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美保関灯台7

2017-11-23 19:42:20 | 日記
美保之碕の由来
島根半島の最東端に位置するこの岬は、古くから「美保之碕」と呼ばれています。
出雲国風土記の国引きの伝説では、この「美保之碕」は北陸地方から、日御碕は朝鮮半島から引いてきたものと伝えられています。
この鳥居の中央約四キロ先の海上に浮かぶ島を「沖之御前神(美保神社の御祭神、俗にえびす様)の魚釣りの島として伝えられているところから、現在も美保神社の境内となっており、毎年五月五日には美保神社で事代主とその御后の御神霊をこの島から迎える神迎神事が続けられています。
夏期には、沖之御前の海上に雄大な日の出を拝むことができます。
沖之御前は日によってその島影が様々に変化し、漁師はその島影により海上の天候を知って出漁を決したといわれます。
又、この島の海底には常に神楽の音の様な響があり神異奇瑞の島として今に伝えられています。
この遥拝所は、美保神社の古文書に記載のあった古事に基づき、昭和四十八年十二月設置したものです。

美保関灯台5

2017-11-23 17:47:27 | 日記
山陰最古の灯台
嶋根半島の東端に位置するこの地は、その昔、航海の安全を祈願してたくさんの地蔵さんが祭られていたことから、地蔵埼と呼ばれております。
この灯台は、山陰地方では最古の石造りで、1898年(明治31年)に地蔵埼灯台として建設されました。
当時の光源は、石油で1等レンズ(内径1.8メートル、高さ2.6メートル)が使用され、光度は67,500カンデラでありました。
その後、大正11年には、光源が電化され、また、1993年(昭和10年)には地蔵埼の名称が全国的に多いことから、現在の「美保関灯台」と改称されました。
1954年、1993年とその時代の最新鋭の灯器に改修され、現在メタルハライド電球を使用する灯器となっています。
(現在、初代の1等レンズは、大阪府岬町のみさき公園に、先代のLB90型灯器は隣接する美保関ビュッフェに展示されています。)
1962年(昭和37年)には、無線監視装置の導入により無人化され、1998年(平成10年)には、初点灯から百周年を迎え記念事業が行われ、歴史的施設の保存措置として耐震性向上の灯塔改修が行われました。
そして百周年を祝うかのように、この年には「世界灯台100選」の一つとして選出されました。