オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

コインマシンやギャンブルゲームやカジノの歴史的エピソードとか、時々カジノ旅行記とか、たまにスポーツやマンガとか。

米国「Bally(バーリー)」社に関する思い付き話(1)

2016年03月13日 18時48分36秒 | 歴史


Ballyロゴ(1972年に製造されたスロットマシンのキャビネットより)


セガの価格表1966年版(部分)


セガの価格表1972年版(部分)

バーリー(Bally)は、かつてはAMゲーム機器、ギャンブル機、自販機などのコインマシンの製造、ゲームアーケードの運営、カジノホテルの運営、フィットネス機器の製造とフィットネスクラブの運営など、多岐に渡る部門を持つ巨大コングロマリットでした。

ワタシが小学生だった1960年代~1970年代は、ゲーム場の花形機種と言えば、なんと言ってもアメリカ製のピンボール機でした。当時のメジャーなピンボール機メーカーは、Bally、Gottlieb、Williamsの3社でしたが、このうちワタシにとって「刺さる」機種が多いのは「Bally」の製品でした。ただ、当時のワタシはまだ英語が読めなかったので、その時点では「ビーエーエルエルワイ」と呼んでいました。

「ビーエーエルエルワイ」社は、日本では「バリー」と表記されることが多いですが、現在のワタシは「バーリー」と表記しています。これは、ワタシが中学に進学する時に、ウチの裏手にある歯医者さんからお祝いとしていただいたコンサイス英和辞典に、「bally」の読みとして「バーリー」と「バリー」の二つが記載されていた(と記憶している)ので、その一つ目の読みとして挙げられていた「バーリー」を採っているためです(ただ、最近のオンライン辞書で調べると、「バーリー」と読ませる説明は見あたりません)。

バーリーのピンボール機は、日本にコインマシン市場ができたごく早い時期から盛んに輸入されていたためか、日本国内のAM業界にも、「日本バーリー」、「バリージャパン」、「バーリーサービス」など、米国のバーリー社を彷彿とさせる社名の会社がいくつもあります(ました)。これらのうちのどれかは、確かに本家米国バーリー社の日本法人で、70年代にはゲーム機のディストリビューションを行っていたのですが、どれがそれであったかは今となっては定かではありません。ただ、「日本バーリー」社は、1970年代中~末頃に、水森亜土さんの描くイラストみたいな丸っこいおじさんのアニメキャラがおどけた声で「バーリー、バーリー」と連呼した後、うら若いねえちゃん(実写)が現れて、その胸元に「ベリーシェイプ(どてっぱら型)」とも言われるあの特徴あるロゴを掲げ、「ニッポンバーリーよ(はあと)」と言ってにっこりほほ笑むというTVCMを流していたので、ひょっとして、ここがその日本法人だったのかと想像しています(その後の調査で、米国バーリーの日本法人は「バーリージャパン」であることが判明(2022年6月5日修正))このCMが「バーリー」と発声していたのも、ワタシが現在でも「バーリー」を自分標準とし続ける根拠のひとつでもあります。

いくらか昔に、港区の麻布界隈のビルのてっぺんに、このベリーシェイプの大きなロゴを見かけたことがある方もいらっしゃるかもしれません。そこは、現在は「バリーポンド」と言うAMゲーム機のディストリビューター兼中古ゲーム機業者兼ゲーム場オペレーターですが、1990年前後頃までは「バーリーサービス」と称する、業界でも比較的古参のディストリビューターでした。米国のバーリー社と同じ名とロゴを掲げていますが、1980年代中ごろに行われた日本のJAMMAショウ(ゲーム機業界の見本市)を取材した時の米国の業界誌の記事には、「ここは『Giant Bally』とは何の関係があるわけでもない」と記述されていました。おそらくは、古い時代、アメリカの有力なブランドの商標権が日本に及ばないのをいいことに、ちゃっかり名乗っていただけということなのかもしれません。


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