美保之碕の由来
島根半島の最東端に位置するこの岬は、古くから「美保之碕」と呼ばれています。
出雲国風土記の国引きの伝説では、この「美保之碕」は北陸地方から、日御碕は朝鮮半島から引いてきたものと伝えられています。
この鳥居の中央約四キロ先の海上に浮かぶ島を「沖之御前神(美保神社の御祭神、俗にえびす様)の魚釣りの島として伝えられているところから、現在も美保神社の境内となっており、毎年五月五日には美保神社で事代主とその御后の御神霊をこの島から迎える神迎神事が続けられています。
夏期には、沖之御前の海上に雄大な日の出を拝むことができます。
沖之御前は日によってその島影が様々に変化し、漁師はその島影により海上の天候を知って出漁を決したといわれます。
又、この島の海底には常に神楽の音の様な響があり神異奇瑞の島として今に伝えられています。
この遥拝所は、美保神社の古文書に記載のあった古事に基づき、昭和四十八年十二月設置したものです。
島根半島の最東端に位置するこの岬は、古くから「美保之碕」と呼ばれています。
出雲国風土記の国引きの伝説では、この「美保之碕」は北陸地方から、日御碕は朝鮮半島から引いてきたものと伝えられています。
この鳥居の中央約四キロ先の海上に浮かぶ島を「沖之御前神(美保神社の御祭神、俗にえびす様)の魚釣りの島として伝えられているところから、現在も美保神社の境内となっており、毎年五月五日には美保神社で事代主とその御后の御神霊をこの島から迎える神迎神事が続けられています。
夏期には、沖之御前の海上に雄大な日の出を拝むことができます。
沖之御前は日によってその島影が様々に変化し、漁師はその島影により海上の天候を知って出漁を決したといわれます。
又、この島の海底には常に神楽の音の様な響があり神異奇瑞の島として今に伝えられています。
この遥拝所は、美保神社の古文書に記載のあった古事に基づき、昭和四十八年十二月設置したものです。