なないろ日和

過ぎてく毎日のふとした瞬間に感じたこと
今日も気分は、なないろ日和

見つけたもの。見つけたいもの。

2006-09-13 08:37:38 | 七色な、ちょっとひとこと
ピックアップブログに取り上げていただきました!
とっても嬉しかったので、ちょっとひとことです。

毎日、なんとなく過ぎてしまうのが嫌で、ふっと感じた何かを残しておきたくて。
そうやって始めたブログでしたが、少しずつ少しずつ記事が増えて、少しずつ少しずつ見てくださる方が増えていくたびに、どんどんと楽しい気持ちになって、次は何を写そうか、何を書こうか、探していくようになりました。

こうやって、もう自分の中にあったものだけでなくて、新しいものを探しにいくようになって、なんだかちょっとオオゲサですが、世界が変わったようにも思えます。

考えもつかなかったところに、オドロキの種が落ちていたり。
知らない道を走って、素敵な場所を見つけることができたり。
落ち込んでいる気分のときでも、ほんわりとした気分を思い出して記事を書くことで、なんだか前より強い気持ちに立ち直ることができたり。

色々な方とお知り合いになれたのも、とても嬉しいです。
いつも見に来てくださる方、これを読んでくれているみなさまに。
本当にありがとうございます。

これからも、色々なものを書かせてもらいたいと思います。
どうか実がたくさんつまったものが見つかりますように!
その実の中の、キラキラと光る宝物のような種のことを、うまく書けますように!
そしてその実のおいしさを、みなさまと共感できますように!
なないろでした。

糸から物へ。小物入れできました。

2006-09-11 21:45:57 | 橙色な、作ったもののこと

麻の糸をくるくると編んで。
大中小の小物入れができました。

冬なのにアイスが食べたくなったり、夏なのに熱いなべが食べたくなったり。
人間とは不思議なものです。なないろの「一年を通して編み物がしたい」というのは、これと似たようなものになるのでしょうか?

柔らかで毛足の長い毛糸は、ふわふわでもこもこで、幸せな気分になります。けれど、さすがに暑い時期には扱いにくい。それでも何か編みたい。そこで麻糸を買ってみました。ごわごわとしているところが普通の毛糸と違って、固くてちょっと編みにくいけれども。その固さがなかなか面白いと思いました。それに、この自然そのまま!という感じの素朴さが素敵ではないですか?

今回つくったのは、小物入れ。
3つ、作ってみました。一番最後の段は糸を変えて。麻と綿の混ざったパステルグリーンの毛糸です。
固い糸だから、しっかりとしていて、きちんと作った形のまま座ってくれています。固いだけあって編むのが大変で、ときおり編み目がゆるくなってしまうところがありましたが、おかげでちょっとぽってりとした形になりました。



少しずつ大きさを変えたから、3つ重ねることもできます。
あ、ちょっと糸の始末が甘いのは、手作りならではの味というか、B型人間の現れとでもというべきか。何も入れずにしまうときはこうやって重ねて・・・と考えていたのですが、我が家では3つ並べてインテリア代わりになってます。

最初はまっすぐな糸だったのに、くるくると編んでいくと、ひとつの固まりになって、別の物に変身したかのようになる。
なないろにとって編み物は、何かを作りたいというよりも、糸を何かに変身させたい!という気持ちが強いみたいです。一年を通して編み物がしたいというのも、もしや変身願望の現われ??

たくさん買った麻糸。
これからも色々なものに変身していきそうな予感。

いつものカメラで違う風景を。

2006-09-07 20:40:45 | 緑色な、ひとりごと

いつものカメラでちょっとお遊び。
ポラロイド風の写真。そう見えるかな。

最近、ポラロイドカメラの人気が増しているのだとか。
思うとおりに撮れないけれど、思いもよらなかった風に撮れるところがいいのだそう。レトロな感じも、好む人が多い理由の一つかも知れませんね。

さて、ワタクシなないろというと。
前からちょっと気にはなりつつ、見てしまうと欲しくなってしまうからと敬遠していたのでした。けれど、この前デジカメでもポラロイド風に撮れると知り、とたんに挑戦してみたくなりました。

撮りたいものの前に手をかざして。ピントを手に合わせたらどかして、パチリ。
わざとピントをずらした、ほわほわとボケる写真になりました。
ホワイトバランスも、わざとオートから違うものに設定したら、緑がかったちょっぴりレトロな色合いに。初挑戦なのでなんともわざとらしくなってしまいましたが、お祭りのくじびきで当てたこの子、ちょっと雰囲気が出たかなぁなんて、思っちゃってます。

普段は、同じものは同じものにしか見えないのに。
カメラのレンズを通すだけで、とたんに違う印象になってしまうから不思議ですよね。ちょっと操作を加えるだけで、カメラって全く違う写真が撮れるのですね。おや、レンズは嘘をつかないなんて言葉がありましたが、この場合は逆かな、なんて思えてしまいませんか?目がいつも同じもので、カメラで違うように見えるのですもの。

ここでちょっと考えてみたなないろ。
結論は、レンズは嘘をついていないかも!ということ。
普段はいつも見える景色に流されて、同じようにしか見えていないことでも、カメラを通すと違うと見えてくるものがあるからです。いつも遠くばかりみていると、近くのものが見えないし、同じ環境の下でしか見ていないと、違う環境のときのことは分からない。今回のポラロイド風写真は、そんなことを考えさせてくれました。

同じものが同じようにしか見えないのは。
目に先入観が混ざってしまっているからかも。
カメラというまっさらな目を使って、くるくると変わる世界をみていきたい。

草につくは、朝だけの鏡。

2006-09-05 21:02:43 | 緑色な、ひとりごと

夜に降った雨が、名残惜しそうに葉っぱについていました。
近くの草むら。こんなところに素敵な鏡がありました。

普通に歩いていて、あっと気づくと靴がぬれている。そんな朝ってありませんか?
犯人は、小さな子たち。露だったり、雨だったりが、草木に残っていて、そ~っと靴についてきてしまっている、そんな朝。プチ田舎住まいのなないろには日常茶飯事のできごとなのです。

雨の降った夜が明け、窓を開けたら。近くの草むらが、輝いていました。
まだ朝の早い時間。お日様の位置が低いから、雨粒たちはそこかしこで自己主張。キラキラ、キラキラ。競争しているわけでもなく、ただ一緒になって光を吸いこんでは出している。そんな感じです。

いつもは「また靴がぬれちゃう…」なんて思ってしまいがちだけれど。
今回は自分から近寄っていきたくなりました。
さっそくカメラを持って、輝く草むらの中に、おじゃましまぁす。

その中のひとつ。大きく丸く、元気に育った雨粒を発見。
葉っぱが大変じゃないかしらと心配になるほどの雨粒。
カメラを向けると、鏡のように周りを映しているのが分かりました。

お日様の光。周りの葉っぱ。空。それにきっと、他の雨粒たちも。
何気ないものたちばかりなのに、すごくきれいに思えて、何枚も何枚もシャッターを切ったなないろです。
ただ、雨粒に感動。きっと周りのものを全部素敵だと分かっているから、こんな風にきれいにものを鏡のように映せるのだろうなぁと、その姿を写真に写させてもらいながら思いました。

お互いのいいところや、お互いが輝いているところをしっかりと見てる。
そして、「あなたはこんなに素敵だよ」と教えてあげる。
そんな関係、いいなぁ。

そっとしておく、大切な場所。

2006-09-04 22:47:34 | 青色な、いすみのこと
突き抜ける青の空。きらめく白の波。
そこに立つは昔から少しずつ姿を変えているはずの、岩。

地図を片手のいすみ市散策に、今回も行ってきました。
今回の行き先は、津々ヶ浦です。ちょっとした浜辺に、大きな岩と小さな岩。寄り添っている姿が素敵なところでした。

看板も見たことないし、国道からも離れているし、地図で見ても小さいところらしいから、あまり知られていないんだろうなぁと思いながら行ったなないろ。海沿いというか崖沿いというか悩んでしまうようなちょっと怖い道を抜けたら、砂利敷きの駐車場には、すでに4~5台の車。家族でピクニックに来ていたみたいです。それに近くには別荘らしきお宅も3軒!それもすごく素敵なお宅でびっくりしちゃいました。

けれどふと目を海の方に向ければ、ピクニックに来たくなるのも、別荘を建てたくなるのも、本当に納得。
とても素敵なところなのに、周りを海蝕が進む崖に挟まれていて全体があまり大きくないところが、なんだか「自分だけの場所」といった気持ちになって、自分の衣食住を持ち込んでも、なんだか許されるような、そんな気持ちになるのです。




ここの砂は、波の流れの影響なのか、貝殻の砕け散った粒がまだまだ大きい砂。きらきらと太陽の光を受けて、白く光る砂浜なのです。黒い砂の海水浴場が両隣、それも結構近くにあるというのに、ここは白い。
海もちょっとした自分の宝物をそっと集めておける場所を持っているのでしょうか。なるほど、ここはそういう所にするにはぴったりです。



そして、ガリバーみたいな大きな人が2つに割ってしまったような形の岩。
周りが崖だけに、なんだかちょっと雰囲気が違うこの岩も、そっと誰かが置いていったようにも見えます。少しずつ波に削られながらも、2つ向き合って語り合っているかのような岩。自分の隣にも誰かいればよかったのに、と思えてきました。周りは家族連れ。2つの岩と、仲のよさそうな家族に囲まれてしまった1人のなないろです。

みんながそっと自分の場所にしておきたいと思った。
ここは、そんなわけであまり広くは知られていないのかも。
今度来るときは、大切な誰かにここを教えてあげようと思う。

赤くて丸くてすっぱい、おいしいやつ。

2006-09-02 20:13:01 | 橙色な、作ったもののこと

ほかほかのごはん。
お供はもうこれですよ!大きな梅干、いただきまーす。

前に実家で摘むのを手伝った梅の実が、梅干になって我が家にいらっしゃいました。固くて青くて若々しかったのが、すっかり柔らかくほんのり赤くなりました。
なないろが梅干を好きなのを知っているお母さん。「持っていくでしょ?」と聞かれ「うん」と返したら、ビニールの袋いっぱいにくれようとしました。2~3キロはあったはず。さすがにそこまでは~ということでビニール袋はやめて小さな容器に入れてもらったのですが、それでも蓋は閉まらないほど、たっぷりの梅干。帰りの車の中は、ふわりとすっぱい梅の香り。すっかり刺激されて口がすっぱい気に
なってしまいました。

さっそく作る、なないろのお気に入りのごはん。
炊きたてのごはんに、刻んだ青しそとおしょうゆ味のついた胡麻を混ぜ込んだだけ。しそはすぐに色が変わってしまうので、たべる直前にバッと入れて。
しそはさわやかで、胡麻は香ばしくて。香りがとてもおいしいごはんです。
味つきの胡麻の代わりに、普通の胡麻とちょっとのお塩でもおいしいです。どうぞお試しあれ。

そしてその上には、今日の主役の梅干をちょこんとのせて。
我が家のごはん茶碗は結構大ぶりのものですが、「ちょこん」という言葉が似合わないほどの、大きな梅干。
最近の梅干は減塩のものが多いですよね。本来は保存食のはずの梅干が、お塩が少なすぎて保存が効かないことがあるそうです。そこいくと我が実家の梅干くん。さすがに自家製、保存性重視ですから減塩なんのその。ポーカーフェイスでは食せません。

柔らかい皮をお箸で切ると、中はとろりとしたジャムのような果肉です。
でも味はやっぱり「うう~すっぱい~!!」「でもおいしいぃぃぃぃ」
身悶えながらの食卓となりました。すっぱいのが苦手な我が家の住人くん、そんなにすっぱいなら何故食べるのかとでも言いそうな視線をくれました。たまらずなないろ、「この味がわからないなんて!」と、すっぱさでくしゃくしゃの顔で返すのでした。

ごはんと梅干。日本人だなぁ…と感じるひととき。
すっぱい梅の香り。次は何で楽しもうかな。

白くてかれんなお花です。ニラなのです。

2006-08-30 21:05:03 | 緑色な、ひとりごと

とってもかれんなお花を見つけました。
お散歩中に見つけた、ある野菜のお花。

家がぽつぽつと並んでいる、ちょっと細い道。
そういうところを歩いてみると、色々と考えることがあります。
同じお花が咲いているお家が何軒か続くと、種が飛んでいったのかな?とか、奥さん同士が仲がいいのかな?なんて思ったり。
家だけでなくてちょっとした畑なんかもあるから、何を育ててるのかな?もうできてるのかな?なんて思ったり。
そういう道は、なないろの格好の散歩道になるのです。

そして見つけた、この白いお花。
緑の茎と白い花びらと黄色い雄しべたち。とても素朴な色合いで、かわいらしい。でも6枚の花びらは先がつんつんととがっていて、ちょっと雪の結晶みたい!ここは畑かな~路肩かな~という微妙な位置でひっそりと咲いている姿が逆に目を引きました。中でも、茎が3本重なって、段々に咲いているように見える、仲良しさんたち。パチリと撮らせてもらいました。

これ、なんとニラのお花なのです。
ちょっと意外ではありませんか?このお花の周りには、ちゃんと細長い、スーパーでおなじみの葉っぱがありました。あの独特の香りも少々。最初はニラと気づかなかったなないろ、思わぬ美人のお花に嬉しい気持ちになりました。

普段知ってるニラの姿とあまりに違うこの姿。
アボカドの芽が発芽して葉っぱが見れたときには、他にもよく知らない葉っぱが見たいなぁと思いましたが、今回は、よく知らないお花の姿を見れました。こういう姿、他にもたくさん見ていきたいな。

毛を逆立てて爪を出して怒る野良ねこだって、もしかしたらその後ろ背には守りたい子ねこがいるのかも知れない。
いつも見ているこの人の姿だって、まだまだ知らないところがあるのかも知れない。
ニラがこんなにかれんなお花を咲かせるのだから、そう信じてもおかしくない、はず。

あの頃の自分へ、ピーマンを通じて。

2006-08-28 22:14:08 | 緑色な、ひとりごと

毎日の暮らしから、ふと微笑んでしまう一瞬が生まれるとき。
いびつなカラーピーマンをざくっと切ったら、愛らしい形が見えました。

小学校に通っていた頃、「すききらいをなくそう」ということで配られた、1枚のプリント。各自で嫌いなものを書いて、これから食べられるようにと目標にするものでした。なないろはそこに「ピーマン」と書きました。今はもう、懐かしい日々。

この夏はたくさんのピーマンを食べています。
実家の畑にできた緑のピーマンを大量にもらっているからです。
それなのに赤や黄色のカラーピーマンを更に買い足しているのだから、もうピーマン三昧。
しゃくしゃく感が残るようにざざっと強火で炒めたり、たくさん切って色とりどりのサラダにしたり。ん~おいしい!

そしてこの日もピーマン。サラダの色つけにと、選んだのは黄色のカラーが元気な1個。手にした感じは結構凹凸が激しくて、しかも途中から曲がっていて、ちょっといびつちゃん。どう切ろうか少し悩んだけれど、甘みの強いものだから、ちょっと厚く切ってみようかな…なんて思って、結局輪切りにしてみる。包丁を入れてびっくり!現れたのは、全然いびつじゃない、ハートの形!

いきなりのハートの登場にあんまりに嬉しかったものだから。
ついつい、お料理の手を止めて、包丁の代わりにカメラを持って。
お皿に並べたハートのピーマン、パチリ。モデル達からウインクをもらった気分。

食べるのがもったいないなぁとよっぽど思ったのですけれど。
食べちゃいました。甘くてほろほろと苦い。ああ、真っ赤なハートでなくて、まだ黄色いハートだからかな、なんて思ってみたり。そんなピーマンからの愛情、たっぷり味わいました。

あの頃の自分へ。あの頃を思い出して、今もう一度、書く。
好きになれたもの:ピーマン
きらいなままのもの:無し
今のなないろは、ピーマン大好きだからね!

夜明けのとき。日の昇るとき。

2006-08-27 21:36:03 | 緑色な、ひとりごと

この日だけのお日様が、昇ってきた。
2006年8月23日の、夜明け。

カメラの充電器を失くしてしまい、ここ暫く写真が撮れなくてうずうずしていたなないろ。
お取り寄せで買って漸く届いた新しい充電器、とてもとても嬉しかったのでいてもたってもいられず、目覚ましを4時40分にセットして、起きてからは超特急で準備して、夜が明けるときを撮りにいってきました。

向かったのは、海水浴場としての営業が終わったばかりの大原海水浴場。
この日は予報では晴れだったのに、どんより雲がちょっと出ていました。
もしかしたらお日様が出てくるところが見えないかも知れないなぁとドキドキしながら、砂浜を歩きます。ここでしばし、お日様待ち。

早朝の海って結構人がいるのですね。
釣りをしているおじさんや、波の様子を吟味しているサーファーさん。なないろでも流石にこの方々は予想しておりました。けれども、その他にもいたのです。バーベキューセットのようなもので何かを焼いている方々と、浮き輪でぷかぷかと海水浴中の方々。う~ん、びっくりしました。けれどその方々からすれば、なないろはたった一人で(しかも起きたばかりでいろいろとボサボサで…)カメラを持って海に向かって仁王立ちしているのですからお互いに「う~ん、びっくり」だったのかも知れません。



さて、そんな風に考えているうちに時刻は5時4分。夜明けと日の出の時間になりました。水平線上はすこし雲がありましたが、やがてその雲の上にひと筋の光。お日様が昇ってきました。すこしずつ、すこしずつ昇ってくるお日様。何色とも言えない、けれどすごく暖かくて優しい色が混ざり合っていて。何度も見たことがあるはずなのに、いつも引き込まれてしまう。日の出はものすごいパワーをもっていますよね。



なんとか周りを見ると、みなさんも昇っていくお日様をみていました。
釣りおじさんやサーファーさん、それに泳いでいる方々まで。
さっきまで全く違うことをしていた人たちが、急に仲間になったように、ただ1点を、ただただ見ていた時間。
お日様が出てきたのが嬉しくて、他の方たちと同じものを見ているのが嬉しくて。なないろもつい、シャッターを切る手を止めて、暫くじっとするだけなのでした。

夜が明ける、それはとても素敵な時間。
でも、それは特別な時間なわけではなく、毎日繰り返されていること。
感激の種は、いつでもそこに差し出されている。
それをしっかりと受け取りたいと願う、なないろでした。

恋にとりつかれた男の人のお話。

2006-08-23 21:19:42 | 藍色な、本のこと

ひとつのことを始めたら、もうそれしか見えない。
いしいしんじさんの「トリツカレ男」、読み終わりました。

トリツカレ男というあだなをもつ、ジュゼッペ。
あだなの由来は、ジュゼッペが一度夢中になると、もう四六時中そのことをしてばかりで、まるでそのことにとりつかれているみたいだから。レストランのウエイターというお仕事も、オペラにとりつかれていれば歌いながら、三段跳びにとりつかれていたら跳ね飛びながら。いつも何かにとりつかれている人なのです。周りの人は、またいつものことだと呆れながらも、ジュゼッペを見守ります。

そんなジュゼッペがすごくすごくとりつかれてしまったもの。
それは、一人きりで風船を売っている女の子のペチカ。恋にとりつかれてしまったジュゼッペは、仲良しのしゃべるハツカネズミの力をかりて、ペチカを喜ばせようと色々とがんばります。そんなちょっと不思議でどこかほんわりとするお話です。

「夢中になる」と「とりつかれる」
この言葉、いつもは同じように使っているけれど、本当は全然違うんだなぁって考えさせられました。夢中になるっていうのは、自分自身がこれと決めて打ち込んでいる様子、とりつかれるっていうのは、自分で決めるというより、何か他のものの力でそうさせられている様子。なんというか、「夢中になる」イコール「とりつかれる」ではなくて、「夢中にさせられる」イコール「とりつかれる」という感じでしょうか。とりつかれるには、他者の力を感じてしまうのです。

トリツカレ男のジュゼッペは、本当に何かにとりつかれるという言葉がぴったりな人です。けれど、恋にとりつかれたはずのジュゼッペは、だんだんと自分でああしようこうしようと考えるようになります。「とりつかれる」から「夢中になる」に変わっていったのです。そしてジュゼッペは、ペチカの近くにいるために自分にとりついていたもの(読まれたときのお楽しみにどうぞ)と離れることになるのです。

夢中になっているか、とりつかれているか。どちらも傍から見れば同じことにしか見えないけれど。ちょっと違うこの二つは、どちらも素敵なことだなぁとなないろは思います。何かに打ち込むってなかなかできることではないのに、それをすんなりとしてしまうジュゼッペ。仲良しのハツカネズミがちょろっと言った言葉、なんだかとても胸を打ちました。
「なにかに本気でとりつかれるってことはさ、みんなが考えているほど、ばかげたことじゃあないと思うよ。」