今生では夫婦になることは叶わないと悟った材木問屋手代の伝三と、その主人の女房おたつは心中を誓った。
ふたりは、亡きがらが晒しものになることのないように、後に何も残らない死に方を探した。
焼身自殺をしても、骨は残る。
岩を抱いて湖に沈んでも、地殻の変動で湖底が隆起して水面に出てきたら、魚や微生物に食い荒された無残な姿が人目に触れることになるかもしれない。
そこで、おたがいを食べようということになった。
これなら体は消化されてしまうわけだから、後に残らないうえに、自分の肉体が相手の体内に吸収されるという究極の愛の形を実現できると考えたのだ。
『解体新書』も読んだことがなく、消化吸収などといった人体のメカニズムを把握していない無学な二人だったにもかかわらず、そんな高度な死に方を思いついたのは、ひとえに愛の力によるものだった。
しかし、一方が先に相手を食べてしまったら残った方を食べる者がいなくなってしまうので、同時に食べようということになった。おたがいに足先から食べ始めて、最後に頭をのみ込んでしまおうという考えだったのだ。
二人は死に場所に決めていた土蔵に入ると、地面に横たわり、おたがいの足先をくわえることができる体勢になった。
すると、それが二人には、ちょうど宇宙の原理である陰陽のバランスを象徴する対極図のように思えた。
「俺が陽なら」
「あたしゃ陰」
「おたつあっての」
「伝三かい?」
陰陽道のことなど聞いたこともない無学な二人だったにもかかわらず、そんな高度な連想ができたのは、ひとえに愛の力によるものだった。
「おたつ、あの世で添い遂げような」
「あいよ」
そう言って、二人はおたがいの足の親指に歯を立てた。
しかし、それがあまりに痛く、しかも骨が堅くて噛み切れないので心中は諦めて、伝三は手代の仕事に専念し、おたつは貞淑な妻に戻ったとさ。
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