アメリカの高校生たち 「アンドリューの栄光」

2016-07-30 15:26:52 | 随筆
私の息子達は、年子である。 二人とも30代のオッサンとなったが、アンドリューとシェインは、同時期にハイスクールへ通った。 アメリカのみならずどこの国でも、おそらくティーンエイジャーたちにとって死ぬほど辛い事は、おそらく「恥をかくこと」、「クールでないこと」、であろう。 

「Ma(オフクロ、かあちゃん)、こんなところで何してるんだ?! 早く帰ってくれよ!」

学校に用事があったので出かけたところ、ばったりと廊下で長男のアンドリューに会った。

「何って、用があったから来たのよ。」
「何だよ、その格好。 みっともない...。」

私はカーキ色のズボンに、ごく普通のシャツとセーターを着ていた。 自己弁護をするではないが、アメリカではたいていどこの親たちも、普段着で学校を訪れる。 昔、高校進学に関する親子面談の時に、私の母は訪問着に帯を締めて学校に来たが、この国では、卒業式以外、普段はこんなかんじである。 きちんと化粧もしていたし、けしてみっともない姿ではなかった。 17歳の息子にゴタクを並べられるおぼえはない。         

「ごたごた言ってないで、そこをおどき...。」 息子の腕を押そうとしたら、女の子の声がした。
「あら~、アンドリュー。 あなたのお母さんなの?」

3人の女生徒たちに囲まれた息子の顔が引きつった。


「う...。」
「Hi, girls. Nice to meet you!」 とにこやかに挨拶をし、私はさっさと息子を尻目に事務室に入っていった。 

その晩彼は、学校で恥をかいたという不満を、私にぶつけた。

「お母さんが、ハリウッド女優のような美人だったら、恥をかかなかったと言いたいの?」 私は腹を立てて、嫌味を言った。 少なからず傷ついて、友人に愚痴をもらした。 なぜ息子は私のことを恥ずかしがるのか? 私のまずい英語のせいか? すると、碧い瞳の友人は言った。 

「フィー、あなたの英語とか、容姿とか、ぜんぜん関係ないわよ。」
「じゃあ、何なの?」
「あなたが彼の親だからよ。」
「?」
「ティーンエイジャーにとって、親たちというのは恥ずかしいもの、クールではないものなのよ。」

彼女いわく、私と同じように学校で息子に会い、うっかり彼のクラスメート達の前で、彼のことを「peanut」、というベイビィー ニックネーム で呼んでしまったそうだ。 「ピーナツちゃん」とは、幼子を愛でて呼ぶ時に使う。 ベイビィー ニックネームは赤ちゃんの時につけたあだなで、往々にして、アメリカ人たちは子供が成長してもそれで呼ぶ。 私も30過ぎの息子達をつかまえて、昔のニックネームを使って話しかける時がある。 南京豆ちゃん、と友人達の前で呼ばれた彼女の息子はそれから、学校で、デクスター、という本名で呼ばれることなく、いつも ピーナツちゃん、と呼ばれることとなった。 彼は身長6フィート3インチ (約190センチ)、体重 230パウンド (約、104キロ)を超えるフットボール部の選手で、とてもごっつい体格をしている。 これが母親のたったひとことの失言で、ある日、「ピーナツちゃん」となった。 

ボルティモアに住む私の義理の妹は、38歳の娘をいまだに、「プゥー」と呼ぶ。 かわいい クマのプーさん、のプゥーではない。 アメリカでは、うんこのことを、「poop」、というが、あろう事か娘に 「うんこちゃん」、と言うあだ名をつけたのだ。 なぜそんなことをしたのか、と非難をこめて質問したら彼女はこう言った。 「赤ん坊の頃、おしめを換えても、換えても、たくさんうんこをしたからだ。」 何回も言うようだが、私がブログに書いたことは実話である。

ちなみに、ベイビィー ニックネームでよく聞くのは:
pumpkin カボチャちゃん、(日本では どてカボチャ、であるが、アメリカでは愛する人を呼ぶ時に使う。)
muffin マフィンちゃん
sugar お砂糖ちゃん
pudding プディングちゃん、(お菓子の一種)

こうしてみるとたいてい食べ物だが、フランスで長年暮らした友人に聞くと、あちらでは、「私のキャベツ」というのがあるそうだ。 日本人の私から見ると、なぜ カボチャや、キャベツが愛する人の呼び名となるのか、不可解であるが、たまに 「my monkey」 (私のお猿さん)というのがある。 なぜわが子をサルと呼ぶのか、これも不可解である。

とにかく、ティーンエイジャーたちにとって、親というのはクールでないもの、らしい。 我われ母親をこのようにして、高校時代に うとんじた息子達は、みな二十歳を過ぎる頃から、赤ちゃん時代のあだ名で呼ばれても平気で返事をするようになる。 彼らにとって、そんな事はどうでもよいこと、となり、気にしなくなるらしい。


さて、アンドリューが高校3年の時だが、ある秋の涼しい夜、私は2階の寝室の窓を開けて眠ることにした。 明け方4時ごろ、人のひそひそ声で目が覚めた。 

「クスクス...。」
「あ、それはそこへ置いたほうがいいわよ...。 ウフフ。」
「しーっ...。」  

ベッドから飛び降りた私は、窓のブラインドの隙間から外を覗いた。 (後に熟年離婚をすることとなった亭主は単身赴任のため、いつも不在だった。) 暗闇のなかに5,6人の人影が見える。 我が家のフロントヤードで何をしているのか?  泥棒? 私はとっさに大声を出した。

「何者だ! あんたら、そこで何をしている?!」

intruder (侵入者)たちは、キャーッと叫んで、蜘蛛の子を散らすように、逃げていった。 玄関のポーチライトをつけて外へ出てみると、庭一面にぬいぐるみのクマ、おもちゃのトラック、ヨーヨーなどの玩具がちらばり、チョークでセメントのサイドウォークのうえには、

「Go, go, Andrew!」 (行け、行け、アンドリュー!)
「You are the best!」 (あんたが一番よ!)
「We love you, handsome!」 (大好きよ、イケメンちゃん。)
などと書きまくってある。

「なんじゃ、これは...?」 しばらく呆然とたたずんでいたが、はっと振り返ると、長男がうしろにいた。 苦虫を噛み潰したような、おそろしい顔をしている。 

「オフクロ! なんて事をしてくれたんだよう!!!」
「え、なんてって...?」

かいつまんで言うと、こういうことだ。 当時息子はフットボール部員だった。 このカウンティー (郡)で一番の弱小ティームで、シーズン中に一度も試合に勝ったことがない、というクラブであったが、アメリカの高校ではフットボール部員である、ということだけで結構モテるらしい。  大きな試合が近づくと、「グルーピー」の女生徒達が、(たいてい、チアリーダー部の女の子たちであるが)このようにして、朝早くからそ~っと選手の家へ行き、(アメリカでは16歳で運転免許が取れるので、親に頼まなくとも、子供たちだけでこのようにして出かける事ができる。) 「励まし」のメッセージを庭中にまき散らすのだ。 数多くいる選手達のなかで、人気のある男子生徒だけがこのような 「栄光」をうけることができる、らしい。 アメリカのハイスクールの「伝統」を知らぬ日本人の母親が、それをめちゃくちゃにしたのである。

「今日学校へ行ったら、なんて言われるか...。 オレ、死にたいよ!」

そうか、かわいそうなことをしたな...。 しかし、高校時代父親の不在をいい事に、この息子はさんざん不良少年をやった。 校長先生や、カウンセラーに呼び出され、停学をくらうたびに、頭を下げてやったのはどこの誰だ? 我が家で、アンドリューとの怒鳴りあいの親子喧嘩は、日常茶飯事であった。  

「じゃあ、なぜ前もって、こういうことがあるかもしれないから、と言わないのよ! そうすりゃ、こんな事お母さんだってやらなかったじゃないの!」
「知るかよ!」

この前代未聞の事件があったあと、あの女生徒たちがその日学校でどんな事を話題にしたか、大体想像がつく。

「アンドリューの母ちゃんって、おっかないのよぉ~。」
「ものすごい大声だったわねぇ。」
「つかまっていたら、フクロ叩きにされたかもね。 ウフフ。」

長男は、2,3日口をきいてくれなかった。
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする