うんどうエッセイ「猫なべの定点観測」

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マイク・パウエルが男子走り幅跳びで偉大な世界新記録を樹立してから20年

2011年08月30日 | 陸上
今から20年前の1991年8月30日、東京の国立競技場で第3回世界陸上選手権が開催されました。大会8日目となったこの日、最大の注目種目は男子走り幅跳びでした。なぜなら、陸上界のスーパースターのカール・ルイス(米国)が出場したからです。1984年ロサンゼルス五輪で100m、200m、4×100mリレー、走り幅跳びを制したルイスは、1936年ベルリン五輪のジェシー・オーエンス(米国)以来の陸上競技で4冠王を達成。次の1988年ソウル五輪でも、100mと走り幅跳びで2冠。世界選手権でも、1983年ヘルシンキ大会と1987年ローマ大会では100m、4×100mリレー、走り幅跳びで3冠を達成しました。ただ、この1991年頃のルイスは30歳を迎えたこともあり、加齢のせいなのか、短距離では少しずつ衰えが見え始めました。

しかし、身体能力だけでなく、跳ぶ時の踏み切りの技術を要する走り幅跳びに関しては、ルイスは長年にわたって無類の強さを誇ってました。1981年5月の全米選手権で8m84㎝を出して優勝して以降、なんと10年間に渡って不敗。65連勝を築いてました。1981~1990年の10年間の各年度最高記録も、ルイスは6度もベスト記録をマーク。4冠を達成したロサンゼルス五輪では、実は同じ日に200mの予選を控えていたこともあり、先に行われた走り幅跳びの決勝ではたった1回だけしか跳ばなかったのにも拘らず、なんと8m54cmの好記録を出して、2位以下の選手を30cm以上引き離して圧勝しました(ただし、ルイスのこの行為は、観客には非常にウケが悪かったですけど・・・)。

東京での世界選手権でも、下馬評ではルイスが大本命でした。対抗馬は、ソウル五輪で銀メダルだったマイク・パウエル(米国)でした。パウエルは、この世界選手権の2ヶ月前に行われた全米選手権では、ルイスに僅か1cm差で敗れる大健闘をしたからです。ただ、パウエルは勝負弱く、全米選手権では最後の6回目でルイスに逆転されてひっくり返された苦い経験があります。更には、ソウル五輪でも、パウエルは3回目で8m49㎝を跳んでルイスに7㎝差まで詰め寄るも、その後はファウルを連発。逆に、ルイスは追い上げられた直後の4回目のジャンプで8m72cmを叩き出し、一気にパウエルを突き放して余裕の2連覇を飾りました。東京での世界選手権でのルイスは100mで鮮やかに復活を遂げて好調なだけに、パウエルは今回も引き立て役になるだろうと思われました。

8月29日に行われた予選では、ルイスは8m56cmを出して全体の首位で予選を通過。一方、パウエルは8m19cmを出して全体の4位で予選を通過します。翌8月30日、夕方5時半から決勝が行われました。まず、1回目でルイスは8m68cmの大会新記録を出していきなり首位に立ち、好調をアピール。対照的に、パウエルは7m85㎝と沈みます。2回目は、先攻のパウエルが8m54㎝を跳んで記録を伸ばして2位に浮上。逆に、ルイスはファウルを犯します。予想通りに両者の一騎打ちの様相を呈しました。3回目は、追い上げたいパウエルでしたが、8m29㎝と伸び悩みます。一方、ルイスは追い風2.3mの中、参考記録ながらも8m83cmの自己新記録を叩き出して、一気に突き放します。4回目は、追い掛ける立場のパウエルが会心のジャンプをするも、痛恨のファウルを犯してしまい、頭を抱えます。まるでソウル五輪と同じような展開でした。そして、この直後のルイスのジャンプは、なんと8m91cmをマーク。追い風2.9mだったので、惜しくも参考記録の扱いとなるも、1968年メキシコ五輪で優勝したボブ・ビーモン(米国)の記録を1cm上回る怪記録をマーク。もう、勝負の趨勢は決まったかに思えました。

ところが、次の5回目の試技で驚愕の展開となります。追い風0.3mの中、徳俵に追い詰められたパウエルはシザースジャンプから大跳躍。なんとルイスの記録を4cm上回る8m95cmを叩き出し、この瞬間についに両者の立場が完全に逆転。それどころか、「20世紀中には破られない不滅の記録」だと思われていたビーモンの世界記録を5cm上回り、陸上界最古の記録を23年ぶりに塗り替える歴史的な偉業を成し遂げました。あまりの嬉しさにパウエルは両手を大きく広げて、総立ちとなった満員の観衆に向かって小走りしました。優勢に進めながら、まさかの逆転を許して動揺を隠し切れなかったルイスは、残り2回の試技に全てを賭けるも、5回目は8m87㎝、最終の6回目は8m84㎝とあと一歩届かず、順位がついに確定。この瞬間、パウエルが世界新記録で初優勝し、更に10年間不敗だったルイスの連勝記録も65でストップ。先に試技したパウエルは6回目はファウルでしたが、優勝が決まった後、ファウルの赤旗を出した計測の係員と抱き合うパフォーマンスをして喜びを表現しました。

この10年間常に勝者に君臨していたルイスは、「私は自分自身によくやったと言ってやりたい。マイク(パウエル)は人生で最高のジャンプをしたんだ。でも負けるとは思わなかった。もっと跳べると感じていたんだが・・・。それにしても、このゲームは私にとって、さらにパウエルにとって最高の試合だった。」(1991年8月31日の読売新聞の朝刊より)と勝者を称賛。一方、いつもルイスの引き立て役に回っていたパウエルが、うなだれるルイスの肩を抱きしめて労わっていたシーンが印象的でした。

屋外で行われる陸上は立地条件や天候で記録が大きく左右されます。なので、短距離や跳躍種目は空気抵抗の薄い高地で開催されている大会で好記録が出やすく、尚且つ長期間に渡って世界記録として残るケースが幾つかあります。海抜2400mの高地で行われたメキシコ五輪のビーモンの記録がまさにそのケースでした。しかも、ビーモンの場合は、記録公認の上限である追い風2.0mで出した記録でした。なので、ビーモンが出した8m90cmは、“高地記録”として特殊な扱いでした。また、ビーモンは1回目の試技でいきなり従来の世界記録よりも55cmも上回る記録を叩き出しますが、2回目以降は降雨の影響で全体的に記録が伸び悩みました。しかも、2位以下に70cm以上もの大差がついたこともあり、ビーモンは3回目以降は全てパス。勝負とてしても、実に味気ない展開でした。

しかし、パウエルの場合は条件が明らかに異なります。海抜が0mに近い東京で出した記録なので、空気抵抗が高地に比べてあるので、跳躍種目としては立地条件が厳しいからです。しかも、世界新記録を出した5回目は、追い風が0.3mとほぼ無風状態でした。そして何よりも、10年間不敗で、尚且つこの大会でも絶好調だったルイスと最後まで堂々と渡り合い、追い詰められながらも世界新記録を叩き出して倒したのだから、非常に価値が高いです(ちなみに、ルイスが5回目に跳んだ8m87cmは公認記録における生涯ベスト)。なので、全く瑕疵の無い完璧な世界一でした。

その後、この両者は翌年の1992年バルセロナ五輪でも再戦。この時は、1回で8m67cmをマークして終始優勢に進めるルイスに対し、尻上がりに調子を上げてきたパウエルが猛反撃を敢行し、前年の東京での激闘を彷彿とさせる一騎打ちの展開に。最後の6回目の跳躍でパウエルは8m64cmを出すも、僅か3㎝届かず、ルイスがリベンジを果たします。ルイスはその次の1996年アトランタ五輪でも優勝し、五輪個人種目4連覇の偉業を達成しました。一方、パウエルは世界選手権では1993年シュツットガルト大会を制して2連覇を達成(ただしルイスは欠場)するも、アトランタ五輪は試合中に重傷を負って5位に終わり、この大会を最後に引退。結局、パウエルは五輪だけは制することが出来ませんでした。

たしかに、安定感のあるルイスに対し、パウエルは“一発屋”のきらいがあります。ただ、東京の激闘から20年経った今でも破られてないパウエルの偉大な記録は、私も含めて観ていた人々の心にいつまでも永遠に残り続けるだろう。


1991年に東京で行われた第3回世界選手権の男子走り幅跳びの詳細の記録(wikiより)
1968年メキシコ五輪の男子走り幅跳びの詳細の記録(wikiより)



☆第3回世界陸上選手権東京大会の男子走り幅跳びのダイジェスト
(1991年8月30日 @東京・国立競技場)



☆現在でも世界歴代2位の記録となっているメキシコ五輪のボブ・ビーモンのジャンプ
(1968年10月18日 @メキシコ/エスタディオ・オリンピコ・ウニベルシタリオ)

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