、アマタがおかしいのよ! 芝が伸びてきたから、庭仕事をしてくれるように頼んだら、この有様よ!」

仕事から帰宅したマリアは、のっぺらぼうとなった庭を見て、絶句した。  

「怒鳴りつけたかったけど、言葉にならなかったわよ。 だもんで、二階にすっ飛んで行って、アレハンドロのジャケットや、セーターをはさみでジョキジョキにしちゃった!」
「え~っ!!! 彼、怒らなかった?」
「あの人に怒る権利なんかあるもんですか!」

さんざん我が家でダンナの悪口を言い、憂さ晴らしをしたマリアは最後に笑ってこう言った。

「でも私もアホなことをしたわ。 カーッとなって亭主の服をめちゃくちゃにしたけど、新しいものを買わなければならないから、結局我が家の財布を傷めることになって、バカみたい。」

数週間後に、アレハンドロはたいそう苦労をして、切られた木の切り株を掘り起こし、新しい木を二本植えた。 汗を拭いている彼に私は声をかけた。
「Job well done! (お疲れ様!)」
「やぁ、フィー。 I have learned a good lesson.   I don't think I will ever do this again!  (痛い目にあった。 もう二度とやらないよ。)」
この事件の事は、今でも時々マリアが笑いながら口にするが、そのたびにアレハンドロは、もういい加減に許してくれ、と頭をかく。

二人を見ていると、漫才をやっているようで楽しい。 マリアは人を笑わせようとして、いろいろ言うわけではないのだが、なんだかやたらとおかしいのである。 数年前、彼女は「コロノスコピー」 (「コロノスコピー」、の記事参照)の検査を受けることになった。 この検査をすでに経験済みの私は、先輩ヅラをして言った。 

「検査の前の晩に、下剤をたんと飲んで、大腸をすっからかんにするのよ。 夜寝る時も、気を抜いていると、シーツに下痢便をお漏らしする可能性はあるからね。 気をつけなさいよ。」
マリアは平気な顔をして、ご亭主にこう言った。 (なぜ夫にスペイン語で話しかけず、わざわざ英語を使ったかというと、おそらく私に聞いて欲しかったからではないかと思う。)
「じゃあ、あんた、薬局に行って、 depend (大人用紙おむつの商品名) を買ってきてよ。」
「やだよ! 店の人たちに、オレが使うのかって、思われるから...。」
「あっ、そう。 じゃあ、いいわよ。 一緒のベッドで寝ていて、私が漏らしたら、アンタもうんこまみれになるんだからね!」
「わかったよ!」


ロドリゲス家には、実にいろいろと世話になった。 互いに隣人となってから、早くも17年経つが、彼らがお隣さんで本当によかった、と思うことが多くある。 ある時私は家具店でカウチ (ソファのこと) を購入した。 配達されたカウチを地下室のデン (den、家族がくつろぐ部屋、 居間とは別のもの) へ運んでくれるように頼んだが、地下室へのドアを見るなり二人の配達係の人たちは首を横にふった。 

「これは大きすぎて、このドアを通り抜けることは不可能です。」

彼らはそれでも何回かトライしたが、やはり無理であった。 仕方がないので、カウチは廊下にそのまま置き去りにされた。 途方にくれ、サイズを確かめず愚かな買い物をした自分に腹が立った。 ぼんやりと花壇に水をまいているところに、アレハンドロが仕事から帰ってきた。

「やぁ、フィー。 しょぼくれた顔をして、どうしたんだい。」
「失敗をしてしまって...。」

事情を話すと、彼は即座に3男坊に電話をかけた。 スペイン語だったので、何を言っているのやら私には分からなかったが、話し終わるとアレハンドロはこう言った。 

「今すぐにサウルが来るから、待ってて。」

しばらくすると、道具箱を抱えたロドリゲス家の親子がやってきた。 

「大丈夫だよ、フィー。  このカウチは地下室へ入るから。」

見ていると、二人の手によって、あれよ、あれよ、という間に家具は解体された。 難なくドアを通り抜け、デンのなかでそれは再び組み立てられた。 手数料を払おうとしたが、彼は受け取らなかった。 

「お互い様だよ。 あんたはいつか、うちの娘を助けてくれただろう?」

あぁ、そういえばそんなことがあった。 長女のサブリナがまだ高校生の頃、髪をロールブラシでセットしようとしたのだが、勝手が分からず、めちゃくちゃに髪の毛がブラシに絡みついてしまった。 仕方がないので短く髪を切ってしまってくれと、マリアが私に頼んだ。 (私は数年前まで、美容師、ピアノ講師、水泳コーチと3つの仕事をしていた。) 自慢の美しい黒髪をばっさりやられることは嫌だと、サブリナは泣いたがマリアは承知しなかった。

「仕方がないじゃないの! いったいどうやったら、こんなにブラシに絡ませることができるのか、全く理解できない! 切るしかないわよ!」」

まぁ、まぁ、と母親をなだめ、私はつまようじを使って、髪を少しづつブラシからはずし始めた。 時間はかかったが、サブリナの長い髪は切らずに済んだ。 

このようにして私達は何かあるごとに助け合ってきたが、今から10年以上も昔に私が一生忘れられないことがおこった。 当時、我が家の長男、アンドリューは海兵隊員であり、イラク戦争の戦場へ赴いた。 敵の爆撃を受け、負傷をした息子は帰国をすることになった。 どういうわけか、ヴァージニアの空港ではなく、お隣のメリーランド州にある空港に到着するという。 道順が分からず度惑っていると、アレハンドロがこう言った。 (つい最近熟年離婚をした夫は、単身赴任のため家にはいなかったので、彼の助けを得ることはできなかった。)

「心配しないでいいよ、フィー。 息子と二人でうちのトラックを運転するから、空港まで俺達の後をついてくればいい。」
約一時間半の道のりをロドリゲス家の後を追いながら、アンドリューの事を気遣い、気が気ではなかった。 怪我はひどいのだろうか? 歩けるのだろうか? 到着すると、ボルティモアにいる親戚一同が、花束、垂れ幕、などを抱えて待っていた。 息子ともうひとりの若い海兵隊員の二人が制服を着てドアから出てくると、我がアンダーソン家だけではなく、周りにいる多くの人々が歓声をあげた。

「Welcome home! Thank you for serving! (お帰り! ごくろうさんでした!)」

足を少しひきずった息子は、見も知らぬ老婦人に抱きしめられ、嬉しそうだった。 ひとしきり、ハグやキスの嵐を受けたあと、アンドリューは言った。

「ただいま、お母さん。」

気がつくと、アレハンドロと彼の息子のセスはアンドリューの荷物を全てトラックの荷台に乗せると、「ゆっくり家族との時間を楽しめばいいよ。 じゃあ、後でね。」、と言い残し、ひと足先にヴァージニアへ向かった。

帰り道、ハイウェイを走らせながら、よくぞ生きて帰ってきたという気持ちだけで、言葉はあまりでてこなかった。 アンドリューも言葉少なだった。 同じ部隊で戦死をした友人が何人もいる、という。 家族を失った人たちのことや、これからこの息子はどうなるのだろう、という思いが私の胸をしめつけた。 

我が家がある住宅地の入り口に近づくと、あれ? と思った。 この近所には木が多い。 メイプルストリートまでに、あといくつかの通りを過ぎてゆくのだが、一本一本の木に黄色いリボンが巻きつけてある。 

「お母さん、ありがとう。 こんなにしてくれて。」と息子は感無量だ。
「いや、私がしたんじゃないわよ...。」
メイプルストリートに車が入ると、マリアがいた。 エプロンをつけた彼女は、二人の娘達に指図をしながら、近所中の木に黄色いリボンを結び付けていたが、 私たちを見つけると、大きな声で言った。

「今日は近所の連中をみんな呼んだから、大パーティーよ! お帰り、アンドリュー!」

私は涙で目が見えなくなり、我が家の前でブレーキを踏んだ。


   
コメント (2)
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