仕事場に寄ると、事態は予想よりも早く動いていた。
私が来るほんの数分前に、中村とアシスタントの山根さんが「葉音」を病院に迎えにいったというのだ。
入院中だった葉音の自発呼吸が難しくなり、酸素マスクを付ける事でなんとか生きている状態だと連絡を受け、今こそ、ずっと帰りたがっていたオウチに連れて帰ってあげるべきだ、最後を自宅で看取ってあげるげきだという判断をしたらしい。
「移動中に亡くなってしまうかもしれない」という、担当医師の言葉を裏切って、葉音はちゃんとお家に帰って来た。
抱かれ心地が悪かったのか、慣れた家の気配に意識を戻したのか、移動中意識を失っていたという葉音は、包まれたお布団の中で少しじたばたと暴れながら玄関に入って来た。
すぐにテーブルの上を片付け、ぐったりと丸いクッションの上で横たわる葉音をそっと置いた。
皆で、体温が下がらない様にと暖かい毛布やタオルをかけ、周りにホッカイロを置いた。
そんな行為が、どれだけ彼の延命につながるかなど、どうでも良かった。
苦しそうな葉音を少しでも楽にしてやりたいという、その時出来る精一杯だった。
「はのん、はのん」
皆、体や頭を撫でながら、生きようと必死で短い呼吸を続ける葉音をただ見守るしか無かった。
目の色は濁り、既に見えていない様だった。
呼びかけには反応せず、ただ、ただ、浅い呼吸を短く繰り返していた。
時折、急に渾身の力で立ち上がると、フラフラとしたおぼつかない足でベッドから出て行こうとした。
「はのん、どうしたの?寝返り打ちたいの?」
今にも倒れそうな葉音を支える為に慌ててお腹を抱くと、不愉快なのか体をよじって嫌がった。
「そうか、お腹、嫌か」
苦笑いしながら、少しでも楽に呼吸の出来る形で彼をまたベッドに横たえた。
元気だった頃の葉音は、決まってお腹を触ると怒る猫だったのだ。
そんな意識が、少なくともまだあるという事に、ほんの少しの希望を感じた。
急な知らせを聞いたスタッフも後からかけつけ、中村と私を含む総勢6人は、仕事も手につかず、じっと葉音の体を撫で、名前を呼び、暖め、見守った。
一時的に呼吸が楽になった後、また次第に呼吸は小刻みになっていく。
「はのん、はのん…」
小さくはのんが鳴いた。
渾身の力で呼吸をしよう、心臓を動かそうと、彼はお腹からぐっと空気を押し出し、鳴いたのだ。
それが彼の死ぬ事への最後の抗い。
彼は最後の最後まで生きようと呼吸を続けようとしているのだ。
別れが近いのは明瞭だった。
死との壮絶な戦いを前に苦しむ葉音を、ただ私達は呼び続け、撫で、見守る事しか出来ない。
…急に、葉音の呼吸が静かになった。
体中の力が抜け、ぐったりと、生きる反応全てを止めてしまった。
体はまだ暖かい。
本当に心臓は止まってしまったのか?
確かめる様に中村と何度も葉音のお腹を触ったが、涙に脈打つ自分の手の感覚が大き過ぎて、葉音の小さな心臓の音を確認出来ない。
「(心臓の)音がわかんないや…」
まだ生きているんじゃないか?
そう疑ってずっと葉音のお腹をさすり続けた。
しかしもう、彼はお腹を触っても怒る事は無い…。
「よく頑張ったね。偉かったね。ちゃんとお家に帰って来れてよかったね」
閉店間際の花屋で、大きな花束を注文した。
スタッフが花を買って来てくれた。
枕元に美味しい餌と、お水を入れてあげた。
寒くない様に、寂しくない様にと、中村のニットをあげた。
みんなで何度も何度も撫で、生きようと最後の最後まで頑張った彼をねぎらった。
柩に、大きな花束のお花を一杯切ってみんなで入れて、お別れした。
みんな泣き過ぎて疲れてしまったけれど、ちゃんとお別れ出来た。
約一年前に急逝した怜耶の、一日前に飼い始めた私達の「一番最初の猫」だった。
体が弱くて、気分屋で、寂しがりやのおっとりした可愛い猫だった。
あまりにも寂しいと鳴いてしまうのでちょっと心配だけど、構いたがりの怜耶がきっと側に来てくれるので大丈夫なはずだ。
葉音はさっきまでの肉体の苦痛から解放されて、今は凄く身軽になれたのだと思い直した。
今まで生きてくれて本当に有り難う。
私が来るほんの数分前に、中村とアシスタントの山根さんが「葉音」を病院に迎えにいったというのだ。
入院中だった葉音の自発呼吸が難しくなり、酸素マスクを付ける事でなんとか生きている状態だと連絡を受け、今こそ、ずっと帰りたがっていたオウチに連れて帰ってあげるべきだ、最後を自宅で看取ってあげるげきだという判断をしたらしい。
「移動中に亡くなってしまうかもしれない」という、担当医師の言葉を裏切って、葉音はちゃんとお家に帰って来た。
抱かれ心地が悪かったのか、慣れた家の気配に意識を戻したのか、移動中意識を失っていたという葉音は、包まれたお布団の中で少しじたばたと暴れながら玄関に入って来た。
すぐにテーブルの上を片付け、ぐったりと丸いクッションの上で横たわる葉音をそっと置いた。
皆で、体温が下がらない様にと暖かい毛布やタオルをかけ、周りにホッカイロを置いた。
そんな行為が、どれだけ彼の延命につながるかなど、どうでも良かった。
苦しそうな葉音を少しでも楽にしてやりたいという、その時出来る精一杯だった。
「はのん、はのん」
皆、体や頭を撫でながら、生きようと必死で短い呼吸を続ける葉音をただ見守るしか無かった。
目の色は濁り、既に見えていない様だった。
呼びかけには反応せず、ただ、ただ、浅い呼吸を短く繰り返していた。
時折、急に渾身の力で立ち上がると、フラフラとしたおぼつかない足でベッドから出て行こうとした。
「はのん、どうしたの?寝返り打ちたいの?」
今にも倒れそうな葉音を支える為に慌ててお腹を抱くと、不愉快なのか体をよじって嫌がった。
「そうか、お腹、嫌か」
苦笑いしながら、少しでも楽に呼吸の出来る形で彼をまたベッドに横たえた。
元気だった頃の葉音は、決まってお腹を触ると怒る猫だったのだ。
そんな意識が、少なくともまだあるという事に、ほんの少しの希望を感じた。
急な知らせを聞いたスタッフも後からかけつけ、中村と私を含む総勢6人は、仕事も手につかず、じっと葉音の体を撫で、名前を呼び、暖め、見守った。
一時的に呼吸が楽になった後、また次第に呼吸は小刻みになっていく。
「はのん、はのん…」
小さくはのんが鳴いた。
渾身の力で呼吸をしよう、心臓を動かそうと、彼はお腹からぐっと空気を押し出し、鳴いたのだ。
それが彼の死ぬ事への最後の抗い。
彼は最後の最後まで生きようと呼吸を続けようとしているのだ。
別れが近いのは明瞭だった。
死との壮絶な戦いを前に苦しむ葉音を、ただ私達は呼び続け、撫で、見守る事しか出来ない。
…急に、葉音の呼吸が静かになった。
体中の力が抜け、ぐったりと、生きる反応全てを止めてしまった。
体はまだ暖かい。
本当に心臓は止まってしまったのか?
確かめる様に中村と何度も葉音のお腹を触ったが、涙に脈打つ自分の手の感覚が大き過ぎて、葉音の小さな心臓の音を確認出来ない。
「(心臓の)音がわかんないや…」
まだ生きているんじゃないか?
そう疑ってずっと葉音のお腹をさすり続けた。
しかしもう、彼はお腹を触っても怒る事は無い…。
「よく頑張ったね。偉かったね。ちゃんとお家に帰って来れてよかったね」
閉店間際の花屋で、大きな花束を注文した。
スタッフが花を買って来てくれた。
枕元に美味しい餌と、お水を入れてあげた。
寒くない様に、寂しくない様にと、中村のニットをあげた。
みんなで何度も何度も撫で、生きようと最後の最後まで頑張った彼をねぎらった。
柩に、大きな花束のお花を一杯切ってみんなで入れて、お別れした。
みんな泣き過ぎて疲れてしまったけれど、ちゃんとお別れ出来た。
約一年前に急逝した怜耶の、一日前に飼い始めた私達の「一番最初の猫」だった。
体が弱くて、気分屋で、寂しがりやのおっとりした可愛い猫だった。
あまりにも寂しいと鳴いてしまうのでちょっと心配だけど、構いたがりの怜耶がきっと側に来てくれるので大丈夫なはずだ。
葉音はさっきまでの肉体の苦痛から解放されて、今は凄く身軽になれたのだと思い直した。
今まで生きてくれて本当に有り難う。