雑記

雑多な考えを書きます

山あいの町7

2016-11-27 20:16:13 | 小説 山あいの町
2


 帰りのショートホームルームが終わって、運動部の男子が教室を飛び出しだす。野球部やサッカー部の男子は少し怖いけれど、彼らの持っているエネルギーには圧倒される。大変な練習が待っているのに、なんであんな風にグラウンドに飛び込んでいけるのだろう。
 始ちゃんもあんな風だったのかな。違うと思う。始ちゃんは、もっと静かにグラウンドへ行く。始ちゃんにとってグラウンドは、戦う場所だ。野球部やサッカー部だって、遊ぶつもりでグラウンドへ行ってるわけじゃないだろう。それでもやっぱり、始ちゃんの心構えとは違うのだ。
 グラウンドへ向かう始ちゃんを見たことがある。ピリピリと張り詰めていて、私の知っている始ちゃんじゃないみたいだった。話しかけられずに見送って、そのとき私は悟った。私は、戦っている彼のことを何も知らないのだと。そして、陸上部の人たちはその始ちゃんを知っているのだと。愕然として、嫉妬した。


「美穂、帰ろ」
 藤森が話しかけてくる。
「藤森、今日ミヤマ行かない?」
「ごめん、今日は無理。バイトあるんだ」
 藤森がバイトをしてるのは初耳だった。帰宅部で放課後が暇だった仲間として、何か裏切られたような気持になる。
「バイトしてたんだ。知らなかった」
「近所の子の家庭教師やってんだ。お母さんから私がここ通ってること聞いたらしくてさあ。ぜひ家庭教師をなんて頼まれてんの。周りから見るとこの高校の生徒って、家庭教師を頼みなたくなるような存在なんだね」
「なにそれ、受ける」
 私は率直な感想を口にする。この高校だっていろいろいる。入って成績落とした人も、不真面目な人も、人とろくに話せないような人も。それなのに人は、この高校だってだけで、人にものを教える能力があると思ってしまう。変な話だった。社会の目なんていうのは、優等生をやっているうちは味方になる。それだから社会の目は、私たちが意識をしなくても私たちを味方する。それは確かに心地がいいのだけど、敵に回った時には辛いんだろうな。そんな風にも思う。でも私たちは、今の所は優等生をやめるつもりもない。だから少しだけ、社会が味方してくれる今を甘受しよう。
「それじゃ、私一人でミヤマ行くよ。お姉さん独占してくる」
「ずるい。抜け駆けじゃん」
「放課後同盟を破棄したのは藤森でしょ。お仕事頑張ってきなさい」
 文句を言い続ける藤森と校舎を出て、最初の道で別れた。

小説 山あいの町6

2016-10-16 22:20:02 | 小説 山あいの町


 お母さんの声が聞こえて、私と始ちゃんは台所へ向かう。食卓に着く前に、お風呂のお湯を止めた。秋が深まりつつある今の季節は、すき焼きには少し早いけど、それでもやっぱりおいしかった。
 ご飯を食べ終えると、始ちゃんはお礼を言って帰って行った。もうちょっといればいいのに。そう思ったけど、言えるはずもない。始ちゃんが持ってきたカステラをつまみながら、私は今日のことを考える。
 始ちゃんが発した言葉。始ちゃんが見せた仕草。始ちゃんを始ちゃんたらしめる、そういう何か。体の奥の方がふわりと熱くなって、私は始ちゃんが好きなんだって実感する。


 私は始ちゃんが好きだ。始ちゃん以外の人を好きになったこともないし、好きになれる気もしない。だから、少し怖い。今の私は始ちゃんによって満たされている。始ちゃんがいなくなったら、私はどうなるのだろうか。台所のテレビには、くだらないバラエティが流れている。私はカステラをつまみながら、テレビに映る軽薄そうな男を見ていた。始ちゃんと、全然違う。この俳優、藤森が好きなんだっけ。どこがいいんだろう。始ちゃんの方が、ずっといい。格好いい訳じゃない。ただ、始ちゃんの方がずっといいんだ。


 カステラをつまみながら惚けていると、お母さんがコーヒーを出してきた。カステラにコーヒーはないだろうと言いたくなるが、お母さんはいつでもコーヒーしか飲まない。
「ありがと」
「ほどほどにしなさいよ。ダイエットはどうしたの」
 そんな風に笑いながらお母さんが言う。余計なお世話だ。それでも、ちびちびとつまむカステラとコーヒーはおいしくて、だから私は、始ちゃんのことを考えていられた。
 そうだ。明日、ミヤマに行こう。ミヤマは私と藤森が発掘した喫茶店だ。高校にほど近い商店街の、薬局の二階にある。細い階段が店の外についていて、注意深くないと見逃してしまう。仄暗い店内で、古めかしいレコードが回っていて、お美人なお姉さんがのんびりと作業をしている。立地のせいかお客さんもあまりおらず、他の人がいない時は、お姉さんがおしゃべりをしてくれた。
 お姉さんはとても優しくて面白くて、私と藤森はほとんどお姉さん狙いで通っている。こう言うと、なんだか肉食系の男の人みたいだ。ともかく、私たちはお姉さんが大好きだった。

小説 山あいの町5

2016-10-06 21:59:56 | 小説 山あいの町



 始ちゃんに変わらないと言われるのは、嬉しくて寂しい。始ちゃんを意識したときから、私は大分変わったつもりだ。メイクだってするし、肌を白く保つように気をつけてる。体重だって、なんとか40キロ代をキープしてる。たまにオーバーするけれど。
 始ちゃんの口から変わらないって言葉が出る。それは、私の努力に気づいてないってことだ。それでも、私を今まで通りに見てくれてるってことでもある。意識してることがばれて、避けられるよりずっといい。
「始ちゃん、部活引退したんだよね?そろそろ受験モードなの?」
「まあそうなるかな。でも一応、都内の私立から部活で推薦貰ってる」
 その返事は、予想した通りのものだった。始ちゃんは短距離で、インハイに出るくらい速い。推薦がない方が不自然だ。
「始ちゃん、大学でも陸上続けられるんだ。おめでとう。ずっと頑張ってたもんねえ。中学に入ったらドンドン部活にのめり込んじゃって、私たちちょっと寂しかったんだよ?」
 私が少し目を伏せながら言うと、始ちゃんは笑った。
「なんだよそれ」
 こういう時間が、愛おしいと思う。始ちゃんが東京に行くなんて、大体分かっていた。それでもちゃんと聞いてしまうと、行ってしまうのだと実感する。私と始ちゃんが走り回ったこの町を、始ちゃんは出て行くのだ。
「東京なんて行って始ちゃん大丈夫?ちゃんとやれる?寂しくならない?」
 私がそういうと、始ちゃんがぷっと吹き出す。
「なんだよ、美穂ちゃんまで母さんみたいなこと言って。俺ってそんなに頼りなさそうに見える?」
「違うよ。ずっと一緒に居たから、東京にいる始ちゃんが想像できないってだけ。一人でスーパー行ったり、ゴミ捨てたり、家事したりしてる始ちゃんが想像できないの」
 始ちゃんは大きく伸びをする。
「そりゃあなあ、俺だって不安だよ。でもみんなそうやってるんだ。俺にできないってこともないだろ。向こうに住んで、一人暮らしして、どんな風になるか不安だよ。でも同じくらい楽しみだって思うよ」
「変わっちゃわない?大丈夫?東京は怖いところだよ?」
「心配しすぎ。十八年かけてこの性格になったんだ。そう簡単に変わんねえよ。向こう行ったって、学校行って走ることは変わんないしな」
 そう、始ちゃんは変わらない。いつだって始ちゃんは始ちゃんで、真剣に走って、始ちゃんは変わらない。ああ、好きだなあって思う。

小説 山あいの町4

2016-09-27 23:21:59 | 小説 山あいの町
4


 子供部屋に入ると、始ちゃんと莉子が話していた。
「あ、お姉ちゃんおかえり」
 妹がニヤニヤと笑いながら言う。始ちゃんと仲良く話す莉子を苛立たしげに見ながら、挑発に乗るまいと無視をする。
「お、美穂ちゃん久しぶり。お邪魔してます」
「いらっしゃいませ始ちゃん。ゆっくりしてってね。ちょっと待ってて、お風呂入れてくるから」
 違和感なく話せたかな。そんな風に思いながら、始ちゃんの顔もロクに見ないままに、自分の部屋に入る。着る服を少し悩んだけれど、お風呂掃除をするのに外着を着るのも変な話だ。だからいつも通りの部屋着に着替えた。


 我が家の子供部屋は、もともと客室だった。私と莉子が基地に変えて、それがそのまま子供部屋になった。要は、姉妹で遊んだり友達を呼んだときに使う部屋だ。小学校時代、私と莉子と始ちゃんは、よく子供部屋でダラダラとしたものだった。

 適当にお風呂を洗い、湯船にお湯をそそぎはじめる。お風呂の鏡を見ながら、少しだけ髪を直した。莉子のやつ、私が始ちゃんのことを好きなのを気づいてる。分かっていて、私の眼の前で楽しそうに始ちゃんと話すのだ。腹が立つ。

 子供部屋に戻ると、始ちゃんがいた。当たり前のことだけど、そういうひとつひとつに感動する。
「お待たせ、始ちゃん。うちに来るの久々だよね。今日はどうしたの?」
「母親が出張行くとかでさ。美穂ちゃんとこ行きなさいって言われたんだよ。高校三年生にもなって一人で晩飯も食えないと思われてんの、結構ショック」
 そう言いながら始ちゃんが足を伸ばす。始ちゃんはそんなに背が高い方じゃないけど、足を伸ばすとやっぱり大きい。私や莉子じゃ、この部屋はこんな風に狭くならない。始ちゃんは子供の頃から変わらず始ちゃんだ。それと同時に、もう男の人なんだって実感する。
「心配性だもんね、おばさん」
 私はそう言って笑った。妹がこちらを細めで見てくる。なんだ、やるのか。私は睨み返す。妹は眼を横に逸らしてから、億劫そうに立ち上がった。
「お皿並べるの手伝ってくる。始ちゃんとお姉ちゃんはゆっくりしといて」
「俺も行くよ」
 当然のように始ちゃんが言う。
「いいよ。お客様なんだし。手伝いもしなかったらお姉ちゃんがぎゃーぎゃーうるさいし」
「はあ?私がいつうるさくしたのさ」
「そういうとこだって言ってんじゃん。人の好意くらい大人しく受け取りなさい馬鹿姉」
 中学二年生の妹は、日に日に生意気になっていく。でも、今回はいい仕事だ。あとで秘蔵のハーゲンダッツを与えてやろう。そう思いながら、私は表面上ため息をついた。
「はいはい、お願いね」
 その様子を見ながら、始ちゃんがケラケラと笑う。
「変わんないなあ、二人とも」

小説 山あいの町3

2016-09-21 23:50:14 | 小説 山あいの町


 電車に三十分ほど揺られ、気の抜けた車内アナウンスが流れた。私の生まれた町にたどり着く。町は四方を山に囲まれていて、私はその景色が好きだった。


 私を含めて二、三人の高校生がその駅で降りた。三つある街の中学校の中で、彼らはどこから来たのだろう。駅には駅員がおらず、改札もない。ホームに立っているカード読み取り機にタッチして精算を終える。やろうと思えば無賃乗車なんて思うがままだ。ここを通るたびにそんなことを考えて、人がカードを通すたびに苦笑してしまう。うまく言えないけど、商売は信頼で成り立ってるものなんだって実感する。

 ホームから出て、簡素な待合室を通って外に出る。秋でもしぶとく生き残っている虫が街灯に焼かれる音を聞きながら、駐輪場へ向かう。そこで始ちゃんが来ていることを思い出して、急いでトイレへ方向を変えた。今日の私がどういう風に見えてるか、ちゃんと確認しなきゃけないのだ。自転車に乗ったら髪型が崩れるのなんてわかってる。それでも、自分がどう見えてるのかわからないままに始ちゃんの前に出るのなんて嫌だった。

 自転車に乗った。駅から離れるにつけ、少しずつ店が減っていく。一級河川にかかった橋を越え、畑を横目に見ながら家へと向かう。


 同じ高校にいるのに、私たちは高校でほとんど会話をしなかった。そもそも、会う機会がほとんどなかった。学年が違うと階が違う。始ちゃんは陸上部だったし、私は写真部だった。もともと運動音痴だった私は、始ちゃんを追って陸上部に入ろうとは思えなかった。今ではそうしておけばよかったと思ってる。それでも、そんな動機でこられたって始ちゃんは迷惑だろう。
 そんなわけで、私と始ちゃんの接点は減るばかりだった。家族同士の付き合いだって、高校生にもなれば影を潜めてくる。始ちゃんは部活で忙しかったし、中学くらいには、それぞれの同性の友達と遊ぶようになってしまっていた。だから今日みたいなケースは、私にとっては貴重なのだ。

 家について自転車を止める。鍵もかかっていないドアを開け、できるだけさりげなくただいまと言った。奥からお母さんの声が飛んできた。
「おかえり。早く帰ってって言ったじゃない。今から野菜切るからお風呂入れてきて」
「えー、やだよ。今日めっちゃ疲れたんだもん。莉子にやらせてよ」
「莉子は運動部、あんた塾に行ってただけでしょ」
 莉子はいっつも運動部を言い訳にして手伝いをサボる。心の中で毒づきながら、玄関の靴を確認する。始ちゃん、もう来てるんだ。