葉織る。

言葉の中にそれを紡ぎ織った人が見えても、それは虚像かもしれない。

真理は不変だから真理。

2017-10-09 08:54:51 | 雑感
 多くの日本人にとって、宗教はイベントのネタに過ぎないだろう。
 だが本来宗教は、真理を追求するメソッドであり、神や仏は真理を表現するための方便だ。

 …などというと信心深い人に怒られそうなので、神や仏が方便なのかそうでないのかについては横に置いておく。
 ここで考えたいのは、宗教は時代に合わせて進化するのか?だ。

 どうも進化という言葉は、お手軽に使われ過ぎているような気がする。
 進化というのはそれなりの時間をかけ、世代交代と形態の変化を伴うものだ。

 それが個体の成長や変態、下手をすると少々目先が変わった程度で「進化だ」と騒ぐとなると、これはもう進化という言葉を軽んじているように思えてならない。
 そしてついには「宗教も進化しなければならない」といった言い回しまで耳に入るようになってきた。

 なるほど昨今は、お寺も教会も聖職者というだけでは成り立たなくなってきたらしい。
 だから各種のイベントやSNSによる情報発信などで、多くの人に受け入れられる在り方を模索しているようだ。
 特に住職なり神父なり牧師なりが若いほどその傾向は強いだろう。

 さて、こういった変化は「進化」と表現するに足るものだろうか?
 私はそうは思わない。

 宗教にとって一番重要なのは、真理の追求だ。
 だが真理は言葉によって概念化されると嘘になってしまうから、神というラベルを貼る。

 …いや、こういう表現は信心深い人達の神経を逆撫でするだろうと想像はつく。
 だが実は私は神を信じている。

 神の存在を信じているという意味ではない。
 神とは存在することと存在しないことを矛盾なく両立させられる、そういうものだとただ信じている。
 何しろ全知全能の神様なのだから、そのぐらいは朝飯前だろう。

 ついでにいうなら、これは私が神をそういう風に認識しているという意味ではない。
 人間の力で偉大な神を認識出来るはずがない。
 だから、ただ信じているだけだ。

 信仰とはそういうものだと思う。
 そしてそんな神の実体(実体、という表現はズレているのだけれど)が真理だ。

 つまり宗教の本質は、人間には認識も理解も出来ない(悪く言えば反証可能性がない)。
 そんなものを「時代の変化に応じて」器用にアップデートするなんて不可能だろう。

 せいぜいが世相に応じて提供の仕方を変えるぐらいだろうが、これはTPOに合わせて服装を変えるようなものだ。
 それを進化というのは、あまりにも神や真理を過小評価している。

 ただそれこそ「進化」というのはこの世相にあって、より多くの人に注目されやすいキーワードで、いわば「TPOに合わせた服装」なのだろう。
コメント
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