エッセイでも小説でもルポでも嘘でもなんでも書きます
無名藝人




 今年の夏は記録的だったらしいが、何がどう記録的だったのか。あまりの暑さのために覚えていない。毎年、夏になると何かの記録を更新しているような気がするが、それもやっぱり暑さのせいでそう感じているだけなのだろうか。

 今夏をひと言で表せば、惨夏(造語)だった。七月、八月は屋外での仕事ばかりで、煮えたぎるような大気のなかで、お天道様に照り焼きにされた。暑いというより、熱かった。

 午前10時頃までは気温があまり上がらないから、日差しが強くても耐えられるが、午後のピークに向かって気温がぐんぐん上昇し始める頃から、太陽が山の稜線にかかる頃まで、炙られ続ける。

 その名残は、九月も半ばだというのに、まだ褪めきらない日焼けだ。
 ほら、この通り。前腕のこの先からいきなり黒くなっているのが、おわかり頂けると思う。そして顔。帽子の庇に守られた額はこんなに白いのに、そこから下はこんなに黒くなってしまった。

 もともと色白なので、この日焼けは際立つ。
 惨夏真っ盛りのころは、上半身裸になって鏡の前に立つと、そのなかに変な人間がいた。顔の下半分と肘から先だけが焼けこげた、部分焼死体がいた。

 過酷な肉体労働とは、重い物を持ったり、休みなく動き回ったりすることだけではない。炎天下、木陰すらない場所で長時間立ちっぱなしの仕事も、その過酷さからすれば、他の肉体労働にも引けを取らない。

 ただ、この肉体労働は、いくら続けても体力は向上しない。土木作業員のようなたくましい体躯も耐久力も得られない。日焼けのうえに日焼けを重ねて、炭化するだけだ。

 だからおまえ何の仕事してたんだよ、おい、と毒者諸氏は苛立ったり泡立ったりしていると思うが、暑さのためか、何の仕事だったのかどうしても思い出せない。何度か車に轢かれそうになったような記憶があるが、それは仕事ではなかったと思う。
 

 いま思うと、いくぶん精神もやられていたような気がする。

 客が大勢来るから暑くなる、暑さに苦しめられているのは客が押し寄せてくるからだ、という理屈がいつの間にか同僚の間で通用するようになった。
 抗いようのない自然という憤懣の対象を客に転嫁するという心理メカニズムが働いたということだろうか。

 夏を楽しむレジャー施設だから、暑いほど客足が増える。
 経営者は、エアコンの効いたオフィスのソファに深々と腰かけて、「毎日が快晴で太陽がギンギラギンに照りつけてくれたらいいのに」と願っていたはずなのだが、われわれは違った。

 たまたま曇りで太陽が隠れている日なんかだと、口には出さずとも、同僚の心がみな一つの理想で結ばれているのがわかった。

「このまま一日中空がどんよりして、雨でも降ってくれたらいいのに。できれば、いますぐ台風が来て今日の仕事が中止になればいいのに。できれば、落雷で停電して、施設を稼働することができなくなればいいのに。できれば大雨で地滑りが起きて道路が塞がれて、シーズン中の復旧が絶望的になればいいのに」

 てなことになったら、こっちもオマンマの喰い上げになるわけだが、暑さのせいでそんな認識は失われていた。

 客が施設に侵入するのを阻止する方法を同僚たちと考えた。
 季節柄、いちばん客が集まる施設はプールである。だからそこに人喰いザメを五、六頭、密かに放流するという案を出した者がいた。

 最初はみな、こぞって賛成していたが、あることに気づいた者がいた。
「ちょっと待てよ。プールは淡水だから、海に棲んでいる人喰いザメは浸透圧の関係で生きていられない。すぐに死ぬぞ」
「シントウアツって何なのか知らんが、どうして死ぬんだ?」
「つまり、海水とは濃度が違う淡水に海水魚を入れると、ブワーっとなるからなんだよ」
「そうか。それはひどいな!」
「大海を自由に泳ぎ回っている無垢な人喰いザメ。そんな彼らを淡水の、しかも狭いプールに閉じ込めるなんて、そりゃ虐殺に等しい」
「なぜ、シーシェパードは黙っているんだ!」

 僕らは涙を流して人喰いザメを哀れんだ。その慟哭は三日三晩、山間にこだましたと云ふ。

「じゃ、コイってのはどうだ。淡水魚だし、なんだか優雅じゃないか」
「おいおい、メダカを放流するのとは訳が違うんだからな。コイの成魚は10kgはするんだぜ。優雅に見せるなら50匹は要るから500kg。どうやって運ぶんだよ、そんなもの」
 
 みな黙ってしまったが、ひとりが、まだ実験段階なんだけどな、と言いながらズボンの革ベルトを抜き取ると、ベルトの内側に、ぶよぶよしたものが鈴生りになって張りついているのが見えた。

「これ、グミなんだけどコイなんだよ」

 そういって彼は、ベルトからグミをひとつ剥がすと、僕の口に押し込んだ。たしかにフルーツグミの味がしたが、噛んでいるうちに味が変わってきた。

「なんだかサンショウウオみたいな味がする」
「当たり前だ。コイの稚魚はサンショウウオなんだからな」
「そうだったのか。でも、こいつをどうやって……」
「まあ見てろ」
 
 そう言って、彼はもうひとつグミを剥がして、灼けついたアスファルトの上に放り出すと、すぐにペットボトルの水をその上から注いだ。すると、グミはたちまち成魚のコイになった。

「こいつは凄い! 話題になるぞ。マスコミが誇大に、ときに虚偽を交えて報道するだろうから、日本中から物見高い客が押し寄せて来ることは間違いない! 万歳!」

 と、僕が昂奮して喚いているのをよそに、彼はコイの状態の変化に気を取られていた。
 ついさっきまで路上でピチピチ跳ねていたコイが徐々に生気を失い、ついに動かなくなってしまった。口だけかろうじて開け閉めしている。苦しそうだ。彼は舌打ちをして言った。

「なんてこったい。このペットボトルの水は水道水だ」
「というと?」
「水道水には、消毒のために塩素、つまりカルキが含まれているんだ。コイはそれにやられたんだ」
「じゃ、この《鉄管の水》ってラベルが貼ってあるボトルの中身は、ただの水道水なのか? 汚い商売しやがって!」

 僕らは拳を衝き上げて、Twitterに怒りのツイートを投稿した。
 そのつぶやきは風に乗り、当時、東京の本郷で貧苦に喘いでいた石川啄木の耳に届いた。その怒りに共鳴した啄木が詠った歌が――

 東海の 小島の磯の白砂に われ泣き濡れ手で粟

 ――である。


 これだけ暑いと、太陽が地球のすぐそばにあるように思ってしまうが、実は、八千万海里以上も離れているのである。
 地球をピンポン球くらいの大きさだと仮定すると、太陽の位置は、あそこに立っている杉山さんのいるあたりになる。それほど離れているのに、こんなに暑い。

 つまり、太陽を中心とした半径八千万海里以内の宇宙空間は、夏の間はどこもかしこも暑いのだ。
 だからこの時期に有人衛星を打ち上げるのには反対である。あんな物々しい宇宙服を着て、真夏の宇宙空間で船外活動なんかしていたら、変な精神をもった人間になってしまう。
 せめて夏が終わり、太陽の活動が沈静化し始める時期を選んでほしいものだ。


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