


南大東島の基幹産業を支えるのは製糖工場であり、農家から収穫された砂糖きびを集め、ここで砂糖成分を注出して粗糖に加工するのです。企業名は「大東糖業株式会社」であり、那覇に本社があって島には事業所、つまり工場だけが設置されてます。千葉県にある「大東製糖」とはまったく関係の無い、独立した企業です。
この製糖工場は、多難な変遷を経て今日まで続いています。工場は個人事業として明治時代に玉置商会が創業し、1916年(大正5年)に東洋製糖株式会社に譲渡され、1927年(昭和2年)には第二本製糖株式会社に全島が譲渡されました。戦時中の空襲による被害で一時は操業停止になったのですが、1947年(昭和22年)には農業組合で製糖作業を再開しています。終戦直後は細々とした生産であり、どのような方法で販路を築いたのか不明です。1950年(昭和25年)に現在の大東糖業が創設され、現在まで続いています。島は大東糖業の売上げで維持できているようなもので、この会社が倒産したら島も倒産ということになりかねません。

島の中央近くで木造の簡素な長屋風建物を見つけました。民間アパートかと思ったら、これは製糖工場の所有物で、季節労働者の寮に使われるのだそうです。砂糖きびの収穫は12月から3月の間で、以前は人力による刈り取りが行われていて、人手不足なるため沖縄本島、台湾、韓国からの季節労働者を採用していたのです。その人達のための宿舎なのですが、昨今は機械化により季節労働者が少なくなったようです。