こもれびの日々

人生、経験することにおいてはどんなものでも無駄はないといいます。
無駄な日々はこもれびのようなものでしょうか?大藪光政

若杉山の綾杉と大和の大杉を見に行く・・・

2007年10月15日 | Weblog
若杉山に、香椎宮の綾杉(神功皇后手植え)から枝分けしてこの地に植えた杉があるというので、調べていましたら、なんと平成12年、地元にて「森の巨人たち百選」が発表されると、地区の人達から、もっと大きな木があるとの話があり、調査の結果「大和の大杉」を確認したという話題の巨木があるのを知って早速出かけて見ました。

下からすぐに枝が5本に分かれ合計の幹回りが16.15m樹高40mの巨樹で、近くでは大きすぎて写真が撮りにくい状況でした。恐らく、離れて見ていると、普通の大杉が寄り添って伸びているぐらいにしか見えなかったので、発見が遅れたのではないでしょうか?

遠くからではまず気付かないところです。しかし、木の根元まで近づきますと、木元が一本からなっているのに気付きます。

香椎宮からの枝分けとして有名な綾杉もかなり大きくて、本当にこんなところまで綾杉の分け木を植えに来たのか?と疑問になるのですが、立派な綾杉です。

そして、大和の大杉は、その綾杉から500m程登ったところにあります。その大杉を見る観覧台の足場まで篠栗町が作ってくれていました。でも、こうして人に知られてしまうと、特に普通は人がめったに入らない森の中ですから、心無い人が誰もいない時、この大杉の外皮を剥いで持って帰る人がいるみたいで、木の育成に悪影響を及ぼすようです。現にその痕が見受けられました。

本当に、巨木にとっては、人に知られることは不幸なことですね。大和の大杉は推定樹齢が2000年とのことですが、私自身、他の巨木を見ていてもそれぐらいは経っている次第です。

2000年前の福岡市と篠栗近郊一帯は、野と山とそして海岸線だけのシンプルな美しい風景だけだったことを想像するだけでも気持ちの良いものです。

今回は、遠くに出かけなくても、すぐ近くの山に、こんなに大きなそして樹齢を重ねた巨木が存在しているなんて・・・「神秘な世界は実は、すぐ傍にあるのだよ」という不思議な実感を味わってしまいました。

by 大藪光政


胡蝶の夢を見た!

2007年10月02日 | Weblog
荘子の話で胡蝶の夢と言うのがありますが、これについては、池田晶子さんも著書に引用しているところがあります。すなわち、「荘周が夢を見て蝶になり、蝶として大いに楽しんだ所、夢が覚める。果たして荘周が夢を見て蝶になったのか、あるいは蝶が夢を見て荘周になっているのか。」

これはたとえ話で、解釈は色々人によって違いますが、夢が現実で、現実が実は夢であったなどと思えば・・・私は、現実とは何か?を問うているような気がします。それは、哲学的に問い詰めれば現実と言う存在は定かか?そして『存在』とは、何を意味するのか?と展開されるでしょう。ここで哲学をされる方はすべて絶句されるのです。

ところで、この胡蝶の夢を実際に体験することは今まで一度や二度は会った気がします。でも、その時はまだ哲学することもなく、変な気持ちで正夢みたいな感じでした。

そこでタイトルの通り、今朝私はこの胡蝶の夢をしっかりと見たのです。と言っても、蝶になったりの化身ではなく、夢の中での自分の五感がしっかり冴えて感じられたので大変驚いたのです。夢の内容は誰でも見るような内容ですが、余りにも五感が夢の中とは思えぬほど感じられたので夢の中が、かなりリアルに感じられ、現実的な実感を味わったと言うことです。

この体験を冷静に考えますと、脳に記憶された出来事を、さも今体験しているような状況で五感が連動して働くことが可能である事を証明しています。でも体験したのは、この私ですからこればかりは第三者に対して言葉で説明しても証明にはなりません。恐らく今日の脳科学技術をもってしても無理でしょう。

夢については、フロイド先生が詳しいかとは思いますが、何せ自分での実体験には怖さよりも意外性の驚きがあります。これは私だけでなく歴史的にも古くから言われていることですし、現代においても多くの方がこうした夢を見られていると思います。それを口にして言うか言わないかの違いか?それとも、朝の夢はもう忘れてしまったのか、どちらかでしょう。

でも、今朝の夢は気分の良い夢だったので良かったです。

この間、「科学との出合い」というブログを新しく立ち上げました。これもご覧ください。