メビウス

2006-10-30 | 徒然エッセイ
誰かが言ってくれる

『異国で偉いね』

英語もちっとも上達しないのに

褒めてくれる

『よくやってる』

何も出来てないし、何も進んでる気がしない・・・

認めてくれる

『そういうとこ凄いと思うよ』

あの人とあの人はもっと凄くて、私なんてこれっぽっちも何もないのに







あぁ何てこった・・・

出来ないことを数えながら 私の前に立ちはだかって

出口の無いメビウスの帯を作って  とっとっこ走って来る私に

ハイもう一周 また一周と ぐるぐるその上を走らせてるのは他でもない私じゃないか







自分に厳しい?

目標が大きい?

違う・・・ 違う・・・

これだけと認めたくないだけの 単に理想だけ高いヤツ

謙虚な振りして自分を買い被ってるヤツ

でも私が私を追い詰める理由 それだけじゃない

どんなに人に褒めてもらえたって いや褒められるほど 私は私を認められない

誰よりも自分を好きになってやりたいのに そうしないことが唯一のプライド







出来ないことへの失望より もっと情けない姿が見える

大そうなことに憧れていて 人一倍特別でいたいくせに

無難な線で 安全圏内で いつも身を守りながら けなされない程度でやめている

精一杯は頭の中だけ するべきこともしないで 苦しい想いを語る

そんな自分を許しちゃいけないってよく分かってて だから自分が嫌いなんだ







だって私の両手には ちゃーんとナイフもハサミもあって

このメビウスを何処で切ればいいか 何処が突破口か とっくに知っている

それをしないのは 悩んでることが一番の逃げ道になるから

この迷路がどんなに苦しくても辛くても 途中で切ってしまう怖さに比べたら・・・

続いてない帯の先を見る勇気がない そしてまた自問を繰り返し







苦しい でも私だけの世界 

抜け出したくて抜け出したくてたまらないくせに 何て矛盾

悩み考えることに 自分に酔ってるマゾヒストなのか

それか出発点を作ることが出来ない とことん臆病者の弱虫

でも気づいてしまった 

だからいつかきっと ぶっちょん切ってやる



不思議の国 ⑬

2006-10-23 | アメリカどんなんこんなん


〝何となく納得いかない編〟


納得いかない⑪ 日本人の私に確認しないでくれ(泣)

アメリカ人の中にはスペルに弱い人が意外といます。
日本でも漢字の苦手な人いますし、それはいいんですけど、
日本から来て三年の私に尋ねるのはやめて下さい(笑)
しかも5文字以上の単語には全く自信のない私でも突っ込めるほど、
短くて簡単なものでも思いっきり間違ってたりして・・・
スーパー等の商品の案内でさえ、時々読み様のない単語が書いてありますσ(^_^;)


納得いかない⑫ 取った方が旨いよきっと(・・;)

驚かれたんです。灰汁取ってるとこ見られて。
驚かれるんです。『灰汁取らないの?』って訊いたら。
灰汁取らない方が驚いたよ・・・( ̄ェ ̄;)


納得いかない⑬ 幾ら手が長いからって

公共のお手洗いとか行くと、アメリカ人のペーパー(手拭用)の使い方にはびっくりします。
あの、横に付いている引き出しレバーをガシャンガシャンと何度も上下させ、
絶対こんなに必要ないだろうという量を、まるで使わないと損と言わんばかりに引っ張り出すのです。
そしてゴミ箱には異様に長いペーパーが山の様に。
でもセンサーで一回分づつ出てくるようなものには不満は無いようです・・・(・_・)?


納得いかない⑭ チャレンジしようよ

アメリカでは薄切り肉というのがありません。
いえそういうと語弊がありますね。一応「薄切り」と銘打ったものはあるんです。
ただアメリカ人にとっての薄いと、日本人から見ての薄いの感覚にはかなりの違いが・・・。
しかも肉の味をダイレクトに感じたいアメリカ人には、
肉厚であればあるほど喜ばれます(その代表がステーキですね)
なので売られている一番薄いものでも、日本のトンカツ用肉より少し薄いくらいです。


それじゃ牛丼とかすき焼きとかしょうが焼きなんて出来ません。
だからといって個別でお願いしても中々やってくれることはありません。というより出来ない。
薄切り(日本のような)をしたことが無い彼らには、それは簡単ではない面倒な作業なのです。
何よりも、『何でわざわざそんな薄っぺらにするんだ』と態度にありありです。
きっと何て勿体ないことを、とも思ってるのでしょう。
薄いからこそ出るダシとか味を知らないなんて、あぁ勿体ない・・・。


納得いかない⑮ 嘘でもいいから

救急って滅多に行きませんよね。
時間外だけど・・・どうしても耐え切れず・・・若しくは予想外の事故などなど。
この苦しさをどうにかして欲しい、病院さえ行けば何とかしてもらえる、
と思うからこそ辛い身を押して行く訳です。
それなのに・・・・・・・


『タイ〇ノール飲んで下さい』(日本で言うとバ〇ァリン飲め)・・・・・・・(゜◇゜)~ (゜◇゜)~(゜◇゜)~
高熱で這うような思いで来たのにソレだけ? ERで長時間待たされてその一言だけ?
せめてタイ〇ノ-ルを病院の紙で包んくれ~気休めでもいいから(T▽T)
似たような経験をした人は多いようです。


不思議の国 ⑫

2006-10-16 | アメリカどんなんこんなん


〝 不思議編 〟


不思議29  春夏秋冬 隣は何をする人ぞ・・・でいきましょうよ

アメリカは犯罪の多い国です。
それを充分自覚してるのでしょうか、彼らは他人の変化に敏感です。
無論人によりますが、不審な点があれば大抵は遠慮はしません。
プライバシーを強く主張し尊重はする反面、少しでも犯罪に発展する「兆し」、
いえ「可能性」を感じられれば、それは踏み込むに値するのです。
その線引きは日本よりずっと厳しいものです。


例えば定められた年齢(州によって異なる)以下の子供だけで留守番させるのを禁じる州があります。
それに気づいて通報をするのはほぼ隣人です。
この程度(といってはいけないのですが)でそうですから、
子供の泣き声が頻繁に聞こえてきたりしようものなら、虐待を疑われます。
ひどい夫婦喧嘩も同じくです。しつけや犬も喰わない喧嘩、などと流さない人も多いのです。


ここでポイントなのが、アメリカ人は危険と感じたことには直接関わりません。
トラブルの元となるからです。警察または関係機関へ即お任せです。
これが不思議なことに仲が良ければ尚更だったりします。
日本なら付き合いがある程、事を大きくせずに収めたがるものですが、
アメリカ人は関係をダメにしたくないからこそ第三者に託す。
それと楽観出来ないのが犯罪国の悲しさといえば悲しさです。


対して日本は?
アメリカを対岸のことと言える程、もう安全な国では無くなっています。
日常茶飯事的に起きる異常な犯罪は、もしかするとアメリカ以上じゃないかと感じます。
一体いつからこんな風になってしまったのか。
摘めるうちに摘む、犯した罪には断固とした処罰をしてこなかった結果ではないでしょうか。
それは行政だけの責任ではないと思います。人の心の中の悪い考えを止めることは出来ない。
でも言動に現れた者を、気づいたことを、見て見ぬフリしなければ未然に防げた事も多いのに・・・。


必要とあらば州(国)レベルでアメリカは問題に介入してきます。
親から子供を取り上げることもあります。犯罪者の住まいを近隣者へ公表したりもします。
未成年でも容赦はしません。やり過ぎと見る人もいますが私は賛成です。
少なくとも小さなことだと放置したり、加害者の人権ばかりを守る日本より、
犯罪や事故を未然に食い止めようとする姿勢と努力を感じるからです。
そして先に述べたように、それが個人レベルにも浸透していて、行動に移すのには感心します。


「秋深き、隣は何をする人ぞ」 「向こう三軒両隣」 「遠くの親戚より近くの他人」。
日本には昔から隣家の住人を想う言葉は沢山あるのに、今はアパートやマンションの隣であっても、
どんな人間が住んでいるのか知らない。知ろうもしない。
立ち入るのは怖いし、面倒な付き合いなんて自らしたくない。
そんな気持ちで隣人を見ているのに、イザという時だけ踏み入ろうなんて確かに出来ない。
始めはプライバシーの尊重だったかも知れない。
それが段々と他人を遠ざけ隣人を「怖い者」にしているのは自分自身。


アメリカ人が変化を見逃さないのは犯罪に敏感なだけじゃなく、
普段から隣人を観察し関わってるからこそ。
ここは彼らを見習って、日本人もどんどん他人へ立ち入ろうじゃないですか(笑)
基本的に気にかけてもらって嬉しくない人はいない筈。昔のご近所さんは家族にも近かった。
そしていってみれば一つの社会。身近な小さな社会が崩れかけているのに、国全体が成り立つ訳がなく。
もしも踏み込み過ぎたら「ごめんなさい」と言えばいいじゃないか。取り返しがつかない事を傍観しない為にも。


不思議の国 ⑪

2006-10-09 | アメリカどんなんこんなん


〝 不思議編 〟


不思議28 人生のルール

細かい部分は別にして、学校に上がる年齢、義務教育、
社会人としてなるべく育てる趣旨は、アメリカも日本も同じです。
交通規則も道路上のシステムを考えれば納得出来る範囲の違いで、
何キロ出して走ってもいい、なんて突拍子もないものは勿論無く、
法律にしても驚かせられるものは多少ありますが、それは単に日本では無いものの一つであって、
社会生活を営む上での基本と、守るべきルールというのはそんなに変らない。


個人主義の国とはいえ、集団で在る限り、最低限の決まりごとは生まれて至極当然。
まして同じ先進国で同じ主義(日本の民主主義は?が付きですが)を持つなら、
似ておかしくもないのかも知れません。


しかし考え方はかなりの違いがあります。言うまでも無く文化が違います。
歴史が違います。特に歴史の長さは日本とは歴然。
それが一番に影響していると思いますが、
以前も書いたように、アメリカにはしがらみとなるものが殆どない(アメリカ日記/8:2参照)


それに関係した中でも大きく異なる考え、いえ、この国ではそもそも存在しないと言ってもいいもの。
「女(男)のくせに」「いい歳をして」「もう何歳だから」日本には沢山存在する類の。
何かにつけ顔を出すこれらは、罰せられることこそないけれど、
こうあるべきという暗黙のルールにも近いものになっている。


年齢や季節、様々な行事や決まりごとなど、節目節目やけじめを大事にする日本人。
そういう所からこんな傾向が出来たのかもしれません。それ自体はとても美しいことだと思う。
思うけれども、このことが生活や気持ちを窮屈にしてしまっているのも事実。
「女(男)だから」、「もう何歳だし・・・」という考え方は、自分の可能性を
性別や年齢で決めているだけじゃなく、他人の芽をも摘んでしまってるのではないかと感じるのです。


将来への進路は早く決められればそれに越したことはないし、夢だってその方が断然叶う確率も高い。
でも皆が皆同じ時期に決められる訳がない。
したいことが見つからないのはそんなに悪いことだろうか。
夢見ることが許されなかった状況の人もいる。
したい時が、出来る時がその人にとっての「時機」到来で、
本当に一番力を発揮出来る「時期」なんじゃないだろうか。


それを尊重しているかのように、この国では就職時のレジュメに、
年齢や既(未)婚を記入する必要はありません。
考えればそんなものを物差しにすることがおかしい。
それで必要なことが分かる筈もない。
先入観が増えるだけではないでしょうか。


この年齢でこの服は・・・色は・・・自分が着たい物より「年相応」を気にしてしまうのも日本人です。
そして年齢がいった後の恋愛をみっともないと見る風潮もあります。
アメリカではおしゃれや恋に、誰も、制限や期間を設けません。
むしろ死ぬまで現役でいたい想いは若い証拠で、大いに歓迎されることなのです。
まっあまりに奇抜な格好は、年齢とか関係ない部分でツッコミされる場合はありますが(笑)


皆が気持ちよく暮らすのに決まりごとは不可欠。
ある種の人間への抑止力として厳しい法律も必要。
でも人生にルールは無くてもいいのでは?
それは自分で決めること。


アメリカ人に感じるその揺るぎない姿勢は、自分に自信があるからこそだと思います。
他人や他人の言葉ではなく、自分を信じて生きていく。
自分の人生に制限をかけるなんて死ぬまでしません。
とても素敵な考え方じゃないでしょうか。
そしてもっと素敵なのは、アメリカはそれをさせてくれる国だということ。
それが文字通り自分を信じてみようと思わせてくれるのかも・・・。


居 場 所

2006-10-02 | 徒然エッセイ
違和感  不満  物足りなさ


此処でもない  これでもない


ずっと  追い続けているもの  探しているもの


それを向上心と呼ぶのか  


満足することを覚えない  


尽きない欲望の一つなのか  分からない


でも私は渇望している  『私の居場所』  といえる  何か  何処か







安定を欲しがる一方で  旅人になりたがる


捨てる強さも  背負う覚悟もないくせに  夢をみる


ただ  ただ  欲しがる  何処へも行けない気持ち







もしかして  もう通り過ぎてしまったの・・・?


それとも  本当の居場所は  まだ見つかっていない・・・?


それが分かるのは  二度と開くことのない  まぶたを閉じる瞬間







あの時が  あの場所が  私の居場所だったのだ  


戻らない過去に  後悔の選択に  泣くのだろうか


いや  見つけた  此処こそ  私の終(つい)の住処  


そう思いながら  最後の景色を見たい為に  私の気持ちは彷徨うのだ


でも本当は  もう見つかっているのかも知れない・・・・・