昨晩、NHKで日米野球のエピソードを放映していました。
と言っても、プロ野球の話ではなく第二次世界大戦でお互い戦った兵士同士のゲームの話である。
二つのチームのメンバーは、全く見ず知らずで面識は無いが・・・。
そりゃー当たり前だけど、ただ、あの過酷な戦争を戦い生き残った人達なのです。
それぞれ日米の年老いた人の心中は、そのときに体験したつらい気持ちをいまだに引きずってきているだなーと番組を通して理解できました。
日本人の元兵士の心のなかには、野球で仕返しをしてやろうと言うような気分が溢れていましたが、彼らの多くが特攻隊の訓練を受けた人達でしたので、それはしかたないことだろうな~と。
仲間が死んだのにいまだ自分たちは生きているというような負い目や罪悪感があったのかもしれない。
一方のアメリカの元兵士達の心は、表面に表れていませんでしたが、ある日本人がアメリカ人と話をすることが出来た過程の中で、やはり彼は日本人を恨んでいるだなとわかりました。
お互いの中にあるわだかまりも超えて、勇気を出し心から話すことをしたことで、互いの気持ちを理解しようとしてゆくのには、それ以前の長い時間を感じさせられました。
戦争でおきた事実は変えられないが、許すことはできるんだと言うことを、元アメリカ人兵士が言葉にしたときに、彼の中での戦争は終わりにしたいのだと私は感じました。
戦後60年以上も経って戦争を知らない人が多くなり、また、そんな話をしても聞いてもらえないだろうと言う雰囲気が漂っている現在に、彼らの中ではどうやって気持ちの整理をつければよいのかというやるせなさもあったのではないでしょうか。
実際のゲームは、ハワイで行われアメリカ人のパワーに負けて日本は撃沈しまししたが、ゲームを通じて彼らはお互いは同じ人間であるということを、知ったと感じました。
戦争はしたくてしているわけではなく、国の大義名分でそうさせられているからやるのであって、行かなければ意気地なし呼ばわりされるか、牢屋ゆきだった気持ちを考えれば、今を生きる私達日本人には複雑です。
参加したアメリカ人の一人は、彼の住む町に帰ったその日に彼の座る長いすの上で息を引き取りました。これら全ての行程が、年老いた彼にはハードなものだったと思います。
彼を、迎えに来た奥さんに車の中で、彼は何度何度ももこう話していたそうです。
本当に、日本人と話が出来てよかったと。
この彼の人生でやり残した唯一の出来事が、この体験で学んだ”憎む相手を許し理解する”ことだったのかもしれません。
”相手を理解して許すこと”・・・・大きなテーマですが大事なことですね。