日本のゆくえ

日本の経済と、日本人の精神はどこへ行くのか? 新自由主義社会に反乱を起こし、生き残るためのブログ

面接を受けました。

2011-06-30 07:07:09 | Weblog
昨日は、上司と施設長の推薦で、同じ法人内の福祉用具の面接を受けました。

「人と接するのが苦手とかありますか?」
「接するのが苦手だとグループホームでは働けませんから」

「ドライバーを扱ったりするのは好きな方ですか?」
「機械のメンテ、溶接、溶断までできます」
「・・そんなにできなくていいですけど」

「パソコンは抵抗ないですか?」
「数えたことはありませんが、今まで30台以上は買ったことがあると思います」
「そんなに好きでなくてもいいんですけど」

「エクセルやワードを扱ったり、ブラインドタッチはできますか?」
「あーできます」
「○○主任の推薦だからなあ」

「うちでやる気はありますか?」
「手を上げさせていただきます」

てな感じで面接終了。

福祉用具は、売り上げが前年比の2倍と、仕事が急成長しすぎて大変らしいです。

営業はないようで、あくまでケアマネージャーと連携したケアプランによって仕事をするそうです。

一年以上施設でみっちりやってきた介護の経験はとても使えるそうです。

誰しも転職に晒される時代には、過去の経験あってこそ柔軟さが持てるものと思われますが、何でもやっておくものだに~。

もし、坂本龍馬が生きていたらと想像するのでありんす。

2011-06-27 08:34:29 | Weblog
「JIN-仁」最終回を見て、しばらく感慨に耽ってしまいました。

もし、主人公の医師が坂本龍馬の命を救っていれば、今頃日本はどうなっていたのだろうなあと。

龍馬は、地位も金もなくても、口伝えだけであれだけのことができたのだものなあ。

龍馬のように女好きで、酒好きで、スケールの大きな人間は近代の日本からは排除されてきました。

なので、休日である今日は朝から酒を飲んでやろうと思う(笑)

綾瀬はるかを見ると、自分の未だに独身である妹を思い出してしまいますが、ああいう娘はいじらしいなあ。

自分は独身者で、ふだんは結婚している夫婦をみてもあまり幸せそうには見えないのですが、玄関先で、「お前さんちょいとお待ちよ」といってカチンカチンと切り火祓いをしてくれる嫁が一般的なら考え直してみてもよいです(笑)

女郎役の中谷美樹も色っぽかったですが、時空を超えた話の理解ができて、困ったときに本当に手助けをしてくれるのは、世の中の裏も表も知っている女郎が適役だったのでしょう。

世の中の良い女とは、遠慮深さをもった女性か、どこか気高さのある女郎のどちらかだなあ。

江戸時代は、疫病や人権が今ほど重要視されていなかったことを除いては、人々には笑顔や活気があって良かったと思いますが、このあたりは平和な徳川幕府をつぶした歴史と矛盾するので、何とも言えません。

(ちなみに栄養価の高い玄米食をやめて、白米が流行ったために、色々な病気が流行ったのだよな)

さて、さほど不幸でもなかった国が開国すると、治外法権や関税自主権で、しばらく悩まなくてはならなくなるというのも困ったものですが、現在のTPP問題まで、このあたりの歴史はずっと続いているなあ。

勝海舟と西郷隆盛が乗り込んで、江戸城は無血開城されましたが、なかなか金を出さない財務省と、霞ヶ関を開城させないといかんぜよ。

ボーリング大会

2011-06-25 13:11:34 | Weblog
昨日、会社のボーリング大会に初参加しましたが、楽しい云々よりも雰囲気の懐かしさで胸が一杯になりました。

僕が社会人になった二十何年か前までは、こういうのが当たり前の風景だったのですが、たかだかスペア取っただけでワーワー騒いだり、飲み会で賑やかに話をしたりするのは、その当時にタイムスリップしたかのようでした。

今の職場は労働組合のない組織なので、月に千円払うだけの自由参加の互助会主催なわけですが、解雇もありませんし、昇給もありますし、労使合同のレクリエーションも需要が伸び続けている業界だからこそ可能なことだったような気がします。

労働組合のある大手では、1年間で10万円前後も組合費を取られてしまうわけですが、雇用も賃金も守れないようでは、労働組合の存在意義はないでしょう。

このように政府がインセンティブを与えただけで、給料が安いとはいえ安定した業界ができてしまうのですが、介護や医療などのサービス業は、基本お金が落ちてくる底辺に位置するわけです。

お金が大きく動く設備投資は最初に施設を建てたときだけですから(古い施設はそれすら動かない)、ネジ屋や、上下水道などの設備屋、コンクリート屋がコンスタントに仕事をもらえる業界ではありません。

景気対策は、シャンペンタワーに酒をそそぐ時のように、一番上のコップから順次お金が流れていくようにしないと、一番下のコップまで落ちてこないわけで、介護・医療系の間だけでお金がグルグル回っていても、全体の景気対策にはならないということになります。

だからこそ、景気対策を行った場合の乗数係数はどれくらいなのかを政府は調べるべきなのですが、あらゆる業界に仕事をもたらす公共事業を削ってしまうようでは、乗数もへったくれもないでしょう。

菅首相に内閣に引き戻された仙石官房副長官なんかは、「10%、20%の経済成長なんてできるはずがない」なんて言っているわけですが、50兆円も景気対策に回せばGDPの10%が単純に増えるわけで、乗数を計算に入れなくても現実的な数値になるわけです。彼の主張する消費税を10%に上げる話の方が、政府に金を取られて何も欲しいものが買えなくなる政策なわけで、まったく論理的根拠がないでしょう。

ともかく、積極財政でサクッと景気をよくさせて、日本中全国が、毎晩のように飲み会を開いたり、またはボーリング大会ができるような景気になればいいと思います。

8月解散。

2011-06-24 00:01:43 | Weblog
さて、政治も大きなターニングポイントが近づいているような気がします。

■24日にも改造=8月解散も、山崎氏に見通し―国民新・亀井氏

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110623-00000096-jij-pol

時事通信 6月23日(木)18時11分配信
 国民新党の亀井静香代表は22日夜、都内で自民党の山崎拓前副総裁と懇談し、菅直人首相が24日にも大幅な内閣改造を行う一方、8月末に衆院解散の可能性があるとの見通しを伝えた。山崎氏が23日の山崎派総会で明らかにした。 

(引用終わり)

前にも書いたことがあったと思いますが、マスコミを通じて亀井さんからこういう話が出てくるということは、既にそうとう話が進んでいるということです。

お忘れになられた方もいらっしゃるかも知れませんが、金融業界の大反発がおきて当時は誰も実現できないと思っていた、「貸し渋り・貸しはがし対策法(返済猶予制度・モラトリアム法案)」は、結局法律となっていったでしょう。

今回も、民主党が解散して勝てるわけがないと皆さんは思いになるでしょうが、もう一件こういうニュースがありました。

■亀井代表:「小泉元首相見習うべきだ」菅首相に進言?
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110623k0000m010065000c.html

つまり、小泉首相が郵政民営化の国民投票だといって解散総選挙を行ったように、原発に賛成か、反対かを決める総選挙にするという意味だと思われます。

僕は空き缶にはさっさと退陣して欲しいとしか思えないのですが、誰が次の首相になるかはともかく、民主党の打開策はもうこれしか残されていないでしょう。

これまで座敷牢に閉じ来れられてきた日本の自然エネルギーを活用していくことには基本賛成です(何だ?最近流行りの「再生可能エネルギー」って?)。アメリカの農家が風力発電の会社を始めると若者が戻ってきたという話がありますが、節約ではなくて、電気を2倍も、3倍も使える世の中にしなくてはなりません。

ただし、財政均衡主義の与謝野や野田を内閣に残すようでは、まったく応援できない。

亀井さんにとっても最後の大仕事になるので、そのような選択はしないと思われますが、さて、どうなるか。

生物化学的見地からの危険性の提示と、食生活の改善の必要性の提示(マイミクのれみあさんより転載)

2011-06-21 06:46:12 | Weblog
一節ぶち上げますwww




まずはこちらをご覧ください。



これは細胞における一般的代謝経路を一枚で表した概略図です。
(ヴォート第3版より)
この代謝経路の一本一本ぜ~んぶ生体酵素によって触媒されます。
その酵素一つ一つが、DNAに遺伝子をコードされ、
転写翻訳して酵素になります。

低線量被ばくにより活性酸素が出来てDNAが傷つくときは、
2重鎖の片方が切れて、DNA修復を繰り返すことになりますが、
それが追い付かなくなると、
傷ついたままのDNAから転写されたコードも少しおかしくなっているので、
出来上がった生体酵素も少し「出来損ない」です。

出来損ないの酵素は、担当している経路(上で言うたった一本の経路)の
効率が下がります。
出来損ない度によっては、経路が動かなくなります。
経路には多様性があるので、別の生成経路が補うように動くので
致死的ではありませんが細胞は弱ります。
低線量被ばくは、これが高頻度で起こり続けます。

体内に放射性物質を入れてしまった場合、
事態はもっと深刻になります。
細胞と隣り合って高エネルギーの放射線を至近距離から浴びます。
しかも、ペトカウ効果によって細胞膜に穴が開き細胞内に入り込みますと、
細胞内に放射性物質が留まり続け、
極至近距離からDNAに強い放射線が当たり続けます。

DNAは高エネルギーの放射線照射により、
2重鎖が切れ、欠失、転座、逆位などの
深刻なDNA欠損障害を起こします。
こうなると上記の一覧表の多くの酵素が作られなくなり、
最終的に細胞は死にます。
問題は、細胞は死んでも、アポトーシスした後でも、
そこに放射性物質が残っていることです。
死んだ細胞のところから、周りの細胞の細胞膜が
またペトカウ効果によって壊れ、
その穴から放射性物質が入り込んでしまったら、
その細胞が死ぬまで細胞内に留まります。
(あるいは、細胞膜を壊してまだ出ていくかもしれませんが)

勿論、α線でも2-3cm以内の細胞に照射が届きますし高エネルギーです。
ですから細胞内に入っている細胞そのものから2-3㎝以内の細胞群は
2重鎖ごと切れたり、細胞膜が壊れて穴が開いたり、
活性酸素が増えてDNAが傷つきます。
バイスタンダー効果が、ここに当たると思われます。

細胞膜に穴が開くだけでも、実はとても問題です。
生命には3つの定義があります。
1)自己複製できる、
2)代謝機能があり生命を保持する、
3)外界と内界の境界が存在する
細胞膜(生体膜)は、この3)に当たるものです。
これだけでも、細胞膜というものが、
細胞の「生命」にどんなに大切なのか気付きますでしょうか。
膜には外界から生命に必要なイオンや物質を取り込んだり
不要なものを出したりして、生命を維持する機能もあります。
分裂のとき1つが2つになるに当たっても重要な意味があります。
DNAは膜と連動して、分裂のときに引っ張られていって
2極に分かれていき、
膜が1つの細胞から2つの細胞に分裂を果たすことで、
細胞は初めて2つになれるのです。
ペトカウ効果は、この生体膜に大きな穴を開けることで、
細胞に大きなダメージを与えます。
例えるなら、人が大きな切り傷を受けて沢山出血すると、
人命に大きなダメージを負いますよね。
細胞単位でも、似たようなものです。

・・・次回は、↓ヘモグロビン核を一例にしながら、
食生活の改善について
触れていきたいと思います。上の図も一緒にね。



妹が離婚したがってるらしい。

2011-06-18 21:37:57 | Weblog
先ほど、実家へ電話をかけたのだけれど、どうやら妹が離婚したがっているらしい。

結論を先に言えば、旦那の給料が安いのが原因で、ずっと喧嘩しているという話。

「そんなに金が欲しかったら、お前が働け!」

これが兄貴である自分の意見。

子供なんて小学校に上がればどうにかなるし、向かえの夫婦は嫁が深夜12時に働きに出ているくらいで、働く方法なんていくらでもあるわけだ。

いまどき専業主婦なんて、一番の贅沢なわけであるから、それが分からないと喧嘩をしなければならなくなる。

相手の親も大事な一人息子を罵られていれば黙っちゃいられなくなる。

「息子に何かあったら、ただじゃおかないぞ。」と、相手の親におどされたらしい。

こちらもただじゃおかないが、この殺伐とした緊張感がないと、夫婦の間に相手に対する甘えが出てくるので、これはいい傾向。

まあ、男を持ち上げながら、コントロールしているつもりの女なら可愛げがあって、男も尻にしかれている振りをすることができるであろうが、仕事から疲れて帰ってきたときに、一日の不満をぶちまけるような女なら疲れは倍になるし、ハッキリいらないだろ。

元々保守派で家族主義の自分だが、最近はなんで結婚なんかしなければならないのか、長年の独身生活で殆ど分からなくなってしまっている。

妹は、「兄貴はキツすぎる」と母親にこぼしているそうだが、そのうち頼りになる自分の母親も先に逝くのだから、早いうちに知恵のあるしたたかな女の道を歩んだ方が、正解だ。

「男は、そんなに女なんか好きじゃないんだよ。」これは妹に言うべきだろうか。

結婚したらブクブク太って、細かいことをグチグチという、口うるさくいう女と生活を続けていくのは、人間という動物の「愛」という名のもとにおける、不自然な曲解性に他ならない、とか。

男は、せっくすの欲求を度々解消できさえすればよく、その対象者はとくに恋人や嫁ではなければいけないわけではない、とか。

お互いに演技としての夫婦生活をずっと続けられる自信が無いのなら、結婚などしてはいけないのではないか、とか。

介護施設は、離婚経験のある女性職員が多いのですが、みんな他人に見せるような行儀をきちっと旦那に対して続けることができるなら、それはうまく収まったろうにと、ちょっと思た。

女性の多い職場で働いて一年経過したが、女は、自分以外の人間の評判を嫌い、自分以外の人間の欠点を好む、きわめて狂暴な動物だと思た。

ありゃ。

今日の日記は、女性読者から石をぶつけられそだ(笑)

東京も、節電する必要なし!

2011-06-14 05:07:38 | Weblog
橋本知事のツイッターを読んでみて、ふ~ん、これだと僕と考え変らないやと思った。

停電なんてなりっこないので、自宅にいるときは、テレビやパソコンは常時つけっぱなしです。

先日の計画停電も、原発が止まったらこんなに大変になるぞという脅しみたいなものですが、柏崎の事故の時に原発全部止まっても夏を乗り切った実績がありますし、現在は殆ど止まっているのにちゃんと足りているでしょう。

深夜電力なんて余っているのに、看板の電気を消しているコンビニとか馬鹿じゃないかと思う。

原発が動かなくても電気が足りるという話は、25年前もに広瀬隆さんが言っていた通りでしたね。

どうして電力会社が原子力をやりたがるかといえば、電力会社は公共性が高い企業なので、電気事業法で投資額の8パーセントまでしか設けてはいけないと決められているからです。

だから一基1500億円の火力発電よりも、一基5000億円の原発を建てた方が、電力会社も儲けていい金額が上がりますし、法律通りに電気料金を値上げできるという理屈です。

もんじゅや、ふげんのような技術的に困難な発電の方が投資額が上がってくるので、そちらの方にも熱心でした。

こんなことやっていて世界一高い電気代になってしまったのですが、原子力の発電コストが本当に安いものなら、こんな数字にはならなかったはずです。

バブル崩壊直後に、関西電力の社長は10億円を超える退職金を受け取っていると問題になったことがありますが、1キロワットも発電できなかった「もんじゅ」も、社長のフトコロを潤す物凄い投資額の役には立ってきたわけです。

橋本知事も、本社お膝元の大阪に原発なんて持ってきっこないと思っているので、大阪に原発を持ってこいなんて言っているのでしょうが、関電もそんなにやりたかったら本社のある梅田駅の大深度地下に作ればいいわけです。そしてその理屈をふまえて、東京にも原発持ってこいといっていいのかも知れません。(やりっこないですが)

東電の人が元マイミクにもいましたが、電力会社の人の感性は、たいがい庶民を馬鹿にしていると思いましたね。


以下、橋本知事のツイッターの転載。

http://togetter.com/li/147813

日本の統治のシステムは完全にメルトダウン。原子力発電所一つとっても誰がどのような権限と責任を持っているのか全く不明。国と地方の役割分担も全く不明。永田町や霞が関も統治できない状況。国はどこまで権限と責任を持つのか、地方はどこまで権限と責任を持つのか。もうぐちゃぐちゃです。

僕がなぜ関西電力からの15%節電要請を拒否したか。これは、原子力発電所を再稼働させるための脅しと感じたから。もしかすると国と考えたプランだったのかもしれない。しかしあまりにも幼稚過ぎる。なぜ15%の節電が必要なのか関電は明確な根拠を示さない。ペラ一の、幼稚な図のみ。

そして、関電が15%の節電を発表したその日に、関西の財界(関経連、大阪商工会議所、京都商工会議所、神戸商工会議所が、一斉に電力安定供給のため原発再稼働を求める声明を発表。そして関経連の会長は関電会長です。あまりにも出来過ぎです。

関電の発表は突然です。何の説明・調整もありませんでした。僕は瞬間に、あー関電は勝負に出たなと思いました。15%節電をドーンと出すと、関西経済が大きなダメージを受けるという世の論調になります。これでは関西が東日本を支えることもできない。だからやっぱり原発の再稼働が必要なんだと。

原発の再稼働の世論形成のための15%節電要請だと感じたので協力拒否という意思表示をしました。関西広域連合は、原発依存度を下げる方向に一歩踏み出そうと5%~10%の節電案をまとめて、この夏から実施を呼びかける予定だったんです。4月の下旬に僕が提案しまして、5月下旬にまとめました。

そして思い切って、新規の原発を止める、老朽原発の延長を止めるという目標を掲げて、それをやるには何をしなければならないのかを考えようと方針を決めました。単なる省エネ、クリーンな社会を目指そうでは、迫力に欠けます。これでは世は動かない。政治には強力なメッセージ、目標が必要です。

4月中旬頃に決めました。同月下旬の広域連合で提案しようと。丁度そのときにソフトバンクの孫社長の提案をネットで見て、一歩踏み出さなきゃと感じ、孫社長に面会の時間を頂戴しました。孫社長は凄い。その後の孫社長のリーダーシップは皆さんご存知の通りです。

一定の方向性が見えたので4月下旬、大阪で新規原発の停止、老朽原発の延長停止を目指していきましょうと発表しました。広域連合で提案しましたが、その目標を掲げるのは広域連合としては時期尚早。ゆえに大阪だけの目標となってしまいましたが。

ただ目標は別として、節電案を広域連合でまとめようとなったのです。ここからが関電との行き違いです。関電は地元の大阪府の知事が、脱原発のメッセージを出したことがよほど腹立たしかったのでしょう。知事にはそんな権限はない、関電は認めない、節電なんかもやらないと言ってきました。

僕が新規原発を止めようと発表した直後です。節電は絶対にやらない。供給力があるから大丈夫だと。僕は世の中の流れの読みが甘いな~と感じました。関電は原発の再稼働が絶対出来ると思っていたのでしょう。国ともそういう話になっていたのかもしれません。

関電は、大阪府と言う自治体が節電を呼び掛けるのは自由だが、関電は一切協力しない、大阪府で勝手にやって下さいと言い放ちました。ほんと読みが浅いというか甘い。僕は一社独占の企業体制の恐ろしさを感じましたね。健全な競争が働いていない企業の体質はこういうものなのかと。

競争がないのは、まあこれは行政組織も同じですが、行政組織の場合にはかろうじて長が選挙で選ばれる、議会が選挙で選ばれるということで世間に向き合います。ところが関電は一社独占体制に加えて、民意に晒されることがありませんからね。普通の企業は、市場マーケットによって民意に晒されます。

その後、東京電力の組織としてのボロボロの状態が白日のもと晒されました。組織には競争が絶対に必要です。行政組織は競争がないので選挙がある。競争も選挙もなければ、その組織はどうやって世間に向き合うのでしょうか?選挙があっても行政組織は往々にして世間の感覚から乖離しますのに。

僕には原発を止める法的権限はありません。ゆえに新規原発を停止しようと思えば、まず需要面で府民の皆さんに節電をしてもらわなければなりません。供給面では自然エネルギーに一歩踏み出すきっかけを作るぐらいです。本当に節電ができるのか。できなければ原発を認めて行くのか。

ここを府民の皆さんに問いかけるのが僕の役割だと思います。大きなエネルギー政策は国で論じることでしょうが、府民の皆さんへの具体の問いかけは国ではできません。そこで今夏、ここまでやらないと原発は止まりませんよ、やりますかどうしますか?皆で考えましょうと呼びかけていました。

確認しましたが、15%の節電の根拠が全く不明です。今夏は猛暑と設定して必要量を高めに設定しています。当初発表していたピークを上げています。ところが中国電力などはそのような設定になっていません。さらに、相当余分な余力分を設定しています。15%節電すると、かなり余るんです。

15%の節電ができなかったら関西が停電になるのかどうなのか、ここにも答えません。五月雨式に報道で出てくるのですが、企業の自家発電の余力がトータルでどれくらいあるのかも関電は示しません。再生可能エネルギーに踏み出すのか、料金体系で知恵を絞るのか(ピークプライシング)、何も言わない。

ただ、15%の節電を全顧客にお願いする。それだけ。15%の節電なんかやったら関西経済は無茶苦茶になる。家庭もしんどい。これは、広域連合で10%の節電案をまとめたから良く分かる。同時に関西経済界が原発再稼働の必要性の声明発表。国民は既存の電力会社しか頼れない。だから言われっ放し。

電力会社が健全な競争に晒される環境、利用者である国民が選択できる環境を整えなければ危険である。エネルギーの独占供給体制が危険であることは国際政治を見れば一目瞭然。それと同じことが国内で起きているのが電力供給の分野である。

関電の15%節電は根拠が全く不明。今の段階でこの節電案に振り回されるのは非常に危険です。根拠がないまま節電に動き出すと、電力の安定供給ということがドーンと浮かび上がり、原発の再稼働へと話が流れて行きます。今、必要なことは、電力会社による一方的な需給バランスの発表を変えさせること。

本当の需要量はどれだけなのか、供給余力はどれくらいあるのか、しっかり検証する。そしてどうしても原発が必要なのであれば、国民が納得の上で選択する。効率の良い快適な社会を採って原発事故のリスクを負うのか、少し不便だが原発依存度を下げるのか。今は、電力会社の発表だけが頼り。

日本の統治機構は明治維新以来つぎはぎだらけで今までやってきました。役所自身、役人は大胆に統治機構の変革はできない。そりゃそうだ。権力の分配、権力闘争になるから。だからこれは政治家の仕事。統治機構を整理する軸は、受益と負担の一致。権限と責任の一致ですね。

関西では福井県と大阪府で行政区域が異なる。ゆえに電力の供給地と消費地で判断権者が一致しない。福井は福井県の安全を考える。そこに関西全体の経済性の責任はない。福井の安全と関西の経済性が一致しない。関西州となれば、関西圏域で、経済性を採るのか安全を採るのか、バランスを採った判断となる

原発立地県は、原発を抱えるリスクと、電源立地3法に基づく交付金、すなわちカネとのバランスを考えることになる。原発立地県に、消費地は感謝をしなければならないが、もの凄いカネと雇用が立地県に行っていることも立地県は認識しなくてはならない。原発リスクとカネ・雇用のバランス

ここまで受益と負担の関係をはっきりさせないと、原発問題は今の統治システムでは動かない。僕は、原発の新規停止と延長停止を掲げて、府民の皆さんにその負担を提示しようとした。それに加え、供給サイドからも新エネルギーへの第一歩を踏み出そうと。それを関電が15%節電要請。もう無茶苦茶。

社会の利便性・経済性を重視して原発のリスクを抱えるか、不便・負担を甘受して原発依存度を下げるか、電力会社の一方的な決定に依存するのではなく、国民自身が考える時代です。高度成長時代を支えた、電力会社におんぶにだっこ政策は終焉です。


人はなぜ逃げ遅れるのか?

2011-06-13 22:15:40 | Weblog
「パニック神話」 が被害増やす
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=41980&from=yh


── 情報を提供する側は、パニックを恐れて冷静な対応を求めがちです。ですが、実際は冷静にしている場合じゃないこともありますね。

 現代社会では、災害や事故が突然ふりかかっても、大勢の人が互いに踏みつけたり、押しつぶしたりして死傷者が出るようなパニックはめったに起こらないことが分かっています。パニックを恐れるのは古い災害感に根ざした考えで、われわれは少し皮肉をこめて「パニック神話」と呼んでいます。

 逆に、パニックを恐れて正確な情報を知らせないことが、被害を増やします。米国のクラブの火災では、混乱を恐れた従業員が客に伝えた「ボヤなので心配いりません」という情報が、避難の遅れを招き、重大な結果につながってしまいました。同様のケースは数多くあります。

(中略)

── 災害直後の現場で私がこれまで目にしてきた被災者の反応は、パニックで慌てふためくというよりも、腰を抜かしたように動けない人が多いという印象です。

 凍りつき症候群ですね。人は、いきなり身に降りかかってきた災難に対し、何が起こったか分からないと凍りついてしまいます。過去に海外で起こった大津波で、津波が目前に迫っているのに、呆然と立っている人たちの写真を一度は見たことがあるのではないでしょうか。このような人たちは、とにかく急かして逃げさせないといけません。

 大災害時は、パニックが起こることが問題なのではなく、パニックが起こらないほうが問題なのです。政府や行政機関などは、パニックは神話だということを踏まえ、災害時の情報提供のあり方を見直す必要があるでしょう。

(引用終わり)


原発事故が起こって、僕の職場のブラジル人や中国人は本国に帰りましたし、福島県大熊町の遠い親戚は、すばしっこく千葉の方に引っ越して来ましたが、たいがいの福島の人は逃げ遅れてしまいました。

しかし、たいがいの日本人は津波や原発事故が来て、立ち往生した人が多かったと思われます。

人々が逃げ遅れてしまうのは、上の文章に有るとおり、パニックを起こさないためのアナウンスがかえって、被害を大きくしてしまうということなのでしょう。原発事故後は、テレビがその役割を続けてしまいました。

広瀬隆さんも、「今は正しいパニックを起こすべき時」と言っていましたが、その言葉がどれだけの人に届いたでしょう。

放射線障害について、未だに人々は無防備にスーパーなどで葉野菜など買い物をしています。

内部被曝について世界的に認められているのは、LNT仮説(しきい値無し直線仮説)が主流なのに、それは天動説だといってはばからない人たちが、もう一方のホルミシス仮説を取り上げて放射線は体に良いと言っています。

放射線がそんなに健康に良いのなら、チェルノブイリ事故後の旧ソ連の住民たちは長生きしていなければならないのですが、実際は事故当時から平均寿命が10歳も下がっていますし、2030年には20歳も下がるとまで言われています。
http://blog.goo.ne.jp/newjolly/e/beef7c58b970fae4c4f528263c9f66bb


あるいは、体内被曝は晩発性障害なのに、「まだ、一人の死者も出ていないじゃないか」とかいう人の話を聞いていると、もう脱力感にさいなまれます。

仕事も捨てられない、住宅ローンもあるし、子供も転校させたくない、福島の魚も野菜も福島の人がかわいそうだと食べてあげたりしていては、もう逃げようがありません。

愛だけを残せ!

2011-06-09 09:56:19 | Weblog


中島みゆきさんの「愛だけを残せ」ですが、改めて見てみるとものすごい歌詞です。

『愛だけを残せ こわれない愛を
激流のような 時の中で
愛だけを残せ
名さえも残さず 命のあかしに
愛だけを残せ』


まるで戦時中のような、今の時代に大変マッチングしている歌詞であると思われます。

富も残さず、名さえも残さず、愛だけを残せとは。




『やむにやまれぬ人生は綱渡りだ
選ぶつもりで選ばされる手品だ』


このあたりは、ものすごい感性です。

人生は、選ぶつもりで選ばされている手品であると。

本当だ。

必死で落ちないように綱渡りを歩いている人でも、歩いているのは用意された一本のロープにすぎません。

カードマジックなどは予め決められたカードを、観客に選ばさせているわけです。

実際に世の中には、権力のある者たちや、金のある者たちが、政府を介して国民にインセンティブを与えている現実があり、どれくらいの人間が富を与えられるとか、一生涯でどれくらい税金を取られるとか、その人たちの思惑で道筋はたいがい決まってしまいます。

中島みゆきは、宗教だと揶揄する人もいるそうですが、彼女が天理教であるということ以上に、歌詞には宗派を超える普遍的な影響力があるので、創始者の中山みきを超えているようなところがあると思われます。

人生というものが、たいがいお金に不自由になるもので、権力にも不自由であるものなら、人間の愛だけは自由であるべきでしょう。

自由というのも、その文字が表すとおり、自らの存在の理由に他なりません。

過去の世代の財産を失いつつある日本人たちよ、自分の存在を少しでも意義あるものにしたいなら、せめて愛だけを残して死んでいけ!

名もなき詩

2011-06-07 14:48:29 | Weblog


最近は、車のステレオでミスチルの曲ばかりかけて通勤しています。

名曲「名もなき詩」の歌詞が、胸に沁みてくる今日この頃です。



『ちょっとぐらいの汚れ物ならば 残さずに全部食べてやる』


というこの言葉は、キリスト教的なニュアンスがあるというか、欺瞞や汚濁にまみれたこの世界を拒絶せずに、その中で生きることを引き受けていくという決意のように聞こえてしまいます。



『あるがままの心で生きられぬ弱さを 誰かのせいにして過ごしてる』


経済合理主義などに服従して、正しいことを正しいと言えずに、間違っていることを間違っていると言えないのが、人があるがままの心で生きていけない最大の理由なのでしょう。それを他人のせいにして自分を肯定的に守ってしまうのが人間の弱いところです。



『愛はきっと奪うでも与えるでもなくて 気がつけばそこにある物』

これはキリスト教とは違い(与える愛は違うといってしまうあたりキリスト教徒は怒り出してしまうでしょう)、日本という共同体の慣習の中での自然発生的な愛のように思われます。

奪うとか、与えるとか、あまり小難しく考えなくても、多くの人は愛情のようなものをもって生まれてきているという意味だと思います。それが、なかなか実感できないというだけで。



『知らぬ間に築いてた自分らしさの檻の中でもがいてるなら 誰だってそう 僕だってそうなんだ』


これは君だけじゃなくて、自分や多くの人がかかえているジレンマなんだと言っているように思われます。


自分たちの利益を守るためなら国民を極限まで騙してもかまわないという感性が世の中に蔓延している時代ですから、ぜひとも東京電力の役員に聴いてもらいたいと思うのです。