「インビクタス/負けざる者たち」という映画が最近公開されました。まだ観たことはありませんが、今から15年前に南アフリカで開催された第3回ラグビーW杯の実話に基づいて構成された作品です。この大会は、南アが悪名高いアパルトヘイト政策を1994年に完全撤廃後、同国で初めて開催された世界的なスポーツ大会でした。
白人主体で編成されたスプリングボクス(南ア代表チームの愛称)は、長年に渡って差別を受けていた黒人からは憎悪の対象でした。だが、国民融和を願うネルソン・マンデラ大統領は寛大な精神を示し、「新生南ア」の象徴として全面的に代表チームをサポート。徐々に全国民の応援を受けた南アは快進撃で決勝戦に進出。オールブラックス(NZの愛称)との決勝戦ではお互いにノートライでしたが、息詰まる延長戦の攻防の末に15-12で制し、南アが大会初優勝を果たしました。ラグビーを知らない人でも、きっと楽める作品のような気がします。
☆決勝の南アフリカvsニュージーランド戦のダイジェスト
(1995年6月24日 @南ア・ヨハネスブルグ/エリスパークスタジアム)
しかし、当時をリアルタイムで知っている日本人の立場としては、この作品はかなり複雑に感じますね。大会開催を成功した南ア国民の方には申し訳ないですが、ハッキリ言って永久に思い出したくない大会です。言うまでも無く、この大会は日本ラグビー界にとっての黒歴史だからです。全ての日本スポーツ界の歴史を見渡しても、最大級の国辱に値する忌まわしい出来事でした。
日本はこの大会では、ウェールズ、スコットランド、NZと同じ組に入り3戦全敗。3ヶ国とも国際ラグビーボード(IRB)を創設した8ヶ国のメンバーであり、日本との実力差はもともと歴然だったので、全敗したこと自体は仕方がありませんでした。ちなみに、大会3試合の日本の成績は、総得点が55点、総失点が252点。得トライが僅か8に対し、失トライがなんと35。ざっと数字を見ただけでも、悲惨な結果だったのがよく分かります。
そして初戦のウェールズ戦では、日本は不可解な選手起用をします。好調だった左WTBの吉田義人をなぜか外して、代わりに増保輝則を起用。小藪修監督曰く「ディフェンス重視」が理由とのこと。大会直前のルーマニアとの親善試合で日本は積極的に戦って快勝したのに、なぜ大会直前になって戦術を変更するのか疑問でした。体格と身体能力で劣る日本としては、人とボールを動かしてバクチ紛いの試合運びをしなければ勝機を見出せないのは明白でしたから。
さらに、監督は「次の試合で吉田を出して、一発ずつ試す」とも発言。W杯は真剣勝負の舞台であるはずなのに、この期に及んで一体何を試すのか、全く理解が出来ませんでした。それ以前に、3年近く代表監督をやっていて一体今までどんな準備をしたのか疑問でした。この発言は、いちファンとしても指揮官に強い不信感を覚えました。この不可解な采配が、地獄の惨劇に繋がる序章となりました。
前半にウェールズにPGで先制された後、日本は2度同点のPGの機会を得ます。しかし、楽な場面と思われたこのPGを、吉田に代わってプレスキッカーとなった増保が2度とも外しました。ただ、外したのも無理も無かったです。というのも、増保は初戦の3日前にいきなり先発起用を告げられたので、殆どぶっつけ本番でしたから。経験不足の選手に賽を預けた時点で、ほぼ勝機は消滅しました。その後はウェールズが前半だけで36点を奪って完全に試合を支配。最終的に10-57でノーサイドの笛。明らかに作戦をミスした日本は、惨敗を喫していきなり躓きました。
2戦目の相手はアイルランド。この試合は吉田を復帰させるなど本来のメンバーを送り込みます。前半の日本はアイルランドの猛攻を凌いで互角に近い内容で戦います。14-19で前半を折り返し、淡い期待を抱きました。しかし、後半のアイルランドは形振り構わずに戦います。ボールを奪うと敵陣深く蹴りこんで陣地を稼ぎ、スクラムで徹底的に押し込んで日本をゴール前に釘付けに。力ずくで押し込んで日本の反則を誘い、認定トライを奪う泥臭い戦いに徹しました。結局、日本は終盤に力尽きて引き離されてしまい、28-50で大敗。ちなみに、大会直前に代表復帰し、コーチ兼任で「陰の監督」のように振舞っていた平尾誠二は、このアイルランド戦でテストマッチ初のトライを挙げました。そして、この試合が平尾の最後の代表戦となりました。
残り1試合を残して順当に予選プール敗退が決定した日本。最終戦の相手は第1回大会の覇者であるNZでした。映画「インビクタス」で、モーガン・フリーマンが演じるマンデラ大統領が「えっ、1試合に145点も取られるチームがあるのか?」と笑わせるシーンをあらすじで観ましたが、それがこの試合です。W杯史上最多失点を記録したこの試合は、もはや「集団リンチ」を通り越して、「公開処刑」もしくは「大量虐殺」と表現した方が適切なほど、惨過ぎる光景となりました。
なにせ、控え選手主体のチームに21トライも奪われましたから。単純計算だと、4分弱で1トライを奪われた事になります。マーク・エリスには、1人で6トライも奪われる始末。意外にもPGは1つも奪われてませんが、反則でも止められないほどNZのスピードが早過ぎました。彼らと日本人とでは、体格はもちろんのこと身体能力の差があまりにも違いすぎ、大人と子供ぐらいに歴然とした実力差でしたから。一旦、相手に抜かれると、相手の背中をただ見送るだけ。ドラマ「スクール☆ウォーズ」で、川浜高校が相模一高に0-109で大敗したシーンを彷彿とさせられました。ちなみに、マンデラ大統領がNZのジョアニー・ロムーを警戒するシーンが映画でありますが、彼はこの日本戦には出場してません。もし、出場していたら145失点では済まなかったと思います。
☆準決勝のイングランド戦で4トライを決めたジョアニー・ロムー
(1995年6月18日 @南ア・ケープタウン/ニューランズ・スタジアム)
敗因は色々あると思います。中でも、問題だったのが、日本代表としてのチームのあり方でした。なにせ、一番弱いチームのくせして、大会期間中に連日連夜カジノに繰り出していた選手がおりましたから。ついでに言うと、首脳陣はゴルフに興じてました。もちろん、選手全員がこんな人たちばかりではないことは付け加えておきます。ただ対戦国は、弱小国日本を相手でも徹底的に研究し、目の色を変えて練習してました。一方、日本はチンタラとした練習。ただでさえ無能な監督でしたが、モラルの紊乱すら咎められないほどの指導力不足。そして、こんな人物を据えて、いつまでも放置した協会の無責任さ。これでは、組織の体は全く成してません。惨敗を喫するのは当然でした。
せっかく宿澤広朗監督時代の1991年の第2回大会で、日本はジンバブエに大会初勝利してアイルランドに善戦するなど、世界の背中がおぼろげに見えましたが、この惨敗で完全に雲散霧消。この大会以降、日本はW杯では2007年大会にカナダに引き分けるまで13連敗を喫します。更に、この惨敗でラグビー人気が一気に低迷。そして、この1995年にIRBはプロ化を容認。それ以降、改革に立ち遅れた日本は強豪国との実力格差が更に広がりました。現在でこそ、トップリーグの創設や外国人監督の起用、「3年ルール」で外国人選手の代表チーム入りを推進するなど強化策を進めてます。だが、15年前に負った傷は癒えたとはいえず、未だ再建の途上です。
そして、15年前にラグビーが地獄の惨劇を味わった、同じブルームフォンティーンの地でW杯を戦うのがサッカーの日本代表です。戦術の不徹底によるチームの迷走、疑問符が付きまとう指揮官の指導力、問題を放置している協会幹部・・・。驚くほど惨敗を喫したラグビーと共通する項目があります。更に言うと、このカメルーン戦の試合会場は、ラグビーが戦った同じフリーステート・スタジアムです。
はたして、6月14日に同じ地で戦う岡田ジャパンは、どのような結末を迎えるのでしょうか?
今は同じ惨劇が繰り返されないことを祈るのみです。
▼第3回ラグビーW杯南アフリカ大会の日本の成績
・予選プールC (会場は全てフリーステート・スタジアム)
1995/05/27 ●10-57 ウェールズ
ウ 4 2 4 36 ∥ 3 3 0 21 ∥ 57
T G P 前 ∥ T G P 後 ∥ 計
日 0 0 0 0 ∥ 2 0 0 0 ∥ 10
1995/05/31 ●28-50 アイルランド
ア 3 2 0 19 ∥ 4 4 1 31 ∥ 50
T G P 前 ∥ T G P 後 ∥ 計
日 2 2 0 14 ∥ 2 2 0 14 ∥ 28
1995/06/04 ●17-145 ニュージーランド
N 12 12 0 84 ∥ 9 8 0 61 ∥ 145
T G P 前 ∥ T G P 後 ∥ 計
日 0 0 1 3 ∥ 2 2 0 14 ∥ 17
・予選プールCの最終成績
1位・ニュージーランド、2位・アイルランド、3位・ウェールズ、4位・日本
(日本は3戦全敗で最下位終わり、3大会連続の1次リーグ敗退)
・大会の最終順位
優勝:南アフリカ、2位:ニュージーランド、3位:フランス、4位:イングランド
【この大会の日本代表選手】監督:小藪修
【FW】太田治(NEC)、薫田真広(東芝府中)、田倉政憲(三菱自工京都)、高橋一影(トヨタ自動車)、桜庭吉彦(新日鉄釜石)、ブルース・ファーガソン(日野)、梶原宏之(勝沼クラブ)、シナリ・ラトゥ(三洋電機)、シオネ・ラトゥ(大東文化大学)、井沢航(東京ガス)、赤塚隆(明治大学)、浜辺和(近鉄)、弘津英司(弘津英司)、羽根田智也(ワールド)
【BK】堀越正巳(神戸製鋼)、村田亙(東芝府中)、平尾誠二(神戸製鋼)、廣瀬佳司(京都産業大学)、増保輝則(神戸製鋼)、吉田義人(伊勢丹)、元木由記雄(神戸製鋼)、吉田明(神戸製鋼)、ロペティ・オト(大東文化大学)、松田努(東芝府中)、松尾勝博(ワールド)、今泉清(サントリー)
白人主体で編成されたスプリングボクス(南ア代表チームの愛称)は、長年に渡って差別を受けていた黒人からは憎悪の対象でした。だが、国民融和を願うネルソン・マンデラ大統領は寛大な精神を示し、「新生南ア」の象徴として全面的に代表チームをサポート。徐々に全国民の応援を受けた南アは快進撃で決勝戦に進出。オールブラックス(NZの愛称)との決勝戦ではお互いにノートライでしたが、息詰まる延長戦の攻防の末に15-12で制し、南アが大会初優勝を果たしました。ラグビーを知らない人でも、きっと楽める作品のような気がします。
☆決勝の南アフリカvsニュージーランド戦のダイジェスト
(1995年6月24日 @南ア・ヨハネスブルグ/エリスパークスタジアム)
しかし、当時をリアルタイムで知っている日本人の立場としては、この作品はかなり複雑に感じますね。大会開催を成功した南ア国民の方には申し訳ないですが、ハッキリ言って永久に思い出したくない大会です。言うまでも無く、この大会は日本ラグビー界にとっての黒歴史だからです。全ての日本スポーツ界の歴史を見渡しても、最大級の国辱に値する忌まわしい出来事でした。
日本はこの大会では、ウェールズ、スコットランド、NZと同じ組に入り3戦全敗。3ヶ国とも国際ラグビーボード(IRB)を創設した8ヶ国のメンバーであり、日本との実力差はもともと歴然だったので、全敗したこと自体は仕方がありませんでした。ちなみに、大会3試合の日本の成績は、総得点が55点、総失点が252点。得トライが僅か8に対し、失トライがなんと35。ざっと数字を見ただけでも、悲惨な結果だったのがよく分かります。
そして初戦のウェールズ戦では、日本は不可解な選手起用をします。好調だった左WTBの吉田義人をなぜか外して、代わりに増保輝則を起用。小藪修監督曰く「ディフェンス重視」が理由とのこと。大会直前のルーマニアとの親善試合で日本は積極的に戦って快勝したのに、なぜ大会直前になって戦術を変更するのか疑問でした。体格と身体能力で劣る日本としては、人とボールを動かしてバクチ紛いの試合運びをしなければ勝機を見出せないのは明白でしたから。
さらに、監督は「次の試合で吉田を出して、一発ずつ試す」とも発言。W杯は真剣勝負の舞台であるはずなのに、この期に及んで一体何を試すのか、全く理解が出来ませんでした。それ以前に、3年近く代表監督をやっていて一体今までどんな準備をしたのか疑問でした。この発言は、いちファンとしても指揮官に強い不信感を覚えました。この不可解な采配が、地獄の惨劇に繋がる序章となりました。
前半にウェールズにPGで先制された後、日本は2度同点のPGの機会を得ます。しかし、楽な場面と思われたこのPGを、吉田に代わってプレスキッカーとなった増保が2度とも外しました。ただ、外したのも無理も無かったです。というのも、増保は初戦の3日前にいきなり先発起用を告げられたので、殆どぶっつけ本番でしたから。経験不足の選手に賽を預けた時点で、ほぼ勝機は消滅しました。その後はウェールズが前半だけで36点を奪って完全に試合を支配。最終的に10-57でノーサイドの笛。明らかに作戦をミスした日本は、惨敗を喫していきなり躓きました。
2戦目の相手はアイルランド。この試合は吉田を復帰させるなど本来のメンバーを送り込みます。前半の日本はアイルランドの猛攻を凌いで互角に近い内容で戦います。14-19で前半を折り返し、淡い期待を抱きました。しかし、後半のアイルランドは形振り構わずに戦います。ボールを奪うと敵陣深く蹴りこんで陣地を稼ぎ、スクラムで徹底的に押し込んで日本をゴール前に釘付けに。力ずくで押し込んで日本の反則を誘い、認定トライを奪う泥臭い戦いに徹しました。結局、日本は終盤に力尽きて引き離されてしまい、28-50で大敗。ちなみに、大会直前に代表復帰し、コーチ兼任で「陰の監督」のように振舞っていた平尾誠二は、このアイルランド戦でテストマッチ初のトライを挙げました。そして、この試合が平尾の最後の代表戦となりました。
残り1試合を残して順当に予選プール敗退が決定した日本。最終戦の相手は第1回大会の覇者であるNZでした。映画「インビクタス」で、モーガン・フリーマンが演じるマンデラ大統領が「えっ、1試合に145点も取られるチームがあるのか?」と笑わせるシーンをあらすじで観ましたが、それがこの試合です。W杯史上最多失点を記録したこの試合は、もはや「集団リンチ」を通り越して、「公開処刑」もしくは「大量虐殺」と表現した方が適切なほど、惨過ぎる光景となりました。
なにせ、控え選手主体のチームに21トライも奪われましたから。単純計算だと、4分弱で1トライを奪われた事になります。マーク・エリスには、1人で6トライも奪われる始末。意外にもPGは1つも奪われてませんが、反則でも止められないほどNZのスピードが早過ぎました。彼らと日本人とでは、体格はもちろんのこと身体能力の差があまりにも違いすぎ、大人と子供ぐらいに歴然とした実力差でしたから。一旦、相手に抜かれると、相手の背中をただ見送るだけ。ドラマ「スクール☆ウォーズ」で、川浜高校が相模一高に0-109で大敗したシーンを彷彿とさせられました。ちなみに、マンデラ大統領がNZのジョアニー・ロムーを警戒するシーンが映画でありますが、彼はこの日本戦には出場してません。もし、出場していたら145失点では済まなかったと思います。
☆準決勝のイングランド戦で4トライを決めたジョアニー・ロムー
(1995年6月18日 @南ア・ケープタウン/ニューランズ・スタジアム)
敗因は色々あると思います。中でも、問題だったのが、日本代表としてのチームのあり方でした。なにせ、一番弱いチームのくせして、大会期間中に連日連夜カジノに繰り出していた選手がおりましたから。ついでに言うと、首脳陣はゴルフに興じてました。もちろん、選手全員がこんな人たちばかりではないことは付け加えておきます。ただ対戦国は、弱小国日本を相手でも徹底的に研究し、目の色を変えて練習してました。一方、日本はチンタラとした練習。ただでさえ無能な監督でしたが、モラルの紊乱すら咎められないほどの指導力不足。そして、こんな人物を据えて、いつまでも放置した協会の無責任さ。これでは、組織の体は全く成してません。惨敗を喫するのは当然でした。
せっかく宿澤広朗監督時代の1991年の第2回大会で、日本はジンバブエに大会初勝利してアイルランドに善戦するなど、世界の背中がおぼろげに見えましたが、この惨敗で完全に雲散霧消。この大会以降、日本はW杯では2007年大会にカナダに引き分けるまで13連敗を喫します。更に、この惨敗でラグビー人気が一気に低迷。そして、この1995年にIRBはプロ化を容認。それ以降、改革に立ち遅れた日本は強豪国との実力格差が更に広がりました。現在でこそ、トップリーグの創設や外国人監督の起用、「3年ルール」で外国人選手の代表チーム入りを推進するなど強化策を進めてます。だが、15年前に負った傷は癒えたとはいえず、未だ再建の途上です。
そして、15年前にラグビーが地獄の惨劇を味わった、同じブルームフォンティーンの地でW杯を戦うのがサッカーの日本代表です。戦術の不徹底によるチームの迷走、疑問符が付きまとう指揮官の指導力、問題を放置している協会幹部・・・。驚くほど惨敗を喫したラグビーと共通する項目があります。更に言うと、このカメルーン戦の試合会場は、ラグビーが戦った同じフリーステート・スタジアムです。
はたして、6月14日に同じ地で戦う岡田ジャパンは、どのような結末を迎えるのでしょうか?
今は同じ惨劇が繰り返されないことを祈るのみです。
▼第3回ラグビーW杯南アフリカ大会の日本の成績
・予選プールC (会場は全てフリーステート・スタジアム)
1995/05/27 ●10-57 ウェールズ
ウ 4 2 4 36 ∥ 3 3 0 21 ∥ 57
T G P 前 ∥ T G P 後 ∥ 計
日 0 0 0 0 ∥ 2 0 0 0 ∥ 10
1995/05/31 ●28-50 アイルランド
ア 3 2 0 19 ∥ 4 4 1 31 ∥ 50
T G P 前 ∥ T G P 後 ∥ 計
日 2 2 0 14 ∥ 2 2 0 14 ∥ 28
1995/06/04 ●17-145 ニュージーランド
N 12 12 0 84 ∥ 9 8 0 61 ∥ 145
T G P 前 ∥ T G P 後 ∥ 計
日 0 0 1 3 ∥ 2 2 0 14 ∥ 17
・予選プールCの最終成績
1位・ニュージーランド、2位・アイルランド、3位・ウェールズ、4位・日本
(日本は3戦全敗で最下位終わり、3大会連続の1次リーグ敗退)
・大会の最終順位
優勝:南アフリカ、2位:ニュージーランド、3位:フランス、4位:イングランド
【この大会の日本代表選手】監督:小藪修
【FW】太田治(NEC)、薫田真広(東芝府中)、田倉政憲(三菱自工京都)、高橋一影(トヨタ自動車)、桜庭吉彦(新日鉄釜石)、ブルース・ファーガソン(日野)、梶原宏之(勝沼クラブ)、シナリ・ラトゥ(三洋電機)、シオネ・ラトゥ(大東文化大学)、井沢航(東京ガス)、赤塚隆(明治大学)、浜辺和(近鉄)、弘津英司(弘津英司)、羽根田智也(ワールド)
【BK】堀越正巳(神戸製鋼)、村田亙(東芝府中)、平尾誠二(神戸製鋼)、廣瀬佳司(京都産業大学)、増保輝則(神戸製鋼)、吉田義人(伊勢丹)、元木由記雄(神戸製鋼)、吉田明(神戸製鋼)、ロペティ・オト(大東文化大学)、松田努(東芝府中)、松尾勝博(ワールド)、今泉清(サントリー)
ラグビーはまったく知りませんが、映画を見ていたので、結び付けて、シーンを思い出すこともでき、おかげで記事の内容も興味深く読ませていただきました。
スポーツ界は特に上下関係も厳しいでしょうから、指揮官の采配や態度というのは、選手にとって影響力が甚大だと思います。この記事をそのままプリントアウトして、関係者に送りつけたい気持ちになりました。
遠いところで行われている試合も、ちゃんと見守っている応援者がいるってことも、彼らに知らせたく思いました。選手に責任を押し付けるつもりはありませんが、やはりその競技の国代表として行っているからには、守って欲しいことって、ありますね。それも、実感いたしました。
「インビクタス」が実話に基づいた感動ストーリーなら、
こちらの話も実話に基づいた醜い悲劇です(苦笑)。
予備知識無しに映画を観て感動されたelinor-marianneさんが素直に羨ましく思います。
たぶん、この当時を少しでも知っている人だと、
どうしてもあの惨い光景をフラッシュバックしますから。
実力が弱いのであれば、少しでも勝算を高める為にあらゆる努力をして、
本番で壮絶に戦って散ったのであれば、決して誰も文句は言いません。
だけど、記述の通りにこのチームは戦う前から怠慢のオンパレードだったので、
とても代表チームの名に値しない酷い代物でした。
なので、この惨劇はハッキリ言って人災だったと思いますね。
記事を書いていて、思い出したくない記憶が蘇ってムカついてきたので、
口直しの為にロムーの素晴らしいプレーの動画を貼り付けました(笑)。
日本ラグビー狂会の‘ラグビー黒書’に詳細が
載ってます。
あれを読むと国辱以外の何物でもないですね。
あの試合でラグビー人気は一気に下降しましたから、ホントにあの時の代表の首脳陣は腹を切るべきだったと思いますよ。
何せBSで生中継、地上波で録画中継だったのがサンデースポーツの中でスポット中継されたら3分も経たないうちに3トライばかり奪われたのが忘れられません。
しかも試合終了後にスモールブッシュはガックリきている選手達に‘いやぁ~オールブラックスは強かったねぇ~’と人ごとのようにニコニコ笑いながら声をかけたとか・・・・・
ホントに‘名前を出すだけでも汚らわしい’と狂会のライター達から言われていたのに納得しますので、私もあえてスモールブッシュと名付けて記してます。
因みに07年のW杯でフィジーとカナダ相手に
2勝するためにJKが2チーム作り、控え組みで
臨んだオーストラリア戦ですら2桁失点はしませんでしたから145というのが空前絶後の記録か
よく分かりますよ。
因みに この年の9月に日本ラグビーの巨星だった大西鉄之祐氏が亡くなってます。
小よく大を制すスタイルでオールブラック巣ジュニアを破り、イングランドBに双方ノートライの大熱戦をやったチームを率いていた大西氏がブルームフォンテーンの惨劇を目の当たりにしていたら何と言うだろうか・・・と思ってましたよ。
そういう意味では95年は日本ラグビー界に
とっては暗黒の1年だったわけですね。
サッカーW杯が南アフリカで行われる事が決
まった時に日本の試合がブルームフォンテーンで1試合ぐらい行われるのではと思っていたのですが、見事に的中しました。
何とかラグビー日本代表の汚名を雪いで欲しいのですが・・・・・・
たしかに、日本のラグビーは体格や身体能力で世界の強豪に劣っていると思います。
しかし、この大会の日本チームに最も欠けていたのは、
代表チームに対する「誇り」ですね。
伝統国であろうが、よちよち歩きの独立国であろうが、国に対する誇りは万国共通のはずです。
当たり前の認識が存在すらしなかったからことが、
モラルが崩壊して無責任体制となり、地獄の惨劇に繋がったと思います。
ちなみに私はNumberを読んでこのチームの惨状を知りました。
カジノやゴルフなど、大会期間中のだらしない行動は今でも有名となってますが、
このチームは国内合宿の段階から既に崩壊してました。
なにせ、二日酔いの状態で合宿に参加している選手がおりましたから。
しかも、所属チームではちゃんと節制をしているのに、なぜか代表合宿ではこの有様。
そんな人間をレギュラーに起用した時点で、悲惨な結末は予想できましたし、
指揮官の無能さを実感しました。
2トライを挙げて意地を見せた梶原宏之の存在が無ければ、
オールブラックス戦はとてもじゃないけど最後まで見続ける勇気はありませんでしたね。
同じ地で戦うサッカーも、身の程を知っているので決して無理な要求はしませんが、
せめて意地を見せて無様な戦いだけはしてほしくないですね。