きのう、NHKで食育についての番組をやっていた。食育って最近よく聞くけど何よ?って感じだったんだけど、昨日の番組を観て「ああなるほどね」と良くわかった。詳しいことはこちらを見てもらえば分かるので興味のある人はどうぞ→「食育について」最近、小学生の間で問題になっているのは「子供が好きなものしか食べない」という現象なんだそうだ。給食ででる野菜類の四分の一くらいが残されて残飯として捨てられてしまうということらしい。家でも、子供に好きなものだけを食べさせている親が増えていて、小学生ですでに糖尿病や高脂血症などの病気にかかっている子供が五人に一人もいるとか。五人に一人ってすごい数字だよね?そういうわけで、教育委員会や各学校で、自らの食について考える習慣や食について楽しく考える取り組み、いわゆる「食育」が進められているそうだ。
なぜ、好きなものしか食べない子供が増えているのだろう?私が小学生だった頃、牛乳が大嫌いだった私は毎日毎日給食に出る牛乳を飲み終えるまで、教室の外に出てはいけないと先生に言われて、給食を終えてお昼休みに外に遊びに出ていく友達を羨ましげに眺めていたもんだった。他にも、トマトが食べれなくて残されていた子、タマネギが嫌いで残されたいた子達なんかもいたけれど、結局みんな遊びたい一心で、無理矢理口をこじ開けてその嫌いなものを放り込み、飲み込んで外へ駈けだして行ったっけ。結局私は牛乳を好きになることはなかったけれど、中には毎日我慢して食べていたお陰で嫌いなものを食べられるようになった子はいたかもしれないし、少なくとも、先生が毎回懇々と「何故この食べ物は体にいいのか」をといてくれたお陰で、牛乳はいかに体にいいかってことは理解できた。
家でも、昔は周りの人間が好き嫌いを言うとうるさかった。両親だけではなく、おじいちゃんやおばあちゃん、親戚のおばちゃんなど、「これ嫌だ!」と言うと一斉に「好き嫌い言うんじゃありません!食べ終わるまで席を立っちゃダメ!」と怒られたはずだ。お菓子を買うにも当時のお小遣いは微々たるものだったからそうそう今の子供のように帰りがけにマックに寄ってハンバーガーを買い食いするなんてできなかった。お腹が空いたら家に帰って晩ご飯をじっと待つしかなかった。
でも今の子は、ピーマンを残すとぎゃあぎゃあうるさいおじいちゃんおばあちゃんはそばにいない。お父さんはいつも仕事をしていて一緒にご飯を食べれないから、お母さんだけが子供の好き嫌いに対処しなくてはいけない。毎日毎日食事の度にがみがみがみがみ言うのは母親にとっても相当ストレスの溜まることで、結局、食べてくれる物だけを食卓に並べるようになってしまうという事なんだろう。学校でも、食べないからと言って無理矢理食べるように言ったり、食べるまで教室に残す、というような行為は問題にされてしまうのであろう。昔のようなスパルタ教育はすっかり寂れてしまったから。
その代わり、現在、多くの学校で道徳の時間で、いかに自分たちの食生活がアンバランスなものかを分かりやすく絵や実物を使って指導したり、実際に畑を生徒達が耕して食物を植え、育て、収穫して、その経験をすることにより、食の大切さ、食物を育てることのすばらしさを教えるなど、色々な取り組みをすることにより、子供達の偏食や間食癖を減らしていこうという取り組みを行っている。
日本の教育のこういう所は良いなぁと思う。私が教育を受けたのは日本の他にはアメリカとオランダしかないけれど、日本ほど子供達の勉強以外の生活指導に力を入れている国はないのではないかと思う。アメリカで高校にかよっていた時、学校のカフェテリアで出されている食事を見て驚いた。ハンバーガーにフレンチフライ、ホットドックにタコスにサンドウィッチ、甘い甘いケーキに真っ赤や真緑のゼリーなど。日本じゃとてもじゃないが学校で進んで出してくれそうにはないものがそこに並んでいた。はじっこの方に小さなサラダバーがあったけれど、そこに並ぶ生徒はほんのわずかだった。私も最初の頃は大喜びでハンバーガーやらホットドックだのを食べていたけれど、そのうちあきて、自分でお弁当を作っていくようになった。でも、周りのアメリカ人の友達は毎日カフェテリアでお昼を食べていた。それが彼らの食生活だから当たり前なのだろうけれど、あんなものばかり毎日食べていて体にいいわけがない。実際太っている子供達はたくさんいた。アメリカでもファーストフードや朝食に甘いシリアルを毎日食べる事に対しての疑問などが論議されているようだけれど、学校のカフェテリアであんなもの出してるようじゃまだまだだと思うね。(まあ、私の体験はかれこれ20年前のことだけど。笑)家からサンドウィッチをつくって持ってきている子供もいたけれど、それでもせいぜいパンとハムとレタスとチーズくらいだ。日本の学校給食のバランスの良さからみたら比べものにならない。
そして、日本の学校給食のすばらしさ。あんなに素敵な食事を毎日食べさせてもらえるのだから、親は子供がその食事を残さず食べられるように、頑張って子供の好き嫌いを無くすようにしなくちゃいけないななぁ。りっきはまだ2歳だから、多少好き嫌い言ってても「そのうち食べるでしょ」なんておもってたけど、食べないからと言って好きなものばかり食卓に並べててはいけないなと反省したのでありました。
なぜ、好きなものしか食べない子供が増えているのだろう?私が小学生だった頃、牛乳が大嫌いだった私は毎日毎日給食に出る牛乳を飲み終えるまで、教室の外に出てはいけないと先生に言われて、給食を終えてお昼休みに外に遊びに出ていく友達を羨ましげに眺めていたもんだった。他にも、トマトが食べれなくて残されていた子、タマネギが嫌いで残されたいた子達なんかもいたけれど、結局みんな遊びたい一心で、無理矢理口をこじ開けてその嫌いなものを放り込み、飲み込んで外へ駈けだして行ったっけ。結局私は牛乳を好きになることはなかったけれど、中には毎日我慢して食べていたお陰で嫌いなものを食べられるようになった子はいたかもしれないし、少なくとも、先生が毎回懇々と「何故この食べ物は体にいいのか」をといてくれたお陰で、牛乳はいかに体にいいかってことは理解できた。
家でも、昔は周りの人間が好き嫌いを言うとうるさかった。両親だけではなく、おじいちゃんやおばあちゃん、親戚のおばちゃんなど、「これ嫌だ!」と言うと一斉に「好き嫌い言うんじゃありません!食べ終わるまで席を立っちゃダメ!」と怒られたはずだ。お菓子を買うにも当時のお小遣いは微々たるものだったからそうそう今の子供のように帰りがけにマックに寄ってハンバーガーを買い食いするなんてできなかった。お腹が空いたら家に帰って晩ご飯をじっと待つしかなかった。
でも今の子は、ピーマンを残すとぎゃあぎゃあうるさいおじいちゃんおばあちゃんはそばにいない。お父さんはいつも仕事をしていて一緒にご飯を食べれないから、お母さんだけが子供の好き嫌いに対処しなくてはいけない。毎日毎日食事の度にがみがみがみがみ言うのは母親にとっても相当ストレスの溜まることで、結局、食べてくれる物だけを食卓に並べるようになってしまうという事なんだろう。学校でも、食べないからと言って無理矢理食べるように言ったり、食べるまで教室に残す、というような行為は問題にされてしまうのであろう。昔のようなスパルタ教育はすっかり寂れてしまったから。
その代わり、現在、多くの学校で道徳の時間で、いかに自分たちの食生活がアンバランスなものかを分かりやすく絵や実物を使って指導したり、実際に畑を生徒達が耕して食物を植え、育て、収穫して、その経験をすることにより、食の大切さ、食物を育てることのすばらしさを教えるなど、色々な取り組みをすることにより、子供達の偏食や間食癖を減らしていこうという取り組みを行っている。
日本の教育のこういう所は良いなぁと思う。私が教育を受けたのは日本の他にはアメリカとオランダしかないけれど、日本ほど子供達の勉強以外の生活指導に力を入れている国はないのではないかと思う。アメリカで高校にかよっていた時、学校のカフェテリアで出されている食事を見て驚いた。ハンバーガーにフレンチフライ、ホットドックにタコスにサンドウィッチ、甘い甘いケーキに真っ赤や真緑のゼリーなど。日本じゃとてもじゃないが学校で進んで出してくれそうにはないものがそこに並んでいた。はじっこの方に小さなサラダバーがあったけれど、そこに並ぶ生徒はほんのわずかだった。私も最初の頃は大喜びでハンバーガーやらホットドックだのを食べていたけれど、そのうちあきて、自分でお弁当を作っていくようになった。でも、周りのアメリカ人の友達は毎日カフェテリアでお昼を食べていた。それが彼らの食生活だから当たり前なのだろうけれど、あんなものばかり毎日食べていて体にいいわけがない。実際太っている子供達はたくさんいた。アメリカでもファーストフードや朝食に甘いシリアルを毎日食べる事に対しての疑問などが論議されているようだけれど、学校のカフェテリアであんなもの出してるようじゃまだまだだと思うね。(まあ、私の体験はかれこれ20年前のことだけど。笑)家からサンドウィッチをつくって持ってきている子供もいたけれど、それでもせいぜいパンとハムとレタスとチーズくらいだ。日本の学校給食のバランスの良さからみたら比べものにならない。
そして、日本の学校給食のすばらしさ。あんなに素敵な食事を毎日食べさせてもらえるのだから、親は子供がその食事を残さず食べられるように、頑張って子供の好き嫌いを無くすようにしなくちゃいけないななぁ。りっきはまだ2歳だから、多少好き嫌い言ってても「そのうち食べるでしょ」なんておもってたけど、食べないからと言って好きなものばかり食卓に並べててはいけないなと反省したのでありました。