硝子のスプーン

そこにありました。

「LIKE A FAIRY TALE」 8

2012-06-19 16:25:02 | 小説「Garuda」御伽噺編
8.【 毀れた空の色 】   (バルバ)


「以上。各自、第三機動隊員としての自覚を持ち、今後も警戒を怠るな」
 シューインの言葉を皮切りに、会議は終わった。
 実際は会議というより、昨夜未明に行われた大捕り物に関する一方的な命令通達だったが、それについて何か疑を唱えたり、不平を漏らしたりする者は誰もいない。それぞれ疲労の色を隠せずとも緊張した面持ちで、ぞろぞろと会議室から出て行く隊員達を見送る。
 そうしてから、そっと片目で、横にいるマリアちゃんを見やった。

『手出しは一切、無用ヨ』

 その言葉通り、一大テロリストグループのアジトをたった一人で襲撃し、組織そのものを壊滅させてから、数時間。後は任せて隊舎で休めというシューインの言葉に首を横に振り、マリアちゃんはずっと、指令官としての任務を果たしている。さすがに汚れた衣服を取り替えるために、一度隊舎に引っ込んだが、すぐにまた戻ってきて、今も、この後に予定されているマスコミに対する会見に備えて、書類のチェックを、一人黙々とこなし続けている。
 先ほどまでは、白髪の青年が寄り添うように、そんなマリアちゃんの傍らにいたのだが、どうやら、彼はマリアちゃんほどの体力はないらしく、夜が明ける前に、アトレイユが派遣してきた特殊部隊の男達に囲まれて、隊舎に戻っていった。
 その際に、マリアちゃんも少し休んだらどうかと、俺からも提案したのだが、「ダイジョブ」の一言で片付けられてしまった。
 実際その顔に、疲れの色は微塵も見えない。疲れの色どころか、何の色も見えない。大袈裟でも何でもなく、この数時間の間、時折不意に、眉間に小さな皺を寄せる以外、マリアちゃんは全く表情を変えていない。こちらが何かを言えば、それなりの返答を返すには返すが、それだけだ。
 まあ、事情が事情なだけに、仕方ないと言えば仕方のないことかもしれない。
 重責を担う人間は、その使命を果たすために、まず一に“自己”を消そうとするものだ。それに、マリアちゃんが、その細い肩に背負うものの重さは、並大抵のものではないとも理解している、つもりだ。
 だが、しかし、それにしても。と、どうしても考えずにはいられない。
 あれほど、感情が素直に表に出る子だったのに。
 生き生きと明るく笑う子、だったのに。
 過ぎ去った三年間に苛立ちを募らせても、仕方がないのは分かっているけれど、何と言うか、痛ましくて、見ていられないのだ。まるで仮面を被ったかのような、今の彼女を。

「ゲジ眉」
「えっ?」
 そんなことを考えていたものだから、書面から視線を逸らすことなく発せられたその声に、思わずビクッと体が反応してしまった。
 そんな俺をチロっと見て、マリアちゃんが、ふぅっと小さく息を吐く。
「いくら私が美人だからって、それ以上ジロジロ見るなら、セクハラで訴えるヨ?」
「おお、すまん、すまん」
 密かに盗み見ていたつもりだったのだけど、どうやら不躾過ぎたらしい。どうにも俺は、『密かに』とか『そっと』とかいう行為が下手糞で困る。
 ガハハと笑い、頭を掻く俺を無視して、マリアちゃんがシューインへと書類を突き出す。
「シューちゃん、マスコミへの発表内容は、これで問題ないネ。私は表に出るわけにはいかないから、後はよろしくヨ」
「承知した。……ところで、マリア。お前、腹空かねェのか?」
 咥え煙草で、書類を受け取ったシューインの言葉に、はっとして、ぽんと手を打つ。
「おお、そうだ! マリアちゃんと言えば、飯じゃないか! いかん、これはすっかり失念していた。すぐに何か…」
「いい、要らないネ」
「え? でも、朝飯もまだだろう? お腹空いてないの?」
「…ダイエット中ネ」
「えっ。ダイエットって。えっ、マリアちゃんが?」
 予想外の返事にびっくりして、つい聞き返した俺の横で、マリアちゃんが淡々とした表情のまま、すっと席を立った。
「ちょっと外の空気吸ってくるヨ。朝飯は、お前ら二人で食うがいいネ」
 それだけ言って、俺ともシューインとも目を合わせることなく、一人、会議室を出て行く。
 その足取りはしっかりしているのに、その背中はどこか、儚げで。
 チっという舌打ちに顔を向ければ、シューインも同じことを思ったのだろう。
 眉間の皺をいつもの数十倍グレードアップさせて、マリアちゃんを追おうとするシューインを手だけで制し、俺は立ち上がった。

 正直、何をどういう風に言えばいいのか、分からない。
 ただ、一人ではないことを、甘えてもいいのだということを思い出して欲しかった。


 中庭で、ぽつんと、晴れた空を見上げているマリアちゃんに近づき、横に立つ。
 そうして同じように空を見上げながら、コホンとわざとらしくした咳払いに、マリアちゃんが再びチロリと俺を見たのが分かった。
「…何か用カ?」
「いやぁ、なんか俺も外の空気が吸いたくなって?」
「なんで、疑問形ネ」
 無意味にカハハと笑う俺の横で、マリアちゃんが呆れたように、ふんと鼻を鳴らす。それを了承と受け取って、前を向いたまま目だけをマリアちゃんに向ければ、ちょうど、飴玉を口に放り込んでいるところだった。
「飴玉じゃ、お腹膨れないだろ? ダイエットもいいけど、飯はちゃんと食ったほうがいいと思うぞ」
「……ほっとくネ」
 小さく眉間に皺を寄せつつ、もごもごと口を動かすその姿に苦笑して、また視線を空に戻す。
「今日もいい天気になりそうだな」
「……そうネ」
「こういうのを秋晴れって言うんだろうな」
「……そうネ」
「秋といえば、焼き芋だな」
「……」
「そうだ。全部片付いたら、隊舎で焼き芋大会でもしようか? マリアちゃんアレ好きだったろ?」
「……」
「あ、そっか。ダイエット中だっけか。すまん」
「……」
 いかん。どうも会話が、うまく進んでいない気がする。こういう話は、やっぱりシューインの方が向いていたかもしれない。
 黙り込んでしまったマリアちゃんを横に、一人、腕組する。
 そのまま少し考え、それからもう一度、コホンと小さく咳払いをして、口を開いた。
「ありがとうな、マリアちゃん」
「…何が?」
「マリアちゃんのおかげで、長年追っていたテロリストグループを一気に潰すことが出来た。俺達だけだったら、こうはいかなかっただろう。多分、いや、間違いなく死傷者が出てたはずだ。本当に感謝してる」
「………別に、あれはお前らのためじゃないネ」
 ややあってぼそっと呟くように返ってきた返事に、少しだけ視線をずらせば、ぐっと握り締めた、マリアちゃんの小さな手が見えて。
「なぁ、マリアちゃん」
 その手が微かに震えているのを認知した瞬間、もう勝手に口が動いていた。
「俺達じゃ頼りないかもしれんが、もっと、甘えてくれていいんだぞ」
 真っ直ぐマリアちゃんの顔を見て言った言葉に、マリアちゃんが顔を向け、目が合う。
 その金色の大きな目の中の自分を見ながら、思っていることをそのまま口に出した。
「無理強いする気も、あれこれと詮索する気もない。でも、マリアちゃんには、マリアちゃんの力になりたいって思ってる人間がいることを忘れないでくれ」
 言う俺をマジマジと見ながら、マリアちゃんが目をパチパチと瞬く。そういう仕草は、昔とそうあまり変わらない。
「…相変わらず、ストレートだナ、ゲジゲジは」
「すまんな。変化球はどうも苦手みたいだ」
 笑って頭を掻く俺を、またじっと見た後で、マリアちゃんは視線を逸らした。
 そうして今度は空じゃなく、地面を見下ろす。
「…ありがと、ナ。でも…。これは、私の問題ネ」
「………そっか」
 その目に再び宿った、あの日と同じ、諦めのような妙な潔さに、ぎゅっと拳を握る。
 やっぱり、俺じゃ役不足らしい。考える間でもなく、この子の心を本当に動かすことが出来るのは、昔から、一人しかいなかった。きっとあの男なら、今の、張り詰めて今にも切れてしまいそうな弦のようなこの子を、どうにかしてやることが出来るのだろうけど。

 ―――けれど、恐らく、今のマリアちゃんは、それを望みはしないのだろう。

「分かった。でも、これだけは、一人じゃないってことだけは覚えておいて。マリアちゃんには、俺達だけじゃない、ガルーダの連中だっているんだから」
 覗きこむように少し頭を傾けた俺を、マリアちゃんは見なかった。まるで縫い付けられたかのように動かない視線に、心の中だけでそっと息を吐き、俺も、地面に目を落とす。
 と、少しの間を置いて、マリアちゃんが「そう言えば」と、小さく口を開いた。
「アンナちゃんと付き合い始めたんだってナ」
「おおっ! 誰からそれを!?」
「グリちゃんに聞いたヨ。よかったナ、想いが叶って。長年殴られ続けた甲斐があったネ」
「いやあ。その節は本当に色々お世話になりまして」
 いかん、いかん。アンナの名前を聞くだけで、条件反射みたいに顔がにやけてしまう。こんな時にマリアちゃんの前でまで、デレデレしてたら、マジでアンナに殺されかねない。
 ナイフ片手にどす黒いオーラを放つ愛しい人を思い浮かべて、半ば本気で寒気を覚えた。身震いし、気を引き締めようとマリアちゃんを見れば、ちょうどマリアちゃんも、こちらを見上げたところで。
 けれど、お互いの目が合った瞬間にマリアちゃんが、ぐるっと首を回して目を逸らした。
「ゲジゲジ、は…」
「ん?」
「………辛く、なかったカ? アンナちゃんを、ずっと好きで」
「え?」
「…全然相手にされなくて、殴られてばっかで…。でも、ずっと好きだったデショ? アンナちゃんのこと」
「おう」
「……辛くなかった? もうやめようって、思ったことなかったカ?」
「え? やめるって? アンナを好きなことを?」
「………うん……」
 どこか気まずそうに小さく頷くその姿に、首を気持ち傾げる。
 何故、急にこんなことを聞き出すのか、さっぱり理由が見えない。脈絡がないとは、きっとこういうことを言うんだろう。
 じっと俯いたまま動かないマリアちゃんを見ながら、片手で顎をさすった。
「そうだな…、考えたことなかったな」
「一回も? まったく?」
「まあ、周りからは諦めろって散々言われたけど。でも、いつか絶対、通じるって信じてたからな」
「すっごい自信だナ…」
「そっか? でも、それがどうかしたの?」
「………別に、どうもしない、けど……」
 怪訝さを隠せず聞き返した俺に、ぼそぼそとそう答え、マリアちゃんが小さく、きゅっと唇を窄める。
「じゃあ、もし、アンナちゃんに他に好きな人が出来ちゃったら、どうするカ?」
「どうするって?」
「だから、アンナちゃんのこと、諦めるカ?」
「あ~……いや、それはないな」
「どうして?」
「どうしてって…。まあ、実際そうなったら、泣いたり喚いたりはすると思うけど。けど、俺はもうアンナに惚れまくってるからなぁ…。もう、手遅れだ」
「手遅れ?」
「何ていうか、アンナのこと思う気持ちはもう、体の一部っていうか、人生の一部みたいになっちゃってるから」

 言いながら、空を見上げる。
 綺麗に澄み渡った、広く青い空。この空の下に自分と同じように彼女がいると思うだけで、自然と湧いてくる力強く暖かな感情。
 いつからか自分の核となったその感情に一人、目を細めた。

「アンナは、俺にとって大事な人だ。そういう人がいるだけで人生は大きく変わってくる。実際、アンナと出会って俺の人生は変わったし、俺と出会ってくれたアンナに、めちゃくちゃ感謝もしてる。だから、もしそういうことになっても、きっと俺は、アンナをずっと好きだと思うよ」
「でも…、好きなら、その人にも自分を好きになって欲しいって思うのが普通デショ? 他の誰かを好きな人をずっと好きでいるなんて、辛いだけヨ……」
「辛いだけ、か。まあ、確かにそうかもなぁ。でも、しょうがないんだよ。惚れたが負けってよく言うだろ? 俺はもう、アンナに心底惚れ込んでるからさ」

 例えば、断崖絶壁に咲く花を欲しいとアンナが言ったなら、俺は崖をよじ登ってその花を彼女に届けるだろう。
 例えば、時間を止めてとアンナが言うのなら、俺は宇宙に飛び出してでも、その方法を探すだろう。
 アンナのためなら、俺はきっと、命だって賭けられる。

 こんなに強い想いを俺にくれた、彼女、だからこそ。

「アンナが笑っていてくれるなら、その理由が俺じゃなくても別にいいんだ」

 例えば、アンナの笑顔が、俺じゃない他の誰かのために咲く日が来たとしても、俺と同じように、そいつの存在でアンナが強くなれるのならば。
 そいつごとアンナが笑えるように、そいつごと幸せになれるように、俺は力を尽くそう。

 本気でそう、思うから――――。


「俺にとって一番大事なのは、アンナが誰を好きかじゃなくて、アンナが幸せであること、なんだよ」


 言い切って、視線を空から横に戻すと、いつのまにか顔を上げていたマリアちゃんが、こっちを凝視していた。
「……ホント、相変わらずバカネ、ゲジゲジは」
「そっか?」
「うん。でも、なんかちょっとだけ、かっこいいヨ」
「そっかあ?」
「うん。さすがは、アンナちゃんが惚れただけのことはあるネ」
「そうか」
 ガハハと笑う俺を見ながら、昔のようにマリアちゃんが、ウヒヒと笑う。
 仮面ではない、マリアちゃん自身のその表情に、密かにほっと胸を撫で下ろす。よく分からんが、どうやら、少しは力になれたらしい。
 そうやって一頻り笑い合った後で、マリアちゃんはもう一度空を見上げ、一人で頷いた。
「じゃ、そのゲジ眉タイチョーを見込んで、特別任務を命じるネ」
「へ?」
「アンナちゃんに直で連絡つけてヨ。私が、…マリアが今日、船に顔を見せに行くって」
「了解であります!」
 ビシっと敬礼を返した俺に、マリアちゃんはもう一度、ニっと笑って隊舎のほうへと踵を返した。「後はよろしくヨ」と、それだけ言って、去っていく後姿を少し見送ってから、俺もまた、シューインの待つ会議室に戻るため、中庭を後にする。

 全部終わったら、一日だけでも何とか休暇を取って、アンナと二人、アンナの好きな場所に行こう。
 リムシティ中の花屋を全部回って、アンナの好きな花を全部集めて、大きな花束にして、プレゼントしよう。
 照れ屋の彼女のことだから、サムイことすんじゃねーと、また殴られるかもしれないけど。
 きっと、その後でこっそり、とびきり綺麗な笑顔を見せてくれる。


 そうして部屋に戻る前、見上げた空に浮かんだ愛しい人のその笑顔に、一人そっと、祈りを重ねた。
 願わくは、この青空のように、どこまでも澄んだ笑顔を。

 どうか、あの子が取り戻すことが出来ますように。




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