硝子のスプーン

そこにありました。

「LIKE A FAIRY TALE」 30

2012-06-19 21:12:59 | 小説「Garuda」御伽噺編
30.【 まるで御伽噺のような 】   (トゥルー)


 まるで御伽噺のようだ。
 こんなこと言ったら、怒られるかもしれないけど。


「じゅっかいだて?」
「そう、十階建てになるらしいよ、新しい機動隊隊舎。新聞に書いてあった」
 洗濯機の修理に勤しみながらの僕の話に、デッキの柵に寄りかかるようにして耳を傾けていたマリアが、「へー」と短い感想を言って寄こした。
 所々にいわし雲を浮かべた空は高く澄み渡り、波が運んでくる涼やかな潮風が、何とも言えず、気持ちがいい。
 まさに秋日和と言ったところだ。そんな言葉があるならだけど。
「そんだけ高かったら…」
 マリアの小さな呟きに、手を止めて顔をあげる。
 見れば、マリアはデッキの柵に背中を凭れさせながら、ぐでんと首を後ろへ逸らして、空を見上げていた。
 僕の好きな、あの、どこかうっとりしたような、柔らかい表情を浮かべて。
「きっと、すぐ近くに見えるネ。空も雲も、太陽も、月も」
「うん。きっと、そうだね」
 頷いて相槌を返しつつ、風に自由に靡いて揺れる長い金色の髪が、秋の光を受けて、稲穂の波のようにも見えて、その眩しさに僕はそっと目を細めた。



 あの日、マリアが機動隊隊舎から病院へ運ばれてから、二日目の朝。
 その前日に病院で夜を明かした僕らは、病院の人の勧告もあって、ファルコだけを残して一度船に引きあげて、また朝一番に病院へと足を運んだのだけど。
 そこは、ちょっとした騒ぎになっていた。
 マリアの病室に近づくにつれて、大きくなっていくその騒ぎ―――というか、ザワザワした雰囲気に、三人で瞬間的に顔を見合わせ、誰からともなく駆け足になったのを覚えてる。
 そうして、駆け込んだその部屋には、マリアがいて。

 以前とおおよそ何も変わらないままの姿で、病院食を十人前くらい平らげ、更にお代わりを強請って、お医者さんと看護婦さんを辟易させている最中だった。
 前日まで、目を閉じたまま人形のようにピクリとも動かなかったマリアが、目をぱっちり開けて、きちんと体を起こして、良く通る声で、お医者さん達と話していた。

 入り口に立ったまま、その姿をただ食い入るように見つめていると、マリアの横に座っていたファルコが僕らに気づいて声をかけてきて、その呼びかけに対して、うっかり出た僕の声が妙に裏返って、それを聞いたマリアが、声を立てて笑った。
 
 マリアのその笑い声に、当たり前だけど、ああ、本物のマリアだとか思った瞬間、不覚にも涙が込み上げてきて。
 だけど、それは僕だけじゃなくて、スレイもアンナもそうで。
 そんな僕らを見て、マリアもまた涙ぐみながら、腕をハグの形に広げて。
 本当は代わる代わる抱きしめれば良かったんだろうけど、そんな順番すら待ってられなくて。
 スレイがマリアの右手を、アンナが首根っこを、僕が左手を、それぞれ同時に抱きしめたり、握りしめたりしながら、馬鹿みたいに泣き続けた。


 三年前に昏睡状態に陥った時よりもずっと、危ない状態だったマリアは、さすがにあの時みたいに目覚めた翌日に退院というわけにはいかなかったけれど、それでも、目覚めて僅か五日で退院することが出来た。
 その五日間、ゼルダさんから連絡を受けた人達が、毎日のようにお見舞いに来てくれた。

 ルビーさんは、大きなメロンを買ってきてくれて、マリアを大喜びさせていたし、ジェシカさんは最初、マリアを見るなり泣き崩れてしまって暫くは口もきけない状態だったけど、帰る頃には、成長したマリアのために流行の服を揃えると意気込んでいたし、機動隊の人達も後処理で忙しい中来てくれて、それぞれ、バルバさんは袋一杯の焼き芋を、シューインさんは温室栽培だとか言うヒメヒマワリの花束を(その際、ファルコといつものごとく喧嘩になって、看護婦さんから二人揃って大目玉を食らっていた)、ヘリングさんは最近嵌ってるとかいう、健康グッズをお見舞いにくれたはいいけど、面白がったアンナにものの数秒で壊され、ちょっと泣きそうになりながら帰っていった。

 それから、クロイス博士も花や本を持って来てくれた。来るなりマリアに抱きつかれて多少面食らっていたけれど、その元気そうな姿に目に涙を浮かべていた。後から聞いた話だけど、クロイス博士はアデル博士のお弟子さんと言っても、その役割りは殆どマリアやラビくんのお世話係りみたいなもので、アトレイユでは親身になってマリア達の世話をしてくれていたらしい。マリアの種がダメになったときも、彼だけが懸命に助けようとしてくれていたのだとか。

 そして顔を出すことはなかったけれど、ゾロさんも、相変わらず、可愛いとは絶対言えないぬいぐるみを山のように送ってきていた。立場を憚ったのか、一応差出人不明になっていたけれど、あんなぬいぐるみを選ぶセンスの持ち主は、ゾロさんしか有り得ない。

 勿論、僕らだって毎日、マリアに会いに通った。
 スレイは、朝昼晩とマリアの好物を大量に作ってはマリアに届け、それを嬉しそうに平らげるマリアを、毎回のように涙目になって見ていた。
 アンナは、僕ら五人だけの時には決まって、マリアを抱きしめては「二度とこんな隠し事はするな」と、何度も何度も、とても真剣に話していた。あんなにも真剣な顔で話すアンナは、初めて見たかもしれない。
 そうやってアンナに抱きしめられるたび、自分の存在が僕らにとってどれだけ大事かを聞かされるたびに、マリアは少しだけ泣いているように見えた。


 ファルコは。

 ファルコは、ずっとマリアと一緒にいた。
 マリアが目を覚ます前は勿論のこと、マリアが無事目覚めてからも、船に戻ることなく、マリアの病室に設置された付添い人用の簡易ベッドで、寝起きする生活を続けていた。

 僕には少しだけ、ファルコの気持ちが分かるような気がする。

 多分、ファルコはずっとマリアを見ていたかったのだ。
 夜になったら眠って、朝になったら目を開けて、喋って、食べて、笑って、動く、生き生きとしたマリアの無事な姿を二十四時間ずっと、自分の目で確認するというか、とにかくずっと見ていなきゃ気が済まなかったのだと思う。


 ゼルダさんから聞いた話によれば、あの日機動隊隊舎から病院に運ばれた時点では、マリアの心臓はもう完全に停止していたらしくて。
 保護薬を打って、種が一時的に正常な治癒能力を発揮してどうにか、心臓は再生できたけれど、その保護薬による種の正常化も数時間と持つか分からなくて。
 おまけに、クロイス博士の診断によると、種がもうボロボロになりすぎて、マリアの体は廃人同様になってしまっていたらしくて。

 そのマリアが今こうして、ちゃんと目を開けて、自分の意思で喋ったり、体を動かしたりしていることは、本当に、奇跡以外の何でもない。

 マリアのために最後の最後まで、諦めずに出来る限りのことをしてくれたラビくんと、
 一睡もせずにただひたすら、蘇生を種に念じ続けたファルコの、マリアへの強い想いが起こした奇跡。

 きっと、言葉に出来ないくらい、怖かったと思う。
 人形のように生気のない姿で眠り続けるマリアを見ていると、嫌でも三年前のあの時のことを思い出してしまうし、
 その上、今回はあの時と違って、ほぼ望みはないと、そう言われていたのだから。


 だからきっと、目を開けて起きて動いて、生きていることを全身で体現しているマリアを、以前のまま、ありのままのマリアを取り戻せたその奇跡を、ずっと、肌で感じていなきゃ気が済まなかったんだろう。
 そうしていなきゃ、もうどうにも、ファルコはファルコでいられなかったのかもしれない。



「それにしても、ファルコ、遅いネ。一体、どこで油取ってるカ」
 半分拗ねたような、マリアのマリアらしい発言に、我に返ると同時に思わず笑みが零れる。
「油を『売る』ね、『取る』じゃなくて。でも、本当に遅いね。もうすぐ約束の時間なのに。また、忘れてんじゃないだろうなぁ」
 デッキから見える居間の時計を見上げて、ぼやいた僕の傍らで、マリアがぴょんと跳ねるようにして、柵から離れた。
「私、ちょっとそこらへん探してくるネ」
「え? わざわざ? いいよ、ほっときなよ。いつものことだし、スレイが先を見越してお客さんに連絡してるよ」
「でも、もしかしたら、スレイ、忙しくてそれどころじゃないかもしれないし」
「大丈夫だって。倉庫の清掃の手伝いくらい、忙しくて他に手が回らないってほどの仕事でもないし、アンナだっているんだから」
 本当、たまには、忙しくて他には何も手が回らないくらいの依頼が来てくれれば助かるんだけど。倉庫の清掃の手伝いとか、家庭用電気器具の修理とかじゃなくて、なんかこうもっと、空賊らしいやつで。
 ほんのちょっぴり鬱になった僕を尻目に、マリアは思案するように少しだけ目線を下げて、それからやっぱり、元気よく顔を上げた。
「うん、でも。やっぱりちょっと、探してくるネ」
 言うが早いが、タタタっと軽快な足取りでデッキを後にして、いそいそと玄関へ向かうマリアにまた一つ笑みを零して、その背中に呼びかける。
「マリア」
 「なに?」と振り返ったマリアの、子供のように素直なその表情――ファルコと一緒にいたくて仕方ないと顔にそのまま書いてあるような――に、またまた笑いながら、昔よく言っていた言葉をそのまま口にした。
「車に気をつけて、迷子にならないようにね。あと、プリン買ってあげるとか言われても、知らない人について行っちゃダメだよ?」
 その台詞に、マリアは一瞬きょとんとして目をパチパチさせたけど、すぐに顔全部で、ニカっと明るい笑顔を咲かせた。
「分かってるネ、心配いらねーヨ」
 昔と同じ言葉を返して、「てか、私を何歳だと思ってるカ」と続けたマリアの声は、少し不貞腐れているようだったけど。
 はにかむように笑うその顔は、やっぱりとても可愛くて。
 そして、やっぱり、何も変わってなくて。
 元気一杯に出て行くマリアを、僕はその場で手を振って見送った。

 あの笑顔がこうしてまた見られること、そして。
 彼女が今此処に在ること、その奇跡を導いてくれたすべてに、心から感謝しながら。



 今でも時々怖くなる。
 もし、あのまま、マリアが目を覚まさなかったらって考えると。
 そうして、その恐怖に竦むたびに、どうしてもアトレイユ政府に対する怒りが湧いてきて抑えきれない。


 僕らが事の真相を知らされたのは、マリアが病院に運ばれた翌朝だった。
 アトレイユから戻ったその足で病院に来て、暫くファルコと二人きりで話をしたゾロさんが、その後で、僕らにも全部を話してくれた。

 アトレイユ政府が、マリアを金儲けの道具にしようと企てていたこと。
 ラビくんの安全と引き換えに、マリアがそれを承諾していたこと。
 それに対しアデル博士が、種子を死なせることで、その企みを根本から阻止しようとしたこと。
 それを受け、アトレイユ政府が、真実が露見してトラビア政府並びに国連議会から責めを負う前に、全て隠蔽してしまおうと画策していたこと。
 その隠蔽工作のために、ラビくんが、マリアが生きている間は常に人質として見張られ、マリアが死ねば用済みと見做されて、殺される算段になっていたこと。

 それらを全て知って、誰一人として心を許せる人がいない正真正銘の孤立無援の中、それでもラビくんが、マリアだけでも救おうと最後まで奮闘していたことも。

 その一方で、マリアは全てを自分の責任と考え、死ぬ覚悟でこの街に帰ってきていたことも。


 アトレイユの陰謀を見抜けなかった自分の落ち度を、ゾロさんは何度も何度も深く頭を下げて、僕らに謝った。
 その時のゾロさんは、見たことないくらい、厳しい顔をしていたと思う。
 思うというのは、その時の僕は正直、ゾロさんに対しても激しい怒りを覚えていて、だから、彼の表情や心理状況まで思いやるほどの余裕がなかったからだ。
 だって、アトレイユにマリアを移住させる話を持ちかけてきたのは、ゾロさんで。ゾロさんを信用していたからこそ、僕らは、マリアをアトレイユに送り出したわけで。

 だけど、時間が経って少し冷静に考えることが出来るようになって来た頃、ゾロさんを責める権利は僕らにはないと思えるようになった。
 彼は彼になりにマリアのことを、その将来を真剣に考えて思い悩んだ末に、アトレイユの話を僕らにしたことは間違えないし、これはゼルダさんから聞いたことだけど、マリアを移住させるに当たって僕らの知らないところで、彼はマリアを守るべく自分に不利な条件を黙って呑んで、アトレイユ政府との間に幾つもの条約を結んでくれていたらしい。だから今回のことはアトレイユのトラビアに対する完全な裏切り行為で、責めを負うべきは欲に目が眩んで、ゾロさんを欺こうとしたアトレイユの首脳陣に他ならなくて―――…。
 そうじゃなくても、この三年間、マリアの不在をただ寂しがって思い出に耽るばかりで、彼女のために何もしなかったふがいない僕らに、彼を責める権利なんか、あるはずもない。

 それに。

 ゾロさんは、マリアの種子という足枷を外してくれた。


 今回のことで種子は全員死亡したと、世界のどこにも、もう種子は存在しないと、国連議会相手に大芝居を打って、アトレイユの首脳陣を条約違反と世界安保条約を脅かした罪で糾弾し、極刑を求めた上で、もう二度と種子のような、身勝手な人間に翻弄されるだけの哀しい命を作り出してはいけないと、第一、第二、そして第三の種子に関するデータを全て、消却することを議会に承認させてくれたのだ。
 ひとつ間違えれば、自身の立場を、今まで築き上げてきたもの全てを失ってしまうかもしれないのに、それでも。

 六年前すべての始まりの時に、ファルコがマリアに与えようとした自由と世界を、その立場ゆえに奪わなければいけなかったゾロさんが、立場を危険に晒してでも、その手でもう一度、ファルコとマリアに返してくれた。

 ゼルダさんに言わせれば、それはマリアへの償いでも、ファルコへの義理でもなくて、ゾロさん自身のためらしいけれど。
 たとえ誰のためだろうと、ゾロさんの尽力があったから、今があるわけで、だからやっぱり僕は、彼に感謝している。




「あれ?」
 音がしたからてっきり二人が帰ってきたのかと、玄関のほうへ出て行くと、そこにいたのは想像したコンビの片割れだけだった。
「なんで、一人で帰ってくるの?」
 思ったことをそのまま言えば、その片割れ、つまりファルコが、眉を顰めて顔をあげた。
「なんでって、何だよ?」
「ファルコ探しに、マリアが出て行ったきりなんだけど」
「あん?」
 マリアの名前を出すと、ファルコは途端に不機嫌そうな顔から、思案顔になる。
 その表情に、内心で笑みを零しつつ、口を開く。
「っていうか、ファルコ。今日お客さんと会う約束、まさか忘れてないよね? 急な依頼が入ってスレイが行けなくなったから、ファルコが代わりに行って、ちゃんと報酬の交渉してくることって、昨日あれだけ、スレイにしつこく言われてたんだもんね?」
「……バッカ、お前。忘れてるわけねぇだろ。ったく、ほんとバッカ。マジバッカ」
「ファルコ。そういう台詞は、ちゃんと僕の目を見て言ってほしいんだけど」
「ええと、トゥルーちゃん? まず、とりあえず、その手に持ってる工具を下ろさない? さすがのファルコさんもレンチで殴られたら、軽く記憶障害とかになるかもだし」
「そっか。よかったね、僕で。これがスレイだったら、これレンチじゃなくて中華包丁だったよ。さすがのファルコも、中華包丁なんかでぶった切られたりしたら、記憶障害じゃ済まないもんね」
「ええっと、トゥルーちゃん? いや、トゥルーくん? なんか、目が据わってない? すっごく晴れやかな笑顔浮かべてる割に、目だけブリザード並みに冷たいんだけど? 俺の気のせい?」
「ああ、そう言えばアンナが新しいナイフの切れ味試してみたがってたっけ。いい的が出来て、喜ぶだろうな、アンナ」
「ちょ、やめて、やめよう? そういう恐ろしいこと、その目で言うのは。トゥルーくんの笑ってない目って、なんか本気で怖いから」
「………」
「つーか、ほら、マリアが出て行ったまんまなんだろ? じゃあ、何は無くともまず、そっち探さなきゃだろ、な? ほらあいつ最近、迷子癖が復活してきてるし、お前だって心配だろ、な?」
 それでもたっぷり十秒は睨んだ後で、僕はファルコから視線を外し、溜息を吐いた。
 確かに、マリアは小さい頃からすぐ迷子になる子(しかも何故か、決まって危ない地域に入り込んでる)で、最近また、その悪癖(?)が復活しつつあることは否めない。まだマリアが、ファルコを探してどこかしこを彷徨っているなら、迷子になる前に早く迎えに行ったほうがいいだろう。
「仕方ない。心配だしね、確かに」
 まぁマリアなら、そこらへんのチンピラなんかに負けることはまずないと分かってはいるけど、でもやっぱり、心配なものは心配で。
 修理の続きはまた後でにしようと、とりあえずレンチを玄関の棚に置いて、外に出ようとした途端、ファルコが手で僕を制した。
「…?」
 視線だけで疑問をぶつけると、ファルコは一度僕から視線を外し、そのまま下を向く。
「何?」
「お前はここにいて、マリアがもし戻ってきたら、待ってるように伝えてくれ」
「ファルコは?」
「街見てくる。ったく、あのバカ、ついこないだも、こうやって迷子になったくせに、全然懲りてねぇんだから…」
「可愛いじゃない。迷子になるくらい夢中で、ファルコを探しまわってるんだよ」
「……」
「なんていうか、健気っていうの? ちょっとお馬鹿だけど、そういうひたむきで可愛いところ何にも変わってないよね」
「……」
「…ファルコ?」
 さっきとは反対に、今度はファルコが僕を、ジト目で睨んでくる。

「…何?」
「なんつーか、あれだよな。前みたいにマリアがちんちくりんのままだったら、こんなふうに敵を多く感じることもなかったのかね?」
「敵…って…。あのねぇ、ファルコ。誰でも彼でもそうやって片っ端から、勘ぐってまわるのやめたほうがいいと思うよ、本当に」
「大体なんかちょっと、仲良過ぎじゃね? お前ら」
「当たり前でしょ」
「何だ、当たり前って。おいおい」
「それに、マリアは今の姿でも昔の姿でも変わらず、ずっと、可愛いしね」
 そう言ってやると、ピタリと動きを止めたファルコが、ゆっくりとこちらを振り返った。
「…ふぅ~ん…」
「はいはいはいはい。もー、いい大人がこれくらいのことでいちいち妬いたりしないでよ」
 パンパンと手を鳴らしてそう言って、視線を玄関の外にずらす。
「早く、マリア探しに行ってあげて。また訳も分からないまま、歓楽街の裏通りとかに迷い込んでたら、大変だから」
「…お前とは今度膝付き合わせてゆーっくり話する必要があるみてぇだなぁ……」
「あー、ウザいこの人。ほんとウザいよ。いいからもう、早く行って」
 両手で背中を押して、無理やりファルコを玄関の外に追い出した。
 ピシャリと玄関を閉めれば、そこはもう元の静寂にあっという間に戻っていく。

 修理の続きをしようとデッキへと戻りながら、先ほどの遣り取りを思い出して、つい一人で笑ってしまった。
 可愛いの意味合いなんて、ファルコのと僕のとじゃ全然違うのに。あんなふうに、あからさまに怒ってみせるファルコなんてなかなか見れるもんじゃない。
 …訂正。
 なかなか見れるもんじゃなかったんだ、昔は。
 今は、全然普通に見れるけど。


 マリアが退院して、もう何の制約もなく自由に好きなだけ、この船で暮らせるようになってから、一番変わったのは、多分ファルコだ。
 ファルコのマリアに対する態度が、それはもう明らかに、昔と違っている。
 昔のファルコのマリアに対する態度は、なんていうか、外から守る、そんな感じだった。
 マリアの自由を尊重するがために、決して彼女の中に踏み込むことなく、また自身の中に入れることもなく、それでも何かあったらすぐに助けられるように、すぐ傍で彼女を守っていたのだと思う。
 
 でも、今は。

 マリアは、ファルコの中で守られている。
 勿論マリアの自由を大切にしていることに変わりはないけど、その上で、抱きしめるように、離さないように、ファルコは一人の男の人として、マリアを手の中で守っているのだ。

 ……うん。言葉にすると、ちょっと恥ずかしいけど。

 でもそうやって過ごして、互いに笑い合ってるマリアとファルコは、僕らが知ってる限り、最高に、幸福そうで。
 そして、そんな二人を見て僕らは、思わずにやけちゃうくらい、幸福な気分になったりするんだけど。
 だから、まぁ、たまに、ああやってファルコをチクチク苛めながらも、僕は毎日を笑って過ごしている。

 そのうち、あの二人の間に、子供でも出来たりするんだろうか。
 その時のファルコの顔を思い浮かべることは出来ないけど、幸せそうに笑うマリアの顔は容易に想像出来る。
 きっと、とても嬉しそうに、顔全部で笑うんだろう。
 そして、それは文字通り、幸福というものなんだろう。

 沢山の哀しみと沢山の涙の果てに、手にする、真の幸福。

 やっぱり、御伽噺みたいだ。
 苦難の運命を強いられたお姫様を、自らも数多の苦難に遭いながら、愛の力で守る王子様。
 
 ま、マリアもファルコも、お姫様や王子様って柄じゃないけど。


 吹いてきた風に、頬を撫でられて、顔を上げる。
 見上げた空はどこまでも高く澄んでいて、秋の潮風は何とも言えず爽やかで。
 眩しさに細めた目で見つけたのは、太陽と共に空にこっそり浮かぶ、白い真昼の月。
「きれい…」
 一人呟いて、更に目を細めた。
 
 そうだ。
 来年こそはお月見をしよう。
 ファルコとマリアとスレイとアンナと僕と、みんなで。
 新機動隊隊舎の屋上なんていいかもしれない。
 きっとマリアが言うように空も月もすぐ近くに見えるだろうし、アンナが言えば、バルバさんは二つ返事で場所を貸してくれるに違いない。それどころか、料理もお酒も、じゃんじゃん出してくれるかもしれない。そうなったら、僕らは好きなだけ、ただ食い、ただ飲みが出来る。

 思いついたアイデアに満足して、空に向かって伸びをした。
 
 明日もきっと、今日のように、いい天気になるだろう。
 だけどもし、雲が出て雨が降ったとしても、その雲の上にはやっぱり、今日と同じ青く澄んだ空があって。
 何も変わらない。
 今日も、明日も、明後日も、これからも、きっと、ずっと。
 そうやって永遠に変わらないものに包まれながら、僕らは、少しずつ先へ進んでいく。
 緩やかに繰り返される日々は、やがて、柔らかく積み重なって、僕らをまだ見ぬ未来へと促していくのだろうから。

 でも、きっともう僕らに、あの笑顔を失くす恐怖に怯える日は来ない。
 もし仮に、マリアがまた大変な目にあったとしても、そうなる前に、マリアを全身全力で守る人がいるから。
 その点に置いては、多分僕は世界中で一番、あのバカを信頼しているから。

 うん、きっと大丈夫。
 御伽噺のお姫様と王子様は、必ずハッピーエンドになるように出来ている。


「早くみんな帰ってこないかなぁ…」
 
 レンチ片手に零れた囁きは潮風に撒かれて、秋の光に溶けたけど。
 とりあえず、今日も上機嫌、だ。
 
 穏やかな空の下、繰り返されていく愛しい日々に、僕はもう一度笑ってみせた。






(NEXT⇒EPILOGUE.1)


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