高貴な ’ステッペンウルフ’。
下衆中で最悪の下司 ’紳助’! 06.09.17
そうは言ってもなぁ・・・
’紳助’は 実家の物置下で生まれたんだよなァ・・・
それを知らず、
私が物置整理した時に 追い出した結果になったんだよなぁ。
高貴な ’ステッペンウルフ’。
下衆中で最悪の下司 ’紳助’! 06.09.17
そうは言ってもなぁ・・・
’紳助’は 実家の物置下で生まれたんだよなァ・・・
それを知らず、
私が物置整理した時に 追い出した結果になったんだよなぁ。
鎌倉「衣張山」ハイキング? 06.03.31 8:15am~
06.03.09 鎌倉「本覚寺」梅の季節、鎌倉市小町
別名「東身延」。
私たちは、”日朝(にっちょう)さま”と呼ぶ。
現在の小町大路(小町通ではない)の始点に在る。
現在の終点は「宝戒寺」かな。
鎌倉市”小町”と”大町”との境界近くなので、
私が 他人にこの周辺を特定する場合に
この寺を引き合いに出す。
なまじ ”小町大路”と言うと、
鎌倉駅近隣の”小町通り”を連想されないようにだ。
山門前の小町大路を挟んだ対面の奥は「妙本寺」、
鎌倉郵便局を挟んだ隣が「大巧寺」”おんめさま”。
クルマで買い物の時は 毎回 山門前を通るが、
梅の写真を撮るために来たのは初めてだ。
近隣を歩く場合は、
大町から若宮大路へ抜ける時の
僅かな”ショートカット”として境内を横切ってしまう。
いつもボォ-ッっとして歩いているから、
梅の木 や 大きな百日紅の古木があったなんて
気がつかなかった。
因みに、眼病治癒の寺として信仰が厚い。
刀工「正宗」夫妻と伝わる墓が在る。
アルバムは一番下にあります。
01) 本覚寺、山門。小町大路入口。
対面は妙本寺。背後は若宮大路。
通称「日朝(にっちょうさま)」
02) 本覚寺、本堂。
03) 本覚寺の梅
04) 本覚寺の梅
05) 本覚寺。百日紅の碑
06) 本覚寺。百日紅の古大木
07) 本覚寺(ほんがくじ)。鐘楼
08) 本覚寺。椿の大木
09) 本覚寺。本堂と梅
10) 本覚寺。梅
11) 本覚寺。梅を見上げる
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大潮の材木座海岸 と 飯島地区「和賀江島」
02年09月07日(土)撮影。
正確に今日が大潮かは未確認ですが、
最も潮が引いたと思われる時間帯を撮影して
干上がった遠浅の海岸をご紹介します。
大潮の日は、 通常の平均的な波打ち際から
約50mほど沖まで干上がるほど遠浅の海岸です。
小潮の日でも 波打ち際から100m近くの沖まで
大人の背が届きます。
「材木座」の地名の由来は、
中世の同業者協同組合「座」にあります。
鎌倉でも寺院の多い地域として知られる現在の材木座には
かつての築港「和賀江島」が静かに横たわり、
遠浅の海岸は マリン・スポーツに興じる人々で賑わっています。
「和賀江島(わかえじま)」 :
鎌倉市・材木座海岸の沖合いに
引き潮の時にだけ見える石の河原のようなものは、
現存する日本最古の築港(人工の港)遺跡で、
国の史跡にしていされています。
ですから、石の一つ一つも国の史跡ですから、
持ち帰ると法に触れますのでご注意を。
大昔の材木座海岸は 諸国から鎌倉に入る船で賑わった
そうですが、
遠浅のため 難破する船も多かったそうです。
そこで、防波堤兼船着き場として作られたそうです。
01)材木座海岸・飯島地区(1)
02)材木座海岸・飯島地区(2)
03)材木座海岸・飯島地区(3)
04)材木座海岸・飯島地区(4)
05)材木座海岸・飯島地区(5)
06)材木座海岸・飯島地区(6)
07)材木座海岸・飯島地区(7)
08)飯島地区「和賀江島」(1)
09)飯島地区「和賀江島」(2)
10)飯島地区「和賀江島」(3)
11)飯島地区・和加恵島の「碑」
12)美脚・右足
13)特別出演・左手
14)友情出演・左足
15)飛び入り出演・マウンテンバイク
16)逗子マリーナから観た「和賀江島」
17)ゲート・ボールを楽しむ ご老人の方々
18)逗子マリーナ防波堤から(1)
19)逗子マリーナ防波堤から(2)
20)逗子マリーナ防波堤から(3)
21)逗子マリーナ防波堤から(4)
22)磯カニを撮ったつもりだったが・・(1)
23)美脚
24)磯カニを撮ったつもりだったが・・(2)
25)磯カニを撮ったつもりだったが・・(3)
26)海面に足が届かない・・(1)
27)海面に足が届かない・・(2)
28)小坪「大崎」
29)大崎地区「小坪マリーナ」
初冬の自宅周辺 05.11.12朝
私は 実家から100m足らずのアパートに住んでいる。
下の写真は 実家前土手の上に有る公園から撮った。
だから この位置は かなりの高さで
白い塀の下7~8mに実家が在る。
中段左(電柱が有る所)の建物が私のアパートで、
その1階に住む。
後ろの山 手前真下が国道134号線で、
国道の向こう側一帯は
2・26事件当時首相 幣原(しではら)喜重郎の別荘だった。
現在は 或る不動産会社の研修所(の名目?)になっている。
未だ時期が早いが この山も紅葉・黄葉で斑模様になる。
しかし、現在マンション建設進行中で この山は消滅する。
↓ 実家前の道を 谷戸(やと)の奥へ向かって歩いて撮った。
↓写真前方が帰り道。
もう地元でも知る人が少ないが、
この道は旧東海道で 写真手前側を登りきると
吾妻鏡に記載されている「こつぼ坂の戦い」の地に出る。
光明寺の裏手。
↓帰り道。
↓帰り道、ここも旧東海道。家は写ってないが自宅前。郵便受けのところ。
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コンクリート、アスファルトの隙間に力強く咲く 近所の花を撮った