東京オペラシティのタケミツ・メモリアル・ホールは、過去、ポール・クロスリー、ケント・ナガノとリヨン歌劇場楽団、リチャード・ストルツマンのクロスオーバー・プロジェクトなどなど、今も心に残るコンサートを聴くことができ、それはこのホールの持つ響きも少なからず影響していたという実感から、都内数あるホールの中でも最も好きなホールです。結局、演奏自体がよければ、どんな場所であろうと問題はないと思っているのですが、そんな特別の思いのあるホールで、特別の思いのあるピアニストを聴くことができるとは、本当にうれしいことです。
前半はバッハ。客席がまだ若干ざわついた感の残るまま、半音階的幻想曲とフーガを弾きはじめたのですが、冒頭の1フレーズですっかりこちらをシーンとさせてしまいました。ヒューイットはピアノを弾く身振りもその音楽を表すほど雄弁に語っていて、視覚的にも聴覚的にももうすっかり巨匠然としたたたずまいです。しかし続く大曲フランス風序曲とともに、あくまで軽やかさを維持した上での表現であることに感心することしきりでした。ものすごいテクニシャンだと思います。もちろん表現に有機的に結びつく高度なテクニックの持ち主という意味で。
後半のショパンのノクターンもいい意味でロマンティックな表現でため息がでるのみで、いよいよラヴェルのクープランの墓。かつて水戸で聴いて以来の2回目でしたが、今回もこの難曲をかなりの高水準で聴かせてくれたと思います。特に最後のトッカータはあからさまにものすごく技巧的であるのに、果敢に自らのイメージを武器に攻めていく彼女の姿は感動的で、すっかり感極まってしまいました。
ヒューイットの数ある録音のどれもが、端正で自然なイメージで流れていて素晴らしいのですが、そこに熱が加わったライヴでの表現は何にも変えがたいさらなる魅力をもっていて、録音の何倍も心が動きます。今回もまた忘れえぬコンサートとなりました。
前半はバッハ。客席がまだ若干ざわついた感の残るまま、半音階的幻想曲とフーガを弾きはじめたのですが、冒頭の1フレーズですっかりこちらをシーンとさせてしまいました。ヒューイットはピアノを弾く身振りもその音楽を表すほど雄弁に語っていて、視覚的にも聴覚的にももうすっかり巨匠然としたたたずまいです。しかし続く大曲フランス風序曲とともに、あくまで軽やかさを維持した上での表現であることに感心することしきりでした。ものすごいテクニシャンだと思います。もちろん表現に有機的に結びつく高度なテクニックの持ち主という意味で。
後半のショパンのノクターンもいい意味でロマンティックな表現でため息がでるのみで、いよいよラヴェルのクープランの墓。かつて水戸で聴いて以来の2回目でしたが、今回もこの難曲をかなりの高水準で聴かせてくれたと思います。特に最後のトッカータはあからさまにものすごく技巧的であるのに、果敢に自らのイメージを武器に攻めていく彼女の姿は感動的で、すっかり感極まってしまいました。
ヒューイットの数ある録音のどれもが、端正で自然なイメージで流れていて素晴らしいのですが、そこに熱が加わったライヴでの表現は何にも変えがたいさらなる魅力をもっていて、録音の何倍も心が動きます。今回もまた忘れえぬコンサートとなりました。