雑記

雑多な考えを書きます

ショートショート 

2016-09-07 09:25:48 | ショートショート

 あの人の不満に、私は気づいていた。私の尽くした男は、いつでも同じ不満を抱いた。でもそれを認めるのは怖かった。だから私はみないふりをして、それでもまだ演技を続けた。

 私はいつでも、相手と一緒に歩きたかった。二人で一緒に、並んで歩きたかった。でも、同じペースで歩いていくれる人がいない。だから私は、ゆっくりと歩く術を覚えた。相手よりも遅く歩いて、後ろをついていく術も覚えた。

 あの人は歩くのが早かった。私よりふた回りほど遅かったけど、十分だった。それほど遅くしなくてもいい。その居心地の良さに、私は寄り添った。少しだけ歩みを遅くするだけで、その人は私の前を歩いてくれた。でも私たちの前に石がありそうなとき、私はそっと先に行って石を取り除いた。あの人は、そのときの私の歩みを見逃さなかった。

 ずっと、あの人より歩みが遅いふりをした。それでも疑念は少しずつ増え、私は自分の歩みの早さが露呈するのを感じた。それはいけないことだった。私たちは同じくらいの歩くペースで、だからぴったり居られることになっていたのだ。本当は私だけが早く歩けるなんて、一番あってはいけないことだった。だってあの人は、自分より少し歩みの遅い私に頼られてきたのだ。


 その疑念は少しずつ、少しずつ二人を苦しめた。それも、いつものことだった。私は、自分より速く歩く人間にまだ会ったことがない。だからいつだって、相手の歩みに合わせた。合わせてないふりをするのもうまくなった。


 私は歩くのなんて速くない。あなたたちだって、私と同じくらいに歩けるんだ。幼い私は、一緒にいる人にそう叫び続けた。たくさんの人が倒れていった。


 私が悪いのだ。ずっと、隠し通さなきゃいけなかったんだ。尊厳を傷つけて、歩みを緩めてたなんて教えて、それでも一緒にいてほしいなんて。どれだけ人を馬鹿にしてるんだろう。一人で歩こう。だからそう決めた。

ショートショート 世界が終わるまで

2016-09-06 09:32:36 | ショートショート



「世界が終わるまで一緒にカプセルに入って、ずっとこうしてたい」
 先輩はそう言った。私は先輩の乳房に顔をうずめ、その柔らかさに安心する。先輩は私の頭をゆっくりと撫でる。
「甘えるなあ」
「甘えさせてください」
 先輩の長い髪が私の体とベッドの間に入っており、少しくすぐったい。綺麗な髪が傷んじゃうんじゃないかと不安になる。昼間食べたパフェのクリームがお腹の中で少し暴れた。顔をうずえめたまま、腹部を抑える。布団の中の動きを感触で悟ったのだろう。先輩が心配そうに言った。
「大丈夫?生理きた?そろそろだったよね」
「大丈夫です。多分。パフェを食べ過ぎただけです」
 そっか。先輩がまた頭を撫でてくれる。


 ずっとこのまま。そうやっていられたら、それでよかった。
 中学生の頃、レイプされた。胸が大きくおとなしそうな容姿が受けたのか、私の体には常に誰かの視線が刺さっていた。性的な視線が突き刺さり続けること。その苦しみを知っている人は少ない。
 気づけば、人に触れなくなっていた。触りたがる人も、触りたがられる人も、その全てが気持ち悪かった。人の体温は温もりではなく、いつしか性の象徴になっていた。
 それでも不思議なことに、触られたくないと思うほどに、私に触りたがる人は増え続けた。性欲の含まれた視線が、恋愛感情の含まれた視線が、私を壊し続けた。視姦というものがどういう苦しみを与えるか、それをする人は気づいていない。


 なんで、先輩に触れたのだろう。先輩がレズだってことは気づいていた。私の体を欲しがっていることも。別に、そういうのは初めてじゃなかった。私を好きな人は男にも女にも大勢いたから、その都度いろんなものを支払ってきた。本番はしないけどって言えば、意外とみんな納得してくれた。自分に入ってこないなら関係ない。男に触るのも、女に触るのも、性器に触るのも、手に触るのも、私にとっては同じことだった。


 レズだとかそういうことの前に、私はずっと先輩に憧れていた。言葉にすると陳腐だけど、先輩は私の憧れの人だった。私を連れ回して、いろんな世界を見せてくれた。先輩は、私に触らなかった。最初は触ってきたのだけど、私のことを話すと触らなくなった。それでも一緒にいてくれた。

 先輩に連れてこられた個室の居酒屋で、私は手を触って欲しいと頼んだ。先輩は、なんてことなさそうに私の手に触れた。違和感も、嫌悪感もなかった。それだけでよかったんだ。私にとって、人の体温は、性そのものだった。その日に触れた先輩の体温は、私が初めて感じた温もりだった。

ショートショート むかし

2016-08-31 15:15:04 | ショートショート


 先輩に呼び出された。収入印紙を買いに行くからついてこいだって。教員免許を発行するために収入印紙がいるのだそうだ。教職コースに入っていない私にはよくわからなかった。先輩は四年生で、教員免許を取っていた。
 車でも出してくれるなら格好いいんだけど、私も先輩も自転車だった。雨上がりの道を、警察署に向かって走った。普段行かない方向だったから、その街並みは新鮮だった。
 警察署へ向かう途中、突然観覧車が見えた。住宅地の中に現れるその観覧車は、その存在自体が少し異質でおかしかった。
「ほら、あそこに観覧車があるんだ」
「なんであんなところにあるんですか?」
「知らねえよ。欲しかったんじゃねえの」
 先輩とあの観覧車へ乗りたかったけれど、そっと胸にしまった。
「いいですね。格好いい」
「なんだそれ」
 自転車はこぐ足を止めず、先輩は笑った。


 先輩が収入印紙を買っている最中、私は警察署の入り口で待っていた。少しずつ日が暮れ始め、秋特有の寂しい空気が流れ始める。
「ごめん、待たせた」
 先輩が帰ってきて、私は笑った。
「このあとどうする?うちくる?」
 行きたい、と答える。
「じゃあTSUTAYA寄ってこうか。映画でも観ながらだらだらしようぜ」
 それはとても幸せな提案で、私はまた頬を緩める。水たまりの残る夕暮れの道路を、私たちは水しぶきをあげながら帰った。大学にほど近い先輩の家へ。

 TSUTAYAへ寄って、先輩の家につく。途中で鍵を落としたらしく、先輩の顔が真っ青になった。不動産屋へ向かったのだけど、定休日でしまっていた。隣に住む大家さんに頭をさげながら予備鍵をもらうのを見て、しまらないなあと思って、また少し笑ってしまう。


 陽は落ちて、夜になった。私は先輩と一緒に、小さいテレビでアニメ映画をみた。観てる間はどちらも喋らない。それが私たちの不文律だった。
 映画が終わると、先輩がホットカルーアミルクを作ってくれた。
「だって絶対おいしいじゃん。カルーアミルクもおいしいし、ホットミルクもおいしんだぜ?美味しくないわけがない」
 ホットカルーアミルクは本当においしくて、私はまた飲み過ぎてしまう。もうすっかり深夜になっていた。
「どうすんの?帰れないよなあこれじゃ。泊まってく?」
 申し訳なかったけど、私はうなずく。ベッドで寝ろと言ってくれたけど、それは申し訳なくて、私は先輩の家のソファで寝た。それでも掛け布団をくれて、私はまた嬉しくなる。一つのベッドに寝るような関係じゃなくても、私と先輩はいつも一緒だった。そして、私は先輩が好きだった。



 この人が就職して、ボロボロになったとして、私はこの人を支えてあげられるのだろうか。支えたいな。まどろむ意識の中で、そんなことを思った。

ショートショート 夜の公園

2016-08-15 15:53:23 | ショートショート


 大きな公立公園を歩いていた。都心に突然現れるその公園は、深夜にもかかわらず大勢の人が歩いていた。

 くるくると、公園を出ないように歩き続けた。公園は大きく、自分たちが今どこにいるのかもわからなかった。ベンチには、キスをしあうカップルがみえた。真夏だけど、暑くはなかった。緑があるのに羽虫がいないのが、ここは都心なのだと実感させた。

「公園を歩くなんて久しぶりだな。私、友達いないから。昔っからそう、相手から誘ってくれる人が誰もいない。土日も誰も誘ってくれない。後輩にはマウント取って格好つけるから、年下には頼られることもあるんだけどね。それもあなただけになっちゃった」


 座ろうと、樹の周りをめぐる石垣を指差した。彼女の服を汚さないよう、敷物となるものを取り出そうとしたが、彼女は気にせず座った。
「今の彼氏とさ、結婚する気にもならないんだよね」
夜風を頬に感じた。彼女は石垣の上で体育座りをする。

「うちの家厳しいから、二十も上の彼氏との結婚を許してくれるはずもないし、自分自身もしたくない。結婚ってさ、我慢するってことじゃん。将来を制限されて、行動を制限されて、あらゆるものが変わる。私はあの人のためにそんな制限はされたくないよ。三十くらいになったら違うんだろうけどさ。もうちょっと遊びたい。家帰って下着取っ払って、全裸でだらだらする生活捨てたくないし」

 彼女はトートバックから、何か錠剤を取り出して、それを落とした。
「あ、やばい。あれ失くしたらすごい困る」
「他の飲めばいいじゃん」
「錠剤によって飲む日が決まってるから、そういうわけにいかないんだよ」
「見つかるかな、なに色?」
「薄いピンク」
 ピルを飲んでるのか。そんなことを思った。それが生理痛の緩和のためなのか、避妊のためなのか、それが少し気になった。
 ほどなくして、彼女は薄いピンクの錠剤を拾い上げた。
「家帰って洗って飲もう」


 何かを話しながら男の二人組がこちらに歩いてきて、少し離れた場所に座った。彼女は、それでも変わらず話し続けた。
「最近さ、三角関係もののラブコメが見れないんだよね。なんで両思いだったのに、他の女とくっつくのかなって。最初っから片思いだったらいいよ。それでもお互いすれ違いながら、両思いだったのに、なんで突然出てきたヒロインとくっつかなきゃいけないのよ。あのキャラは、最初に好きだった女の子とくっつくべきだったんだよ」
 そう言って、「くっつくべきだった二人のキャラ」を挙げ続けた。後半になるにつれ彼女の語調は荒くなり、最後には叫ぶようだった。
「ボーナスのたびに、増えてく貯金は嬉しいんだけど、仕事辞めたら数ヶ月で無くなるんだろうなあって、それが怖いんだ。今の彼氏と結婚したいわけでもないし、二人の部署だから別れたらどうなるかわからないし。仕事辞めたら行くあてもないし」
 誰かつれて逃げてくれないかなあ。そんな風に彼女がぼやく。あちら側を向いていて、その表情はわからなかった。


「あなたさ、音楽やめる気ないの?それで生きていけるわけないって分かってるでしょ。やめたら簡単に幸せになれるんじゃない?」
ずっと独り言を言っていたのに、彼女の言葉が突然こちらを向く。
「それやめたら、自分が自分じゃなくなるから無理。生きた屍になるって分かってる」
「まあ、つまんない男になるだろうなあ」
私はもうずっと、生きた屍だよ。彼女はそう付け加え、さらに言葉を続ける。
「結婚とか、どうするつもりなの」
「それでもいいって言ってくれる人探すよ」
「いるわけないじゃんそんな人、尽くして尽くして、見返りはなに?一緒にいてくれること?その人はどうすればいいの?どう幸せになれるの?誰のことも本気で好きにならないくせに」
 夜風が吹いて、二人の間を通り過ぎた。三十センチ離れた場所に、彼女は座っている。その三十センチは、超えちゃいけないものだった。どちらにとっても超えてはいけなくて、どちらにとっても今にも超えそうな距離だった。今ここで超えたら、それがどういう結末を招くか分かっていた。
 いつから、好きだから好きでいられなくなったんだろう。将来や、束縛や、現状や、いろんなものが自分たちを縛っていた。それでも、一緒にいるんだろう。お互いの負担を、見て見ぬ振りをしながら、少しだけ気遣いながら。どこにも進まない関係を、ずっと続けていくんだろう。変われるんだろうか。続くんだろうか。
 大学生のころみたいにいろんなことを話した。その時間は二人を、19歳と21歳にしてくれた。それでも、終電が近づいた。
「終電がそろそろだ。帰らなきゃ」
 そう言うと、彼女はゆっくりと立ち上がる。少しだけ早足で、夜の公園を出て駅へ向かった。その空気は、真夏の終わりを少しだけ感じさせた。

ショートショート 毒のサイダー

2016-08-13 01:43:17 | ショートショート


 また祖母から、サイダーを取りに来いという連絡があった。

 私の家は二世帯住宅だ。祖母と両親と、そして私が住んでいる。二世帯住宅だけど、二つの家は繋がっていない。もともと祖母の家が建っていたあとに、私の両親が私たちの分を増築したのだ。だから玄関口は二つある。
 本当のことを言えば、祖母と家と私たちの家をつなぐ扉はある。しかしそれは、私が小学校へ上がる際に封印された。祖母の住む棟へ、家の中を通っていくことができなくなったのだ。私が祖母の家に行くためには、一度家の外へ出なくてはいけない。


 その家の状況は、私の家庭をそのままに表現していた。両親と祖母は仲が悪い。私は、母が祖母と話しているところを一度も見たことがない。

 その年の家の状況は、特にひどいものだった。兄は実家と絶縁を宣言し、姉は浪人生活で東京へ出た。私はそのとき、生まれて始めて一人っ子となったのだ。
 父はうつ病になり、母は閉経による更年期障害が始まった。祖母の家の犬は毎日病院へ通い、死を間近に控えていた。

 それでも祖母は、私にサイダーを取りに来いと、毎日電話をよこした。私が小さい頃にいった、サイダーが好きだという言葉をいまでも覚えていたのだ。そしてそのサイダーの受け渡しが、祖母と孫の唯一の交流だった。
 サイダーを受け取った私をみる母は、いつも冷ややかな目をしていた。私は毎日増えていくサイダーを飲みきれず、それは少しずつ台所に溜まっていった。祖母という存在を想起させるその存在は、両親を一層苛立たせた。私は毎日、飲みきれないサイダーを台所の流しに捨てていた。


 その家の住人は、すべてが死に向かっていた。動けなくなりつつある祖母、精神を病み働けなくなった父、あらゆる内臓を壊し更年期障害になった母、死を待つばかりの犬。そして私。それがその家のすべてだった。あらゆるものが死へ向かって進み、私はその中に一人取り残された。

 食卓で喋る人は誰もいなかった。私はそそくさと食べ終え、一瞥もすることもなく自分の部屋へと帰った。自分がいなければ、まだその家には会話があったのかもしれない。小さい頃はそれでも、兄も姉も私も、その家で遊びまわっていたのだ。でもいま、すべてが死に向かっているその家で、私だけが異物だった。

 いまでもたまに夢に見る。私が深夜、誰もいない台所でサイダーを捨てている夢を。生まれてきてごめんなさいと、両親に泣きながら謝る夢を。

 私の母は夜になると、私の部屋に入り込んで私のことをみていた。彼女が何を考えていたのかはわからない。もしかしたら、包丁をもっていたのかもしれない。私は彼女の存在に気付きながらも、それでも寝たふりを続けた。刺されるなら、それでもよかった。


 すべてが変わって、終わっていく家で、私は高校生活を過ごした。人は死ぬ。死ねなかったらもっと悪い。私はあのとき、そう知ったのだ。私は、いまでもあのサイダーを飲むことができない。それは私にとって、停滞と終焉の象徴なのだから。