先日、BS-TBSで放送していた南アW杯南米予選のブラジルvsチリ戦(2009年9月9日 @サルヴァドール/ピトゥアス・スタジアム))をテレビで見ました。ドゥンガ監督率いるブラジルは、4日前の敵地でのアルゼンチン戦を3-1で快勝して来年の本大会出場権を既に獲得していましたので、地元での凱旋試合といった風情でした。一方、マルセロ・ビエルサ監督率いるチリは、この試合に勝てば出場権を得られた事もあり、南米王者を相手に前からプレスを掛けて積極果敢に攻め込みます。途中、2-2で同点の場面も作りましたが、カウンター攻撃主体のブラジルに屈し、健闘むなしく2-4で敗戦。パラグアイがホームでアルゼンチンを1-0で勝ってW杯出場権を獲得したので、残り2枚のW杯出場権(&大陸間プレーオフの権利)の行方は、次節へと持ち越しになりました。
ただ、この試合を見てふと思い出したのが、今から20年前に発生して世界中を揺るがした「ロハス事件」です。ロハス事件が起きた試合会場は、リオデジャネイロのマラカナン・スタジアムでしたので今回とは場所は異なりますが、カードはブラジルvsチリ戦でしたから、なんとなく既視感を覚えたのは私だけでしょうか? しかも、この試合はお互いに一人ずつ退場者を出しました。なので、今回の試合をテレビで見た時は、今回も何か物騒な事が起きるのか少し期待しましたね(笑)。10年前にパラグアイで開催されたコパアメリカ(南米選手権)で両チームが対戦した時も、発炎筒が焚かれて試合続行が不可能になって途中で打ち切った事がありました(結果は1-0でブラジルの勝利)。まあ、今回はブラジルにとっては消化試合だったから、そういう不測の事態が起きる可能性は低いので杞憂に終わりました。
ちなみに「ロハス事件」とは・・・
イタリアW杯南米予選3組は、ブラジル、チリ、ベネズエラの3ヶ国によってホームアンドアウェー方式で行われました。首位チームのみがイタリアへの切符を獲得できました。下馬評は、この年に40年ぶりにコパアメリカを制したブラジルが断然有利で、それをチリが追かける展開でした。チリの首都サンチアゴのナショナルスタジアムで行われたブラジルとチリの直接対決の第1戦は1-1の引き分け。そして、1989年9月3日、リオデジャネイロのマラカナン・スタジアムでこの組の最終戦となる第2戦が行われました。
ただ、この試合は戦う前から不穏な空気が流れてました。その伏線となっていたのは、ドローに終わった8月13日の第1戦です。この試合はライバル同士の直接対決だけあって、大荒れの試合展開となりました。まず、開始3分でブラジルのロマーリオがいきなり退場処分。今度は、前半12分にチリのオルメーニョが退場し、両チームとも選手を1人ずつ欠いて10対10になります。後半18分に、チリの守備陣のクリアミスによるオウンゴールでブラジルが幸運な先制点をゲット。だが、試合終了間際には不可解な判定で敵陣でFKをもらったチリが、ブラジルのGKタファレルからボールを強引に奪い取って、ブラジルが守備体形を整える前に蹴りこんで同点。結局、1-1のまま試合終了。
☆大荒れの試合展開となったチリvsブラジル戦
(1989年8月13日 @チリ・サンチアゴ/ナショナルスタジアム)
その後、両国の世論は激昂し、まるで宣戦布告をして交戦状態にでもなったかのように、凄まじい非難合戦を展開。チリ政府は、敵地での試合に乗り込む代表チームに空軍機まで提供しました。3戦を終えた時点でブラジルとチリは、ともにベネズエラにアウェー、ホームともに勝利。ただ、両者は勝ち点では並んでますが、総得失点差でブラジルが3点リードしてたので、ブラジルは地元での最終戦で引き分け以上の結果でW杯本大会に出場できる状況でした。なので、チリは絶対に敵地での勝利を義務付けられてました。
16万人の大観衆を集めて行われた第2戦は、序盤から大歓声を背に受けたブラジルの一方的な展開。後半4分にベベットのパスを受けたカレカが鮮やかに決めてブラジルが1点をリード。ブラジルは引き分けでもOKなので、圧倒的に有利な状況となりました。時間は刻々と進み、絶対に勝利の必要があるアウェーのチリは敗色濃厚と思われました。ところが、この後、誰もが予想してなかったとんでもない事態が発生します。
後半25分頃、チリのゴール裏の観客席で応援していた24歳のブラジル人女性が、船舶用の強力な発炎筒をピッチの中に投げ込んでしまいました。よりによって、その発炎筒がチリのゴールマウス付近に落下して、GKロベルト・ロハスは頭を抱えて蹲ります。頭部から大量に出血したロハスは担架に乗せられて退場。その後、アルゼンチン人の主審は試合の再開を促しますが、チリは「安全を確保されてない会場では試合を出来ない」と主張して試合続行を拒否して、試合はブラジルが1-0のまま打ち切り。チリは、試合の無効と第3国での再試合を求めてFIFAに提訴。提訴が認められればこの試合は不成立になり、チリのW杯本大会出場の可能性は再び蘇ります。
ところが翌日、その様子を撮影していた日本の『サッカーマガジン』と契約していたアルゼンチン人カメラマンのリカルド・アルフィエリが撮影した写真によって、とんでもないことが発覚。投げ込まれた発炎筒はロハスの頭部に直撃していないどころか、体にかすりもしてません。さらに、FIFAの調査の結果、隠し持っていた剃刀で頭部に自傷行為を及んだロハスの狂言だった事が判明。なぜそんなことをしたのかというと、チリはこの時点でブラジルにリードされていた為、試合を無効にするべくロハスが咄嗟の判断で悪知恵を働かせて仕組んだからに他ならないです。また、チリ代表の主将でもあったロハスは、ボーナスを巡って協会と選手の対立の矢面に立たされていたので、個人的にも窮地に立たされていたことも悪事に手を染めた背景なのかもしれません。結局、この試合は没収試合扱いとなったので、2-0でブラジルの勝利として扱われ、14大会連続のW杯本大会出場が決定しました。
全然かすりもしてねえじゃんww
(写真『サッカーマガジン』1989年11月1日号より)
ただ、この事件がある意味凄いのは、発炎筒を投げ込んだのは敵のブラジルのサポーターだった事です。もし、チリ側の人間が投げ込んだのであれば、試合の旗色が悪くなったので事件に及んだわけから、選手と関係者が最初から仕組んだ計画的な犯行と推測できますので、それなりに理解はできます。だけど、この発炎筒は、試合をリードしていた相手側のブラジルのサポーターが投げ込んだわけなので、文字通りに不測の事態です。誰も予想すら出来ないあの状況下で、負傷を装って再試合に持ち込むシナリオを咄嗟に思い付くなんて、日本人からすれば絶対にあり得ない発想でしょう。しかも、計画的な犯行ではないのに、ロハスはあらかじめ剃刀を用意していたことも驚きです。悪役プロレスラーでもこんな事はやらないですね。これぞ、まさに究極のマリーシア。決して良い子は真似はしてはいけません(笑)。
とはいえ、ロハスとオーランド・アラヴェナ監督と医師のダニエル・ロドリゲスはサッカー界から永久追放処分。共犯者とされたDFのフェルナンド・アステンゴも5年間の選手資格停止処分。そして、チリサッカー協会には、約10万ドルの高額な罰金と次回1994年米国W杯の参加を剥奪されるという厳しい処分となりました。ただし、チリは1991年のコパアメリカをなぜか自国で開催。しかも、ロハス事件の被害者であるブラジルも、チリの開催権の剥奪を主張した訳でもなく、当然の如く大会に参加してましたから本当に不思議です。まさに、ラテン的御都合主義!。本当に南米恐るべしですね(苦笑)。
ちなみに、この重い処分で最も割を食ったのがイバン・サモラノ(チリ)です。なにせ、米国W杯に参加できなかったこの時期こそが、サモラノにとって選手としてのピークでしたから。サモラノは、レアル・マドリード在籍時の1994-1995シーズンでは28得点を挙げて得点王を獲得し、チームに5シーズンぶりの優勝をもたらしました。その後、出場停止処分の解けた次回のフランスW杯南米予選では、マルセロ・サラスとの「ZaSaコンビ」によってゴールを量産。2人で23得点を挙げて、母国を4大会ぶりのW杯出場に導いただけでなく、本大会でも抜群のコンビでベスト16進出への原動力となりました。また、2000年シドニー五輪では、サモラノはオーバーエージ枠で出場。6得点を叩き出して得点王を獲得し、母国を銅メダルに導きました。国際舞台に復帰して以降、サモラノは代表としてあれだけ活躍しただけに、全盛期にW杯で活躍している姿を見たかった選手の一人でした。
余談ですが、発炎筒を投げ込んだ当事者である24歳のブラジル人女性のローズマリー・ドゥ・メロは、のちに国内版プレイボーイでヌードグラビアを披露して一躍人気者となり、翌1990年のイタリアW杯本大会にも旅行会社の広報員として参加。結局、この事件で最も得をしたのは、お騒がせなこの女性だけだったのかもしれませんね。
ところで、ロハスは今は一体何をやっているのかなぁ~?
☆自作自演のロハスの流血シーン
(1989年9月3日 @ブラジル・リオデジャネイロ/マラカナン・スタジアム)
ただ、この試合を見てふと思い出したのが、今から20年前に発生して世界中を揺るがした「ロハス事件」です。ロハス事件が起きた試合会場は、リオデジャネイロのマラカナン・スタジアムでしたので今回とは場所は異なりますが、カードはブラジルvsチリ戦でしたから、なんとなく既視感を覚えたのは私だけでしょうか? しかも、この試合はお互いに一人ずつ退場者を出しました。なので、今回の試合をテレビで見た時は、今回も何か物騒な事が起きるのか少し期待しましたね(笑)。10年前にパラグアイで開催されたコパアメリカ(南米選手権)で両チームが対戦した時も、発炎筒が焚かれて試合続行が不可能になって途中で打ち切った事がありました(結果は1-0でブラジルの勝利)。まあ、今回はブラジルにとっては消化試合だったから、そういう不測の事態が起きる可能性は低いので杞憂に終わりました。
ちなみに「ロハス事件」とは・・・
イタリアW杯南米予選3組は、ブラジル、チリ、ベネズエラの3ヶ国によってホームアンドアウェー方式で行われました。首位チームのみがイタリアへの切符を獲得できました。下馬評は、この年に40年ぶりにコパアメリカを制したブラジルが断然有利で、それをチリが追かける展開でした。チリの首都サンチアゴのナショナルスタジアムで行われたブラジルとチリの直接対決の第1戦は1-1の引き分け。そして、1989年9月3日、リオデジャネイロのマラカナン・スタジアムでこの組の最終戦となる第2戦が行われました。
ただ、この試合は戦う前から不穏な空気が流れてました。その伏線となっていたのは、ドローに終わった8月13日の第1戦です。この試合はライバル同士の直接対決だけあって、大荒れの試合展開となりました。まず、開始3分でブラジルのロマーリオがいきなり退場処分。今度は、前半12分にチリのオルメーニョが退場し、両チームとも選手を1人ずつ欠いて10対10になります。後半18分に、チリの守備陣のクリアミスによるオウンゴールでブラジルが幸運な先制点をゲット。だが、試合終了間際には不可解な判定で敵陣でFKをもらったチリが、ブラジルのGKタファレルからボールを強引に奪い取って、ブラジルが守備体形を整える前に蹴りこんで同点。結局、1-1のまま試合終了。
☆大荒れの試合展開となったチリvsブラジル戦
(1989年8月13日 @チリ・サンチアゴ/ナショナルスタジアム)
その後、両国の世論は激昂し、まるで宣戦布告をして交戦状態にでもなったかのように、凄まじい非難合戦を展開。チリ政府は、敵地での試合に乗り込む代表チームに空軍機まで提供しました。3戦を終えた時点でブラジルとチリは、ともにベネズエラにアウェー、ホームともに勝利。ただ、両者は勝ち点では並んでますが、総得失点差でブラジルが3点リードしてたので、ブラジルは地元での最終戦で引き分け以上の結果でW杯本大会に出場できる状況でした。なので、チリは絶対に敵地での勝利を義務付けられてました。
16万人の大観衆を集めて行われた第2戦は、序盤から大歓声を背に受けたブラジルの一方的な展開。後半4分にベベットのパスを受けたカレカが鮮やかに決めてブラジルが1点をリード。ブラジルは引き分けでもOKなので、圧倒的に有利な状況となりました。時間は刻々と進み、絶対に勝利の必要があるアウェーのチリは敗色濃厚と思われました。ところが、この後、誰もが予想してなかったとんでもない事態が発生します。
後半25分頃、チリのゴール裏の観客席で応援していた24歳のブラジル人女性が、船舶用の強力な発炎筒をピッチの中に投げ込んでしまいました。よりによって、その発炎筒がチリのゴールマウス付近に落下して、GKロベルト・ロハスは頭を抱えて蹲ります。頭部から大量に出血したロハスは担架に乗せられて退場。その後、アルゼンチン人の主審は試合の再開を促しますが、チリは「安全を確保されてない会場では試合を出来ない」と主張して試合続行を拒否して、試合はブラジルが1-0のまま打ち切り。チリは、試合の無効と第3国での再試合を求めてFIFAに提訴。提訴が認められればこの試合は不成立になり、チリのW杯本大会出場の可能性は再び蘇ります。
ところが翌日、その様子を撮影していた日本の『サッカーマガジン』と契約していたアルゼンチン人カメラマンのリカルド・アルフィエリが撮影した写真によって、とんでもないことが発覚。投げ込まれた発炎筒はロハスの頭部に直撃していないどころか、体にかすりもしてません。さらに、FIFAの調査の結果、隠し持っていた剃刀で頭部に自傷行為を及んだロハスの狂言だった事が判明。なぜそんなことをしたのかというと、チリはこの時点でブラジルにリードされていた為、試合を無効にするべくロハスが咄嗟の判断で悪知恵を働かせて仕組んだからに他ならないです。また、チリ代表の主将でもあったロハスは、ボーナスを巡って協会と選手の対立の矢面に立たされていたので、個人的にも窮地に立たされていたことも悪事に手を染めた背景なのかもしれません。結局、この試合は没収試合扱いとなったので、2-0でブラジルの勝利として扱われ、14大会連続のW杯本大会出場が決定しました。
全然かすりもしてねえじゃんww
(写真『サッカーマガジン』1989年11月1日号より)
ただ、この事件がある意味凄いのは、発炎筒を投げ込んだのは敵のブラジルのサポーターだった事です。もし、チリ側の人間が投げ込んだのであれば、試合の旗色が悪くなったので事件に及んだわけから、選手と関係者が最初から仕組んだ計画的な犯行と推測できますので、それなりに理解はできます。だけど、この発炎筒は、試合をリードしていた相手側のブラジルのサポーターが投げ込んだわけなので、文字通りに不測の事態です。誰も予想すら出来ないあの状況下で、負傷を装って再試合に持ち込むシナリオを咄嗟に思い付くなんて、日本人からすれば絶対にあり得ない発想でしょう。しかも、計画的な犯行ではないのに、ロハスはあらかじめ剃刀を用意していたことも驚きです。悪役プロレスラーでもこんな事はやらないですね。これぞ、まさに究極のマリーシア。決して良い子は真似はしてはいけません(笑)。
とはいえ、ロハスとオーランド・アラヴェナ監督と医師のダニエル・ロドリゲスはサッカー界から永久追放処分。共犯者とされたDFのフェルナンド・アステンゴも5年間の選手資格停止処分。そして、チリサッカー協会には、約10万ドルの高額な罰金と次回1994年米国W杯の参加を剥奪されるという厳しい処分となりました。ただし、チリは1991年のコパアメリカをなぜか自国で開催。しかも、ロハス事件の被害者であるブラジルも、チリの開催権の剥奪を主張した訳でもなく、当然の如く大会に参加してましたから本当に不思議です。まさに、ラテン的御都合主義!。本当に南米恐るべしですね(苦笑)。
ちなみに、この重い処分で最も割を食ったのがイバン・サモラノ(チリ)です。なにせ、米国W杯に参加できなかったこの時期こそが、サモラノにとって選手としてのピークでしたから。サモラノは、レアル・マドリード在籍時の1994-1995シーズンでは28得点を挙げて得点王を獲得し、チームに5シーズンぶりの優勝をもたらしました。その後、出場停止処分の解けた次回のフランスW杯南米予選では、マルセロ・サラスとの「ZaSaコンビ」によってゴールを量産。2人で23得点を挙げて、母国を4大会ぶりのW杯出場に導いただけでなく、本大会でも抜群のコンビでベスト16進出への原動力となりました。また、2000年シドニー五輪では、サモラノはオーバーエージ枠で出場。6得点を叩き出して得点王を獲得し、母国を銅メダルに導きました。国際舞台に復帰して以降、サモラノは代表としてあれだけ活躍しただけに、全盛期にW杯で活躍している姿を見たかった選手の一人でした。
余談ですが、発炎筒を投げ込んだ当事者である24歳のブラジル人女性のローズマリー・ドゥ・メロは、のちに国内版プレイボーイでヌードグラビアを披露して一躍人気者となり、翌1990年のイタリアW杯本大会にも旅行会社の広報員として参加。結局、この事件で最も得をしたのは、お騒がせなこの女性だけだったのかもしれませんね。
ところで、ロハスは今は一体何をやっているのかなぁ~?
☆自作自演のロハスの流血シーン
(1989年9月3日 @ブラジル・リオデジャネイロ/マラカナン・スタジアム)