うんどうエッセイ「猫なべの定点観測」

おもに運動に関して、気ままに話したいと思います。
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手段が目的へと変質した箱根駅伝

2010年01月01日 | 陸上
毎年1月2日&3日の2日間、東京・大手町と神奈川県・箱根の間を往復で行われる、日本で最も盛り上がる陸上イベント「箱根駅伝」。ちなみに、箱根駅伝とは通称であり、正式名は「東京箱根間往復大学駅伝競走」です。私の地元は、箱根駅伝の区間で言うと、3区(復路だと8区)と4区(復路だと7区)を通る神奈川県平塚市の北隣にある厚木市です。なので、この駅伝が始まると、地元に正月が来る知らせが届くような気分になります。

私も子供の頃、初詣のついでに沿道(国道134号線)に観戦に行ったことがあります。ちなみに、初めて見に行った時は、今から20数年前の私が小学生ぐらいの時でした。つまり、1987年に日本テレビで生中継するより前の時代です。この当時のテレビ中継は、テレビ東京がダイジェストでやっていた時代です。初詣の行きや帰りに車の中でラジオ中継で聞くのが定番でした。この頃は、沿道の観客も今ほど多くなく、結構のどかな風景だったのを記憶してます。せいぜい、ニューイヤー駅伝並みの沿道でしょうか。なので、1987年以前の箱根駅伝は「日本の正月の一大行事」ではなく、まさに「地元の風物詩」といった風情でした。

また、箱根駅伝は富士山に向かって走る姿が日本人の心の琴線に触れ、「富士山信仰」にも通ずるものがあります。ある意味、地元の人間にとっては箱根駅伝とは、まさに「神事」であります。そして、箱根駅伝の観戦は地元の氏神に対する「公式参拝」に等しい神聖な行為なのかもしれません。おそらく、よその地域では考えられないほど、箱根駅伝はわが地元では大きな地位を占めています。

逆に言うと、わが地元では、箱根駅伝に対する批判は御法度の雰囲気すらあります。つまり、偶像破壊に匹敵する行為を意味するからです。正月にお年始で自宅に訪れる親戚は、必ずと言ってよいほど箱根駅伝を話のネタにして盛り上がります。大抵、初詣に行ったあとに駅伝を観戦してから自宅に寄るので、興奮は尚更です。それだけに、箱根駅伝に対して批判めいた口調をしたら会話に水を差すので、間違いなく“KY”で嫌な奴だと思われるのは必至です。なので、長年箱根駅伝に対して批判的な意見を持つ私は、言いたい事を胸に仕舞い込んで、適当に話を合わせてます。大人になるというのは本当につらいことです(笑)。
 


では、なぜ私が箱根駅伝に対して批判的なのかというと、この駅伝はマラソン&長距離の選手育成に役立っているとは思えないからです。箱根駅伝出身の五輪メダリストは、戦前に日本の植民地だった朝鮮半島出身で、1936年ベルリン五輪で銅メダルを獲得した南昇竜(明治大学)だけです。本来なら、箱根駅伝の主旨はマラソン&長距離ランナーの育成のはずです。しかし、現在は、駅伝のスペシャリストの養成へと変質しています。近年は箱根駅伝は過熱化していることもあり、弊害の方が多々目立ちます。実際に大学の指導者ですら、「箱根駅伝の為だけの箱根駅伝ではあってはならない」と弊害を指摘しているほどですから。現状では、箱根駅伝のみしか通用しない選手を量産しているのに過ぎず、「長距離選手の墓場」と化しています。

日本人は、先天的にスピードのあるアフリカ人にトラックなど短い距離で対抗するのはかなり厳しいです。なので、彼らに対抗するには、長い距離のマラソンの方が日本人特有の持久力を活かして辛うじて可能です。 ただ、箱根駅伝は全区間の総走行距離が217.9kmと長く、1区間の距離もハーフマラソン並みの約20kmなので、レースが進行するにつれて次第に1人で走る場面が多くなります。これでは、マラソンの勝負所である30km以降の駆け引きが身につかず、競り合う場面を体験する事すらできません。

つまり、箱根駅伝で求められる走りとは、人に勝つことよりも、決められた距離を設定したタイムで確実に次の走者にタスキを運ぶ安定した走りを重要視されます。アフリカ人に比べてラストスパートでの瞬発力に劣る日本人が、“箱根仕様”の走りにどっぷり浸かると、いざ世界の舞台でマラソンやトラックで戦った時に、急激なアップダウンの揺さぶりに振るい落とされます。もし、終盤まで喰らい付けたとしても、余力が残ってないので今度はラストスパートで完敗は必至です。 世界の同年代の強豪選手は、トラックでスピードを磨き、オフシーズンにクロスカントリーで足腰を鍛えております。あきらかに箱根駅伝の選手は世界の潮流に逆行しており、高速レースに全く対応できないのは自明の理です。



そして、日本テレビが生中継した1987年以降、箱根駅伝の視聴率がうなぎ登りになり、過熱化の一途を辿ります。関東ローカルの大会に過ぎない箱根駅伝が、全国大会と勘違いされているのは、大学駅伝の歪な日程(全日本大学駅伝を11月に実施)もありますが、過剰なほどメディアに露出させているのが理由です。かつて、成人の日にNHKで「青年の主張」(のちの青春メッセージ)という番組がありました。あの番組は、今時の若い連中を“健全な若者”として演出することによって、高齢者を安心させる狙いがありましたが、箱根駅伝はまさにその役割を担っています。

また、昔と違って、少子化の現在は「大学全入時代」なので、各大学とも生き残りに血眼です。なので、入学願書の出願時期に近い箱根駅伝は、格好の宣伝の場と化します。分かりやすく言えば、箱根駅伝は日本の全世帯の約3割近くが視聴している番組なので、常に先頭争いさえしていれば2日間で合計約11時間近く、ユニフォームに入っている校名を大々的にアピールできるからです。これを広告費に換算したら相当な額になるはずです。選手層の薄い新興大学が往路を優先するのはこれが理由です。しかも、大学生なのでギャラが発生しないので、テレビ局や各大学にとってはぼろい商売です。



そして、過熱した人気には、もちろん副作用が伴います。それは、目先の結果を出す事のみに囚われがちになり、長期的な視野で強化が出来ないことです。たしかに、最近のマラソンの五輪代表選手は箱根駅伝出身者が多いです。しかし、それは、高校の長距離ランキングの上位50傑の殆どの選手が、関東の大学に進学するからです。なので、箱根から育ったとは言い難いです。もし、箱根駅伝が選手の育成として機能しているのであれば、昨年引退した京都の龍谷大学出身の高岡寿成が保持する、マラソン(2002年のシカゴマラソンで樹立)と10000m(2001年に樹立)の日本記録が、箱根出身者によって未だに破られていないのはおかしな話です。

また、箱根に偏重した結果、大学の陸上部は駅伝の強化のみに血眼になり、トラックやフィールド種目の強化は疎かにされてきました。 また、大学生としては20kmの距離は長過ぎるので、練習過多で故障になりがちです。将来を考えずに選手生命を狂わせるような練習の結果、せっかくマラソンに適性のある選手も数多く潰されてます。かつての瀬古利彦のように、大学生がマラソンに挑戦する選手なんて、駅伝偏重の現在では殆ど見かけないです。

それに、たかが大学生の関東ローカルの駅伝に過ぎないのに、世界の陸上界の潮流をよく知らない人たちが、選手をスター扱いにしてチヤホヤする傾向があります。挙句の果てには、選手自身が世界の舞台で戦う事よりも、箱根で勝つ事が最終目標になり、卒業後は“燃え尽き症候群”となり伸び悩んでいる選手も多いです。まさに井の中の蛙です。

箱根駅伝は、日本人五輪選手第1号で「日本マラソンの父」である金栗四三が、長距離、マラソン選手を育成する為に発案しました。はたして、箱根駅伝の生みの親の金栗四三が、手段が目的へと変質しているこの現状を、草葉の陰で一体どのように思っているのでしょうか?

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2 コメント

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同感です (こーじ)
2010-01-02 23:56:52
 今年も宜しくお願いします。
 
 さて箱根の功罪については心あるライターの
方々が言ってますが、特に生島淳氏の本に瀬古
利彦が‘我々の頃は夏にトラックでスピード練習、冬はスタミナを付ける練習をしていたけど
箱根駅伝は息抜きのようなものだった’と言ってました。

 つまり猫なべさんが言われていたように手段が目的になった典型的な例ですね。

 マラソンランナーは円谷や瀬古・新宅・森下のようなトラック上がりと、君原や宗兄弟・中山のようなロード上がりがいましたけど宗兄弟や
中山らは1万mのタイムもよかったのを覚えてます。
 それに引き換え最近は最後に世界に通じたトラックランナーはシドニー五輪で7位に入った
高岡寿成が最後です。

 アテネ以降のトラックは全く通じてないのが現状で、それがマラソンの低迷とリンクしていると思います。

 北京五輪金メダリストのワンジルが‘駅伝の
練習をやるよりマラソンの練習を優先したい’
という事で五輪終了後に会社を退社したのに
対し、大手新聞社は‘一身上の都合により’と
ごまかしていたのを見ると病巣は深刻です。

 やはりトラックレースの充実なくしてマラソンのレベルアップはないと思いますよ。
 駅伝は息抜き程度にやっていかないと男子マラソンはカタストロフィを起こす事になるでしょう。

 北京の時のネタをTBしますので 宜しくお願いします。
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Unknown (猫なべ)
2010-01-03 01:24:48
こんばんは、そして明けましておめでとうございます。
こちらこそ本年もよろしくお願いいたします。


箱根駅伝が日本テレビで中継されたのは、私が中学1年の時だったので、ハッキリと覚えています。

「なんで、あんなローカル駅伝を長時間も生中継するのだろう?」

これが当時の素直な感想です。ただ、私も地元の人間なので、最初のうちはローカル大会に過ぎなかった箱根駅伝が全国的に注目されたのはとても嬉しかったですし、世界で戦える選手を生み出して欲しいと期待しました。

だけど、バルセロナ五輪で森下広一が銀メダルを獲ったのを最後に、1990年代半ば以降、男子マラソン陣が下降線を描いたのを見てから、私は批判派に転向しました。

中でも、アトランタ五輪は最悪でした。学生時代にマラソンで殆ど実績の無い渡辺康幸を担ぎ出します。(トラックで選出されますが、負傷で棄権)しまいには、バルセロナで8位入賞以降、実績の無かった谷口浩美を選出するなど、人材不足を露呈。挙句の果てには、実井謙二郎なんて、有森裕子よりもタイムが遅かったですから(苦笑)。

やはり、駅伝と掛け持ちでは絶対にマラソンやトラックでは戦えません。陸上とは「個人戦」であるのが自論です。足腰を鍛えてスピードを磨いた上で、駆け引きを身に付けなければ、世界の舞台では戦えないです。箱根の往路で10数人ごぼう抜きするぐらいで、チヤホヤするのは疑問に感じます。極論ですけど、世界で戦える選手が不在であるなら、代表選手を減らしても構わないとすら感じます。

モグスが先の福岡で途中棄権した時に、解説の瀬古が「マラソンは完走しなければ、いつまでたっても初マラソンだ」と仰ってましたけど、改めて重みのある言葉だと思います。

ちなみに、高岡の前に10000mの日本記録を作ったのが中山ですね。1987年に日本記録を作りましたが、たしか、マラソンの練習の一環として出した記録だったと思います。天才肌の一匹狼の選手だと思いました。だけど、中山の息子は、ライバル瀬古の出身大学の早稲田に在学中なんですよね(笑)。

私も今回の記事をこーじさんのブログにTBしますので、どうぞよろしくお願いいたします。
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