Les yeux et les oreilles de mya

音楽、映画、バレエなどなど

Angela Hewitt/東京オペラシティ(27/4/05)

2005-04-29 22:31:31 | コンサート
東京オペラシティのタケミツ・メモリアル・ホールは、過去、ポール・クロスリー、ケント・ナガノとリヨン歌劇場楽団、リチャード・ストルツマンのクロスオーバー・プロジェクトなどなど、今も心に残るコンサートを聴くことができ、それはこのホールの持つ響きも少なからず影響していたという実感から、都内数あるホールの中でも最も好きなホールです。結局、演奏自体がよければ、どんな場所であろうと問題はないと思っているのですが、そんな特別の思いのあるホールで、特別の思いのあるピアニストを聴くことができるとは、本当にうれしいことです。

前半はバッハ。客席がまだ若干ざわついた感の残るまま、半音階的幻想曲とフーガを弾きはじめたのですが、冒頭の1フレーズですっかりこちらをシーンとさせてしまいました。ヒューイットはピアノを弾く身振りもその音楽を表すほど雄弁に語っていて、視覚的にも聴覚的にももうすっかり巨匠然としたたたずまいです。しかし続く大曲フランス風序曲とともに、あくまで軽やかさを維持した上での表現であることに感心することしきりでした。ものすごいテクニシャンだと思います。もちろん表現に有機的に結びつく高度なテクニックの持ち主という意味で。

後半のショパンのノクターンもいい意味でロマンティックな表現でため息がでるのみで、いよいよラヴェルのクープランの墓。かつて水戸で聴いて以来の2回目でしたが、今回もこの難曲をかなりの高水準で聴かせてくれたと思います。特に最後のトッカータはあからさまにものすごく技巧的であるのに、果敢に自らのイメージを武器に攻めていく彼女の姿は感動的で、すっかり感極まってしまいました。

ヒューイットの数ある録音のどれもが、端正で自然なイメージで流れていて素晴らしいのですが、そこに熱が加わったライヴでの表現は何にも変えがたいさらなる魅力をもっていて、録音の何倍も心が動きます。今回もまた忘れえぬコンサートとなりました。



Angela Hewitt/紀尾井ホール(25/4/05)

2005-04-25 23:48:56 | コンサート
今、最も好きなピアニストはアンジェラ・ヒューイットかもしれません。きっかけは以前出したラヴェルのディスク。一番好きな作曲家の作品を一番良く演奏して録音してくれました。そんな彼女の生演奏を聴きたくて、当時水戸まで飛んでいったことを懐かしく思います。(結果は当然素晴らしく、録音にはないライヴのよさがとてもよく出ていました。)それから、これまでずっと追っかけています。

この日のプログラムはゴルトベルク変奏曲のみ。バッハの示した反復をすべて行い、休憩なしで一気に演奏されましたが、本当に本当に素晴らしいものでした。最初と最後のアリアとそれにはさまれる30の変奏のそれぞれに魅力をもたせつつ、全体の統一感をも的確に演出していて、飽きることもまったくなく、後半の変奏でカタルシスを感じ、最後のアリアの再現では涙があふれてきました。このような組み立ては図式的にはロマン的でバッハに適さないのではなんて思われるかもしれませんが、ヒューイットの演奏はメリハリはつけても大げさなところはない、きわめて自然なものなので、聴いていて全然疑問を感じることがありません。ハイブリッドなイメージのファツィオーリピアノによるこの演奏は、バッハの時代にはない表現だったかもしれませんが、それ以前から続く音楽を演奏することの伝統の延長線上にまちがいなくのっているものだと思います。

ヒューイットの演奏を聴いて思うのは、ストラヴィンスキーがラヴェルを評した“スイスの時計職人”という言葉。彼女の演奏もまさしく“スイスの時計職人”の精緻な仕事で、だからラヴェルとの相性がぴったりなんだというのも安直な結論で、どの時代のどの曲でも、このような表現が必要だと思います。というわけで、ヒューイットが演奏するものならばなんでも聴きたいと思っていて、明後日のコンサートもとても楽しみです。ラヴェルもやるし。

高橋悠治/Theater Iwato(24/4/05)

2005-04-25 22:49:25 | コンサート
神楽坂の大通り沿いに倉庫を改装して新しくできたシアター・イワトは、防音にいささか問題ありで、トラックの通るときの轟音だけでなく、通りをあるく人の話し声まで聞こえる始末。で、そんな中で悠治さんは、ショパンのノクターンやモンポウのひそやかな音楽などを弾いたのですが、頻繁に聞こえてくる雑音が不思議と邪魔にならず、それどころか雑音の存在も悠治さんの世界に適うもののように思われました。

先日の朝日ホールでのゴルトベルク変奏曲は調子がわるそうでしたが、この日はそんなことはなく、プログラムの一まとまりごとに話もされて、またその語り口が悠治さんの音楽となっている感じでした。

ブゾーニのカルメン小幻想曲なんておよそイメージにあわない曲もあって、でもそれも悠治さん的な繊細さをもって演奏されてとてもよかったのですが、やはり最高だったのが6曲(とアンコールでの子どもの情景からの1曲)のモンポウ。悠治さんの豊穣な音色と完璧なリズムによって、この内省的でそっとふれないと壊れてしまいそうな曲のもつその美しさが最もよく現れ出たようでした。

しかし、いつもおかしいのは、こんなに繊細な表現を行う人が、曲を弾き始めるときに聴き手の準備を待たずに椅子に腰掛けた瞬間に弾き始めたり、曲の終わりでもまだ余韻がさめないうちに次の譜面を準備したり、また、拍手に対して、ペコリとあたまを下げそそくさと引っ込んだり、演奏中以外はエレガントさが感じられないところ。先日のゴルトベルクのときなどは、拍手に対して“ふーん、こんなんでいいの?”とでも言うかのような表情するし、なかなか一筋縄でいきません。でも、これも悠治さんの魅力だと思うのですが、いかがでしょう。